海外のニュースより

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「ヒルシ・アリ、ソマリアからの啓蒙」と題する『ガーディアン』紙の評論。

2007年02月06日 | イスラム問題
 アヤン・ヒルシ・アリは、多くの西欧のリベラルを非常に不愉快にする女性だ。親の決めた結婚と彼女の部族と文化と宗教が女性に課した厳格な制限から逃げて、ソマリア人でムスリムで女性で難民として、彼女はオランダにたどり着いた。彼女は寛容なオランダの社会的利益と供給を利用し、学位を取り、世俗的なリベラル・ヒューマニズムは、素敵なものだと断定した。
 自分たちに罪があると考えるリベラルの一員なら、西欧が最善だと言う黒人女性の言うことに耳を傾けるよりは、不信仰者の腐敗し、堕落した仕方についてのアブ・ハムザ(英国在住のエジプト人説教師)の罵声にむしろ耳を傾けるだろう。だが、それがヒルシ・アリが人々の心をかき乱す唯一の理由ではない。
 西欧から生まれた啓蒙と人権と自由の価値に対する弁解の余地のない改宗者であることに満足しないで、彼女は、辛辣で遠慮のないイスラムの批判者でもある。それゆえ、彼女は「イスラム嫌い」だと非難され、イスラムをイデオロジーよりは人種だと見なす人々によって人種差別主義者だと非難されてきた。
 彼女のイスラムに対する態度の結果として、彼女はオランダで警察の保護下で生活していた。夫が妻を殴ることを認めるコーランの詩句を引用した短編映画を彼女と製作した映画監督のテオ・ファン・ゴッホには、このような保護が与えられていなかったので、彼はイスラム教徒によって射殺され、その首は白昼のアムステルダムの街頭で切断された。
 多分、これもヒルシ・アリがリベラルを不安にするもう一つの理由である。われわれは、予言者ムハンマドを批判する者に何が起こるかを思い出させられることを好まない。確かにハーグに住む彼女の隣人達も思い出させられるのを好まなかった。そして、彼らはヒルシ・アリの近くにいることが彼らを危険に曝すのを止めてくれという法的訴訟に勝った。彼女は、オランダから追い立てられ、直ちに合衆国に移住した。
 それでは、われわれは彼女をどうするのか?優れた歴史家のトニー・ジャッドやティモシー・ガートン・アッシュが語るように、彼女は「啓蒙原理主義者」なのか?
 私の思うに、答えはイエスである。だが、ジャッドやアッシュが意味するのと同じ仕方でイエスなのではない。彼女が諸原理は、実際に適用されなければ特に役に立たないと考える限りは、彼女は原理主義者である。デンマークの新聞に載せられたムハンマドのカリカチュア事件の間にわれわれが見たように、言論の自由の原則は、メディアに関わるリベラルなインテリが喜んで放棄するような原則だった。
 ヒルシ・アリに同意しないことが完全に合理的な多くの主張がある。だが、二つの重要な点があって、それに基づいてリベラルだけが彼女の言わなければならないことを退けることができるのだ。
 第一は、第三世界に育ち、ヨーロッパにやってきたムスリム女性としての彼女自身の体験である。何より先ず、彼女は女は男の財産である、ユダヤ人は、あらゆる世界問題の源である、彼女の困難に対する回答は、信心深く規則を守るムスリムになることであるということを理解するように育てられた。
 第二に、彼女は自分の運命をコントロールし、ヨーロッパ文化が提供できるあらゆる自由にアクセスした。
 多くの観察者は、この二つの状況を見て、最も重要な違いは経済だと結論する。だが、ヒルシ・アリは、これこそわれわれを誤り導く考え方だと主張する。例えば、サウディ・アラビアが確実な諸権利や自由を展開するのに失敗した理由は、ある人達が信じるように、金が不足したからでもなく、米国の致命的な援助のせいでもない。問題は文化に関わり、特にイスラム教の厳格な支配である。
 ヒルシ・アリの信じるところでは、これは西欧に住むムスリム達が直面しているのと同じ問題である。西欧に移住した多くのムスリムたちが感じる疎外感は、主に人種差別によるものではなくて、両立しがたい価値体系を調停することの困難さによるものだ。「それこそ統合の論議が対象にしていることである」と彼女は言う。「これらのイスラム的価値を一緒に持って西欧へやって来ても、あなたの惨めさ変えることにはならない。」
 これは心ない言葉のように聞こえるかもしれない。だが、それは、ヒルシ・アリの第二の大きな貢献へとわれわれを導く。『隷従その一』と題する彼女の映画や彼女の著作において、彼女はコーランのもっと議論の的となる箇所を照らし出した。だから、彼女には警察の保護が必要だったのだ。ヒルシ・アリは、われわれが他のテキストを議論し評価するのと同様に、コーランを議論し評価することができるまでは、文化と習慣と価値についての適切な議論はありえないと主張する。どのように試みても、私にはこの分析に不同意を唱える点は何もない。
 勇敢で馬鹿なひとだけが、全世界の数千万の抑圧を支える宗教体系に挑戦しようとする。そして、ヒルシ・アリについてわれわれが好きな点を言うが良い。彼女は馬鹿ではないと。
[訳者の感想]アヤン・ヒルシ・アリは、現在、アメリカのシンクタンクに勤務しており、恐らくかなり厳しく護衛されていると思われます。この論説の筆者は、『ガーディアン』紙の常連の寄稿家であるアンドリュウ・アンソニーという人です。リベラルの態度に批判的な保守系のコラムニストだと思われます。最近、ヒルシ・アリがアメリカで出版した著書『不信仰者』(Infidel)を巡って政治評論家の間で彼女の評価が分かれたものと推測されます。
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