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早朝の札幌市内を散策、屯田兵村の歴史に出会いました

2014-08-11 20:25:01 | Weblog
中島公園近くに滞在、山鼻地区を散策しました。山鼻小学校と山鼻公園を目指しました。屯田兵村の中心地と聞いていたからです。



 山鼻地区の東西を走る一直線の平坦な道路です。かつては広大な原生林が広がり、アイヌの人々は「鹿の住む林・ユクニクリ」と呼んでいました。開拓者は南に聳える藻岩山に因んで「山の端(鼻)」と名づけました。
 写真右手に山鼻小学校、正面の突き当りが豊平川、左手方向に札幌駅が、右手に藻岩山が見えます。この辺りに屯田兵村本部が置かれていました。



1876年(明治9年)東北の元士族239戸、家族を含めて1114名が山鼻に屯田兵村を開村します。3500坪の耕地と敷地150坪に屯田兵屋(写真は北海道開拓村保存兵屋)が、本部と練兵場の周辺に配置され、更に各戸一万坪の開拓地が供せられました。3年間は給与と食料が支給され、兵役と開拓に専念できる体制となっていました。



 練兵場であった山鼻公園の巨木に当時の屯田兵村の様子をうかがい知ることができます。公園を散策されている方のお話では20年前までは開拓当時の家並みが残っていたそうです。今では路面電車・地下鉄が通り、四つの高校、マンション、スパーマーケット、商店、駐車場などのある札幌の中心的市街地となっています。



 公園の隣にある山鼻小学校は開村の翌年1878年(明治11年)に開校、創立136年の歴史を誇ります。1881年(明治14年)明治天皇北海道巡幸の折、屯田兵村を視察され、小学校にも立ち寄られ休息されました。小学校の一角に「明治天皇御駐蹕(ごちゅうひつ)之地」碑があります。
「山鼻」の由来は「山の端」と同意語で、この地が背景に見える「藻岩山」の近くにあることからきています。



当時の北海道への交通事情です

 上野駅・青森間の鉄道が完成するのが1891年(明治24年)ですから、当時の国内での移動は徒歩か馬車が基本でした。北海道への定期航路はなく輸送船で海を渡りました。山鼻屯田兵一行は小樽に上陸、徒歩や荷馬車で40キロの道程を山鼻へやって来たのです。

 1881年(明治14年)の明治天皇北海道巡幸では、幌内炭鉱(現三笠市)と小樽港を結ぶ石炭運搬鉄道敷設が着工され、前年に小樽・札幌間が完成しており、明治天皇はお召し艦で小樽に入られた後、北海道初めてのお召し列車で札幌までおいでになりました。


 札幌から八代、人吉、延岡へ・・・屯田兵・西南の役へ

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