とりあえずワン子たちのことが気になるので、一度、帰宅。
おちおち緊急入院もしてられない。
やはり独居で動物飼うのは無理がある…ってかチビたちがかわいそうだなぁ~と最近思う
金曜日に友人宅で、今年の味噌作りに参加。とはいえ、少し動いてはすぐに疲れてしまう私、ほぼほぼ座って、口で指示するだけ。
翌日は、代官山での、とある商品販売の打ち合わせに行って来た。コレステロールが高い私、意地でも代官山まで往復歩いて行って来た
往復しただけあって
歩けるときは、なるべく歩くようにしてこの1か月で4キロ落ちた。
だけど、このところの体調の悪さと疲れからか、昨夜は夕方6時にもうベッドに倒れこみ、夜中2時頃一度トイレへ起きた。そして、また爆睡。次に目を覚ましたのはチビたちの「キュンキュン」と言う耳元での鳴き声。時計を見たらなんと午後2時半( ゚Д゚)
チビたちに餌をやり、水分補強してからもまた爆睡。夕方、明日の打ち合わせのための資料を用意するために一度起き、またいまから寝ます。
なんでこんなに寝られるんだろう。
明日の打ち合わせさえこなせば2月半ばの手術までは体調を壊さないようにひたすら引きこもるつもりです。
その内、穴埋めはしていきますが、去年の投稿はまだ詳細に書いていませんが、まぁ~相変わらず色々ありまして、FBでは楽しい画像を満載
でも人生楽しいことばかりではない…特に秋からへこむことも多く、へこむだけではなく、怒ることも多く、年末はとある人物とやるかやられるかのバトルがありまして「私が地獄へ埋めてやる!」とほざいたら、周りの人たちにまぁまぁ落ち着いて!となだめられるも気が治まらず、あぁいうチンピラは「地獄に落としても這い上がってくるからぼっこぼこにして地獄に埋める。何なら私も一緒に地獄へ落ちてやる!」と怒鳴り散らすも、「喧嘩はいつでもできるし、今は昭和じゃないので、まずは弁護士と警察から攻めるべし!」と、皆に売られた喧嘩を買わせてもらえなかった。
そのストレスから先月、みぞおちと背中に激痛。119番に電話かけても1時間つながらず、タクシーで病院に行こうと思うも、コロナとインフルでひっ迫だから無理ですと断られ、挙句の果てには過換気症候群で手足が硬直。死ぬ一歩手前で漸く病院へ近所の麻布消防署ではなく代々木から来た救急車で運ばれた。
結局病院到着まで3時間…これ心筋梗塞や脳梗塞だったらアウトだった。
その背中とみぞおちの症状、未だに治らず、今日は胃カメラ
明日は2月に行う手術の術前検査。
もう年始早々チ~ンです。
我がマンションは前々からブログに書いていたように昔ながらの長屋みたいなご近所づきあいで安心なような、居心地悪いような…それは母が亡くなってから少し変わりつつありますが、それでもやはり濃厚なご近所付き合いが健在です。
まず、我がマンションの最上階にお住まいだったご高齢のご夫婦。親切だったけど親切すぎて、距離感を保つのが大変でした。母が亡くなってから、奥様の方は母が亡くなったショックからか痴呆がひどくなり、毎日のようにご主人の姿を見ると「家に知らない男の人がいる!まりっぺ助けて!」と連絡が入るようになりました。
同じ階に住んでいる方々のお宅には朝7時くらいから「おなかすいた」とピンポン攻撃。段々、皆に居留守をつかわれるようになり、最後の方は毎日、我が家のある階を徘徊し、「まりっぺ!まりっぺ!」と私を探し回っていました。ご主人のことは認識できなくなっても、私のことだけは最後まで記憶に残る程、かわいがってくださっていたのです。
そんな奥様の介護で疲れ切ったご主人、早く一人息子に連絡を取れば良いのに、何故か頑なに息子には頼りたくないと言い張っていたのですが、2020年の夏に体調を崩し、緊急入院。そこでやっと息子さんに連絡を取り、久々に親から連絡あった息子さんが家に帰ってみるといきなりお母さんは痴呆で、お父さんは緊急入院、家の中はごみ屋敷(人の家のことは言えない、我が家ですが💦)
そこから私は息子さんが同年代で独身ということもあり、お母さまの施設入居の用意を手伝ったりして、お父様のことは病院に任せていました。ご夫婦の手続きをした後は、コロナ禍で両者には面会できず数か月がたちました。そして11月に入ってすぐに息子さんから「親父が今、亡くなったらしい。今病院に向かっている。」と電話がかかってきたので、そこまでは踏み込んではならないと思いつつも「私も病院行こうか?こういう時、あまり踏み込まれたくなければいかないけど、一緒に行ってほしければすぐ駆けつけるけど?」と申し出ると「お願いします」ということだったので、私も病院に駆け付け、息子さんと合流。
二人ともあまりにも痩せこけたお父さんを数か月ぶりに見て呆然とするも、ぼーっとしている訳にもいかず、私は息子さんに了承を得て、友人の葬儀屋さんを手配。「とりあえず、お家に連れて帰ろう!」と言うと、息子さん「えっ、あのごみ屋敷に?」と言う
「じゃぁ、お金かかるけど斎場に安置してもらう?」と聞くと
「葬儀の日程が決まる迄病院においてくれないの?」と息子
何故か、私が「それは無理!」と否応なしに家にご遺体を運ぶ段取りを取り、昔よくペリーと書いていたおしゃべりな管理人さんに電話を入れ「今から最上階の〇〇さんのご遺体を連れて帰るから、エレベーターにストレッチャー載せられるようにしてもらえますか?」と聞くと
ペリー「この2~3日〇〇〇号室の内装をしているのでエレベーターの養生をしているから、無理」となんとも失礼な対応。
ムッとした私「わかった、じゃぁ、とりあえずご遺体連れて帰るけど、1階のロビーに安置するしかないわね」と脅したら「わかりました。すぐ対処します」ということになり、お家へ連れて帰った。(やればできるじゃん!)
そして、葬儀の準備を友人の葬儀屋さんを交えてしていると息子はあまりのショックに「色々準備があるから10日後くらいに葬儀をしたい」というので、何故か私が「お別れ会を落ち着いてからすればいいけど、ご遺体を10日間もお家に置いておくのはダメ!今週中に火葬!」と断言し、日程を決める。
葬儀屋の友達「棺はどうする?」
息子「一番高いの」
私「納棺してすぐ燃やすから、一番高い棺は必要ない!」と親戚でもないのに何故か主導権を握る私(-_-;)
そこから、自分の家はかたづけられないのに弔問に来ていただけるように○○家の家の中を片付け、どうにか身内だけで火葬。そして、49日を迎える頃には香典返し迄付き合う私。最後に「あのね。何故か私は葬儀場でパパのご兄弟がいるのに私が遺影を持ったり、香典返し迄やっているけど、あんたの嫁じゃないのに、その辺、しっかりしなさいよね!」と息子に説教したら「でもしょうがないじゃん、まりっぺはこのマンションでそういう役回りなんだから!」とほざく息子
未だにここのお家とはつながっており、去年の暮れにはやっとコロナの規制が少し緩み、息子と一緒にママにも面会に行って来た。そしたら、息子のことはやはり認識できないのに「あっ!まりっぺ!」と笑顔を見せてくれました。本当の娘ではないのに何故、私はここまでこのお宅には愛されているんだ!とちょっと嬉しかった💓
その後も他の階に住むおば様の施設入居の手配もした。そして、昨日は6階に住むおば様から「7階に住む○○さんが元気ないんだけど、どうしよう?」と連絡が入る。
「あの!私ここの管理人ではありません!」とは言えず、速攻、7階のおば様をチェックしに行き、息子さんに連絡し「たまにはお母さんの顔を見に来てあげて」とおせっかいをやく私。
こんなマンション今時ないよねぇ~全く面倒くせぇから!とたまに思うも、母が亡くなってから、肩の手術をした時には7階のおば様が退院後、毎日、ご飯を届けて下さったり、去年、2か月程、北海道旅行に出た時に「まりっぺを最近みかけない!」とマンション中が大騒ぎになったりして、有難いマンションではあります。
2020年は肩がが痛くて、皆に「それは五十肩でしょ!動かせ!」と言われ続け、母も祖母もいないので、思い切り旅行行って、温泉入って、テニス三昧。
それでも肩の痛みは増すばかりで、ある日、テニスのコーチに「僕もずぅっと肩痛かったけど、この間、日大のスポーツ整形行って、注射打ったら嘘みたいに痛みが取れた」と言われたので、帰宅後、早速、日大病院を調べてみた。
ここは世間を騒がした問題のある病院だけど、コーチが薦めたのはお茶の水の日大病院。
そして、日大はフットボールやら、お相撲が強いからスポーツ整形が良いとの評判だったので、早速2020年11月に受診。
何と、検査をしていくにつれ、両肩の腱板断裂。しかも、利き手の左は骨が石灰化している。とりあえず、注射を打って、翌年2022年1月に左肩の手術の予約を入れました。
従って、2020年の忘年会と2021年の新年会はコロナにだけはかかってはならぬ。この痛みを取る為に、とりあえず家に引きこもろうと思って静かにしていたのですが、なんと、2021年年明けに主治医がコロナにかかり、私の手術は一か月延期😨
おい!私じゃなくて、先生がコロナかよ!
否応なくその後1か月も風邪などひかぬように引きこもり。
引きこもっている間もどんどんコロナ数が増え、入院の際、迷ったのは病室でした。
今まで祖母も、母も、いつも個室で入院。勿論、私も個室を希望。コロナのこともあるし、他人のいびきやカーテンで仕切られる空間が耐えられないだろうから個室にしたいと考えてはいたけれど、先生が「3週間程の入院」と言われた挙句、病室の値段をみたら個室は一泊39、600円( ;∀;)
悩みに悩んだ挙句、3週間のカーテン仕切りの大部屋はギブアップし、個室を選んだ
個室でよかったと思うものの、コロナ渦での入院、痛いし、三週間もつまらなかった。
コロナ渦の為、面会謝絶。唯一の楽しみは質素な食事
↑左下のお皿、これがとんかつと言われた時はショック!
2月の入院のことはわんこを預けた友人と、緊急連絡先に書いた葬儀屋の友人にしか伝えていなかったけれど、このとんかつがあまりのショックで、フェイスブックに上げたら、入院を知ってびっくりした友達が翌日すぐに差し入れをしてくれた
もうこの時は、涙が出る程嬉しかったなぁ~そして、入院すると言った時に入院を含めその前後2か月間チビたちを預かってくれた友人にも本当に感謝
退院してからも、装具は3か月つけっぱななし、包丁も握るなと言われ、リハビリしながら地獄のような年が2021年でした。だから、右肩は大事に使って、痛いなりに手術をせずに上手く付き合っていこうと思うほど肩の手術はつらかった
(ようやく、少しづつブログの写真掲載の仕方が戻って来た!)
2019年の終わり頃から武漢で未知の疫病が発症していたものの、正か、世の中が激変するとはその頃は思いもせずに2020年2月には知人のおばさまに誘われるがまま、2週間ポルトガルとバルセロナに行ってきました。
ポルトガルではなんと8ヘクタールもあるそのおばさまの知り合いのお宅に滞在させていただき、その方に観光案内やら、外食は勿論、ポルトガルの家庭料理をふるまって頂きました。しかも、その家主、フランス人ジャーナリストのバツイチのおじ様で、私は思わず、そこに嫁ぎたいとまで思ってしまった💓
ポルトガルで行った世界最古の書店。おかれている書籍は初版本ばかり
なんだかのどかな街にもぶらっと行きました
ご一緒したおば様ともう一名の方は食品関係のお仕事をされているのでソーセージ工場に行ったり
美味しいものもいっぱい食べた
ジャーナリストの方のお食事も美味しく胃袋捕まれた
ポルトガルで目いっぱい観光し、美味しいものを食べて楽しかったのですが、やはり旅先で知らない人様のお宅に滞在したので気疲れからか、翌週、マドリッドに移動したらすぐに風邪ひいてダウン。ご一緒した二名の方々はサグラダファミリアに行かれたり、ダリ博物館に行かれたりする中、私は初めてのマドリッドで一人ひたすらホテルで、薬局で購入した薬を飲んで寝てたzzz
でもちょっと調子が良い時はお昼間の暖かい時に食べ物を買いに町に出たけど
旅の最後の頃はあまり記憶がなく、ビルバオ経由で帰ったのは覚えている
旅の後半は完ぺきチ~ンという感じでしたが、それよりも何よりも、羽田に着いてからがドキドキ💓声は出ないわ、咳ゴホゴホ、熱っぽいわ。帰国した頃が丁度コロナが大騒ぎになりはじめており、入国制限をし始めた正にその時。幸いにも、どうにか入国もすり抜けられ、無事、家に到着。家に帰ってからテレビをつけると、病院が大変だから風邪症状の人はまず保健所等に電話をという呼びかけをしていたけど、電話はつながらないし、私、死にそうだったので、電話も何もせず、広尾にあるかかりつけの先生の所に駆け込んだ。その先生には今も足を向けて寝られないのですが、直ぐに血液検査とレントゲンを撮って下さったら、ガビーン!「肺炎です!」との診察結果😨
でも先生の見立てでは細菌性の市中感染でおそらくコロナではないので、その日から朝晩、点滴を打ちに通うことになりました。しかし、5日通っても、数値は下がらず、肺の白さも消えずに水が溜まりはじめ、先生もさすがに後2~3日この状況が続くようであれば「保健所に通報し、日赤に入院ね。」と言われてしまった。そこで私が胸を痛めたのは「私が先生のところに飛び込んでしまったから万が一コロナだったら、先生の所2週間閉院になってしまうこと」と自分の浅はかさに涙がこぼれた。でも先生は「それはしょうがないよ。僕はあくまでも細菌性の市中感染だと思っているし、医師として当然の診療をしているだけだから」と仰ってくださって、本当に助かった。
そして、それから3日程点滴を続けたら、ようやくレントゲンの白い影も消え始め、血液検査の数値も下がり、点滴は無事終了。本当に、本当に先生には感謝。
しかし、その後、数週間はすっかり体力が落ち、夏くらいまでは毎日家でぐったりという状況が続き、周りの人たちからは「実はまりっぺはコロナなんじゃないか疑惑」が浮上。夏になってから高原検査を受けてその汚名は晴らしましたが、とにかく広尾にあるKクリニックの先生は名医で今も感謝しても感謝しきれません。
こんな大変な思いをしたのに実は私、それでもタバコをやめていませんでした。しかし、ようやく緊急事態宣言が明け、友達と夏にご飯を食べに行こうということになり、日比谷のミッドタウンに行ったら、喫煙所は封鎖。街中の喫煙所も封鎖。飲食店はオリンピックの開催もあり、ほぼほぼ禁煙。とにかくタバコを吸うのに苦労した夏に嫌気がさし、そうだ!思い切って禁煙外来に行ってみよう!と思い、6月に麻布十番の禁煙外来に行ってみました。禁煙外来にさえ行けば楽に禁煙できると思っていたのですが、先生に処方してもらうパッチを張っても、張り替える時に吸っちゃったり、その内パッチも効がなくなり、パッチを張っていても吸ってしまう始末。
そりゃそうだ、三十数年一日2~3箱吸っていたんだもの、パッチを張ったら本数は減っても、どうしても習慣でタバコに手が伸びる、まっ、しょうがないか。パッチを張っていればその内、辞められるだろうと漠然と考えていたら、ある日、禁煙外来の先生が「やめる気がないなら、もう来るな!あんたの金の無駄で、僕の時間の無駄です!」と怒鳴られた(# ゚Д゚)
私、その怒鳴られたことにむかついた「金払ってるのはこっちだよ!」と心の中で大激怒!でもそれを言われたおかげで「意地でも辞めてやる!」とその日から一本もタバコを吸わずにいます。
というか今のところ吸っていない
その内吸うかもしれない。
でも今年の夏がくれば3年禁煙したことになる
しかし、未だに吸いたくてしょうがなくて夢の中ではしょっちゅうタバコ吸っています。
というわけで、2020年はコロナが流行り始めた頃、スペインで風邪ひいて、肺炎になって、夏に禁煙したことが私の重大ニュースでありました。
母が亡くなってからはとにかく家に居るのがつらくて、あまり考え事もしたくなくて、母や祖母の遺品の整理もしたくなくて、時間をもてあそび自暴自棄が結構な時間続きました。
で、2019年はほぼ旅行三昧。
昨日もアップしたお友達が何度も長野にチビ連れて行こうよと誘ってくれたので、2019年だけでも3回くらいは長野にお邪魔したかな。この年初めて高遠の桜も見ることができた
勿論、チビたちも同伴旅行
そしてチビたちの本当の家族たちとの楽しいバーベキュー
6月頃には8泊9日で、熊野→高野山→伊賀→お伊勢さんの旅へ。これは家族を抱えていたら本当にできなかったことです。(この時ばかりはチビたちは里帰りしてもらいましたけど…)この旅行でも温泉三昧♨美味しいもの三昧
そして2019年の締めはサイパン旅行。初サイパン。東京の寒い冬から抜け出したサイパンは楽しかった
残念なのはこの頃、私の携帯はまだiPhone6なので、こうやって写真を見てみると超ボケボケであることです
母が居なくなってからブログを辞めたのは正直、母の介護録を読み直すのがつらくて、ずぅっと開けられずのままでした。
途中、一度だけ水上温泉へ行って来た!をアップしましたが、やはり母と祖母の存在がないことを受け止められずにもう5年になろうとしています。
そこで、そろそろ今までの5年の間の情報をぽつりぽつりと埋めて行ってみようかな?と昨日のアップで思えてきた。つまり少し消化できて来たってことなのか…
祖母と母の介護を長いことをやっていた時、私の車はほぼシルバー宅急便状態。
祖母の家や病院に毎日何往復をしたり、母の病院の送り迎えが私の愛車の役目でした。
でもプリウスαを購入した時は遠くに遊びに行きたいという思いで、運転が楽な車を丁度10年程前に購入。
でも、介護で車で遠出はできなかったし、祖母や母が何よりも私が車で出かけることをいつも心配していたから、遠出なんてしたことがありませんでした。
しかし、母が亡くなってからまずやってみたこと
母が亡くなった年の夏に友人に誘われて私の車で、ワン子連れで長野旅行!
美味しい空気に、美味しいものだらけの長野!
自分の車だから長野で色々なところの温泉三昧
母が昔、善行寺には行ってみるといいわよと言っていた善行寺にも行って来た
なんだか久々のブログのため、写真はあまり見つからないわ、やり方忘れるわ、文章下手くそだわ…でも一応備忘録ということで…