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天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

映画『ジェーン・エア』O・ウェルズ重婚罪で結婚式無効になったJ・フォンテインは法治国家イギリスを象徴

2012-03-31 09:50:08 | 日記
今日の日記は、映画『ジェーン・エア』(1943年製作 ロバート・スティーヴンソン監督 ジョーン・フォンテイン オーソン・ウェルズ主演)その2です。
この映画の原作者イギリス女流小説家シャーロット・ブロンテは、当初カラー・ベルという男性の筆名で、孤児女性ジェーン・エアが語る半生記を1847年に出版しています。何故なら、その当時のイギリス社会は、男性だけの偏った世界であり、まだ女性には文化的活動の場がなかったのです。
私は、3月21日付日記『「パミラあるいは淑徳の報い」ネット情緒なき表現:若主人セクハラあう美しい無垢メイドが貞操守る必死闘い』で、サミュエル・リチャードソン(1689年8月19日~1761年7月4日)作の同著を紹介しました。シャーロット・ブロンテが活動した一世紀前の英国文学界では、女性が一人称で語る書簡を纏めた小説でも、男性が自ら執筆したのです。
だから、シャーロット・ブロンテが男性の筆名で自身の作品を発表したのも至極当然のことです。しかし、そのイギリス社会は一世紀を経て、ある程度女性の地位を認めるような動きを見せています。
18世紀中葉の「パミラあるいは淑徳の報い」では、主人公パミラは雇い主の求愛に対して、正式な地位を要求して多くの人を招いて結婚式を行っています。これに対して19世紀中葉の「ジェーン・エア」では、主人公ジェーン・エア(ジョーン・フォンテイン)も雇い主(オーソン・ウェルズ)の求愛に対して公開の結婚式を行っています。でも、その場にある弁護士が登場して、”この結婚式は重婚罪に当たり無効である”と主張します。さらに、弁護士は、夫になるオーソン・ウェルズには、この屋敷に幽閉されている狂人と化した結婚した妻が実在しているとも、強く彼を批難します。この映画での、とても衝撃的な名シーンです。
添付した写真は、ジェーン・エアの原作本表紙やジェーン・エア役のジョーン・フォンテインと子役ペギー・アン・ガーナーです。その右下に掲載した写真は、彼女の結婚シーンでの花嫁姿です。
19世紀中葉のイギリス社会では、住民の戸籍管理が徹底されて、単なる神父の前での宣誓だけの事実婚(18世紀中葉のパミラの例)では、正式な夫婦として認められなくなっていたのです。だから、失意のジョーン・フォンテインは、夫になるオーソン・ウェルズの屋敷から自ら去って行きます。これは、当時の世界で最も進んだ法治国家イギリスの姿を見事に象徴する男女の出来事です。
でも、最後には、ジョーン・フォンテインは火災事故で失明したオーソン・ウェルズと正式に結ばれます。そして、彼女の”彼は、自分の子供の眼が、自分と同じ色と分かった”との独白の後、”END”マークが映画で写し出されます。やはり、最後にはハッピーエンドになる恋愛映画は、私はとても嬉しいです。

映画『ジェーン・エア』天然カール地毛を虚栄心顕れと咎めらるEテイラーに14歳で鑑賞私は深い憐れみ抱く

2012-03-29 22:19:28 | 日記
今日の日記は、久しぶりにお茶の間鑑賞している映画『ジェーン・エア』(1943年製作 ロバート・スティーヴンソン監督 ジョーン・フォンテイン オーソン・ウェルズ主演)のことです。
この映画は、イギリスの作家シャーロット・ブロンテの同名小説を映画化した作品です。日本では、戦後の1947年に、劇場で初公開されています。戦後の日本(レンタルビデオが広く普及するまでの期間)では、名作といわれた洋画は、劇場で初公開された後でも、再びリバイバル上映されていました。この映画『ジェーン・エア』も、1967年夏に東京・日比谷にあった映画館『みゆき座』で、再上映されています。
この時、当時中学二年生(14歳)だった私も、東京・日比谷のこの映画館まで出かけて、直接劇場で観た思い出があります。だから、再鑑賞してみて、この映画は私をとても懐かしい気持ちにさせてくれました。
さらに、この映画に出演していた子役の女の子(私とそれほど年齢が違わない)の可愛らしさに、当時の私はとても驚いたものでした。添付した写真は、ジェーン・エアの子供の頃を演じたペギー・アン・ガーナー(左)と彼女の親友ヘレン役のエリザベス・テイラー(右)です。
映画が製作された当時、ペギー・アン・ガーナーとエリザベス・テイラーは、共に11歳でした。後年大女優になったエリザベス・テイラーは、2年後に初主演した映画『緑園の天使』の前作品でしたので、 冒頭の出演者クレジットに残念ながら彼女の名前はなかったです。
そして、彼女の役柄も、イジメとしかいえない仕置きで病気を悪化させ死んでしまう薄幸の少女でした。彼女は、自身の天然のカール地毛を咎められて、ハサミでカットされてしまいます。さらに、”虚栄心の顕れ”の校則違反だと、寄宿舎の学校理事長は、彼女を庇ったジェーン・エア共、雨の中校庭を歩かせ続けます。見ていても、悪しき教育者のとても惨い仕置きです。
そして、その晩、ジェーン・エアは、病が重くなって寝ている彼女のベットに、一緒に入って『あなたの髪を切らせたくなかった』と呟きながら寝込んでしまいます。次の日の朝になって、ジェーン・エアは握っていた彼女の手が、とても冷たくなっているのに気が付くのです。
このシーンは、私が当時のリバイバル上映の劇場で観ていて、とても悲しくなった場面です。そして、薄幸の少女を演じたエリザベス・テイラーに、深い憐れみを抱いた当時の私を、今懐かしく振り返っています。

桐野夏生著『ポリティコン下』孤児真矢希望は慶應湘南藤沢キャンパスで彼女と行きたく東一買う土地は北海道

2012-03-28 21:10:09 | 日記
今日の日記は、今読んでいる桐野夏生著『ポリティコン上・下』(2011年文藝春秋刊)感想記その2です。
一昨日の日記で、”著者桐野夏生がとても熱烈な映画ファンらしい”と書きましたが、桐野夏生氏(1951年10月7日生まれの年齢60歳)のプロフィールを、フリー百科事典・ウィキペディアで今日調べてみて、私は今得心しました。それによると、
『武蔵野市立第四中学校、桐朋女子高校(東京都調布市)から、成蹊大学法学部へと進学。卒業後はオイルショックの時代で就職先があまりなく、映画館に務め、のち広告代理店で医者向け雑誌の編集に従事。いずれも一、二年で退社して24歳で結婚。』
彼女は、私より学年が2年上の60歳です。私が就職した76年は、オイルショックの後遺症による”就職氷河期”といわれた、大企業への入社が最も狭き門の最悪の年でした。
だから、彼女が法学部を卒業して映画館に勤めた経歴は、当時を知る私にはよく分かります。さらに、彼女がもし一浪して大学に入学・卒業していれば、私が就職した前年75年に就職を迎えていたはずです。前年の75年にも、私同様のことがあったのでしょう。
また、映画『アリスの恋』の日本公開は、1975年ですので、彼女が勤務していた映画館で上映していたこの映画を彼女が直接鑑賞した可能性も考えられます。だから、彼女が映画通なのは、彼女が大学を卒業した後、最初に就職・勤務した場所の映画館にあったのです。
また、この著書の下巻に、私にとても身近な二つの場所が登場します。私は読んでいてとても親しみを覚えました。以下に、主人公の男女二人が交わすその会話を、引用・掲載します。
(1)『「どっか近くの国立にでもしねど、俺もそんなに金出せねえぞ」今のうちに、予防線を張っておこうと思って言ったのだが、真矢は悲しそうに呟くのだった。「でも、あたしが行きたい学科って、慶應のSFCにしかないの。そこの環境情報学部ってとこに行きたい」「SFCって?」「”湘南藤沢キャンパス”」この女は、自分の立場がわかっているのだろうか。東一はふと疑問を持った。だが、東一に身を売るほどなのだから、それに見合う高望みなのだろう、と悲しく思うのだった。』
(2)『「俺、”北海道”に土地買ったんだ。唯腕村をまたやろうと思って。だから、真矢ちゃん来ないか。俺と一緒に、高浪素峰と羅我薫子にならねえか」・・「行ってみようか」思ってみなかった言葉が、真矢の口を衝いて出た。(終)』
この著書で書かれた”真矢”が入学したかった大学の”湘南藤沢キャンパス”は私の自宅近くにあり、”東一”が買った土地”北海道”の一都市札幌に、私も同じようにセカンドハウスを買いました。
だから、この著書は何か読んでいて、私にとって、とても不思議な奇縁を感じる小説でした。

『ポリティコン上』映画通桐野氏談アリスの恋Eバーンスティン素敵とKリーブスはツアー型コミューンで育つ

2012-03-26 21:29:15 | 日記
今日の日記は、今読んでいる桐野夏生著『ポリティコン上・下』(2011年文藝春秋刊)のことです。添付した写真は、この著書の表紙です。
この著書は、単行本としては桐野夏生氏の初上下巻となる、構想から7年もかけた大作です。私は、まだ上巻を読破しただけですが、私には著者桐野夏生がとても熱烈な映画ファンらしいある記述に、とても驚きました。今日は、また著書感想の途中未完ですが、その著者の2つの記述を引用掲載します。
(1)『「アリスさん、どうしてアリスっていうの」二人で目を合わせていた時、咄嗟に質問していた。アリスが笑いながら答えた。「昔ね、”アリスのレストラン”っていう映画があってね。その映画が好きだったのと、その後、”アリスの恋”って映画もあったの。エレン・バーンスティンって女優さんが素敵でさ、あたしもそうなりたいと思ったのよ。かいつまんで言えば、希望を捨てちゃいけないって話なんだよ。」』
私も、この映画”アリスの恋”(1974年製作 マーティン・スコセッシ監督)を映画館で鑑賞して、自身の日記でその鑑賞記を掲載した記憶があります。エレン・バーンスティンは、前年に映画『エクソシスト』に主演していたので、私もよく知っていた女優さんです。 桐野夏生氏の映画通らしい独特な好みに、私は深く共感しました。
(2)『「キリスト教系のカルト集団で、家族を謳うのは、家族を否定しているからなの。・・ツアー型もそうよ。みんなで常に移動して、定住しない。・・子供たちは本当の父親や母親を知らされているけれども、役割は皆が果たすのよ。・・死んでしまったリバー・フェニックスは”愛の家族”というコミューンで育てられた。キアヌ・リーブスは、カナダのツアー型コミューンで育てられたのよ。」』
その著書は、東北片田舎にある「唯腕(いわん)村」(一種のコミューン)に暮らす青年とその村に流れ着いた少女を主人公にして、日本が直面している過疎・高齢化という社会問題を読者に突きつけています。引用した言葉は、その中で、青年の母親から出たコミューンに関する発言です。
私は、最近日記で話題にした映画俳優キアヌ・リーブスが、カナダの”ツアー型コミューン”で育てられたとの桐野夏生氏の見解に、今とても驚いています。でも、桐野氏のこの情報は、私はとても信憑性が高いと思っています。
何かちょっと変わった独特な雰囲気を私が感じていたキアヌ・リーブスは、彼のそのコミューン育ちの生い立ちから、それが強く起因して表情等に顕れていたのかもしれません。そして、この著書を読んでいて、桐野夏生氏の博識ある映画通ぶりに、私は今強く感服しています。

札幌投稿版:残念ながら現地で見た北海道新聞の百円単位記載公示地価もセカンドハウス近辺場所の情報無し

2012-03-25 10:37:11 | 日記
今日の日記は、札幌より投稿の特別版です。昨日、私は購入したセカンドハウス用新築マンション工事進捗状況を確認する為、現地を訪れました。その際、モデルルームで販売担当者と会い、その公示地価の件について話し合いました。
彼も、国土交通省が発表した北海道の公示地価を、たまたま新聞で今読んでいるとのことでした。だから、その彼の読んでいた23日付の北海道新聞を見せてもらいました。
しかし、さらに道内の多くの場所が百円単位(首都圏版では千円単位)で記載されていましたが、この新築マンション近辺の肝心要の場所の公示地価はなかったです。
そして、私は彼に、首都圏版に記載されていた近傍の公示地価からの推測地価と契約書との差異を質問してみました。彼は、販売委託業者にはその詳細な”土地価格情報”は教えてくれないとの事でした。でも、彼は私の推測地価を興味深く聞いて、実勢価格はもっと高くなる可能性を示唆しました。
また、彼はこのマンションの売約一覧表を私にみせて、”全69戸の内、まだ残っているのは最も面積が小さい2LDKの4戸だけ”と教えてくれました。
さらに、私が彼との話で、”隣地に今月の3月に竣工した某大手マンション業者の新築販売物件で、もう買主が家賃128千円(1LDK・55m2・4階部分)で貸借人を募集しているが、こんな家賃で借り手はいるのか?”と質問してみました。その問いに、彼は”この場所ならいます!”との返事をしてくれました。
その話を聞いて、私は自分のセカンドハウスを賃貸に出すつもりはないですが、将来の資産価値としてもとても有望な物件と分かり、とても嬉しくなりました。
こちら札幌は、まだ雪が残っていてまだ寒く本日の天候も雪です。だから、帰り便は前回より1時間早い便を私は予約しています。今、無事に飛行機が出発してくれることを私は祈っています。