シニアー個人旅行のかわら版

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極寒の一月、日高本線・静内から苫小牧へ

2014-02-02 17:10:33 | Weblog

静内で法事がありました。
往きは新千歳空港から迎えの車で行きましたが、帰りは日高本線の旅です。
学生時代に様似から苫小牧へ日高本線に乗って以来の半世紀ぶりです。

早朝の静内は穏やかな冬日でしたが・・・

日高本線は、太平洋の海辺に沿って走り、時には昆布干し場近くを、また多くの牧場が目を楽しませてくれる日高地方の観光列車の趣があります。

しかし、冬場は様相が一転します。太平洋の荒波の飛沫が線路をぬらし、昆布干し場は雪で覆われ、馬の姿のほとんどない雪の牧場はわびしく、かつてアイヌの人々の生活と深い関係があった沙流川は凍結・・・日高の厳しさを実感する鉄道の旅となりました。

 静内駅始発13時45分の苫小牧行です。一日7便しかない日高本線の一本です。
 暖房のよく効いている物産店併設の快適な待合室で発車のアナウンスを待ちました。静内・苫小牧間は15駅ありますが、静内駅と苫小牧駅を除いては全て無人駅です。



 新冠駅を過ぎると判官岬が海に落ち込む断崖脇を海すれすれに通ります。

       

 大狩部駅は駅舎はもちろん屋根も無いホームだけ、国道から山道がホームに下っています。列車は止まりましたが、降りる人も乗る人もありません。海岸の波浪から線路を守るため木の杭が打ち込まれています。



海はますます荒れてきます。ノロノロ運転です。突然、「塩害のためゆっくり走っています」と運転手からのアナウンス・・・飛沫が車窓にもかかり、多くの乗客が海を覗こうと移動、車両が傾くのでは不安になります。運転手が危険を感じて徐行したのではなく、海水をかぶったレールでは車輪が滑り、スピードが出ないということを知りました。

                      

 厚賀駅を過ぎると、海ぎわから少し離れます。浜辺には昆布干し場が連なり、昆布が整然と並ぶ景色を想像するしかありません。あの荒々しい海の底は収穫を待つ昆布の宝庫なのだと実感しました。



 高齢の女性が隣に座りました。「ナイチから来たのか」と話しかけられビックリ、‘内地’という言葉が生きているのには驚きました。門別の病院に行くとのこと。風雪がひどいので列車にしたが、普段は車を運転して行くとのことでした。




 日高門別駅から牧場が左右に広がります。一瞬、牧場内を列車が走ってるのではないかとと錯覚します。広大な牧場には馬の姿がありません。ようやく小さな牧場に肩を寄せ合う数頭の馬が見られただけでした。



 牧場が尽きると凍結した沙流川を渡ります。沙流川流域はアイヌの人々の故郷と言える地域で、上流にアイヌの聖地とされる二風谷があります。



 鵡川駅で苫小牧からの15分遅れの電車を待ちました。「鵡川と言えばししゃも!」「ししゃもと言えば鵡川!」といわれるだけに駅舎は、無人駅ですが、さすがに立派です。



 やがて勇払原野に・・・巨大な苫小牧発電所の煙突が海岸方面に見えてくると苫小牧駅はすぐです。15分遅れの15時37分に到着、除雪されたばかりのホームに降り立ちました。

 静内駅から苫小牧駅まで乗客は20名たらず、途中駅の乗降客は数名、静内始発の日高本線が一両編成のワンマンカーであったことも納得です。



 苫小牧駅から千歳線で南千歳駅へ、この頃が降雪のピーク、新千歳空港駅への列車も遅れ、新千歳空港からの出発便も軒並み1時間以上の遅れでした。




 総務省が発表した人口移動報告で昨年の北海道は転出者人数8,154名で全国一だったという記事が載っていました。冬の北海道は初めてでしたが、その厳しさを体験した日高本線の旅でした。



日高本線は廃線となりました。苫小牧ー鵡川間だけが辛うじて鉄道が残り、バス路線に転換です。

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