あれこれ思うがままことのは

日々、感じたこと思ったことを語ります。季節や花、洋服のこと、時々音楽や映画かな。

この夏の、観たこと思ったこと総決算  

2013年08月31日 | 観たこと思ったこと

1、「 谷 文晁 -生誕250周年- 」展
       
江戸時代後期に関東画壇で活躍した絵師、谷文晁にスポットをあてた展覧会。
サントリー美術館にて開催されていた。

彼の交友関係をみて驚く。
お抱え絵師として仕えた松平定信を筆頭に、文人の木村蒹葭堂、狂言師の大田 南畝、
滝沢馬琴、頼山陽、社会科の教科書に出てくる人たちの名前が続々。
酒井抱一とも長く親しい付き合いをしたらしく、抱一が企画した尾形光琳百年忌に法会と
ともに遺墨展を催し、そこに文晁も参加している。
多くの絵師や文人と交流を持ち、画壇や派を超える架け橋となった。
いくつもの画風を学び得てそれを器用に使い分け名画を量産し、旅好きで行動力抜群、
100人を超えるのではなかろうかと思う弟子を抱え、まるでゴッドファーザーだ。

好んでよく描いていたという富士山の屏風絵が素敵だった。
墨のすずやかな筆致で描かれた、たおやかな富士の稜線と雲。
文晁さん、あなたの好きな富士山は今年世界文化遺産になったんですよ。

 



2、「八月納涼歌舞伎」
    一、野崎村
    二、春興鏡獅子
      
この春装い新たに生まれ変わった歌舞伎座へ初詣。

あぁ、昔の佇まいのままと思うもつかの間、つややかな金に塗られた唐破風の頭上に
そびえるタワーが隔世の思いがする。入場すると、建材や内装材や小間物の真新しい
においがして新築を実感。華美でなく品のいい調度で整えられた空間は以前の歌舞伎座を
を十分に踏襲しながらもスタイリッシュな印象があって好ましい。

春興鏡獅子は、六代目中村菊五郎の当り役だったのだそう。それを曾孫になる勘九郎と
七之助の兄弟が日程を違えて演じている。獅子を演ずる若き継承者たち。
わたしが観た回は、弟の中村七之助が舞い踊っていた。瑞々しさ香る若い獅子だった。
曾祖父から祖父、祖父から父、そして息子たちへ、守り継がれるこの瞬間を観れて良かったな。
勘三郎さん、あなたの獅子も美しかったのでしょうね。

 



3、「アンドレアス・グルスキー展」
     
国立新美術館で9月16日まで開催中の、「アンドレアス・グルスキー展」。
八月の末、思いがけずこの日は湿度が低くて空気が澄んでいて、気温33℃が実感でき
ないくらいにさわやかな天気だった。

写真であって写真でないとか、作品ひとつに4億を超える値が付いたとか、前知識としては
その程度で、ほぼ知らないに等しい状態で出かけた。
まず目に飛び込んできた作品の圧倒的なサイズに驚いた。
縦5メートルはあるだろうか、写真といって想像する規模を超えている。
そこに映っているものも、不思議な被写体多し。
「パリ、モンパルナス」(1993)のアパルトマンは高層であるのにどの窓も正面を捉えられ、
同じ角度で見えている、なんだかおかしい。「東京取引証券所」(1990)は、黒い背広姿の人々
がせわしなく動いているあのありふれた風景なのにまるで現実感がない。また「99セント」
(1999)、アメリカのいわゆる百円均一ショップの店内は、大量の商品がひしめいているのに
物の気配がまったく伝わってこない。
グルスキーの狙いは現実と非現実を具現化することで根っこのところにあるメッセージを伝える
ことにある。消費社会だったり、資本主義だったり、画一化したモノだったりへの批判・同感・
または愛着・・。

「バンコク」シリーズが好きだった。
タイのチャオプラヤー川を映した写真をベースに、部分的に抽象・具象画のような色を載せた
大きな作品。川の色が深い群青色、混濁しているようでどこか澄んでいる。
こっそり、水羊羹の透明さに似ている、そう思った。

グルスキーさん、ものや常識に囚われ過ぎなこの頭にガツンと一発をありがとうございます。
概念を軽やかに超えて生み出されるあなたの表現は、ひたすらすがすがしかったです。