あぁ、湘南の夜は更けて

腱鞘炎やら靭帯断裂やら鎖骨骨折やら…忙しいッス。
自転車通勤往復100kmは、そんなこんなで自粛してました。

『KAYA インドで出逢った女の子(2)』 印度旅行記-その11

2005年01月03日 | 印度旅行記

右からロッシーナ、KAYA、スルタナの妹...Photo by スルタナ

ブッダガヤーを夜発った蒸気機関車”10 DOON Express”は、
翌朝6時過ぎにカルカッタのハウラー駅に着いた。
僕は1人相変わらず超混雑二等寝台車にやっと自分のスペースを確保し寝袋の中で
彼女たちはレディースコンパートメント(女性用個室)で一夜を過ごした。
真理、KAYA親子と僕は駅のレストルームでチャイ(紅茶)を飲み、一息ついて街へ出た。
駅前でオートリキシャーと値段交渉をしてサダルストリートへ向かった。
(カルカッタは交通渋滞が激しく、駅前や幹線道路へのリキシャーの乗り入れは禁止)
世界で最悪の都市といわれるカルカッタの中でも最も邪悪で過酷といわれる地域、
サダルストリートに僕らの目指す安宿が星の数ほどあるのだ。
92年封切の映画『CITY OF JOY』の中で主人公は
サダルストリートのフェアローン(僕らにしては高級の部類のホテル)に泊まり、
この路上で暴漢に襲われたのだ。

ど渋滞のメインストリートを小回りの効くオートリキシャーで縫うように走り、
インド博物館の脇で僕らは降りた。

そこから直角に入る横道がサダルストリート。
路の両側には安宿が建ち並ぶ。
その路の上には「路上で生まれ路上で死ぬだけの人々」路上生活者が溢れていた。
壊れた水道管から流れ出す水で身体を洗い、炊事をする。
腕のない人、目の見えない人、足の曲がった人、腰から下のまったくない人、
クル病、らい病、象皮病…。
そんな人々が必死になって、しかし明るく生きていた。
強烈だった。
闇両替商やマリワナ売り、ポン引きたちが声をかけてくる。
「ハロー、ジャパーニ」

サダルストリートのさらに奥、モダーンロッジに僕らはダブルの部屋を取った。

1泊50Rsは25Rsずつの折半とはいえ大奮発。
(50Rsは当時600円で、インドでは6000円くらいの価値がある)

僕ら3人はブッダガヤーでもこの街でも、いつも3人でいたわけじゃなかった。
あるときは一緒、あるときは一人で、それぞれが空気のようでいて、
基本的にみんな1人旅をしていたのだ。
6歳になったばかりのKAYAも1人旅。
同じ宿にイギリス人の父娘が泊まっていた。
彼はドラムスを叩く人。少女はSkyという名前で、やはり6歳だった。

SKYと彼女のPapa

2人でパンジャビースーツ(インドの民族衣装)を着て
サダルストリートに駆け出していくのを見ると、不思議ないい気持ちになる。
KAYAは毎日少しずつ英語を覚えてくる。
Skyがどんな状況でどんな英語を話すのかを見ているのだ。
だから、KAYAは1人で僕らの煙草や彼女のアメ玉を買うことができる。

モダーンロッジの前に不可触賎民(アンタッチャブル)の住むがある。
アンタッチャブルとはインドの身分制度のさらに外に位置する人々。
インド人は触れることすら拒む。
カースト制度の枠にさえ入れてもらえない悲しい人々…。
KAYAはそこの子供たちとも友達なのだ。

自分で作った友達。僕もKAYAに連れられて遊びに行った。
カーストの幕に閉ざされ一生アンタッチャブルとして生きる子供たちは、
その中に入ってみると、みんな羨ましいくらい明るい子供たちだった。
◆ここの子供たちは今思えばアンタッチャブルではなかったと思う(2006)
ロッシーナは足が曲がっていた。ただそれだけのこと。
スルタナは聡明な美人で英語が少しだけ話せた。
そんな中でKAYAはすっかりインドの子供。
ヒンディ語と日本語の会話だったけれど、問題なしだった。
「お兄ちゃん、この子たち………だって言ってるよ」
本当かもしれないと思った。

ある日、部屋で昼寝をしていると、窓の外から
「オニイチャーン、カモーン!」
とインドの子供たちが僕を呼ぶ声が聞こえた。
窓を開けるとKAYAと子供たちの顔。
KAYAが言う、
「このコたちね、今からお米を買いに行くんだって。お兄ちゃんもおいでよ。」と。
果たして、曲がりくねった路地をついて行くと、それはお米屋さんだった!
僕は心から驚いてしまった。

子供たちの純粋な世界では言葉なんて必要ないのかもしれない。
大人たちの決めた身分制度や仕組みも関係ないんだよ。
それからは僕も子供たちの話すヒンディ語に耳を傾けた。
だけど、僕の感覚ではまったく駄目だったよ。
解ったことは、僕ら大人は会話を先回りして聞こうとしてしまうこと。
ハートで聞いているわけではない、ということ。

KAYAは特別だったのかな。

テレビゲームにかじりつき虚構の世界をさまよい、
あるいは、幼児教育を受け、大人の言うとおりの生活をしている日本の子供たち。
架空の世界で独り遊びをするか、
大人の論理や思考の中で生きている今の子供たち、
彼らにも分らないだろうと思う。

KAYAは風のような子供だった。
KAYAの世界や観念を大切にして、距離を置いて接する真理の育て方かな?
邪悪でタフな街・サダルストリートはKAYAの目にはどう映ったのだろう。
物乞いや不具者を見て何を思ったのだろう。
それを聞けたら、きっと僕もこの世界を理解できると思った。
大人の価値観や常識に汚された僕の感覚じゃあ理解できない。
KAYAも言葉では説明できないだろう。
言葉は大人の世界のものだから。
KAYAが何かを語った途端に、それはありきたりのものになってしまうだろう。

KAYAは毎日1人で、あるいはSkyとサダルストリートへ駆け出していった。

牛に乗ってるよ@Buddh-Gaya

(wrote in 1990)

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