岩波新書
2002年7月 第1刷発行
2002年11月 第2刷発行
176頁
地域の大切さにめざめて掘り起こした記録と提言
古代の関東は草深い田舎と思われてきたが、弥生土器や大森貝塚など考古学上の節目になる発見がなぜ関東に多いのか?
ミヤコ中心ではなくそれぞれの地域を軸に歴史を見ていくと、さまざまな興味ぶかい事実の謎を解くことができるのではないか
そのような視点から関東学や東海学を提唱し、海峡や島の役割を見直した歴史エッセイ集
Ⅰ 地域学の可能性
Ⅱ 関東学と東海学
Ⅲ 海峡は文化を育てる
Ⅳ シナ海と島々
Ⅴ 日本海文化
地元である東海学の章に注目しました
東海とは太平洋沿いの日本列島中央部をいうが、太平洋に面している地域のなかでは日本海までの直線距離がもっとも短い
そのことは北陸を含む越と東海、とくに尾張との交流を考えるうえで重要である
東海学にかぎらずある特定の地域を学問の対象にするとき、固定的な考えから離脱することが大切になる
つまりコンパスの軸を大和、京都、江戸などにおいて描いた円内のある地域とみるのではなく、コンパスの軸を東海にずばりとおいてみるのである
それにともない従来の地理的用語も固定的な考え方の手助けをしていることがあるのに気づく
つい伊勢神宮のある土地を代表にして伊勢湾と呼ばれている湾は三河、尾張、伊勢の三国によって囲まれており、その実態に即していえば三尾勢の内海である
「伊勢湾」と習ったので当然のようにそう呼んでいますが、考えてみればナルホド
頭の中で三尾勢を思い浮かべれば「伊勢湾」の役割がより鮮明になってきます
東海の特色の一つは拡散性にある
「遠くへ行こう」という思考を人びとが持っていたことであり、それを可能にする交通手段があったばかりか、そういう行動への衝動をあたえる情報が遠く離れた土地、ときには異国からもたらされる土地でもあったということではないか
そういえば織田・豊臣・徳川の三英傑も東へ西へ出て行きましたね
中部からは東京へも大阪へも金沢へも、フットワークよく出かけられるのも道理です
他にも関東、松前、江差、津軽、瀬戸内、隠岐諸島、関門海峡、壱岐、対馬、五島列島、種子島など
地域の歴史や文化を見直すよいきっかけになりそうな内容が盛りだくさんです
現代の大都会と同様、古代のミヤコと地方、地方とまた別の地方の間にも多くの人や物の移動があったし、離島や盆地のような小さな単位の中にも見るべき歴史的な特徴があるのです
考古学はロマンですねぇ
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