北嶋誠のブログ

私の考えていること、言いたいことなどなど。

2010年 第4回北関東in佐野足利憲法フォークジャンボリー

2010年11月23日 22時52分06秒 | Weblog
 昨年の10・12北関東憲法フォークジャンボリーinつくばを終えて、心当たりの仲間
たちに次回の開催を要請してきた。

 この北関東憲法フォークジャンボリーは、もちろん継続がまず大事である。だがいつま
でも続けることだけが目的ということでもない。北関東の各地に、雑草の種を蒔いて歩く
のが第一の目的である。

 その雑草が、発芽し成長し、開花し結実して、そして各地に個性豊かに繁茂し群生して
行くことを望んでいる。

 それによって、平和や人間尊重を唱える表現者たちが、この北関東の土壌の中からも必
ずや誕生してくるだろう。

 そして、私たちの願いや運動が、次の世代に受け継がれて行くことだろう。

 今年のジャンボリーの開催地については、茨城県内での連続開催は避けて、他見に照準
を当てて気長にお願いしてきたところ、栃木県佐野市と足利氏の心ある皆さんが、佐野市
での開催を決定してくれた。

 特にゆいうたの岡野さんと佐野歌声の金子さんの、2人の女性が中心となって、地域の
方々に呼びかけていただき、実行委員会を立ち上げた。

 佐野市ではこれまで、うたごえ、音楽鑑賞会、九条の会、田中正造を現代に生かす会な
ど、文化運動や平和運動も地道に根強く展開されてきた。

 北関東憲法フォークジャンボリーではお馴染みのウッドランド・リンギングをはじめ、
アマチュアの市民バンドやシンガーが多数活動もしている。

 特徴的なのは、10代や20代のシンガーたちの多いことだろう。そのことを証明する
かのように、今回は20代と10代の出演者が5チームほどエントリーしている。

 また笠木透ファンも多く、ぜひ一度は笠木透と雑花塾のコンサートを佐野市で開きたい
という強い要求もあった。


2010年 第4回北関東in佐野足利憲法フォークジャンボリー

 日時  2010年 12月26日 日曜日 12時30分から16時

 会場  栃木県佐野市 佐野市民文化会館小ホール

 出演
  笠木透と雑花塾

  坂入健太             さのっ子
  ヒューマン・ファーマーズ     館林ロストシティーランブラーズ
  いわき雑魚塾           ウッドランド・リンギング
  東京クラブランナーズ       小野操とその仲間たち
  北関東歌声ネットワーク      ゆいうた(足利九条の会)
  佐野ジュニアコーラス       星雅人とピースライブ実行委員会
  はらっぱエイサー隊        lough(ラフ)

 会費  一般 1500円  中高校生・障害者 1000円  小学生以下
 無料

 主催  北関東憲法フォークジャンボリー実行委員会
     連根の会

 お問い合わせ
  実行委員会事務局長 岡野睦子  080-5695-3051
  実行委員長     うね澤良浩 0284-21-5797
  連根の会      北嶋誠   0296-35-0931

 後援  佐野市教育委員会

されどフォークソング

2010年11月08日 23時12分24秒 | Weblog
 音楽も地産地消であるなどと言ってみても、フォークソングも所詮は西洋音楽
じゃないかと逆に反論されるだろう。

 たしかにそうかも知れない。だが、この国の音楽は、その長い歴史の中で、た
くさんの民族や音楽が渡来し、交雑してきた。食文化にしても同様で、例えば食べ物で
は、カレーライス、カツ丼、焼きそばなど、今や和洋中華の判別もつかないのではない
だろうか。言わば、国籍喪失、国籍不明の状態なのである。

 特に文明開化、殖産興業、富国強兵、奪亜入欧の明治時代には、欧米の民謡、
宗教音楽、クラシック音楽などが持ち込まれ、その影響を受けて登場した作曲家、滝廉
太郎「花」「荒城の月」、山田耕作「この道」「砂山」、中山晋平「カチューシャの唄
」「ゴンドラの唄」などの作品は、各々に評価の違いはあるにしても、すっかりこの国
の唄や音楽として定着しているのではないだろうか。

 だから、フォークソングを自認するヒューマンファーマーズの唄も、人々の心
の中にどこか懐かしさを感じさせるのかも知れない。

 笠木さんの作品は、かれこれ30年以上前から歌ってきた。」わが大地の歌」
「私の子どもたちへ」「私に人生と言えるものがあるなら」から、「へのちから」「朝
の四時ごろ」などの替え歌まで、青年時代にはフォークコンサートやうたごえ喫茶でも
歌ってきた。

 その笠木透と雑花塾と出会えたことは、それまで何かと思うに任せないことも
度々あっただけに、その後の演奏活動への大きな励みとなった。

 ただ、「お前たち雑草のような人間たちとやって行くぞ!」というお言葉に甘
えて、足を引っ張ってきただけのようにも思えてならない。

 雑花塾とヒューマンファーマーズは、もちろん全く別物だが、「自由を求めて
歩き続ける たとえ路上に行き倒れても」の生き方に、大いに導かれてきた。そんな風
に考えてみると、されどフォークソングなのである。


たかがフォークソング

2010年11月08日 23時11分51秒 | Weblog
 笠木透と雑花塾の皆さんと、お付き合いをさせていただくようになってから1
5年以上になる。笠木さんのフォークソング人生の過程で、私などはまだ新参者なのだ
ろうが、密度の濃い関わりをさせていただいていると勝手に思って感謝している。
 たかがフォークソングと一面では思いながらも、素直に自分の性分には合って
いたのだろう。一方で、自分なりにポリシーを持って打ち込むことが出来たのもフォー
クソングだった。

 学生時代に始まり、社会人となり、農民そして視覚障害者となっても、一人で
あるいはチームで、ここまで演奏活動を続けてきた。

 それでも試行錯誤が続き、想いの相違からそれぞれの道を行く仲間もあれば、
様々な事情で音楽活動から離れて行く仲間もあった。

 もとより、フォークソングは歌も演奏スタイルも自由なものだと思っていた。
チームのメンバーにも拘束はしないし、偏性も固定することはなかった。

 ただし、メンバーの要求を満たすこともまた不可能なことなのである。だから
、メンバーにしても、理解したり協調できることで参加すれば良い事だし、別のチーム
を編成したり、他のチームに参加したり、一人で演奏するなど、それぞれの自分の道を
追求すれば良い事だと思う。しっくりこないまま行動を共にしても、楽しくはないし心
のこもった良い演奏は出来ないとも思っていた。

 そんな時期に、佐藤せいごうとの出会いからヒューマンファーマーズは生まれ
た。時に隆盛を極めていた地域でのアマチュアバンドによる演奏活動などは、一時の流
行に過ぎなかったのか、やがて表面上は下火になって行く。

 そんな中で、止めるでもなく流行音楽に影響を受けるでもなく、結果としてヒ
ューマンファーマーズは、それなりに独創性を増してきたように思う。

 笠木透氏曰く、お前たち雑草のような者にも出来るのがフォークソングである
と。そして、ヒューマンファーマーズのフォークソングはヒューマンファーマーズにし
か表現出来ない。

 私たちごときにも出来るとは、たかがフォークソングということなのだろうか