天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

人の極楽往生能力には三種類有り最初から全て捨てなければ往生出来ない下根と卑下する一遍はそれを自ら実践

2015-01-31 12:11:15 | 日記
今日の日記は、札幌行きを中止して晴天の藤沢本宅から書いている、私の血のルーツ時宗の開祖・一遍の講話のことです。この宗教家・一遍を紹介している今井雅晴著『一遍 日本人のこころの言葉』に、私が強く共感した講話『一遍上人語録・下巻44』の記載がありました。以下に、その記述の一部を、引用・掲載します。
『一遍は、「人間は、極楽往生への基本的能力で三種類に分けられます。最も能力がある人(上根)は妻子があり家があって生活していても、臨終の時にはそれらに執着することなく、往生します。中くらいの能力の人(中根)は、妻子は捨てておいたほうがいいのですが、ふだん家があってきれいな着物を身に付け、豊かな食事をしても、いざという時にはそれらに執着することなく、往生します。全く能力のない人(下根)は、最初から全てを捨て、それらから離れることによって往生するのです。」と述べています。そして、一遍自身は、自分を下根の者であるとし、全てを捨てるよう努力して毎日生きている、と述べています。阿弥陀信仰の基本的な経典の一つである「無量寿経」に、「人は、世の中の執着心や欲望の中で、たった一人孤独で生まれ、一人孤独のうちに死ぬ」と記されています。だから、一遍は、悩む人たちに対して、「ほんとうにたった一人ではありませんか、それが私たち本来のあり方ではありませんか。」と説いているのです。』
この著書の表紙には、国立国会図書館所蔵『一遍上人絵伝』での一遍上人と妻子(超一・超二)が描かれていますが、遊行の途中でこの同行していた妻子と別れて、己一人だけで布教活動を始めました。一遍自身は、謙遜して自らは下根(最初から全てを捨てなければ往生できない)とみなして、それを強く実践したのでしょう。宗教の開祖が自分自身を卑下する大衆仏教である時宗の特徴が良く顕れている逸話だと得心しました。また、肉親への情愛を捨てた宗教であるとも分かりました。
私自身は、この「極楽往生への基本的能力で分類された三タイプ」の内、中根(いざの時、執着心無し)ではないか?と今は思っています。でも、本宅は妻子に渡し、セカンド・ハウス(別宅)を終の棲家とする将来構想がある私は、限りなく下根(最初から全てを捨てるタイプ)に近いかも知れません。
私は今、何か、自分が生きてきた人生の不可思議さを、強く実感しています。
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31日・2月1日の両日札幌は暴風雪マーク有り精神衛生上悪いストレスが発生しないよう札幌行きを中止決断

2015-01-29 22:24:21 | 日記
今日の日記は、今週末に予定していた札幌行きを、札幌地方の天候不良に付き急遽中止(注:キャンセル料や払い戻し金は無し)にしたことです。
私は厳寒期の札幌行きの大きな心配事は、天候(暴風雪)による飛行機の運休・遅延の影響です。残念ながら悪いことに、今日の午後5時の札幌地方の天気予報だと、31日(土)と2月1日(日)の両日は暴風雪のマークが出ていました。私は、とても心配になりANAのHPの”運航状況の見込み”で確認したところ、「31日(土)の新千歳空港は雪の影響で運航中止や遅延が発生する恐れがある」と分かりました。
そのリスクを考えて、私は初めて、事前での搭乗予定の中止を決断しました。最近のANAのHPで、このような天候によるキャンセルでは、キャンセル料や払い戻し金は必要ないと知っていたので、私の中止行動の後押しにもなりました。
でも、行きの31日だけで、翌日の帰りの運航情報は出ていなかったので、直接ANAの問い合わせ窓口に連絡してみました。そうしたら、往復便の場合は、行き便をキャンセルしたら、帰り便も自動的にキャンセルできるとの事でした。だから、今回の札幌行きは、私は即断で中止する事にしました。その支払った料金『旅割75・往復で31,080円』は、クレジット支払先のみずほマイレージカードの自動的に振り込まれる(カード会社の締め切りによっては、2か月先になる)との事でした。
そして、セカンドハウスで会う約束していたサードマンションのサブリース契約不動産会社の担当者に、”札幌に行けなくなったので、必要書類をこちらに郵送してほしい”と連絡を入れました。他にも、行くつもりだった札幌の献血ルームにも断りの電話(予約キャンセル)を入れました。
これからは、台風や暴風雪による天候リスクは、あまり無理をせず、そのまま自然体で受け入れて、札幌行きを中止(注:特に、行くべき重要な目的がある以外だが)する方針に、私は大きく方向転換しました。何故なら、空港の発着ロビーでの強いストレスが発生せず、自らの精神衛生上も好ましい事と、私が強く判断したからです。
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今井雅晴著『一遍・日本人のこころの言葉』死覚悟の一遍は布教広めたがイスラム国拘束の記者はその気概無し

2015-01-25 14:27:26 | 日記
今日の続編日記は、今井雅晴著『一遍 日本人のこころの言葉』で、私が強く感動した一遍の行動とその言葉です。私は、前の日記で、この一遍上人が布教の為の幕府の都「鎌倉」入りを警護の武士らに拒否されたことを書きました。その私が強く感動した詳しい顛末を、以下に引用・掲載します。
『武士は下役の者に時衆を棒で叩かせ、「執権様の前で騒ぎを起こしてよいと思うのか。有名になりたいのだろう」ととがめます。一遍は「いや、私は念仏を広めたいと思うだけです。なぜとがめるのです。あなただっていつか冥途に行くときには、この念仏に助けてもらわなければならないのに」と答えると、返事はなくて棒で二回叩かれました。でも一遍は痛がる様子もなく、どんな人でも救おうというのが私の生き方だから、こんなことでも、武士に念仏と縁を結ばせることができたと喜びます。そして、「念仏を勧めることを私は命としている。それなのに、このように警戒されるなら、行くところもない、ここで死んでしまおう」と強く言いました。すると、風向きが大きく変わりました。武士は一遍に同情的になり、「鎌倉の外ならば念仏を勧めてもよい」と言います。それで、一遍たちは木戸を出て、山道の適当な道端で念仏を称え始めました。すると、死をも恐れぬ念仏布教者がいると評判になり、鎌倉中の人々が集まって来て一遍の念仏の勧めを受け入れたそうです。やっとその時が来て一遍の念仏が広まった、と「一遍聖絵」では述べています。』
やはり、日本人には、ある種共通な国民的な資質(自己の生命を否定してまでも、守るべき尊い思想・倫理観に他人が強く共感)が古来から存在するのだと、私は強く痛感しました。このような一遍だから多くの時衆(信者)を生んだのでしょう。さらに、日本人は世界的に見ても、とても立派な人種だと得心しました。
しかし、このような立派な日本人らしさを、世界中に大きく低下させたイスラム国に拘束された報道ジャーナリストがいます。この拘束された報道ジャーナリストがインターネットで公開した自らの肉声文(注:この声は本人らしいとの事で、たとえ強制的に言わされたとしても全く共感出来ない)を読んで、私は強い憤りを感じました。
自己責任で危険地帯に行くと覚悟を持っていた彼は、『安倍がハルナを殺害した。政府に圧力を加え続けなくてはいけない。この言葉を、あなたが聞く私の最後の言葉にしないでほしい。どうか、安倍に私を殺させないでほしい。』と未練たらしく語っています。
覚悟の上で出かけながら、往生際が悪い全く人迷惑で最低な男です。彼には、太平洋戦争終了後、南樺太に侵入したソ連軍の前で、最後まで真岡郵便局の通信を守った若き女性交換手たちや、東日本大震災の津波防災無線放送を、最後まで放送し続けた若い役場担当女性の尊い使命感による自己犠牲など、露程にも持ち合わせていません。たとえ、その語る文面を強制(それにより殺されたとしても)されたとしても、断固拒否するべきでした。
だから、私は、安倍首相を殺人者扱いにしたこの報道ジャーナリストを助ける必要はないと思います。私なら、この理不尽な要求を呑んでもらって無事に日本に帰国しても、生きていく気など全くありません。全く失望した恥さらしの日本人が引き起こした事件です。
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今井雅晴著『一遍・日本人のこころの言葉』の「時衆の中に建築技術者がいた」で私の職業選択動機を強く得心

2015-01-25 09:42:35 | 日記
今日の日記は、今読んでいる今井雅晴著『一遍 日本人のこころの言葉』(創元社・2014年10月刊)で書かれいる時衆(門弟たち)のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
私は自分の血ルーツ探し(母方の祖父が時宗の僧侶)に、この最近出版されたこの著書を某書店で見つけて、今自宅で読んでいます。
そして、今の自分の生業・職業選択が、その時宗が始まった700年前から既に定められていたとの”とても不思議な奇縁・地縁の思い”を抱きました。以下に、この著書からそれを強く印象付ける記述を引用・掲載します。
『弘安5年(1282年)、一遍は鎌倉の入り口の小袋坂で執権北条時宗の一行と出会い、自らの布教をとがめられます。・・警護武士らは譲歩して「鎌倉の外ならば念仏を勧めてもよい」となり、一遍と時衆(門弟たち)は、鎌倉の西にある片瀬に移りました。現在の神奈川県藤沢市片瀬です。国宝”一遍聖絵”では、この時の風景を伝えています。現代の盆踊り舞台のようなやぐらを組んで、手を振り足をあげて跳ね回りつつ念仏を称える踊り念仏を行ないました。板の屋根を被せた高い舞台が組まれて、その上で若者や年配の時衆が大勢、鉦を叩きながら踊り念仏を行なっています。舞台の周囲を、これまた大勢の貴賤・道俗の人たちが取り巻いて見物しています。門弟たちの中には、建築技術を持っている者がいたのではないか、と推測する説もあります。踊り念仏の舞台の上からは、白い顔や白い足の尼の時衆が見物人に笑いかけています。・・その後の社会でもこの念仏踊りは受け継がれ、約300年後の安土桃山時代には、出雲の阿国が新たな念仏踊りを編み出し、庶民の人気を得ました。』
私は、一遍没後十年目に弟子の聖戒が制作したこの”一遍聖絵”(全十二巻・国宝)で描かれたこの舞台での時衆たちの様子を、今まで実際見たこと(注:他のシーンは高校の教科書に掲載されていた)はありません。でも、この時衆たちのこころから喜んで楽しんでいる様子が目に浮かびます。
当時でも、「念仏はこころ静かにまじめに称えるべきもので、踊りながら大騒ぎをして称えるのはよくない」との批判はありました。しかし、一遍は、『無量寿経』や『法華教』に「舎利弗、踊躍歓喜し」とあるので、”仏の教えの道を知っている人は知っているのですから、その形式にこだわる必要はありますまい”と何ら問題にしなかったそうです。
時代が下って、20世紀中後半に、時衆の影響を強く受けている私は、自らの職業分野として、”建築技術を持っている者”を自ら選択したのは当然のなりゆきだったと、今強く得心しました。そして、21世紀になって夢中になった「出雲の阿国の念仏踊り」が根底のルーツである”ストリップショー”で、踊り子さんたちに私の独自応援を実践したのも、一遍上人の教え”形式にこだわる必要はない”の強い思想上の応援があったのだとも、今痛感しました。
また、鎌倉時代や安土桃山時代の当時でも、この念仏踊りを批判する者もいたのだから、表現の自由が全世界の共通ルールとなった現在でも、狂信的独善的な応援教義を信奉する某踊り子嬢の親衛隊らに、私がストリップ劇場から迫害・追放された理不尽な悪行は、一遍上人や阿国らの受難に比べて、全く同じものと強く痛感しました。
そして、私の血のルーツである時衆らが引き起こした宗教的な思想・奇縁・地縁で、自らが選んで辿ってきた人生の不可思議さに、私は今、強く驚いています。
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サードマンション賃貸入居希望者が見つかり電気代の負担が2月末まででようやく軌道に乗った私の不動産投資

2015-01-20 22:20:49 | 日記
今日の日記は、私のサード・マンションの賃貸入居希望者が見つかり、3月1日から部屋の引渡を行う事になって、ようやく軌道に乗った私の副業・不動産投資のことです。
この部屋のサブリース契約している不動産会社の担当者から、賃貸入居者が見つかったとの連絡が、今日私に有りました。入居するのは約1か月後の3月1日(日)からで、ようやく私の電気代の負担支払いが2月末まで済みました。また、この入居する方は、駐車場(8,000円/月)と駐輪場(100円/月)も借りたいそうで、私がその手続き(注:その使用申請が出来るのは区分所有者だけで費用も所有者が負担)をしなくてはいけなくなりました。
また、この入居者の支払う家賃はインターネットの賃貸募集案内によると、毎月10万円(私は9万円でサブリース契約)で、敷金・礼金等はこのサブリース契約している不動産会社の儲けになります。そして、この不動産会社の担当者から、この入居者からは駐車場と駐輪場の使用料として毎月9,500円(1,400円割増)を徴収し、自らの管理費を500円程度引き去りして、私には900円/月の”おまけ”を付けると話していました。
まあ、空室のリスク(正月明け土曜の夜、NHKの特集番組で、”空き家問題”を扱っていたし、日銀の1月各支店の景気判断でどういう訳か?北海道だけが悪かった)を考えれば、このサブリース契約している不動産会社のこのようなセコイ金銭的な対応にも、私は渋々納得しました。
正式な追加の契約書類(賃貸入居者の情報等含めて)を送ってくるので、私はそれを良く見てみたいです。
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