角川文庫
2010年5月 初版発行
2012年12月 6版発行
解説・細谷正充
327頁
鎌倉幕府三代将軍・源実朝は甥の公暁により鶴岡八幡宮で殺され
その首が持ち去られる
以下、秦野市HPより転載
鎌倉幕府3代将軍源実朝は、建保7(1219)年1月27日に鶴岡八幡宮への参拝が終わり、階段を下りている最中に潜んでいた甥の公暁に暗殺されます。公暁は実朝の御首を持ち三浦義村を頼って逃走しました。しかし、義村には北条氏より公暁追討が命じられていたため、公暁は義村の家来に殺されてしまいます。その時以来、実朝の首は行方不明となり、実朝は首のないまま勝長寿院に葬られました。この失われた首を三浦の武将武常晴が探し出し葬ったのが、東田原の御首塚であると伝えられています。
武常晴は三浦氏が公暁を討ち取るために差し向けた家臣の中の一人で、公暁との戦いの中、偶然に実朝の御首を手に入れました。その後、何らかの理由により首を主人である三浦氏のところへ持ち帰らず、当時三浦氏と仲の悪かった波多野氏を頼り埋葬したと伝えられています。
史実を脚色
実朝の首を巡る、源氏、北条、朝廷、武常晴らの対立と駆け引き、複雑な人間模様を描いています
大きな歴史の流れの中のひとつの事件として読むだけなら大変面白いのですが、どの登場人物も全体にボヤけているような印象で、やや物足りない感じを受けました
特に、最初に首を預かった少年・弥源太については、彼の存在が鎌倉にどのような影響をもたらすのか期待が大きかっただけに他に描き方はなかったものか、と残念に思いました
主人公はあくまで「実朝の首」だったのでしょうね
解説によれば2010年に根本から倒れた鎌倉八幡宮の大銀杏こそが公暁が隠れて実朝を待ち構えていた木だとか
当時、そのニュースは見ましたが「そうか」と思った程度でした
本書を読んだ後ならばまた違う思いでニュースを見たことでしょう
実朝暗殺以降800余年の間、身分も性別も年齢も様々な人が何人大銀杏の下を歩いたことか
歴史に残る史実の裏側にはごく普通の生身の人間の暮らしがあったのです
時代小説を読むといつもそんなことを思います
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