あれこれ思うがままことのは

日々、感じたこと思ったことを語ります。季節や花、洋服のこと、時々音楽や映画かな。

「勝川春章と肉筆美人画」展へ

2016年03月23日 | 観たこと思ったこと

            
先週末、学生時代の友たちとの集まりがあり少し早目に家を出て出光美術館へ。
ここは銀座にほど近い場所にあるので、お昼ごはんの約束や夜の集まりの前にふらっと立ち寄れる貴重なスポット。収蔵作品群は書画や陶磁器など東洋美術、趣をこらした展覧会のテーマもそれぞれ好みの回が多く、今回も春章の画の特集ということで楽しみに出かけた。

春章が影響を受けた絵師たち、同時代に凌ぎを削った絵師たち、亡き後に遺したものから画風や技術を汲み取った後継者たち。春章の生きた時代の流れと共に並列で展示されている。構図や題材を模倣したりされたり、顔の表情の描き方を真似たり真似されたり、同じ題目の絵を別の作者が描いているものもあり。相互に切磋琢磨し絵の研鑽を積み上げていったのだろう。
しかし、ほかの浮世絵絵師とは「一線を画す」、といわれる春章。
なるほど軒並み「美人」ぞろいの「画」のなかでも、やわらかな優美が際立っていると思う。ことに匂い立つような絹衣の表現が見事だ。着ているひとの動きによって作られるひだやしわにより、うつくしい立ち姿やみやびやかな所作が具現されていて、うっとりと釘付けになった。

前の記事で書いたカラヴァッジョ展でも、同じ構図の絵が真贋混じり多くあるなかで彼が描いたものかどうかの鑑定で真筆の決め手のひとつになったのが衣服のしわやドレープの表現が彼の巧みな技術によるもの、との判断だったとあった。どんなに上手い絵師や画家が真似ようとしてもその才能の在りようが如実に現れ、難しいのが着衣の表現なのかもしれない、人間の骨や筋肉の総合的な動きや仕組みを包括し認識した上でなされて初めてリアルさが備わり、違和感のないものとなるのだから。


「カラヴァッジョ展」@国立西洋美館

2016年03月10日 | 観たこと思ったこと

  
数週間も経つとサクラサクラの饗宴となるだろう上野公園。国立西洋美術館「カラヴァッジョ展」へ。
このたびの展覧会、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョの出展作品は11点。そのほか50余りの「カラヴァジェスキ」と呼ばれる、カラヴァッジョに追随した画家たちの作品が観られるというもの。
我こそが才能、と言って憚らなかったというカラヴァッジオ、若い頃から才能を開花させたが傲慢で素行が悪く殺人罪で投獄されていた時期もあり、放蕩の末逃亡先からローマに戻る途中で病死。38年の生涯だった。

展示された部屋のなかに入った瞬間、あの画がカラバァッジョ作だろうと分かる。画の持つパワーが抜きん出ていていて素人のわたしの眼にも明らかだ。画の中のリアリティは立体的で3D加工でもされているのではないかと思うほど。人物はいまにも動き出し何か言い始めそうだし、衣服のひだやしわはその素材感を饒舌に伝える。手にとって触れることができそうなくらいに生々しい果物や花たち。 たぐいまれな観察眼と絵筆の先までを結ぶスキルは天賦のものだろうか。そしてこの展覧会に急遽出品が決まって話題しきりの、「法悦のマグダラのマリア」、真贋を精査された後の今回が世界初公開となった。顔を天に向け横たわる恍惚の表情が、信仰的な喜びを表しているのか性的な法悦なのかをめぐって憶測が飛んでいる。