今年のツリーは 「球体」 特集で。
銀河系をイメージというわけではないけれど、色はシルバー&ブルーに限定してみた。
意外と「丸い」ものは持ってない。それでも手元にあるオーナメントのなか、丸くて銀色か
青のものをを総ざらいし、彗星をまねたシルバー色のブレードリボンを巻いて完成。
特別ゲストは、このサンタ。銀河を颯爽とスケートで滑走中。
後姿も、ほら軽快。
そういえば、先の日曜日、アイソン彗星は観測出来ずだった。
いつになく張り切って望遠鏡までセットして、翌朝4時に備えたのに。
12月に入ってすぐにも観られる可能性が高い日があるようだから、
再チャレンジしてみよう。
真夏を除いて、2日と空けず活躍しているホーロー鍋。
結婚してすぐに買ったものなので、20年以上の年長さん。写真に撮ると余計に年季のほどが分かる。
豆やジャム、かぼちゃにさつまいも、径18センチと小さいので、手軽にぐつぐつ。
特に今の季節、1日にダブルヘッダーもいとわぬほど常に何かしら煮ている。
平日はお弁当用の副菜を。
日曜にはおやつ。これで小豆さえ煮ておけば良し。
白玉小豆は我が家の定番。息子たちが小さい頃は白玉を好きな形に丸めて遊びながら一緒に作ったっけ。
冬にはぜんざい風小豆からめ餅。
先日は緑豆があったので、緑色の煮豆をした。
これに、生クリームを泡立てもせず液体のまま少量かけて食べたらすっきりと上品なデザートになった。
そういえば、最近うぐいすパンって見かけないね、なぁんて家人と話しながら。
ホーロー鍋くん、いつもがんばってくれて感謝。
煮込み料理などをするには小さすぎるけれど、この18センチ鍋は単品をちょこっと煮るには
とても便利。まめな豆子さんになること間違いなし。オススメです。
花教室にて。
先日は、クリスマスリースのレッスンをした。
土台となるヒムロスギを円に作るまでが手先のパワーとちょっとしたワザが必要だけれど、
円ができてから先は、それぞれ思い思いに好きなデザインを描きながら楽しい作業。
華やかでにぎやかに作るひと、色味を抑えシックに作るひと、その人らしいリースとなる。
使用した木の実や花材は、
バーゼリア
野バラの実
ハンの木
シンフォリカルポス
松ぼっくり
クリスマスまでひと月、こころ穏やかに過ごせますよう。
国立西洋美術館で開催中の「ミケランジェロ展 天才の軌跡 」を観た。
またしても、会期終了前のすべり込みセーフ。(11月17日に終了)
「階段の聖母」は噂に違わず、みずみずしい清らかさが泉のように湧いている作品だったし、表裏に描かれた「クレオパトラ」は示唆や隠喩を含み意味深で興味をひいた。
でも、やっぱり最晩年に作られた木彫のキリスト像が今でもまぶたから離れない。
この展覧会では、ミケランジェロの仕事の流儀とでも言い表せそうな面に光を当てている。
多くの素描や習作、仕事上のことについてやり取りした書簡、建築や内装のスケッチや図面、計画案など、資料が展示されミケランジェロがいかに真摯に緻密に仕事にあたっていたかが感じられる。
なかでも、もっとも数多く集められた素描習作は人体のもの。
伸ばした腕、何かをつかむ掌、頭から肩、折り曲げた脚...
たくましい筋肉の、関節や神経の正確な動きとともに忠実な表現は「部分」であっても迫力がある。幾度も繰り返し練られ描かれ、やがてシスティーナ礼拝堂の天井画となり、「最後の審判」の壁画と結実する。
躍動する肉体の断片を観ていたら、先月末に観たバレエのダンサーたちを思い出した。無駄のない身体が生み出す動きの連続を、一瞬一瞬に切り取ったとしてもミケランジェロの画に匹敵するくらいの迫力と美しさがあるのだろうな。瞬間の「画」であっても、いまこの腕がどちら側に動こうとしていてこの頭はどこを向こうとして、脚はどんな風に回転するのかが見えるような一連の肉体の動き。神経が関節が筋肉がこれ以上ないほど正しく伝達するとき美しい動作となる。
「この世でもっとも真実を語るものは裸体だ」と言ったミケランジェロ、もし現代に生きていたらバレエやスポーツをする人の身体をどう描くだろう。
そしてまた木彫のキリスト像に思いをはせる。
「キリストの磔刑」。未完成にもみえる小さな木片の像。
薄く筋肉を残した両脚と荒い木目に刻まれた繊細な刃跡に天才の孤独と神が与えた使命からの解放を見た気がした。