今日の日記は、血の繋がりでなく婚姻により親の子供になった姻族の親子関係のことです。
私は、自身の日記で実兄の配偶者(妻)が私の実母の養子になったことを、何度も批難してきました。何故なら、その動機が全くの遺産目当てだけの強欲的な打算から生まれたからです。
先日、お彼岸中日の前に、私が所有する自身の墓(東戸塚霊園内<宗派に拘らない>に約25年前に購入)の定期清掃報告書が自宅に届きました。添付した写真は、その報告書で清掃後のお墓の姿を映したものです。
私は、次男であり実親(注:両方とも死亡して、その墓は実母実家の栃木県益子町のお寺<時宗>に有る)の墓守を出来ないような状態(実兄が結婚したのち、即両親と同居)でしたので、生きている時(若くて私が35歳頃)に、今の藤沢の自宅からも近い戸塚区川上町916番地にあった東戸塚霊園のお墓(永代使用権)を購入しました。
このような私の行為である生前にお墓を建てることを、寿陵(じゅりょう)といいます。古来より、生前にお墓を建てることは長寿を授かる縁起の良いこととされ、古文書にも「寿蔵」や「寿堂」などと書かれています。だから、その当時に、私は何も迷わず、このお墓を購入しました。
そして、その購入した私のお墓には、もう納骨された私の血の繋がらない姻族の”先客”が安らかに眠っています。この墓の墓誌に記載されている私の配偶者(妻)の実父に当る人です。
私の義理の父親でありますが、当然彼も自身のお墓を所有していました。でも、彼の長男との縁を切って(勘当扱い)、長女である私の配偶者にその墓守を御願いするつもりになって、その自身のお墓を処分してしまいました。そして、義父は信仰していた浄土真宗の宗派に拘らず、私のお墓<注:実母は時宗の僧侶の娘>に入ることに納得してくれたのです。さらに、お墓には私の家紋(丸に抱き冥加)や苗字が大きく表現されていますが、そんな事に頓着せず、実子である娘(私の配偶者)も眠るであろうお墓に入ることに心から同意してくれたのです。
しかし、このような死後も緊密な関係になった義理の父親と私は、何も養子縁組などしていません。そんな法律上の手続きは全く不要であり、配偶者の父親(姻族)の一親等という民法上で十分であると私が判断したからです。また、何も実の親子関係であろうと、婚姻による親子関係であろうと、人としての行いは全く違いはないと、私自身が確信していたからです。
しかし、私の実兄の配偶者は、全く自己の打算的な理由だけで、実母の養子になっています。彼女の実家(東京都赤羽市にある)は某新興宗教に入信しており、実兄にもその某新興宗教に入信(同じ家族に異端者がいると御利益が無い)するように強要していました。このような宗教上に大いに問題がありながら、彼女が私の実両親が眠る益子町のお墓を守り、死後その墓に入るとは、私には全く想像できません。彼女は、姻族の重みなどより、より打算的な理由で短絡的に法律上養子(実子同様)を選んだのでしょう。
また、実兄と配偶者はその実子分を増やしたのだから、残された実母の遺品やお墓を、私以上手厚く扱う必要がありました。しかし、その残された実母らの家財は一方的に処分し、その思い出の詰まった住んでいた家まで解体してより多くの土地代を確保しようとしています。
だから、今頃、勝手に養子縁組された実母は、このような状況を草葉の陰から強く歎いていると、私は確信しています。逆に、養子縁組をせずに私のお墓に入った義父は、安堵の念を抱いていると得心しています。
私は、自身の日記で実兄の配偶者(妻)が私の実母の養子になったことを、何度も批難してきました。何故なら、その動機が全くの遺産目当てだけの強欲的な打算から生まれたからです。
先日、お彼岸中日の前に、私が所有する自身の墓(東戸塚霊園内<宗派に拘らない>に約25年前に購入)の定期清掃報告書が自宅に届きました。添付した写真は、その報告書で清掃後のお墓の姿を映したものです。
私は、次男であり実親(注:両方とも死亡して、その墓は実母実家の栃木県益子町のお寺<時宗>に有る)の墓守を出来ないような状態(実兄が結婚したのち、即両親と同居)でしたので、生きている時(若くて私が35歳頃)に、今の藤沢の自宅からも近い戸塚区川上町916番地にあった東戸塚霊園のお墓(永代使用権)を購入しました。
このような私の行為である生前にお墓を建てることを、寿陵(じゅりょう)といいます。古来より、生前にお墓を建てることは長寿を授かる縁起の良いこととされ、古文書にも「寿蔵」や「寿堂」などと書かれています。だから、その当時に、私は何も迷わず、このお墓を購入しました。
そして、その購入した私のお墓には、もう納骨された私の血の繋がらない姻族の”先客”が安らかに眠っています。この墓の墓誌に記載されている私の配偶者(妻)の実父に当る人です。
私の義理の父親でありますが、当然彼も自身のお墓を所有していました。でも、彼の長男との縁を切って(勘当扱い)、長女である私の配偶者にその墓守を御願いするつもりになって、その自身のお墓を処分してしまいました。そして、義父は信仰していた浄土真宗の宗派に拘らず、私のお墓<注:実母は時宗の僧侶の娘>に入ることに納得してくれたのです。さらに、お墓には私の家紋(丸に抱き冥加)や苗字が大きく表現されていますが、そんな事に頓着せず、実子である娘(私の配偶者)も眠るであろうお墓に入ることに心から同意してくれたのです。
しかし、このような死後も緊密な関係になった義理の父親と私は、何も養子縁組などしていません。そんな法律上の手続きは全く不要であり、配偶者の父親(姻族)の一親等という民法上で十分であると私が判断したからです。また、何も実の親子関係であろうと、婚姻による親子関係であろうと、人としての行いは全く違いはないと、私自身が確信していたからです。
しかし、私の実兄の配偶者は、全く自己の打算的な理由だけで、実母の養子になっています。彼女の実家(東京都赤羽市にある)は某新興宗教に入信しており、実兄にもその某新興宗教に入信(同じ家族に異端者がいると御利益が無い)するように強要していました。このような宗教上に大いに問題がありながら、彼女が私の実両親が眠る益子町のお墓を守り、死後その墓に入るとは、私には全く想像できません。彼女は、姻族の重みなどより、より打算的な理由で短絡的に法律上養子(実子同様)を選んだのでしょう。
また、実兄と配偶者はその実子分を増やしたのだから、残された実母の遺品やお墓を、私以上手厚く扱う必要がありました。しかし、その残された実母らの家財は一方的に処分し、その思い出の詰まった住んでいた家まで解体してより多くの土地代を確保しようとしています。
だから、今頃、勝手に養子縁組された実母は、このような状況を草葉の陰から強く歎いていると、私は確信しています。逆に、養子縁組をせずに私のお墓に入った義父は、安堵の念を抱いていると得心しています。