東京駅の書店店頭ではベースボールマガジン社が刊行したDVDマガジンが平積みされていて、「相撲が一番面白かった時代」という手書きPOPが目に留まりました。TVモニターの30年前にしては意外に綺麗な映像を眺めていると、現在協会の理事選に立候補している親方衆の現役時代の姿がちらほらと。最新号は千代の富士特集ですが、今後のリリース予定でいくと、4号と12号あたりを買ってしまいそうですね。前にも書きましたが、私は2代目若乃花(間垣親方)と三杉磯(峰崎親方)の大ファンで、昭和53~57年くらいの時期にどっぷりと大相撲に嵌まっていたクチですから。
男子ゴルフ界もジャンボの後に、遼クンが出現するのに10年くらいかかっています。新規顧客を引っ張ってきてくれる超スーパースターなど、なかなか出てくるものではない。むしろ、相撲を元々好きな人たちが無関心になっている方が問題でしょう。スクロールしてもスクロールしても終わらないほどの長文を連発していた相撲評論家の滑稽本さんが、今や本場所中でさえ相撲のエントリーを書かず、NFLのレビューなどしています。熱心な好角家が土俵に愛想を尽かし始め、人気が低落傾向にあることを、関係者はどれだけ認識しているでしょうか。時津風部屋暴行死、大麻事件などの不祥事は記憶に新しく、中長期的には新弟子の減少と日本人力士の低調ぶりなど課題が山積で、理事長が「改革、改革っていったい何をやるんだ」などとうそぶいていられる状況ではないはずです。
ガチガチの年功序列システムで、主に大勢力・年長者を中心に富を配分するギルド社会は、左うちわの時代ならいざ知らず、右肩下がりのご時世において、運営やガバナンスなどあらゆる面で深刻な軋みが生じています。でもこのゴタゴタは、相撲協会だけでなく一般企業にも当てはまり、さらにいえば日本社会の縮図ともいえるでしょう。そんな中、従来のお作法にのっとり穏健にやっていれば2年後に理事に推されるのは確実の身でありながら、今回決起した貴乃花親方に注目が集まっています。
企業でもそうですが伝統的な組織において、「若くして抜擢され要職を歴任する人」というパターンはよく見られます。将来を嘱望されたエリート、ゆくゆくはトップへと衆目が一致する存在として、早くから枢要なポジションを経験するというのは、一見「帝王学を学んでいる」ようでいて、実は既得権を持つ先人に取り込まれているのです。そちら側の論理をたっぷり洗脳され、各地でしがらみを身に付けることになりますが、それは長老たちからの「自分たちを決して悪いようにはせんでくれよ」というメッセージとプレッシャーに他なりません。既得権の番犬・代弁者として時間をかけて育成されているのですから、こういう飼い慣らされたエリートに、旧弊の改革なんかできるわけないのです。歴史上、そのケースで叛旗を翻したり、飛び出したりというのはほとんど例がなく、小沢一郎はレア中のレアなのです。だからよくも悪くも、長きにわたって存在感を喪わないともいえるのですが。
貴乃花親方は人望ある名大関の息子にして、自身も平成の大横綱だったという輝かしいキャリアを持ちます。若貴フィーバーという空前の相撲ブームの立役者として、今日の20億円あまりの莫大な内部留保を協会にもたらした功労者でもあり、それゆえに2年前には、35歳の若さで「理事待遇」として理事会へのオブザーバー参加を許されるようになったわけです。極めて保守的な財団法人である相撲協会は、年功序列の互助的組織ではありますが、昔から次代の理事長候補と目された一人が順調に出世階段を上ることを繰り返してきました。(財務省次官みたいですが) 春日野時代の出羽海、出羽海時代の北の湖、今では、そのポジションが九重(千代の富士)ということになります。人が死ぬという大事件が起こらずに平穏なままであれば、北の湖が極め付けのお馬鹿であることも世間にバレず、武蔵川理事長登板はなかったでしょう。粛々と禅譲が続いていたはずです。
ポスト武蔵川となると(北の湖の再登板はまさかないとして)、順当にいけば人望ゼロの九重親方ということになります。大人しくしていれば次は貴乃花にまわってくることは確実ですが、それは55歳の九重が定年となる10年後まで待たなくてはならない。とすれば、そんなに待っていられないと貴乃花が危機感を抱く気持ちはよくわかります。武蔵川理事長はどう見ても長期的ビジョンの持ち主ではありませんから、ここで事を起こさなければ、大相撲の明日はないと、貴乃花親方およびそのシンパたちは思いつめているのでしょう。先の不祥事で理事をクビになり、もう定年まで明日はないという間垣親方が、先輩(貴ノ花)のジュニアの後見人的存在になっているのも、ワタシ的にはいとをかしであります。
貴乃花は今回公約を口にしていませんが、以前の言動からピックアップすると、
「枡席の定員削減」
「チケットをお茶屋と協会で折半して販売」
「宝くじ売り場でのチケット販売」
「活躍に応じた力士の年俸制導入」
「海外へ協会の支部を設置」
「協会による小・中・高校の創設」
といった独自の改革案を持論としていました。今新聞社が最も頭を痛めている販売店問題を思わせるような、特殊な流通形態の再構築と販売チャネルの多様化、力士のモチベーション向上に結びつく人事・報酬制度、グローバル展開、次世代の人材育成と、企業が抱えている問題とかなり重なってみえます。さらに報道によると、高給の親方連に比べ低賃金にあえぐ床山など部屋の裏方職員たちの待遇改善も志向しているようですから、現代的なテーマも内包しています。
8年ぶりの投票となる2月1日の日本相撲協会理事選挙は、浮動票が貴乃花に流れることを阻止しようと、かつての自民党総裁選さながらに一門の猛烈な引き締め工作が行われていて、仲間の7票から当選ラインの10票まで届くのか微妙な情勢の中、当の貴乃花親方は報道陣の取材に応じています。「厳しい戦いになると思っているか」と訊かれ、「はい、当初から思っています。土俵に上がる際には、一番たりとも勝てると思って上がったことはない。自信は過信につながるので、とにかく心意気で全力を尽くしたい」と語ったそうです。
勝負はやってみないとわからないものだ。リスクを恐れていては何もできない。さすがは貴乃花、いいこと言うなあと思った人も多いでしょうが、私はこの台詞に一瞬ドキッとさせられました。
「土俵に上がる際には、一番たりとも勝てると思って上がったことはない」
うーん、意味深ですなあ・・・。
相撲界には「土俵に上がる前から勝てる(負ける)とわかっている」ケースがあることが長らく囁かれてきました。深読みかもしれませんが、貴乃花改革の最終ゴールは八百長撲滅であるのだとすれば、公言できない禁忌をメッセージに籠めたとか。でもそれは貴を筆頭に旧二子山部屋出身者と、後はスイーツ親方の芝田山(大乃国)のように現役時代にガチンコで通してきた親方にしか推進できないことです。九重親方には出来ない相談でしょうなあ。
トップをはじめ記者上がりが経営陣を占める新聞社同様に、元力士のみが役員となって運営する相撲協会は、とっくに立ち行かなくなってきていて、外部から経営のプロを入れて透明化を図るしかないと私は考えていますが、そのためには協会を一度壊さなければなりません。貴乃花の理想論に傾きすぎる一本気でエキセントリックな性格は、これまで何かと物議を醸してきており、問題がないわけではないのですが、壊し屋としては彼以上の人はいません。なぜなら「改革」は変人にしか出来ないからです。
男子ゴルフ界もジャンボの後に、遼クンが出現するのに10年くらいかかっています。新規顧客を引っ張ってきてくれる超スーパースターなど、なかなか出てくるものではない。むしろ、相撲を元々好きな人たちが無関心になっている方が問題でしょう。スクロールしてもスクロールしても終わらないほどの長文を連発していた相撲評論家の滑稽本さんが、今や本場所中でさえ相撲のエントリーを書かず、NFLのレビューなどしています。熱心な好角家が土俵に愛想を尽かし始め、人気が低落傾向にあることを、関係者はどれだけ認識しているでしょうか。時津風部屋暴行死、大麻事件などの不祥事は記憶に新しく、中長期的には新弟子の減少と日本人力士の低調ぶりなど課題が山積で、理事長が「改革、改革っていったい何をやるんだ」などとうそぶいていられる状況ではないはずです。
ガチガチの年功序列システムで、主に大勢力・年長者を中心に富を配分するギルド社会は、左うちわの時代ならいざ知らず、右肩下がりのご時世において、運営やガバナンスなどあらゆる面で深刻な軋みが生じています。でもこのゴタゴタは、相撲協会だけでなく一般企業にも当てはまり、さらにいえば日本社会の縮図ともいえるでしょう。そんな中、従来のお作法にのっとり穏健にやっていれば2年後に理事に推されるのは確実の身でありながら、今回決起した貴乃花親方に注目が集まっています。
企業でもそうですが伝統的な組織において、「若くして抜擢され要職を歴任する人」というパターンはよく見られます。将来を嘱望されたエリート、ゆくゆくはトップへと衆目が一致する存在として、早くから枢要なポジションを経験するというのは、一見「帝王学を学んでいる」ようでいて、実は既得権を持つ先人に取り込まれているのです。そちら側の論理をたっぷり洗脳され、各地でしがらみを身に付けることになりますが、それは長老たちからの「自分たちを決して悪いようにはせんでくれよ」というメッセージとプレッシャーに他なりません。既得権の番犬・代弁者として時間をかけて育成されているのですから、こういう飼い慣らされたエリートに、旧弊の改革なんかできるわけないのです。歴史上、そのケースで叛旗を翻したり、飛び出したりというのはほとんど例がなく、小沢一郎はレア中のレアなのです。だからよくも悪くも、長きにわたって存在感を喪わないともいえるのですが。
貴乃花親方は人望ある名大関の息子にして、自身も平成の大横綱だったという輝かしいキャリアを持ちます。若貴フィーバーという空前の相撲ブームの立役者として、今日の20億円あまりの莫大な内部留保を協会にもたらした功労者でもあり、それゆえに2年前には、35歳の若さで「理事待遇」として理事会へのオブザーバー参加を許されるようになったわけです。極めて保守的な財団法人である相撲協会は、年功序列の互助的組織ではありますが、昔から次代の理事長候補と目された一人が順調に出世階段を上ることを繰り返してきました。(財務省次官みたいですが) 春日野時代の出羽海、出羽海時代の北の湖、今では、そのポジションが九重(千代の富士)ということになります。人が死ぬという大事件が起こらずに平穏なままであれば、北の湖が極め付けのお馬鹿であることも世間にバレず、武蔵川理事長登板はなかったでしょう。粛々と禅譲が続いていたはずです。
ポスト武蔵川となると(北の湖の再登板はまさかないとして)、順当にいけば人望ゼロの九重親方ということになります。大人しくしていれば次は貴乃花にまわってくることは確実ですが、それは55歳の九重が定年となる10年後まで待たなくてはならない。とすれば、そんなに待っていられないと貴乃花が危機感を抱く気持ちはよくわかります。武蔵川理事長はどう見ても長期的ビジョンの持ち主ではありませんから、ここで事を起こさなければ、大相撲の明日はないと、貴乃花親方およびそのシンパたちは思いつめているのでしょう。先の不祥事で理事をクビになり、もう定年まで明日はないという間垣親方が、先輩(貴ノ花)のジュニアの後見人的存在になっているのも、ワタシ的にはいとをかしであります。
貴乃花は今回公約を口にしていませんが、以前の言動からピックアップすると、
「枡席の定員削減」
「チケットをお茶屋と協会で折半して販売」
「宝くじ売り場でのチケット販売」
「活躍に応じた力士の年俸制導入」
「海外へ協会の支部を設置」
「協会による小・中・高校の創設」
といった独自の改革案を持論としていました。今新聞社が最も頭を痛めている販売店問題を思わせるような、特殊な流通形態の再構築と販売チャネルの多様化、力士のモチベーション向上に結びつく人事・報酬制度、グローバル展開、次世代の人材育成と、企業が抱えている問題とかなり重なってみえます。さらに報道によると、高給の親方連に比べ低賃金にあえぐ床山など部屋の裏方職員たちの待遇改善も志向しているようですから、現代的なテーマも内包しています。
8年ぶりの投票となる2月1日の日本相撲協会理事選挙は、浮動票が貴乃花に流れることを阻止しようと、かつての自民党総裁選さながらに一門の猛烈な引き締め工作が行われていて、仲間の7票から当選ラインの10票まで届くのか微妙な情勢の中、当の貴乃花親方は報道陣の取材に応じています。「厳しい戦いになると思っているか」と訊かれ、「はい、当初から思っています。土俵に上がる際には、一番たりとも勝てると思って上がったことはない。自信は過信につながるので、とにかく心意気で全力を尽くしたい」と語ったそうです。
勝負はやってみないとわからないものだ。リスクを恐れていては何もできない。さすがは貴乃花、いいこと言うなあと思った人も多いでしょうが、私はこの台詞に一瞬ドキッとさせられました。
「土俵に上がる際には、一番たりとも勝てると思って上がったことはない」
うーん、意味深ですなあ・・・。
相撲界には「土俵に上がる前から勝てる(負ける)とわかっている」ケースがあることが長らく囁かれてきました。深読みかもしれませんが、貴乃花改革の最終ゴールは八百長撲滅であるのだとすれば、公言できない禁忌をメッセージに籠めたとか。でもそれは貴を筆頭に旧二子山部屋出身者と、後はスイーツ親方の芝田山(大乃国)のように現役時代にガチンコで通してきた親方にしか推進できないことです。九重親方には出来ない相談でしょうなあ。
トップをはじめ記者上がりが経営陣を占める新聞社同様に、元力士のみが役員となって運営する相撲協会は、とっくに立ち行かなくなってきていて、外部から経営のプロを入れて透明化を図るしかないと私は考えていますが、そのためには協会を一度壊さなければなりません。貴乃花の理想論に傾きすぎる一本気でエキセントリックな性格は、これまで何かと物議を醸してきており、問題がないわけではないのですが、壊し屋としては彼以上の人はいません。なぜなら「改革」は変人にしか出来ないからです。
どうもあの“若貴時代”も胡散臭く感じます。
その胡散臭さに乗じてきた自分を許したくて、足掻いているような印象です。
ところで、大乃国が現役時代ガチンコで通してきた・・・っていうのはどういうことでしょうか。面倒でなければ教えてください。
貴乃花は別格の大横綱だと思いますよ。ハンデ戦を戦ってきたのですから。
大乃国の師匠である放駒親方(魁傑)は現役時代に2度も大関から陥落するなどガチンコ力士として有名です。大乃国もその薫陶を受けており、傍証としては、千代の富士54連勝阻止や、横綱として7勝8敗の負け越しが挙げられます。
この一連の出来事はあらゆる意味で興味深いものがあります。
ガチンコ:勝負をする当事者同士が、予め勝敗が分からない勝負
八百長:勝負をする当事者同士が、予め勝敗を決めている勝負
千代の富士は八百長をしていたという説があるのですが、同時期の大乃国はガチンコと言われています。
つまり、千代の富士は自分が勝つ為に相手を買収していたが、大乃国はそのような事はしなかったという説があるワケです。
あくまで仮説ですが。
同様に、貴乃花はガチンコ、一方の曙は小錦・武蔵丸等と連合を組んで、星のやり取りをしていたという説があります。
対戦相手を買収する事無く横綱になるのは不可能だ(大関に昇進するには連続する3場所で三役33勝、横綱に昇進するには連続する2場所で大関で優勝)と主張する角界関係者も居る為、大乃国や貴乃花は真実強かったとされ、他の横綱とは一線を画した扱いをされる事があります。
中でも貴乃花は、相手を買収せずに20回以上優勝しているから史上最強だ、と事情通は語ります。
あくまで噂の域は出ません(笑
ちなみに、今の相撲の直接の祖先は江戸時代の勧進相撲ですが、この時代の力士の中には大名に雇われていた者もいます。
大名に雇われた力士同士の対戦の場合、大名の面子を守る為に、格上の大名が抱えている力士が勝つ、という暗黙の了解があったようで、相撲と八百長というのはほぼ一体と言って良いでしょう、真実好角家である人はそれを承知で相撲を見ています。
ぶっちゃけバタバタしてて見れなかったという所なんですが、万難を排して見ようとは思えませんでしたね。
具体的に言えば去年の九州場所の千秋楽の放送内容が最悪だった事と、最近の力士が随分女々しいという事になります。
放送内容について言うと、「最近の若手がだらしないから横綱が安泰なんだ」という内容の事を、延々1時間以上実況し続けたという事です。
相撲協会の商品は力士と相撲内容なワケですから、こういう事を約2時間の幕内の中継の半分を費やして主張するというのは、「相撲を見るな、相撲を見る奴は馬鹿だ」というメッセージに他なりません。
これは相当堪えました。
昔は良かった、今は悪い式の議論はアダムとイブの時代からあったと思うけれども、角界に限らず、日本の彼方此方で聞かれます。
で、これを聞いた若者は、純朴故に日本と自分の将来に悲観して無気力になるか暴走する…。
完全に重なるなと思います(苦笑
力士が女々しいという件については、NFLとの比較で、矢張り当たりの激しさが全然無いという事です。
相撲の立ち合いの基本は頭でぶつかるという事ですが、頭で当たるのを嫌がって顔を背ける力士や張り差しをする力士の何と多い事か。
NFLも相撲も、結論から言えば「男らしさ」が最大の商品価値ですから、痛いのを嫌がる奴を見ようという気は中々起きないですよね(苦笑
NFLは週1回とはいえ、1試合で50回以上は相手に突っ込まなければいけなワケです、頭から。
でも、相撲は年90日とはいえ、1日1回でしょ?
NFL選手は1年で800回以上当たってるワケですから、男らしさの格が違う。
相撲にせよNFLにせよ何にせよ、非日常を求めているから我々は金と時間を費やすワケです。
ところが、角界の親方衆は「挨拶が出来る社会人として立派な弟子を育てる」としか言わんワケで。
そんな常識人なんか、身の回りに幾らでもいるので、金や時間をかける価値が無い。
そういう、小粒な連中しか今の角界に居ないというのは、大変に萎える事なワケです。
江戸時代以来興行を連綿と続けているのは、何も相撲に限った事では無いですが、時代・地方という切り口で見ると、この200~300年を凌いできたというのは尋常じゃない普遍性があるハズなんですね。
ここまで残ってきたなら、後1000年は安泰といえる程のバックボーンがあるとアグラをかけるくらい凄い事だと思うのだけれど、今の相撲協会はこの蓄積を一気に放出してしまったきらいもあります。
ちょっと心配ですねぇ。
今回の件も筋が通ってないですし。
一昨日、BSのスーパーボール総集編で現場音声入りのを初めて観たのですが、ぶつかるガシャッという音が凄い迫力ですね。あと、アメフトのヘッドコーチって、ヘッドホンマイクで冷静に戦術を指示している印象がありましたが、意外と精神論・根性論のつぶやき多いなあと。