あれこれ思うがままことのは

日々、感じたこと思ったことを語ります。季節や花、洋服のこと、時々音楽や映画かな。

クリスマスリースあれこれ2021

2021年12月30日 | 季節

ことしも残りわずか30時間くらい(笑)

なかなかこのブログを更新できずに終わってしまい、せめてクリスマスリースとスワッグの記録をいくつか。
 



ご注文のリース ヒムロスギをベースにエリンジウムやブルーアイスを入れ込んだもの。うーむさわやか。
 
 


12月に入ってスタートしたスワッグのレッスン。赤のスプレーバラやアロニア、ゴールデングレビリアなどインパクトある花材を入れて野性味ある趣きに。
 
 



ユーカリグロボラス、石化エニシダ、アストランチアなど、クールな感じ。
 
 



花材も雰囲気もオールお任せということでご注文いただいたスワッグ
ユーカリベルガムナッツ、アンドレファルモーサが決め手となって全体のイメージが定まったもの。ベリー個性的なものになりました。お気に召していただけたようでありがたし。
 
ご注文くださった皆さま、レッスンを受けてくださった皆さま、ありがとうございました。よい年末年始を。そして良きそれに続く日々を。
 
 

クリスマスツリー2021

2021年12月30日 | 季節  クリスマスツリー
 
 

ことしのクリスマスツリーは薄青色と土色をキーカラーに。

コロナ禍と温暖化、頻発する災害で疲弊している地球、それでもたゆまず自転し続けて昼夜を彩り季節を廻している地と空にありがとうの気持ちをこめて。
 

友人から今年もらったツリーのオーナメントはリサイクル鋼板を使って作られたSGDsなもの。


ムーミンの絵本に出てきそうな家は長男がフィンランド土産に買ってきてくれた4年目選手。
 
良いクリスマスでしたか。温かなぬくもりを感じるひと時がちょこっとあればみちょっと頑張れるなぁと思うこの冬です。

 「ファッション イン ジャパン 1945-2020」@新美術館

2021年06月29日 | 観たこと思ったこと

 
 「ファッション イン ジャパン 1945-2020 -流行と社会」
新美術館で開催されている洋服とその流行を時代の社会情勢やメディアなどの背景とともに展示した催しへ。

戦後「洋服」という西洋の装いを柔軟に取り込み、風土や生活スタイルに合わせ変容させながら、縦横無尽に紡いできた日本の服装文化の歴史。つくづく持ち前の器用さと好奇心が独自の発展を遂げてきたのだなぁと思う。当初はオーダーメイドやクチュールなど高価で限られた人のものだったが、型紙の普及で洋裁ブームが起こるとたちまち大衆のものとなっていった。その後は、幾多の流行を生み出し繊維など素材の革新に創造の可能性を広げつつカルチャーも巻き込んで、数々の時代のスタイルが構築され今に至る。
懐かしいCMやリアルタイムで読んでいたファッション誌、自分史を振り返るような感覚、立ち止まり熟視するポイントに事欠かない展示だった。記憶のなかで朧気だった部分が鮮明に書き足された項目もあり、近年の「Kawaii」がキーワードの装いやSNSが発火点となって認知され消費されたり模倣されたりしていくことが標準モデルの時代の解釈が確認できたのは良かった。
日本洋装&ファッション史事典を可視化することに挑戦し成功した大展覧会だと思う。

              国立新美術館 9月6日まで


覚書①JALの冬用客室乗務員制服(1970)
今どきの制服は往々にしてしわになりにくく乾きやすかったり化学繊維を駆使した機能性を重視したものが重用されるけれど、70年代、このコスチュームは美しいウールジャージーを使用していて目を引いた。目の詰まった濃紺の生地はなめらかでいかにも着心地よさそう。デザインも茶目っ気にあふれ、時代の先端ミニスカートの腰骨に沿って幅広ベルト、バックル部分には丸形の赤が施されポイントになっている。足元に目を遣れば、同じ丸モチーフが付いた揃いのパンプス。こんなに凝った制服を身に着けていた時代があったのだなぁ。

覚書②東京オリンピック 日本選手団開会式用ユニフォーム(1964)
このうえなく潔い配色、細目に仕立てたラペルが軽やかな赤いブレザーと真っ白なズボンとスカート。1964東京五輪のデザインは大会ポスターも研ぎ澄まされた単純さが力強く優れているが、このユニフォームにも同じものを感じる。国旗に込められたイズムを過不足なく反映させたような逸品、オリンピックイヤーに男女揃いのかたちで見ることができて良かった。
また近年、この胸のすくようなデザインが誰によるものかについて諸所取り上げ垂れていたけれど、やはりVANを営んでいた石津氏ではなく神田でテーラーを営んでいた望月康之氏だということも添付しておく。 


チューリップ狂騒曲

2021年04月08日 | 

昨年晩夏から秋にかけてチューリップの球根を30球ほど植えた。
先週急激な暖かさがやって来て、驚いたように一気にそれらの蕾が花開かせた。白のシンプルな一重をさきがけに八重もバレリーナ咲きも、原種系のものも、今よ花よと咲いている。次に雨でも強風でもあれば終わりを告げてしまうだろう束の間だけれど高らかな花の宴。
はかないと云えば、植えた球根全部が全部咲いたわけでなく、うまく蕾をつけられず葉の間で絶えてしまったり、花までたどりついても小さくてそよ吹く風に壊れてしまったものもあり、花の命もかなしいかな決して平等ではない。そのことも胸に刻もう。
季節の終わりには球根を掘り上げて、また来春に再会したい。花になり切れなかった子たちも一緒に、来年会おう。

     
     
     
       
       原種系のサマンサ 地に張り付くように咲いている


       
   近くのスーパーに入っている花屋で見つけた球根付き生花
   リニューアルオープンでスペシャルプライス¥100@1本、わぁい。


「吉田博展」  美が摺り重なる

2021年03月02日 | 観たこと思ったこと

       
「没後70年 
吉田博展」
思い切って県境を跨ぎ、東京都美術館へ。

有名なのは故ダイアナ妃の執務室に飾ってあった2枚の木版画というエピソード。国内ではそれほど知られていない美術家のことをかねてからもっと知りたいと思っていたので、これはチャンスと思いつつ緊急事態宣言中…と悩んだけれど、どこにも立ち寄らず直行直帰で。

版画とは思えぬほど精巧で柔らかな描写表現に唸った。展示数は200点近くに及ぶ。彼が複雑な色あいを捻出するため重ねた摺数は平均30数回で、中には80枚を超える版木を使用した作品もある。
彫師、摺師との共同作業で作られる版画だが、任せっぱなしにせず可能な限り側で仕事ぶりを見守っていたのだという。なかには「自摺」と銘がされた作品も多数あった、それだけ微妙なニュアンスまでの表現にこだわっていたのだと思う。
明治時代、官費でフランスへ留学する若い画家を尻目に、右へ倣えを良しとせず吉田博は自費でアメリカに渡ったのだとか。当時はまだ版画を手掛けておらず油絵や水彩画を描いていたおり、18歳で養父が亡くなり困窮したあげくアメリカで開いた初の展覧会で思いがけず絵が売れてにわかに名前が知られ、アメリカで陽の目を見る歩みが始まったのだそうだ。また、山をこよなく愛する山岳家でもあった吉田は標高の高い山々へ、画材を背負い案内人とともに登り、雲海を見下ろす構図や険しい山合いなど実際にそこに到達した人にしか見ることのできない山の絵、版画作品を多々残している。

ダイアナ妃は1987年の来日の際に例の執務室に飾った吉田の版画を購入したのだそうだが、もともと義父にあたるエディンバラ公はWWFの活動を通じて吉田の長男である遠志と親交があり、ダイアナ妃が吉田博を知るきっかけになっていたのではないかと推測されているそうだ。今となっては切ないようなストーリーだけれど、ダイアナさんお目が高いな。