イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「平松洋子の台所」読了

2016年10月24日 | 2016読書
平松洋子 「平松洋子の台所」読了

ここ1年で好調な小売業というのはし○むらとセ○アだそうだ。
もちろん一生懸命売れるものを企画して品揃えをしているから売れているのだろうが、印象としては今だけ着ることができればいい、今だけ使えればいいというものだ。

この本はその対極にある。周りにある品々、特に台所周りでこだわりを持って著者が集めたものを紹介している。
別段、超高級品でもなくラグジュアリーブランドでもなく、ただ、人の手から直接作り出されたもの。そして機能的。そして存在感。そんなものが手に入れたいきさつを交えて綴られている。

マキタスポーツという芸人が、SMAPの解散に寄せてこんなコラムを書いていた。
芸能界には第一芸能界と第二芸能界というのがある。第一芸能界というのは巨大な経済圏。コマーシャルに起用されたり、スポンサーのいる番組に出たりできるのでかなり儲かる。第二芸能界というのはまさしく芸を見せてお金をもらう世界。そしてあまり第一より儲からない。
第一で生きる芸能人の最大の条件は好感度。だから不倫なんかで好感度がなくなるとどん底に落ちる。でも、第二芸能界の人は芸を売っているのだから好感度がよかろうが悪かろうが芸がよければお金をもうけることができる。SMAPはいままでは好感度が先行していたが、芝居や司会なんかで十分実力があるのだからこれからは第二芸能界でがんばればいいのだ。
というような内容であった。

ここに来て、百貨店がまた不振に陥っている。このコラムになぞらえてみると、百貨店は第一小売業界というところだろうか。
ブランドという高感度に乗っかって商売を続けていたけれども、その好感度が世間に受け入れられなくなるとまたたく間に不振にあえぐ。
最初はそんなことはなく、高価だが職人が丹精を込めて作った、“いいもの”を売っていたに違いない。
それがどんどん規模が大きくなった結果、実体のない好感度(ブランド)に依存し、業界の人たちがそれにあぐらをかき続けた結果が今の状況なのだろう。

その間に第二小売業というべきし○むらとセ○アなどが勢力を伸ばしてきた。

しかし、人が生きてゆくうえでは実は、こだわりや粋みたいなところが絶対に必要で、それを守りきれなかったのは第一小売業の怠慢のせいなのであろうが、それを許さないほどに世間の景気が悪くなってしまい、また、そういうことを理解できないほど日本人が白痴化してしまったのもその要因ではないだろうか。
政治の世界でもいうではないか、「政治は国民を映す鏡。」だと。
結論としては、人が人らしく生きてゆけるのはごく小さい経済圏で、巨大化すればするほど人は不幸になる。グローバリゼーションを第一のように考える今の社会ではひとは幸せにはなれないということだろう。

僕にはこんな粋な生き方をできるほどの経済力がなく、やっぱりまずは100均を覗く生活だ。
著者は、「始末のよい暮らしとしみったれた暮らしの狭間はなんとも微妙なものだ。」と書いているが、きっと僕はしみったれた生活者ではあるが、海の上でだけはしみったれたくないものだと思っている。


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