あれこれ思うがままことのは

日々、感じたこと思ったことを語ります。季節や花、洋服のこと、時々音楽や映画かな。

八代目中村芝翫 襲名披露 @歌舞伎座

2016年10月26日 | 観たこと思ったこと

     
   「中村橋之助改め八代目中村芝翫襲名披露
    「中村国生改め四代目中村橋之助 中村宗生改め三代目中村福之助 中村宜生改め四代目中村歌之助 襲名披露」

このたびの成駒屋襲名披露は、お父さまと息子三人揃ってという晴れやかにお目出たいもの。おのずとお祝いムードにあふれ賑やかな演目揃い、わたしの2年ぶりの歌舞伎座詣はお正月の気分にも似て厳かに青い空が晴れわたる昼公演だった。

はじまりは、『初帆上成駒宝船(ほあげていおうたからぶね
三人兄弟の襲名を祝ってつくられた新作舞踊、長唄お囃子も溌剌と鳴り響き、照明もまばゆいばかり。さすがに息のあった三人兄弟は清々しく、お顔立ちや雰囲気こそ似ているものの舞はそれぞれに雄々しさを感じたり手の表情が優美だったり、個性が見えた。ご襲名おめでとう!

『女暫(おんなしばらく)
襲名公演によせて、共演の役者も華やかだ。「女暫」の巴御前は芝翫の甥っ子にあたる中村七之助が務めている。父上である七代目芝翫さんが大好きだった演目だそう。10月は七代目の隠れ「追善」のようになっているそうで、そうすると孫である七之助が演じるということにもなり、家族で踏襲する歌舞伎という世界を実感した。美しくも威勢のよい巴御前が素晴らしかったし同時に七之助の貫禄も感じ、明らかに少し前の若手が中堅ベテランの域へと満を持していく瞬間だと思いを新たにする。

『お染久松 浮塒鷗(うきねのともどり)
久松を尾上松也、お染を中村児太郎、女猿曳を尾上菊之助が演じ、華を添えた。

『極付幡随長兵衛(ばんずいちょうべえ)
いよいよ此の度の主役登場。
役どころは、下級武士とはいえ刀は持たず武家屋敷に抱えられ雑用や力仕事をしていた町奴連中を束ねている親分というところ。幡随長兵衛は顔も広く人望も厚い実在した人物だったそうだ。男気たっぷりの長兵衛がとても合っていた。その板につきぶりは意外なほどで、声も重厚に低音がよく響いていた。橋之助さんといえば線の細い印象が長くあったので、さすが役者さんのお力拝見だった。
芝翫さんの登場が客席後方の扉からで、通路側に座っていたわたしの真横を場内方々にご挨拶をしながら颯爽と舞台へとお役に入っていかれたのはお披露目らしい演出だろうか。

演者さんの舞台とは別に惹かれたのは音、音楽。上手の高い位置にある御簾の向こうから聴こえてくる唄(大薩摩)と三味線の声色と音色が素敵で、お芝居を見る目を中断してうっすら透けて見えるそちらをたびたび見上げていた。力強い演目ゆえ唄はキーは低く聴き惚れる声、三味線は力強くベースのようにずんずん響いて魅了された。この低音の音色に出会うためだけに歌舞伎鑑賞するのでもいいくらい。

歌舞伎の愉しさを多々味わえた、またの機会が待ち遠しい。



佐藤可士和さんのプロデュースによる祝い幕。モダンシック。


白×黒とツイード

2016年10月21日 | 洋服など

    
すこし前に、白いTシャツの上に黒のカーディガンをはおったら、きっぱりと潔くて意外なほど新鮮だったから、この秋は白いトップスに黒いものを重ね着したい。白色はオフホワイトでなく目も覚めるような真っ白の白であることが肝、ぼやけずはっきり印象づけたい。ボトムスはちょっと昔懐かしなツイードや、グレンチェック。野暮ったいくらいの素材感を、白×黒のモノトーンでこざっぱりと合わせたいなと思う。

いま、60年代や70年代のスタイルが素敵に見える。パンタロンやベルボトム、もっさりとしたローゲージニット、ボヘミアンやヒッピーのテイスト、ニットワンピース、ミモレ丈やロングスカート...。ほかに大きな花柄の生地や太いサッシュベルト、トンボ眼鏡なんかもいいかな。色も多彩にあでやかなよき時代。
あの頃の女優さんは素敵だった、「ボニーアンドクライド」のフェイ・ダナウエイなんてとんでもなくカッコいい、10代に初めて見て以来憧れのひと。今でもときどきスクリーンの中の彼女を観たくなるし、装いのスタイルブックがあったら間違いなく飛びつくだろう。アリ・マックグローも芯の強さを感じるファッショニスタだった。久しぶりに映画「ある愛の詩」を、マックグローのエキゾチックな容姿と70年代の大学生ファッションを偵察しがてら観てみようかな。   


本  「私」を受け容れて生きるー父と母の娘ー

2016年10月15日 | 読み物など

    
いい本だった。
「「私」を受け容れて生きるー父と母の娘ー」 末盛千枝子著  新潮社

児童書や絵本、IBBY(国際児童図書評議会)に深く関係し、すえもりブックスという出版社を立ち上げた経歴も持つ末盛千枝子さんの自叙伝である。生い立ちから現在までを柔らかくみずみずしい文章で連ねてある。あふれるほど多くの興味深いトピックがあって、どれもドラマティックで出来事が濃い。それでもいつどんな時も真摯に人や出来事に向き合ってきた著者の姿勢に、清らかな芯の強さを教えられる思いがする。

いくつもある章のなかからひとつ挙げるなら、
「私たちの幸せー皇后様のこと」という章。
1998年にある映像が全国的に放映された。皇后美智子様がご自身の子どもの頃の読書体験についてお話をされた、わたしも忘れがたい講演のビデオである。ニューデリーでの国際児童図書評議会主催の世界大会に際して皇后が自ら語られ、日本中のひとが驚きと共に観、聴き、感動したあの映像。その顛末に係わったひとりが末盛さんなのだ。
その後その講演の原稿は、「橋をかける」という本になり、書籍化するにあたっての尽力もされている。

今考えても衝撃的な、そして素晴らしい「事件」だった、あの講演映像。
当初は美智子様がインドでの世界大会に出向かわれて講演をされる予定が、その矢先にインドで核実験が行われたためインドご訪問が叶わなくなり、映像を会場で流すという方策を採ることになったのだという。短い準備期間のなかで、しかも隠密に、失礼も失敗も許されない重要なミッション。皇居で皇后の語りを収録し、現地の会場でその映像を流し、帰国して美智子皇后に反響の素晴らしさを報告するまでが描かれている。画期的だった事件の舞台裏の種明かしのようで、あらためてすごい出来事だったのだと実感を強くする。

久しぶりに読みたくなって「橋をかける」を図書館で借りて来た。安野光雅さんの筆による麦畑の表紙の清楚な雰囲気を持つその本は、皇后の記されたそのままに英語版と日本語版がひとつになっている。本になるまでの経緯を知った今また読むと、講演が会場に流れてその場にいた人々のこころのなかに言葉と思いが染みて行く状況を想像してぷるぷるっと鳥肌が立った。美智子様のお人柄はもとより、その思考のやわらかさや慈悲のありようが伝わってくるスピーチで、何度読んでもやっぱりいい、そのたびに沁みる。
    

末盛千枝子さんは彫刻家 舟越桂氏の姉でもある。
「「私」を受け容れて生きるー父と母の娘ー」の本は
わたしが舟越桂氏の彫像を好きなことを知っている友人が送ってくれたもの。
父を亡くしてひと月経ったころ、励ましのたよりと一緒に。


「シーモアさんと、大人のための人生入門」

2016年10月07日 | 映画

    
始まった瞬間、いい映画に出会えそうだと直感する。
静かなピアノの音、やわらかな光、部屋の照明。映画館に居ながらにして、スクリーンのなかの居心地良さが身体に充満してきた。歓談の雰囲気がただよう穏やかなインタビューのシーンでは、白いテーブルと白いカップ、クリアなグラスがクローズアップした静止画が数秒間。これも気持ちがいい。

シーモア・バーンスタイン氏は89歳のピアノ教師、50歳までコンサートピアニストとして活躍していたのだがその後は教えることに専念している。彼を撮ったドキュメンタリーフィルムだ。
その語り口の穏やかさと包容力がいい。音楽を語るときも、人生を振り返って思い出を語るときも、真摯で誠実なものの見方と人生と音楽への愛情が感じられて、こちらの心の角張った部分が柔らかくなる。質素で堅実な暮らしぶりにも教えられ憧れるところ多し。ピアノの指導ぶりが、そのひとの内部に潜む弱さや長所をさらりと指摘していく心理学者のようで、その言葉によって演奏が変化し曲としての光沢を帯びていく。

俳優であるイーサン・ホークが監督を務め、自らも出演しインタビュアとして加わるが、率直に悩んでいると打ち明け、俳優業のなかにアイデンティティを見出せずにいると語る。彼も純粋な部分を持ち続ける人なのだろう、数々の出演作品が多くあり世に認められていたとしても、本当に自分の表現したいこととの間には溝があるのかもしれない。たしかに商業的に成功するものと心からいいと思い後世まで残るものは大概にして違うもの。
イーサン・ホークはシーモアにあるパーティで出会って、たちまち人柄とピアノに魅了されこの映画を撮ろうと思ったそうだ。

シーモアがコンサート用のピアノを選ぶシーンがとても好きだった。
スタインウェイ社のショールームの地下(たぶん)にたくさん並ぶピアノを弾き比べて、これぞという1台に巡り合う。「これはハンブルグ(で作られた)?」(ハンブルグ製とニューヨーク製があるそう)、「あぁこれはひどい」「なんという優雅な音色、この和音のつややかさを聴いてくれ」
演奏家の舞台裏を覗くようで、たのしい一場面だった。

映画の終盤、白いテーブルと白いカップ、クリアなグラスがクローズアップした静止画が再び映し出され、やさしい白色と清潔感がたおやかなシーモア氏の象徴みたいだと思った。