あれこれ思うがままことのは

日々、感じたこと思ったことを語ります。季節や花、洋服のこと、時々音楽や映画かな。

「NO MAN'S LAND」

2010年01月31日 | 観たこと思ったこと
フランス大使館で催されている、「NO MAN'S LAND」を訪れた。
老朽化のため建て替えられた旧庁舎をアーティストたちに開放、アートが展示されている。事務室、廊下、階段・・スイッチプレートや電気ボックスにいたるまで、屋内外あらゆる空間が思い思いの芸術に変容している。なかには会期中も創作を続けていて日々進化している作品もあって、生身のアートを垣間見る事も出来た。
            
          「NO MAN'S LAND」エントランス
   プラスティックボードで出来ていて、ラフかつ緻密な茶目っ気たっぷりなゲート。

          
    部屋を埋め尽くすマルチカラー。カラー厚紙がこれほどのパワーを放つものに
    なるなんて驚き。這うように部屋の小窓から外へ、色紙は増殖し続けていた。
          
    電気ボックスか変圧機か。部屋にあるもの全てがアートになる。

活躍しているアーティストから芸大の学生さんまで、有名無名の芸術。
商業的に成功した洗練したものからこれから世の中に発信していこうというものまで、平等に展示スペースを分かち合っていて、楽しくなる。前衛的過ぎて素人の私には理解するに余るブースもあったが、「表現すること」の自由と切実さを全身で受け止めた感があった。鑑賞終盤にはみなぎるパワーにこちらの力が吸い取られたように脱力してしまったほど。

それにしても天晴れなフランス大使館のこの計らい。壊してしまう建物とはいえ、まるごとアートにしていいよ、展示を自由に観覧させていいよ、なんていう企画を実現してしまうとは、さすが過去現在に芸術や芸術家を育てた国である。
旧庁舎は1957年に、ジョゼフ・ベルモンが設計、当時はかなりモダンな建物であっただろう。勾配のある地形を生かした階層の作りやシンプルな部屋の配置。前庭には老成した桜の大樹を望み、桜の季節はどんなに綺麗だろうと思う。半世紀にわたるここでの歴史を見守ってきた桜、大使館建物のかなりの老朽化は否めずやむなしとはいえ、名残惜しさがつのる。

開催は、当初の予定より延長され2月18日(木)まで、開館時間は、木・金・土・日の午前10時から午後6時。

配色妙味

2010年01月21日 | 洋服など
色合わせのルール。
マンセルの色相環、パーソナルカラーの分類法であるブルーベースイエロ-ベースで捉えるやり方など,マッチする色合わせはある程度決まっている。でも時代や流行によりそれだけではなくなり、変化がともなう。そこがとても面白い。
 
この冬は、紺と茶をかけ合わせている若い人をよく見かける気がする。年上層には地味になり過ぎる色合わせなのに、こげ茶の短いスカートに紺色のケーブルニットタイツなど軽快な感じすらして新鮮。
茶といえば、いつからか黒×茶が斬新に映るようになった。
90年代の終わり頃、ミッドセンチュリーの家具に人気が出た頃からだろうか。こげ茶色の木部と黒い革素材など合わせ方がシックに目に映るようになり、洋服の着こなしにおいても、これがキマレば相当ハイレベルな印象となった。茶色と黒を合わせるなんて、やぼったい。昔はそう思っていたのに変わるものである。また、雑誌のスナップで薄い茶色の革ブルゾンにサックスブルーのスト-ルを素敵に合わせているミラノの女性が載っていて、配色の美しさに衝撃をうけたこともある。

定番の色で合わせる事は安心で居心地のよいもの。しかし今の時代の雰囲気では、色や素材などどこかひとつルールから逸脱したものがあるほうが気分であるのも事実であり。

洋服でもインテリア、花活けでも様々な機会に考えさせられる色合わせ。
見慣れたものから脱することが流行の底辺にあるならば、好ましい色合わせだって変化するものかも知れない。
配色の醍醐味は、「定則を守ること」と「規範から逸れること」のバランスだという気がする。

「ラグジュアリー:ファッションの欲望」展

2010年01月18日 | 観たこと思ったこと
先月半ばに訪れた東京都現代美術館。
昨日をもってこの企画展は終了、思うところの多かった展覧会だった。
     
展示順は単純ではない。18世紀を前ふりに、20世紀に入ってからの時代を前後行ったり来たりする。
展示テーマにある「着飾ること」と「削ぎ落とすこと」矛盾するふたつの流れを交錯しながら、各時代を代表するデザイナーたちが意匠を実現させている事に注目させている。たとえば、60年代に造形的なミニマリズムを追求したバレンシアガ。半世紀後の現デザイナーであるニコラ・ゲスキエールが2008年に発表したドレスはシャーリング装飾を多用し、まるでロココ時代を蘇らせたようである。また一方、すでに1920年代にはマダム・ヴィオネは「シンプルとは複雑なものをすべて含んでいる」と詠い、快適さと機能美を具現している。追随並走したシャネルも同様。そしてシャネル哲学の後継者であるカール・ラガーフェルド(現シャネルデザイナー)が有名優秀な刺繍アトリエ「ルサージュ」に作らせたのは気が遠くなるほど時間を要すコード刺繍。・・・という具合。時代の理念と技術が行き交う。戦争や工業化、ライフスタイルの変化など、時代背景に導かれた事情もあるが、ファッションとはいつの時代にも「豪奢に美しいこと」と「シンプルで美しいこと」、永遠の課題にさらされているからにほかならない。
また、それらを支えるのは紛れもなく精緻な手練を持った職人や素材を生み出す高い技術力だという事を教えられる。

    
そういえば、薄灰色の空におおわれたこの日の冬感が美しく、
美術館エントランスでは、鋳鉄のモニュメントが冷たい空気に溶け込んでいた。
ファッションが公立の美術館で企画されるようになったのだなぁ、そんな時代になったことを思い妙に感慨深かった。

お年玉

2010年01月06日 | 観たこと思ったこと
自分に「お年玉」をした。
ほしかったDVD。「資生堂のCM vol.1」と「資生堂のCM vol.2」。年末足にケガをしたので遠出が出来ない年末年始、という言い訳も背中を押した。懐古的時間を味わうことが出来る2枚である。

☆1961年から1979年までが収録された「vol.1」は、テレビCMの黎明期、まだ白黒の画面から始まる。モデルたちの動きもゆるやか、ポスターや紙面で展開していた広告の段階から微少に動画になった感じ。面白いのは、女性化粧品が当時のハリウッド映画のようなオシャレ感を持たせているのに対し、ドルックス男性用などでは、若大将シリーズのようなコメディタッチになっている。メンズ化粧品なんて世の中に認知されてすらいなかった頃、親しみやすさを前面に出して浸透をはかっていたのだろう。まもなくカラーになり、1970年に近づくうち、躍動感を帯び経済成長期の活気ともに活き活きしたものになっていく。
観ていたら、鏡台を通るたびに香っていた母のコールドクリームの匂いや、洗面の棚に並んでいた父のMG5(整髪料)の黒と銀色のチェッカー模様が思い出され、思わず胸がキュッとなる。
☆1978年から1999年までを収録した「vol.2」。この巻はリアルに観た記憶の濃いものが並んでいて、さながら自分史をひも解く感覚さえともなう。BGMに使われているニューミュージック系、Jポップなどのヒット曲の数々や、今なお活躍している同年代の女優たちの若さ、頭のなかも気持ちもフル回転しながらの鑑賞となった。今は亡き山口小夜子さんが出ている作品、1976年のものから1998年まで計4点が入っているのは嬉しかったが、彼女の魅力が最大限に出ているはずのセルジュ・ルタンス作品群は権利問題にからんでいるようで収録されていない。とても残念。

時代の空気や色を存分に含み、30秒,15秒の中にすべてを集約させる。
洗練や品のよさを携えながら流行を牽引してきた広告たちが、今度はこうやって時代の証言者として歴史になっていることに感銘を受ける。「vol.1」のほうに天野祐吉さんが寄稿していて、「テレビCMは時代の空気のジャーナリスティックな映し絵だ」とある。時に、昨年3月、天野さんが主宰していた雑誌「広告批評」が休刊となったように、広告自体の形態や意義も変革危機にあるところ。インターネットなどの新形態の広告や不況経済の中で困難は大きいと思うが、資生堂CMにはこれからも時代の少し先を美しく歩いていってほしい。

年あらたまり

2010年01月05日 | 季節
新しい年を迎えました。
すこやかに過ごせることを感謝し、
毎日を暮らしていきたいと思います。

心を痛めるニュースがあふれ聞こえ、
この先どんな時代が待ち構えているのか
不安にもなるけれど。
この先に生き生まれるあらゆる子どもたちのためにも、
自然環境や社会情勢が悪くならないために
何か出来ることはないか、
あればその努力を惜しまぬよう、
いつもこころに留めておけるように。