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天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

GOOブログ日記アクセル・ランキングに記載のトータルアクセス数は任意に変更可、親衛隊首魁もそれを利用

2011-10-31 22:54:13 | 日記
今日の続編日記は、私の日記(編集管理はGOOブログ)のアクセル・ランキングのことです。添付した写真は、それを印刷したアクセル・ランキング表です。
このように、私が利用しているGOOブログ(運営徴収費はまったくなし)は毎日、アクセル・ランキングを集計して公表してくれます。それもすべて無料のサービスです。
それを見ると、昨日の10月30日の訪問者数は351IPで、閲覧数は2,290PVです。そのランキングは、1,648,743ブログ中1,947位です。
また、10月23日~10月29日まで1週間の集計は、訪問者数は2,034IP 閲覧数は12,592PVです。そのランキングは、1,648,419ブログ中2,690位でした。
トータルアクセス数は
トータル閲覧数(PV) 612,514PV
トータル訪問者数(IP)176,505PV です。
このように、GOOブログではデータを厳密に集計してくれるのです。
しかし、トータルアクセス数の欄にとても気になる記述がありました。 
『トータルアクセス数を任意の値に変更できます。「テンプレート編集」画面で設定できる「アクセス状況」モジュールに反映されます。※日別の閲覧数・訪問者数とトータルアクセス数の加算タイミングにタイムラグが生じる場合があります。』
私は、トータルアクセス数を変更したことはありませんが、GOOブログでも、トータルアクセス数を任意の値に変更できたのです。
だから、独善的応援教義を信奉する親衛隊首魁が管理運営する某ストリッパー嬢のブログ日記のトータルアクセス数も任意の値に変更できるはずです。親衛隊首魁は、その機能を実行し、トータルアクセス数を勝手に改竄したのでしょう。

映画『1000日のアン』I・パパスに離婚を迫るR・バートンは自分に都合のよい言葉”神意なのだ”と語る

2011-10-31 21:06:27 | 日記
今日の日記は、映画『1000日のアン』(1969年製作 チャールズ・ジャロット監督 リチャード・バートン ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド主演)でのヘンリー八世の離婚騒動のことです。
この映画では、ヘンリー八世(リチャード・バートン:添付した写真の右)が、スペイン皇室から正室に迎えたカサリン王妃(イレーネ・パパス:添付した写真の左)に、離縁を迫るシーンが登場します。以下に、その二人の会話を映画から引用・掲載します。
・パパス『(バートンの手を顔に付けて)何カ月もお越しになさらないで』
・バートン『すわれ ケイト 要件だけ言おう 我々の結婚は神への罪悪だ!余は苦しいのだ!近親婚の罪として我等の息子は全て死産だ!』
・パパス『娘のメリーは元気です!』
・バートン『この結婚は無効に!ケイト 神意なのだ!』
・パパス『やましい事はありません!』
・バートン『お互いの為だ 請願に同意してくれ!』
・パパス『貴方の妻です 父が法王にした証言をウソだと言うのですか?あんなに信仰に篤かった父や母の証言を?神の前で私を処女と証言し お父君も御署名を!』
・バートン『余の父はウソの名人だった!』
・パパス『私の人生は不幸ばかり 15の時 人質のようにスペインからここへ!アーサー亡き後7年もここに軟禁 そして貴方と 愛していたのに!貴方だけが私の幸福と 今も愛しています!(泣きながらバートンの手に口づけをする)』
・バートン『(大きな声で)では承知しろ!』
この二人の会話は、観ていてとても心痛む場面です。カサリン王妃は、最初ヘンリー八世の兄アーサー皇太子に嫁いだのですが、兄が死んでしまい、今度はその弟と結婚させられる悲劇の女性です。だから、リチャード・バートンは、兄嫁との近親婚と言っているのです。しかし、イレーネ・パパスは、兄と結婚しても処女のままだったので、近親婚ではないと、二人の結婚の正当性を強く訴えています。
だから、この愛憎劇は、キリスト教世界の倫理感に縛られている中世ヨーロッパならではの男女の出来事です。ローマ法王は、国王といえども、一度結婚したら”汝は死ぬまで愛すか?”と当事者から誓約を取っている以上、男女の離婚を決して認めないのです。そのため、R・バートンは自分に都合のよい言葉”神意なのだ!”と語って、I・パパスに離婚を迫ります。そして、その離婚を決行したヘンリー八世を、ローマ法王はローマカトリックから破門にしてしまいます。その結果、イギリス宗教界は、ローマカトリックから完全に独立し、イギリス国教会を創り出すのです。
でも、この事件が起きた約3世紀前、アジア中央部に大帝国を打ち立てたモンゴル民族(その民族の英雄はチンギス・カン)には、逆に兄嫁を妻にする風習がありました。民族が違うとその結婚観もまったく違うのです。
そして、私はこの映画の悲しい離縁シーンを観て、王妃といえども絶対的権威のある国王の欲望に翻弄されたか弱い女性の悲劇に、私は思わず涙しました。

映画『1000日のアン』ヘンリー八世のR・バートンはアンのG・ビジョルドにフランス踊りを教えて頂こう

2011-10-30 21:02:56 | 日記
今日の続編日記は、今久しぶりにお茶の間鑑賞している映画『1000日のアン』(1969年製作 チャールズ・ジャロット監督 リチャード・バートン ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド主演)のことです。
私は数日前の1,000回投稿記念と今年暮れのイギリス旅行の事前予備知識の確認の為、アメリカ映画『1000日のアン』をレンタル店から借りて、今鑑賞しています。この映画は、16世紀イギリスのチューダ王朝のヘンリー八世とその王妃となったアン・ブリンをめぐる愛憎の歴史劇です。アン・ブリンがヘンリー八世の王妃でいた期間がたった1,000日間しかなかったので、この映画タイトル(原題もAnne of the Thousand Days)になっています。
添付した写真は、宮廷舞踏会で出会ったヘンリー八世(リチャード・バートン:左)とアン・ブリン(ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド:右)です。中央にいる若い男のはアン・ブリンの婚約者ハリー・パーシィで、アンとの結婚をヘンリー八世によって破談にされてしまうかわいそうな青年です。ヘンリー八世はスペイン皇室からカサリン(イレーネ・パパス)を正室に迎えていますが、この舞踏会でのフランス帰りの若いアンに一目惚れしてしまいます。以下に、その時の二人の会話を掲載します。
・バートン『よければ フランスの踊りを教えて頂こう』
・ビジョルド『英国の王様は万能ですのに?』
・バートン『よくぞ申した ガリヤードを!(そして、音楽が鳴って舞踏が始まる)』
そして、二人は楽しそうに手を取って踊ります。リチャード・バートンと踊るジュヌヴィエーヴ・ビジョルドの可憐な美しさに私は目を奪われました。こんな素敵な女性(ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド)なら、ローマ法王から破門されても、カサリン王妃(イレーネ・パパス)と離婚して、正室に迎えたたいと思うヘンリー八世(リチャード・バートン)の気持ちを、私は多少は理解できます。
しかし、そこまでして王妃にしたアン・ブリンが世継ぎ男子を産まないという理由だけで、たった1,000日でいわれのない不倫罪で理不尽な死刑にしてしまう冷血漢のヘンリー八世を、私は男としてはまったく認められないです。でも、彼女との間に出来た一人娘が、後に大英帝国の礎を築いた聡明なエリザベス女王になるは、”歴史の皮肉”としか言いようない出来事です。
そして、この歴史劇映画を、フランス「クレージーホース」のダンス鑑賞にフランス行った某踊り子嬢に、私は是非鑑賞してほしいです。


A・ブルガー著『ヒトラーの贋札 悪魔の工房』著者のナチス数々蛮行を説明する為生きているに私は強く共感

2011-10-30 12:55:52 | 日記
今日の続編日記は、今読んでいるアドルフ・ブルガー著『ヒトラーの贋札 悪魔の工房』(熊河浩訳 2008年朝日新聞社刊)のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
この著書の中に私がとても印象に残った親衛隊大尉ヨーゼフ・メンゲレの記述を、以下に引用・掲載します。
『ビルケナウ収容所という”死の工場”は、最新技術を駆使していた。・・八十両もの貨車が駅に到着し、親衛隊員が扉を開けると、ユダヤ人の子供五千人やその付き添い、医者が降りてきた。親衛隊大尉のメンゲレが五列に並ばされた子供たちの脇を歩きながら、何やらいろいろと細かく調べていた。そして喉が渇いたと騒ぐ子供たちの頭をなでながら、「これからシャワーを浴びるんだよ。そしたらお茶をあげるから」とやさしく声をかけるのだった。しかし彼は、自分の実験に使える双子の子供たちを探していたのだ。そして十組の双生児が選び出されると、救急車が止まり、双子の子供たちだけを乗せて実験室まで運んでいった。・・貨物駅で”選別”する際、メンゲレは口笛でプッチーニのオペラ「トスカ」のカヴァラドッジのアリアや映画「星が光っている」からの一節を吹いていた。彼は落ち着きはらい、自分の仕事ぶりに満足した様子で、手に持った棒の動きひとつで囚人の生死を決めてのだ。ヨーゼフ・メンゲレは1911年3月16日、ギュンツブルグで生まれ、哲学と医学の博士号を取得した後、37年、NSDAP(国家社会主義ドイツ労働党)に入党した。その後、38年5月、親衛隊に入隊すると・・44年8月から12月までビルケナウBⅡf担当医兼B2a、B2b,B2d外来診療所担当上級医となった。・・戦後は戦争犯罪者として、世界中に指名手配された。私は生き延びたかった。生き延びて、アウシュヴィッツとビルケナウの恐るべき真実について証言したかった。・・私は何度も考えた。なぜ私は、この地獄を生き延びたのだろうか?私は今、87歳にして、ようやくその答えを見つけたのだ。私が生きているのは、証人として、若い人々にナチスによる数々の蛮行を説明するためなのだ。私が生きているのは、これらの蛮行が決して繰り返されないよう、警告するためなのだ。・・それが私の責任だ。だから、私は生きている。』
この著書は、ユダヤ人の印刷工アドルフ・ブルガーがアウシュヴィッツなど4箇所の強制収容所の囚人とした体験した「地獄」と紙幣偽造計画に関わらざるを得なかった「苦悩」を描いて、ナチスドイツの悪行を告発した強く魂を揺さぶられる歴史ドキュメンタリー書です。
この中で糾弾されている親衛隊大尉ヨーゼフ・メンゲレは、私の2011年8月7日付日記『精子をiPSから作り健常マウス初誕生の報道ニュースは未公開映画「ブラジルから来た少年」の恐怖を現実化』と8月9日付日記『「ブラジルから来た少年」TV放映のヒトラー遺伝子後継少年が死体写真見て微笑むシーンをDVD版では削除』で私自身も言及し糾弾しています。
だから、この記述を読んでいて、著者の思いに私はとても強く共感しました。私自身も、私が受けた”蛮行”が決して繰り返されないよう、警告するためにこのブログ日記を書き続けているのです。だから、私はその”蛮行”が完全消滅するまで、自身のブログ日記で、生きている限り糾弾し続けます。

某踊り子嬢の応援を巡る様々な経緯・出来事を斟酌し、か○みん氏を確信込めて親衛隊首魁・住居侵入者と認定

2011-10-30 08:55:30 | 日記
今日の日記は、私が関係するストリップ掲示板の書き込みに対する真摯な反論です。
以下に、その書き込みを引用・掲載し、具体的に私はその指摘に反論意見を述べます。
『踊り子が自分名義のウェブサイトの作成運営を専門的知識を有する外部の個人や会社に委託することの何が問題なんでしょうか。結局某嬢のウェブサイトの管理人がか○みん氏だからおじさんは難癖をつけている訳です。そして、それにとどまらずおじさんがか○みん氏を独善的教義を有する親衛隊の隊長と一方的に認定し、合理的な根拠も無しに存在したとされる住居侵入罪の犯人であるかのように繰り返し名誉毀損的言辞を繰り返すのは、突き詰めればか○みん氏が劇場でおじさんに一言注意したからですよね。か○みん氏は一言注意しただけで上記のように難癖をつけ続けられるばかりかその容姿と同じく小心者と言われてしまった訳です。(2011/10/30 06:04)』
・(1)<踊り子が自分名義のウェブサイトの作成運営を外部の個人や会社に委託することの何が問題>・・インターネットが始まった頃は、この投稿者が指摘するようにHPは”ウェブサイトの作成運営は専門的知識を有する者”しか作成できませんでした。しかし、今では”専門的知識を有しない60歳近い私”でさえブログ日記を作成し、投稿数1,000回を越すことが出来るのです。だから、多くの他のストリッパー嬢は自前のブログ日記を作成して運営管理しています。また、その本人でなく別の者が管理していれば、自ら率直な思い(管理人を含めて)を真摯に発信できなくなるから、私は強く反対しているのです。ましてや、その管理人が内容を恣意的に改竄している場合、多くの他の閲覧者は彼女をどう思うか?を心配・危惧しているのです。
・(2)<か○みん氏を独善的教義を有する親衛隊の隊長と一方的に認定>・・かつみんが応援している某ストリッパー嬢を、私はある時期、彼とダブッテ彼女を応援してしまいました。そのダブッた応援期間での彼とのさまざまな経緯・出来事を斟酌すれば、私は確信を込めて、『彼はその”首魁”』と認定できます。
・(3)<か○みん氏を住居侵入罪の犯人としたのは一言注意しただけで>・・彼は一言どころか、多くの出来事で私と劇場内外で強く衝突しています。犯罪は最も動機が強い者が犯人として疑われるのは犯罪捜査の”定石”です。ここで、彼の他の多くのストリップファンと大きく逸脱した応援行動を一々指摘(注:今まで私の日記ブログで詳細に投稿しているのでそれを参照して欲しい)するのは、今回の投稿文がとても長くなるので差し控えますが、彼しか住居侵入罪の犯人としか考えられないです。司法裁判においては直接証拠が無くても、突出し多くの際立った状況証拠の積み上げだけでも、その犯罪の”合理的な根拠”と成り得ます。
・(4)<難癖をつけ続けられるばかりかその容姿と同じく小心者と言われてしまった>・・私は”難癖”をつけているのではなく、説得力ある多くの証拠を開示して、彼の多くの悪行を糾弾しているのです。”容姿と同じく小心者”との私の指摘を、何時までも強く気にするこの投稿者は、私は実際に”ほんとうの小心者”と認定します。