何気なくTVを見ていたら、小林と江川が共演しているシーンが飛び込んできました。「うるぐす」や「ザ・サンデー」など江川の出演番組でもメーキング映像を流したり、今朝の新聞各紙も全15段広告が掲載されているメディアミックスのようです。黄桜といえば河童や高島礼子がキャラクターとして有名ですが、若者の酒離れが進む中、清酒メーカーも危機感を強めているのでしょう。コミュニケーションツールとしてのお酒を再認識してもらうのに、博報堂の仕掛けにより「時を結ぶ 人を結ぶ」というコンセプトのドキュメンタリーCMを繰り出してきたというわけです。
28年前の江川事件以来、この二人は面と向かって会話したことがなかったそうです。二人ともTVの世界で活躍していましたから、これまでもこのような企画は作ろうと思えばできたのでしょうが、今回広告で実現したというのが興味深いところです。権威ある雑誌に編集で対談するよりもリアリティーがあるような気がします。小林繁は近鉄のピッチングコーチを辞めてから、経営する飲食店を潰していて、最近はFX会社の看板キャラクターなどになっていましたから、金が欲しかったのかもしれないなあなどと想像してしまいましたが、まあ動機はこの際どうでもいいでしょう。どんな形であれ、因縁の二人の対面が実現したのですから。
昔の会見映像を改めて見ると、二人とも受け答えが大人だなあとつくづく感じます。小林が26歳で江川が23歳ですか。今の同年代の男性の幼さとは比べものにならないでしょう。不条理な境遇におかれた小林の潔さはもちろん、江川の「興奮しないでいきましょう、冷静に」「そんなにムキになって質問されても困るんですけど」というセリフはあまりにも有名ですが、あれは、やたらいきり立って喧嘩腰で追及する馬鹿な朝日新聞記者をたしなめるために発言したものです。昨今、メディアスクラムにあった渦中の人物は、皆まともに会見したり、インタビューに応じないでしょう。江川は逃げずに対応していたのです。それも事件は周囲の大人が仕組んだことであり、本人としては言いたいことはいっぱいあったにもかかわらず・・・です。
江川問題で、読売の務台会長から命じられたロビースト担当は専務の渡邉恒雄でありましたが、後年こそ東京ドームのVIP席で手を叩きながら観戦している姿が見られましたが、当時のナベツネはバッターが打ったらどちらの方向に走るかも知らないくらいの野球音痴でした。野球など全く関心がなかったのです。それでも特命である江川獲得と事後の処理に暗躍する過程で、野球協約を嘗めるように読んだ経験から、球界きっての協約通になりました。スト問題の際に、よくナベツネが「協約に根拠がない」とか言っていたのは、このときの蓄積があったからです。彼のほかに作新学院絡みで船田中とか自民党政治家の関与もあり、事件については「墓場まで持っていく」という江川のスタンスは今回も変わっていません。今後も、存命中の関係者がいる間は事件の核心についてはしゃべらないでしょうし、そもそも本人が知らされていたことは、状況からしてかなり限定的だったはずです。
「別に」「特にないです」「そんなの関係ねえ」という昨今の流行語は極めて現代的ですが、沢尻某という人は映画のパブリシティで、ライターや記者から同じことを何度も質問されるのが嫌だったそうですね。それも仕事のうち、ギャラに含まれているものなのですが・・・。でも私は中田ヒデやイチローなどメディアを徹底的に忌避している一流スポーツ選手にも同じ幼さを感じるのです。いつも同じことを聞く、記者は勉強していない、新聞は本当のことを書かない・・・そんなの当たり前じゃないですか。少年時代から、あまりに存在が大きかったがゆえに襲われる不運(チームメイトからの孤立、慶大受験失敗、クラウン指名等)を乗り越えてきた江川には、才能が傑出していたり、高給をもらうプレーヤーにともなう責任についても自覚的でした。それを宿命と受け入れて、毅然として対応するだけの容量があったのです。
今回の対談で、江川はあらためて「金銭トレードにしてくれる約束だったのに」と述懐しています。自分がコミッショナー裁定により超法規措置で巨人入りするにあたっては、人的補償が発生しないことを確認していたというのです。それが蓋を開けてみると小林繁が人身御供になったことが納得できなかったのだと語ります。特例中の特例スキームのため、ここにおいて江川が「約束した」相手側が巨人なのか阪神なのか判然としませんが、阪神の方は「はいそうですか」というほどお人よしではなかったようです。
巨人がボイコットした78年のドラフト会議で、江川を1位指名したのは、南海、近鉄、ロッテ、阪神の4球団でしたが、もし抽選に当たったのが阪神以外の3球団だったら、巨人からの金銭トレードの申し出を了承していたかもしれません。昔のプロ野球は巨人中心主義であり、ヤクルトなどは露骨に巨人寄りのスタンスがありました。同一リーグで、商魂たくましい阪神だったからこそ、トレード相手に小林を要求したともいえます。それに小林は、その年阪神相手に5勝を上げていました。
「阪神が最上のリターンを得ようとするならば、自分を要求してくるだろうという予感があった」という小林は、だからこそそれが現実のものとなってショックだったと言っています。76年、77年と連続して18勝したものの、当期78年は13勝12敗と成績を落としていたのです。サラリーマンでも、こういうタイミングで放出されると、結構キツイものがあります。ずっと良かったのにこの年たまたま調子悪かったのが影響したの?・・・みたいな。
初年度の巨人戦負けなしの8連勝の印象があまりにも鮮烈ですが、成績を見てみると、小林はそれ以降の巨人戦は5勝15敗と振るわなかったことがわかります。江川は阪神から星を稼いでいるのと対照的です。でも引退時年齢は小林31歳、江川32歳と若く、最後の年が13勝だったのは同じです。ともに引退後は主にキャスターとして活躍したのも共通点です。事件がなかったら、二人がどういう野球人生を送ったのかは想像するしかありません。
選手が逆指名やFAで好きなチームに行くことができる現代においては、若い人は28年前の江川事件などピンとこないでしょう。「風化した」といえばそうなのかもしれません。しかし数奇な運命に巻き込まれても、まっすぐ前を向いて真摯に応対した小林と江川の二人の矜持を見習うべき人が、今の世の中には沢山いるように思われてなりません。
28年前の江川事件以来、この二人は面と向かって会話したことがなかったそうです。二人ともTVの世界で活躍していましたから、これまでもこのような企画は作ろうと思えばできたのでしょうが、今回広告で実現したというのが興味深いところです。権威ある雑誌に編集で対談するよりもリアリティーがあるような気がします。小林繁は近鉄のピッチングコーチを辞めてから、経営する飲食店を潰していて、最近はFX会社の看板キャラクターなどになっていましたから、金が欲しかったのかもしれないなあなどと想像してしまいましたが、まあ動機はこの際どうでもいいでしょう。どんな形であれ、因縁の二人の対面が実現したのですから。
昔の会見映像を改めて見ると、二人とも受け答えが大人だなあとつくづく感じます。小林が26歳で江川が23歳ですか。今の同年代の男性の幼さとは比べものにならないでしょう。不条理な境遇におかれた小林の潔さはもちろん、江川の「興奮しないでいきましょう、冷静に」「そんなにムキになって質問されても困るんですけど」というセリフはあまりにも有名ですが、あれは、やたらいきり立って喧嘩腰で追及する馬鹿な朝日新聞記者をたしなめるために発言したものです。昨今、メディアスクラムにあった渦中の人物は、皆まともに会見したり、インタビューに応じないでしょう。江川は逃げずに対応していたのです。それも事件は周囲の大人が仕組んだことであり、本人としては言いたいことはいっぱいあったにもかかわらず・・・です。
江川問題で、読売の務台会長から命じられたロビースト担当は専務の渡邉恒雄でありましたが、後年こそ東京ドームのVIP席で手を叩きながら観戦している姿が見られましたが、当時のナベツネはバッターが打ったらどちらの方向に走るかも知らないくらいの野球音痴でした。野球など全く関心がなかったのです。それでも特命である江川獲得と事後の処理に暗躍する過程で、野球協約を嘗めるように読んだ経験から、球界きっての協約通になりました。スト問題の際に、よくナベツネが「協約に根拠がない」とか言っていたのは、このときの蓄積があったからです。彼のほかに作新学院絡みで船田中とか自民党政治家の関与もあり、事件については「墓場まで持っていく」という江川のスタンスは今回も変わっていません。今後も、存命中の関係者がいる間は事件の核心についてはしゃべらないでしょうし、そもそも本人が知らされていたことは、状況からしてかなり限定的だったはずです。
「別に」「特にないです」「そんなの関係ねえ」という昨今の流行語は極めて現代的ですが、沢尻某という人は映画のパブリシティで、ライターや記者から同じことを何度も質問されるのが嫌だったそうですね。それも仕事のうち、ギャラに含まれているものなのですが・・・。でも私は中田ヒデやイチローなどメディアを徹底的に忌避している一流スポーツ選手にも同じ幼さを感じるのです。いつも同じことを聞く、記者は勉強していない、新聞は本当のことを書かない・・・そんなの当たり前じゃないですか。少年時代から、あまりに存在が大きかったがゆえに襲われる不運(チームメイトからの孤立、慶大受験失敗、クラウン指名等)を乗り越えてきた江川には、才能が傑出していたり、高給をもらうプレーヤーにともなう責任についても自覚的でした。それを宿命と受け入れて、毅然として対応するだけの容量があったのです。
今回の対談で、江川はあらためて「金銭トレードにしてくれる約束だったのに」と述懐しています。自分がコミッショナー裁定により超法規措置で巨人入りするにあたっては、人的補償が発生しないことを確認していたというのです。それが蓋を開けてみると小林繁が人身御供になったことが納得できなかったのだと語ります。特例中の特例スキームのため、ここにおいて江川が「約束した」相手側が巨人なのか阪神なのか判然としませんが、阪神の方は「はいそうですか」というほどお人よしではなかったようです。
巨人がボイコットした78年のドラフト会議で、江川を1位指名したのは、南海、近鉄、ロッテ、阪神の4球団でしたが、もし抽選に当たったのが阪神以外の3球団だったら、巨人からの金銭トレードの申し出を了承していたかもしれません。昔のプロ野球は巨人中心主義であり、ヤクルトなどは露骨に巨人寄りのスタンスがありました。同一リーグで、商魂たくましい阪神だったからこそ、トレード相手に小林を要求したともいえます。それに小林は、その年阪神相手に5勝を上げていました。
「阪神が最上のリターンを得ようとするならば、自分を要求してくるだろうという予感があった」という小林は、だからこそそれが現実のものとなってショックだったと言っています。76年、77年と連続して18勝したものの、当期78年は13勝12敗と成績を落としていたのです。サラリーマンでも、こういうタイミングで放出されると、結構キツイものがあります。ずっと良かったのにこの年たまたま調子悪かったのが影響したの?・・・みたいな。
初年度の巨人戦負けなしの8連勝の印象があまりにも鮮烈ですが、成績を見てみると、小林はそれ以降の巨人戦は5勝15敗と振るわなかったことがわかります。江川は阪神から星を稼いでいるのと対照的です。でも引退時年齢は小林31歳、江川32歳と若く、最後の年が13勝だったのは同じです。ともに引退後は主にキャスターとして活躍したのも共通点です。事件がなかったら、二人がどういう野球人生を送ったのかは想像するしかありません。
選手が逆指名やFAで好きなチームに行くことができる現代においては、若い人は28年前の江川事件などピンとこないでしょう。「風化した」といえばそうなのかもしれません。しかし数奇な運命に巻き込まれても、まっすぐ前を向いて真摯に応対した小林と江川の二人の矜持を見習うべき人が、今の世の中には沢山いるように思われてなりません。
このシーンが始まり、思わず見入ってしまいました。
おとじろうさんのおっしゃるとおり、あの歳であれだけの
ことに遭遇してしまったときの対応にしては
二人はオトナだなあ・・。今の若者じゃ考えられませんね。
最近、同じタレントがいろんなもののCMに
でてるという状況が横行しているので、背景にリアルな
ドラマがあるこういうCMっていいなあーって感じてしまいます。
小林繁は、あのまま巨人にいても只の好投手で終わったような気がします。少なくとも球史に残る存在にはなれなかったでしょう。当時の関西では掛布を凌ぐ英雄として奉られていたそうですが、事件がなければそんな経験もできなかったと思われ。
まあ、こんな劇的な人間関係というのも探せばあるものではないですが。