今日の続編日記は、雑誌『文藝春秋』今年1月号特集・大アンケート『日本はどこで間違えたか もう一つの日本は可能だったか』に寄稿した小説家曽野綾子氏の卓見のことです。添付した写真は、その表紙です。
私は、今日の日記で、イギリスの教科書を話題にしました。この投稿をしていて、数ヶ月前に読んだ雑誌『文藝春秋』に掲載されていた曽野綾子氏が教科書無料化に触れている寄稿文を、私はふと思い出しました。以下に、その『不条理を忘れた驕り』と題した、私がとても共感した曽野綾子氏の意見を、以下に一部引用・掲載します。
『国家が個人の不幸を保証してくれる、などという発想は全くなかった。この人生にはれっきとした不合理、不運、残酷な死があることを終時見せつけられていた。・・・地震や災害に対して被災者に政府から災害慰弔慰金が出るようになったのは1973年。災害で住宅が全壊した人に支援金が出るようになったのが1998年。災害を受けた人の苦労が減る事に関して私も又、異を唱えるものではないが、それでも人々が、自然災害、不運などの結果を現世で承認せず、補填されることも期待するようになったのは大きな意識の変化である。”昔の親たちはどんなに苦労しても教科書代は自分で払った。親の犠牲を知る子供たちは学校へ行けることを幸福に思った。”今では教育は国民の権利だから、教科書は1969年からすべて無料になり、その後若者の登校拒否、ひきこもり、自殺も増えた。人間の生活の中に含まれる永遠の矛盾や不幸の影を忘れたり、否定したりすると、人間は舞い上がり、不満はますます募り、その結果人間そのものを見失う、と私は思っている。』
曽野綾子氏は、太平洋戦争で米軍の空襲を実体験した戦中派人間です。そして、彼女は、想像を絶した国難に対してでも、その当時の日本国民は、その戦争を引き起こした国家(日本政府)に何も不平や不満を言わず、そのまま受け止めた(国家が個人の不幸を保証してくれる発想は全くなかった)と言っています。さらに、学校で使用する教科書が1969年からすべて無料になってから、学校での登校拒否、ひきこもり、自殺も増えたと、教育現場の荒廃を強く歎いています。私もこの曽野綾子氏の見解に、まったく同感です。
就学当時の私は、学校に行けるだけ(注:公立学校の義務教育は、授業料が無料)でとても幸せであり、その上さらに、教科書や教材まで無料支給してもらうなどとは、まったく夢にも思わなかったです。親もその自らの経済力の範囲で、自分の子供に教育を施していました。また、貧乏人でその教育資金が足りなければ、奨学金制度や公立・国立の教育機関を利用すれば良かったからです。
だから、私は曽野綾子氏同様に、このような1969年から実施された安易な教育費のばら撒きサービスが、自立・自助努力を忘れた権利意識ばかり強い間違った人間を、現在の日本社会に多く蔓延させたと思っています。だから、石原慎太郎氏が唱えた”東日本大震災は、我欲の者に、神が下した天罰説”にも私は深く共感するのです。
私は、今日の日記で、イギリスの教科書を話題にしました。この投稿をしていて、数ヶ月前に読んだ雑誌『文藝春秋』に掲載されていた曽野綾子氏が教科書無料化に触れている寄稿文を、私はふと思い出しました。以下に、その『不条理を忘れた驕り』と題した、私がとても共感した曽野綾子氏の意見を、以下に一部引用・掲載します。
『国家が個人の不幸を保証してくれる、などという発想は全くなかった。この人生にはれっきとした不合理、不運、残酷な死があることを終時見せつけられていた。・・・地震や災害に対して被災者に政府から災害慰弔慰金が出るようになったのは1973年。災害で住宅が全壊した人に支援金が出るようになったのが1998年。災害を受けた人の苦労が減る事に関して私も又、異を唱えるものではないが、それでも人々が、自然災害、不運などの結果を現世で承認せず、補填されることも期待するようになったのは大きな意識の変化である。”昔の親たちはどんなに苦労しても教科書代は自分で払った。親の犠牲を知る子供たちは学校へ行けることを幸福に思った。”今では教育は国民の権利だから、教科書は1969年からすべて無料になり、その後若者の登校拒否、ひきこもり、自殺も増えた。人間の生活の中に含まれる永遠の矛盾や不幸の影を忘れたり、否定したりすると、人間は舞い上がり、不満はますます募り、その結果人間そのものを見失う、と私は思っている。』
曽野綾子氏は、太平洋戦争で米軍の空襲を実体験した戦中派人間です。そして、彼女は、想像を絶した国難に対してでも、その当時の日本国民は、その戦争を引き起こした国家(日本政府)に何も不平や不満を言わず、そのまま受け止めた(国家が個人の不幸を保証してくれる発想は全くなかった)と言っています。さらに、学校で使用する教科書が1969年からすべて無料になってから、学校での登校拒否、ひきこもり、自殺も増えたと、教育現場の荒廃を強く歎いています。私もこの曽野綾子氏の見解に、まったく同感です。
就学当時の私は、学校に行けるだけ(注:公立学校の義務教育は、授業料が無料)でとても幸せであり、その上さらに、教科書や教材まで無料支給してもらうなどとは、まったく夢にも思わなかったです。親もその自らの経済力の範囲で、自分の子供に教育を施していました。また、貧乏人でその教育資金が足りなければ、奨学金制度や公立・国立の教育機関を利用すれば良かったからです。
だから、私は曽野綾子氏同様に、このような1969年から実施された安易な教育費のばら撒きサービスが、自立・自助努力を忘れた権利意識ばかり強い間違った人間を、現在の日本社会に多く蔓延させたと思っています。だから、石原慎太郎氏が唱えた”東日本大震災は、我欲の者に、神が下した天罰説”にも私は深く共感するのです。