まりっぺの平凡日記

毎日平凡に生きれるって幸せなんだ。でもその平凡っていうのは意外と難しい。

謹賀新年2023

2023-01-12 21:30:01 | Weblog

皆さま大変、ご無沙汰しております。
最近はひたすらFBばかりの投稿で、もうこちらを見て下さる方はいないと思いつつ、今日、ご近所のわんちゃんが亡くなったと知人から聞き、それを確認するためにまみみさんのブログを見て、久々に投稿しようと思いまして…

 

さようならじゃなくて・・ありがとう | まみみ暮らし

さようならじゃなくて・・ありがとう | まみみ暮らし

るいが我が家にやってきて慌ただしくも賑やかに過ごした年末年始でしたがその一方で、とてもとても悲しい年末年始でもありました。十三年の長きにわたり、ずっとずっ...

まみみ暮らし

 

サルコーとても残念…正面の顔もかわいいけど、後ろから見るとお尻もお顔のような模様に見えて、いつもふわふわでもこもこだったサルコー。寂しいなぁ~それよりもサルコーママが心配

動物を飼うととても助けられるものの、最後まで責任もって飼わなければいけないのが一番つらい

それを承知で最初は飼い始めるものの、居なくなられると本当につらいよなぁ~

うちの子たちも今年は9歳になります。年老いていくことはあまり考えたくないなぁ~

去年は、私の体もそうですが、チビたちの体力も考え、夏に思い切って二か月チビたち連れて北海道に行ってきました。北海道では乗馬と温泉に明け暮れ、とても良い一年を終えられそうだったのですが、9月、10月と友人を立て続けに亡くしまして、それ以降、バタバタと色々な事件が起こって、年末には背中の激痛で救急車で病院に運ばれ、来週は胃カメラ検査、二月には外科手術をする予定で、ありまして…

とだらだらとくだらないことを書きましたが、今年は、また再びブログを再開してみようかな…とりあえず、すっかりブログの掲載方法をすっかり忘れてしまったので、新年のご挨拶がてら慣らしアップでした

            

 


水上温泉へ行ってきた

2018-12-25 00:56:12 | 旅行

母が亡くなったら少しはのんびりと温泉にでも行きたいと思ってた。

でもチビ達がママロスでとても置いていける状態ではなく、春と夏にチビ達と傷心旅行に行ってきた。(後日、アップするかも)

夏の長野旅行の後は今迄の疲れが出たのか肺炎になった。でもここでもチビ達を置いて入院もできず、ひたすら家で一ヶ月ほど療養。

秋になり、色々な手続きに追われ、今月始めには相続税の支払いをやっと終えて、貧乏…

だから来年からは色々と仕事の幅を広げようと、アンテナを張り、人脈作りをこの数ヶ月して、のんびりと準備を始めた。

そして、この度、営業で一泊の温泉へ行ってきた。

営業のつもりで行ったのに、ついつい今迄の疲れを取るリフレッシュ休暇となり…殆どリラックスゥ~な感じになってしまっただって泊まった宿が良かった!ちょっとお高かったけどね

 

大浴場は勿論、部屋には露天風呂

サンタもお昼寝

夜はお部屋とは別の個室のお食事どころで

 

お腹が一杯になったら暖炉のライブラリーで休憩

 

 翌日の朝食

 そしてコーヒーを飲みながら部屋の露天風呂

これは何度か通って仕事をゲットしなくっちゃ!


一人ぼっちの夜

2018-12-19 23:59:59 | Weblog

母が亡くなってから初めての一人ぼっちの夜です。

明日から一晩、水上温泉に行くことになりました。

宿はペット不可の為、チビ達は元々のおウチに預かってもらうことになり、明朝の新幹線に乗るために、今夜の内にチビ達をさっき預かり先に送ってきた。

チビ達も母が亡くなってから初めて、数日間私と離れるのを察して不安そう。

私も送り届けて帰宅後、チビ達も、母もいない我が家でなんか落ち着かない。

居るべき人が居ないって本当に寂しいものですね

ところで正宗、君は歯を磨いているつもりかもしれないけど、そりゃ反対だよ!


母は強かった

2018-04-11 22:29:20 | Weblog

母は最後までとても強い人でした。

元気だった頃から強く、よくぶつかることもあり、時折、もういい加減にしてよと思うこともあったけど、やはりそんな母がいなくなると寂しい…

11年前から始まった祖母の介護、後半からは母の病気…その時はどんなに喧嘩してもやはり家族だから、祖母と母に尽くしたいと思ったものの、やっぱり心が折れることもありました。

そして両者が他界して、介護から解放され、自由になった今、思うこと

「自由は不自由で、難しい」

今となってはやらなければならないことはあるけれども、mustではない。

やらなきゃいけないことがあるのはわかっているが、今までは祖母や母のためだからできたことが、自分がすべきことは見て見ぬふり…

とりあえずは生活のサイクルだけはどうにか保っているし、心配してくれる友人知人に心配かけまいと必死で平常心を保っているけれど…

今日、wowowで流れたX JapanのEndless Rainを聴いて母の死で泣くことが今までなかったのに、涙が止めどなく出た

I'm walking in the rain
行くあてもなく
傷ついた体濡らし
絡みつく凍りのざわめき
殺し続けて彷徨ういつまでも
Until I can forget your love

眠りは麻薬、途方に暮れた
心を静かに溶かす
舞い上がる愛を躍らせて
震える体を記憶の薔薇に包む
I keep my love for you to myself

Endless rain, fall on my heart心の傷に
Let me forget all of my hate, all of the sadness

The dream is over,声にならない
言葉を繰り返しても
高すぎる灰色の壁は
過ぎ去った日の思い出を夢に写す
Until I can forget your love

Endless rain, fall on my heart心の傷に
Let me forget all of my hate, all of the sadness

Endless rain, let me stay evermore in your heart
Let my heart take in your tears, take in your memories

Endless rain, fall on my heart心の傷に
Let me forget all of my hate, all of the sadness


四十九日

2018-03-22 00:46:44 | Weblog

先月2日、私が仕事から帰宅しても普通に会話もし、スープも飲み、笑顔を見せていたのに、寝支度をしている間に様態が急変し、あっという間に母が旅立ってしまってから、バタバタでやることがいっぱい過ぎて、自分の気持ちの整理なんてやるどころではありませんでした。

2日、金曜日の未明に母が亡くなってから先生が死亡診断書を書きに来て(様子がおかしいと連絡しても先生はこなかったの…)、その後は葬儀屋さんが明け方の4時に来て、打ち合わせ…金曜と土曜は弔問にかなりの方がいらして下さり、日曜に火葬。お釜に入る時はきっとつらいだろうなと思っていましたが、母が亡くなった時も、お釜に入る時も、骨揚げの時も全く涙がでてこなかった。

それは最後まで自宅で貴重な時間を母と過ごせ、ある程度、母の望む自宅で死にたいということが実現できたし、亡くなる数時間前に見せてくれた笑顔に救われ、多少はこうすれば良かったかなという後悔もあるけど、私なりにある程度頑張ったつもりだから、そんなに悔いはないです。

でもやはり、密葬し、母の遺骨を抱いて帰宅し、一人の時間ができたり、買い物に行くと今日の夕飯はどうしよう?とふと思い、あっ、ママはもういないんだと感じたり、そろそろヘルパーさんのくる時間だわなんて思ってしまうことでどうしようもなく寂しく感じることは未だにあります。

でも、母が亡くなってから直ぐに、いろいろな手続きやら、私と母の確定申告などをしなければいけないのに、頭の中が真っ白で、体全身にじんましんは出るわで…そこに来て正宗とメルセデスが大好きなママの死で完璧精神がやられてしまいました。正宗は母が亡くなった瞬間から4~5日震えっぱなしで、母の寝ていた部屋には入れない状態…未だに二人は撃沈状態

そんな日を過ごしていたら、気が付けば本日、あっという間に49日です。

早いなぁ~

まだ当分忙し過ぎて落ち込んでいる時間ないなぁ~

お陰様で友人や仲間達にも相変わらずしんぱいしてもらっていますでので、これからはゆっくりと自分の人生をしっかり歩めるよう一歩づつ前進していこうと思います。


旅立ちました…

2018-02-02 06:07:06 | Weblog

母、今日、未明(午前2時40分)、私の手を握りながら安らかに眠りにつきました。

前夜20時くらいまでは会話もでき、笑顔も見せてくれたのですが、22時くらいから様態が急変し、私が疲れてはいけないと思ったのか、数時間で逝ってしまいました…


お誕生日

2018-01-28 16:43:36 | Weblog

母、どうにか78回目の誕生日を迎えられました。

あまりにも衰弱していたので、もつかなと思っていましたが、周りの方々のパワーを頂いて、今日は笑顔まで見せてくれました。

ママ、頑張ってくれて有難う。

今まで、親不幸でごめんね。

今更遅いけど…

これからは全力でママに付いているからね。

年が明けてから衰弱する母を見ていて、もっと早く病院を変えた方が良かったのではないか?

往診の先生の選択を間違えて、母を結局、楽な状態にさせてあげあれず、最後の最後まで悪いことをしてしまった…

と悔やんでばかりの私でした。頭で、たらればは良くないからこれからのことを考え、一瞬一瞬を大切にしなければとわかっているのですが、やっぱりいろいろ悔やまれてしょうがない。

往診の先生に、母が苦しんでいるから来て下さいと言ったら「薬飲ませて様子見て」と今週末はプライベート旅行に行ってしまった。

私の鍼灸の先生に、母の状況を話したら、「土曜日に行きますから、安心して」と言ってくれたので、待ちわびていたら、寸前になって「やっぱり、今の状況ではなすすべがないから、行かない」と言う。

別に治してとは言っていないし、楽になる何か方法はないかと思い相談したら、最初は「絶対、私がいるから大丈夫」と言っていたのに、直前でその態度かよ!?

往診の先生も、鍼灸の先生も任せて!と言ってくれて心強いと彼らを信じた私が間違っていた。

医者なんてもう信じない!と人間不信になっていたら、祖母の頃からお願いしていた訪問看護師さんが「まりっぺ、少し寝なさい。今夜は私が泊まるから」とすっ飛んできてくれた。 

そして、ヘルパーさんたちも最近は二人体制で来てくれている。

今朝なんてママの誕生日だから、お休みのヘルパーさんが訪看さんと私の朝ごはんまで差し入れてくれて、かたくなになった私の心が少し和んだ。

友人たちも私のことを気遣い、食料を届けてくれる。

本当に有難う

一段落ついたら、皆に絶対恩返しするからね。

とりあえず、今はママと一緒に過ごす時間を重視させて頂き、不義理は許してね。


しっかりしろ、私!!!

2018-01-21 20:00:00 | Weblog

昨年9月に母が入院してから、新たな転移が見つかり、治療を10日程している間に、介護申請もしながら、私はとんぼ返りで福岡に父の墓終いをし、遺骨を東京に持ってきた。その二日後に母は退院予定だったが、羽田から母の病室に直行したら、一日でも早く病院から出たいと言いだした。

しかし、翌日の10月12日の午前中には母の介護ベッドや車いすなどの搬入があるし、仕事の締め切りもあるからあと一日待って、と言っても、母「ベッドの搬入は午前中でしょ?私が帰っても家で仕事できるでしょ?」とどうしても一日待てないと言う。

私は福岡でもいろいろとごたごたした上、父や祖父母の遺骨も持ち帰ったので勘弁してよ。とは思ったものの、病院に入ってから母は歩けなくなるし、一人ポツンと24時間病室に横たわっているのは確かに地獄だろうと思い、急遽、翌日に退院の手続きを取った。

10月12日母、無事約1か月振りに退院。帰宅後、母の顔つきも、病院にいる時とは見違えるほどになったし、何よりもチビたちが、待ってました!とばかりに大はしゃぎ。歓迎された母も「地獄から天国に来れた」と喜んでくれた。

そして翌日の13日からは一日4回のヘルパーさんの来訪、週2の訪問看護師さんに先生の往診、日赤への通院、仕事に、母の食事から掃除洗濯まで全部やらなくてはならず、夜は毎晩母の介護ベッドの横に簡易ベッドを置いての睡眠…

この頃の私はいつ自分のブレーカーがぶちっと落ちるか?と思うくらいきつかった…とりあえず、一つづつこなして行くしかなかった。

母の介護度はその時4だったけれど、私との同居の為、共同部分の掃除はできません。洗濯もまりっぺのはできません。と言われ、結局、ヘルパーさんに頼めたのは、母のトイレの介助、着替えと、シャワー浴等と極限られていた。

祖母の介護経験があるから退院して来た頃には全く歩けなくなっていた母のトイレや着替えくらい私にできると思っていたものの、私が倒れては元も子もないと母やケアマネ、そして看護師さんの薦めもあり、日に4回のヘルパーさんの出入りのスケジュールを組んだものの、その制限ある作業や、5名ものヘルパーさんの出入りには気も使い正直、疲れた。

それに母の入院費は祖母の時のように、新車のベンツが買える程ではなかったが、やはり新車が買えるような金額だった。そこに一日数回のヘルパーさんが毎日来るということは、いくら要介護4の母でも、完璧、上限を超えており、訪問看護師さん、往診の先生、日赤の通院治療、介護用品のレンタルで、毎月ものすごい額の出費がかさむ…

そんな気が狂いそうな日が続く中、母は自分がしっかりと回復しなければならないと思ったと同時に、家に帰ってきたことで、少しづつ自分で車いすを操作し、自分でなんとかベッドにもどれるようにもなってきた。そんな母を見た先生と薬剤師さんが、この調子なら新年会を外出して、やりましょう、という話まで出て、友人たちが差し入れてくれた年越しそばや、おせちを元旦には美味しい、美味しいと食べてくれた

なのにお正月が明けてから、母の体調が再び急降下
日赤での治療もとうとう中止となり、酸素機の導入に、病状悪化の為に介護度の変更申請…

そして昨日の19時頃、私が夕飯の用意をしていたら、ベッドから母がゲーゲーやっているのが聞こえたので、飛んで言ったら、息も絶え絶えに「苦しい…苦しい…」と訴えた。

実は先日もこのようなことがあり、往診の先生に「どうしよう?」と電話をしたら、「薬を飲ませておいて」の一言で終わってしまったので、今回は頼りになるヘルパーさんに連絡をし、15分で駆けつけてもらい、処置をしてもらったら、少し落ち着いたが、それでもぐったりしていたので、訪問看護師さんに来て頂き、更に処置をして頂いた。そうしたら、大分落ち着き、22時半頃にすやすやと寝始めたので、一安心と思って、私は母の様子を見ながら、用足しをし午前2時に母の介護ベッドの下で、仮眠をとることにした。

午前3時、再び、「苦しいから助けて」という言葉で、飛び起きる。

頓服を飲ませ、水分補給をさせ、背中やおなかをさすっていたら、消え入りそうな声で、「ごめんね、ごめんね」と言う母。

私は母の横に潜り込みおなかをさすりながら、「そんな誤らないで、当たり前のことをしているだけだから」と答えた。

母「あなたのことがとにかく心配。私が死んでも、皆が通る道だから、どうにか乗り切りなさい。」

私「ママ、まだ親孝行できてないから、お願いだからもう少し頑張って…ママの期待に添えない娘でごめんね」

母「私が死んでも、あなたがいい人生を送ってくれるのが一番の親孝行よ。

  あなたのことが心配でしょうがないけど、一つ安心したのは、あなたの周りには沢山人が集まってくれ

  て、友達が多いことよ。

  これからは友達を大事にして、お願いだから、楽しい、いい人生を送ってね。

  こんな夜中まで本当に心配かけてごめんね」と言って、寝入った。

母の隣で涙があふれ出た。

今まで、ママの病気を治すために、頑張っていたけれど、この時、初めて母が死んでしまうということ、看とるということに気づいて泣けた。

でも泣いている場合ではなくなり、再び6時前から、母が苦しみ始めた。

薬を飲ませ、水分補給をし、マッサージをしてもその苦しさは収まらないので、日曜だけど朝7時から、往診の先生に電話で助けを求め、9時過ぎに来て頂いた。

先生の診察としては、昨夜からの苦しさでちゃんと寝られていないだろうから、今日はとにかく昼間もしっかり、寝て、睡眠を取り戻すこと。そうすることで苦しさも軽減されるはずだから、と言って、母に投薬して下さった。それで母は大分、楽になったようで、直ぐに寝付いた。

先生は帰り際に「長期戦になるからまりっぺもお母さんが寝ている間に睡眠を取るんだよ」と言って帰っていった。

しかしですね、先生、私にはやることてんこ盛りで、寝るどこの時間はないのよ

結局、昨夜は1時間程の仮眠だけで、昼間も寝ずに、用を足していた。

その用事が一段落した夕方、すやすや眠る母の顔を見ていたら、明け方の会話を思い出し、涙が止めどもなく出てきた。

疲れていたり、泣いている場合ではないのに、この数カ月分の涙と、これからのことを考えると泣けてしょうがなかった。

そこへ、昨夜来て下さった、看護師さんから電話が入り、「今、ドクターと話をしたのですが、長期戦になるからまりっぺが倒れないように、たまに私が泊まりこもうと思うの。その時はまりっぺはホテルでも取って、しっかり睡眠を取る形にしませんか。」と提案して下さった。

この看護師さんは祖母のことも看て頂いていた方で、本当に有難かった。そこまで親身になってくれて、電話を切ってから、また泣けた。

でも、もう泣いている時間はない。とにかくしっかりしなきゃ、私!


恐れていたことが…

2017-09-26 21:48:19 | Weblog

母、この数週間、ちょっと言葉が出にくくなっていた。

でも先生は年のせいではと言っていたが、私は入院中に一応、頭の検査もお願いしたら、やっぱり…

脳に転移Σ( ̄ロ ̄lll)

でもまだどうにか治療はできそうだということだが、やっぱりショックで、真央ちゃんのことが頭をよぎる…

でも悪いことを考えてもしょうがないからこんな時だからこそ介護申請も一気にやってしまおうと思い手続きをするも、こんな時に限って仕事が重なる。

こんな時は断ろうかと思いつつも、一日40,000円の個室だからな…

ちょっとくらい働いても焼け石に水だけど、働かないよりかはまし…

はたまた、父の墓じまいを今年の夏に、母が考えていたら、なんと都営霊園が当たった。

縁起でもない!と思う反面、これで父の遺骨と、母に万が一いあったら、東京で一緒に入れられる。

しかし…その書類を揃えるのが大変で…九州の親せきにはお寺さんやら、父の戸籍謄本を取りに行ってもらったが、私は連日介護申請とか、都営霊園用の書類集めに区役所巡り…

そこにきて母が病院食はまずいと泣いているので、一日、2回、一品づつ届け、夜は帰宅後、洗濯やら、仕事…

とりあえず、できる限り頑張るしかないなぁ~

 

 


やっちまった(汗)

2017-09-14 22:43:43 | Weblog

どうにか放射線治療を2週間続けて受け終えた!

放射線治療直前に精密なCTを取ったら、なんと母の背骨にひびが入っていることがわかった。

骨折する前に見つかってよかったとホッとし、放射線治療を受け、8月29日から再び、抗がん剤を受けることになった母…

当日、病院に連れて行ったら37度5分の発熱で、抗がん剤を投与するかどうか微妙なライン

でも、抗がん剤を受けないと病状は悪化することが目に見えているから抗がん剤を投与したら、今まで放射線に毎日通った疲れやらいろいろ重なり、翌日の夕方、38度の発熱。

放射線の先生に「どうしよう?」と電話をしたら、高齢者は肺炎が心配だから救急で来て検査しましょうとの判断。

連れて行って検査したら肺炎は陰性だからかえってゆっくり休んで、また何かあったらすぐに連絡くださいとのことでした。

その後も母は37度台後半の熱が出続けておりました。

そして先週水曜日、お昼にチャーハンを作り、二人で食べたものの、私は仕事があったので、さっさと食事をすませ、外出した。

私が出てから、母はチャーハンを少し残して、横になったそうな…

夕方、母から携帯が鳴る。

打ち合わせと知っていて電話をかけてくるとは何か起きたのかと思い、電話に出たら「正宗が私の残したチャーハン食べちゃった!どうしよう…玉ねぎとニンニクが入ってるよね?」と半べそ状態

「元気なら大丈夫よ。とにかく早く帰るようにするから」となだめて、打ち合わせもそこそこに家に帰ると正宗はケロリとしていた。

でも…母が心配し過ぎて、具合いが悪くなり、おなかを下す。

熱+下痢で体力落ちる

そして今週月曜日の朝、母39度の発熱。

再び病院に連れていき、点滴で補液をしてもらった。

火曜日は私が歯医者さんで虫歯の治療をしたら痛いのなんのって…その日はぐったりΣ( ̄ロ ̄lll)

それでも母の食事を用意し、お薬を飲ませてから、私もロキソニンと睡眠導入剤を飲んで寝たら、不覚にも爆睡。

そんな時に限って母の具合が悪くなった模様で、夜中、「まりちゃぁ~ん!助けてぇ~」と叫ぶも私は熟睡し、チビたちが吠えようが何しようが朝まで寝入ってしまった。

明け方の「痛いのよぉ~助けてぇ~」という叫び声でやっと目を覚まし、病院に連れて行ったら、母、入院。

どうにか事なきを得ましたが、夜中一睡もできなかったのか、母の体力は落ちてしまった(汗)

なんで祖母と母の両方を抱えていた時は仕事もできたのに、母だけの介護になったら、こんなダメな娘なんだろうかと、再び撃沈です。


今日から通院

2017-07-26 22:44:44 | Weblog

今日から母の放射線科への通院が始まりました。

背骨の腫瘍が神経を圧迫し始めているので、八月の第二週まで毎日病院通い。

病院が近くて良かった。

放射線科の先生も良い先生で、良かった。

後は母の生きる力を信じて、先生に任せるしかないなぁ~


後悔…

2017-07-10 21:05:16 | Weblog

今更だけど、母が元気な時に親孝行しておけば良かった

今頃、一生懸命やったって、遅すぎるよ

ママ、ごめんね

 


どんどん選択肢がなくなって行く…

2017-07-09 23:42:42 | Weblog

はぁ~先週の検査結果で頭が痛い…

前回の抗がん剤は腫瘍マーカーが上がったので再開した訳で…

抗がん剤をやったら肺の影が小さくなった

でもやはり体力低下で抗がん剤を再度休むことにしたら、今度は肝臓の影が大きくなった…

しかも背骨に突然大きな影が現れた

その上、もう神経を圧迫しそうな感じ…

さすがに先生も慌てて急遽月末から放射線を当てることになった

こうやってどんどん八方ふさがりになっていくのか…

母、まだどうにか動ける内にと身の回りの片づけを始めるし…

私も頑張って動かなければと思うがどうしたものかな…


本当に凹むよっ…

2017-07-02 20:49:04 | Weblog

日に日に痩せこけていく母…

私なりに頑張っているつもりですが、具合がどんどん悪くなり、私に対して、9割方愚痴と、文句と、嫌味しか言わない…

私だって疲れるし、自分の体調も悪いけど、気を使ってるのにさ…

今日は「火曜日、病院だから、洗車してくるね」と言ったら、

「どうぞ…どうせ家に居ても何にもしないんだから、行けば?」と言う

大したことではないけど、今日の私はスルーできずに気分を害した感じを全開にし、嫌な空気を家に残して家を出た。

母にも腹が立ったが、そんな自分に腹が立ち、洗車に行きながら車の中で涙が出たよ


やっぱり…でも素直に残念で、悲しい

2017-06-23 14:44:24 | Weblog

真央ちゃん家族が病気を公表し、ブログを開設し、マスコミがいつもテレビで取り上げるのを見ていて、私はずぅっと何とも言えない気持ちだった…

マスコミに勘ぐられたくないというのと、同じ病気の人々を勇気付けるために公表などしたのだろうが、否が応でもテレビでそれが取り上げられると、同じような大変な病気に向き合っている人たちやその家族と普通の方々とでは報道の捉え方が違う。

ウチでもそうだった…

真央ちゃんご家族はご自身の環境を維持すると共に、病気に苦しむ人々に頑張っている姿を見せ、少しでも頑張れ!という意思を発信しよとしていたことでしょう。

でも…テレビで各局彼女の話題になると母は食い入るように画面を見る…

母も真央ちゃんと同じ病気で、同じ抗がん剤を使用しているから、彼女の副作用もよくわかり、自分を重ね合わせているのが、よくわかった

病院に行けば、癌友ともその話題が上がる。

そんな状況を見る私は微妙な空気で、いつも気が気ではなかった。

内心、興味ある人はブログを見ればいいのであって、ブログを更新したというネタはテレビで取り上げてほしくなかった…

だって、いつでも病気の人に勇気を与えたいからと表に出る芸能人や有名人がいると、皆、頑張れ!と思いつつ、かわいそうという気持ちがあり、その方が亡くなるとやっぱり、駄目だと思ったのよね…と思う

ましてや同じ病気を患っている方々やそのご家族は落胆する

今回の真央ちゃんの病状を見ていると私も母と重ね合わせていた。

母も最近激やせ…そこへ真央ちゃんの痩せた姿の写真を見ている母を見る私…

毎回リモコンを母から取り上げてチャンネルを変えたい衝動に駆られるが、それもあからさまだしと思っていた。

そこへ今朝の真央ちゃんが亡くなったという報道で、母「あっ…死んじゃった」と絶句

私、涙が堪え切れずにトイレに駆け込んだ。

今、多分行われているであろう海老蔵さんの記者会見は見たくないから今はテレビを消してます。

幸いにも母は昼寝ちゅう…

でも夜の番組で取り上げるだろうなぁ~

つらいなぁ~いろんな意味で、この状況

真央ちゃん、なんて母の半分以下の年齢で、無念だったろうし、辛かったことは我が身のようによくわかるけど、こんな報道見ないで済む日が来なかったのが本当に悲しい…


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