北嶋誠のブログ

私の考えていること、言いたいことなどなど。

そこのけそこのけ軍隊が通る

2008年02月29日 00時36分36秒 | Weblog
 米兵や自衛隊の軍艦が我が物顔で闊歩して、無防備の国民はいじめられたりそこのけそこのけと追い立てられたりする昨今のご時勢である。

 こんな調子だといざ有事となれば、仕事やごく当たり前の日常生活を営むことすら戦争に非協力的として邪魔にされ、国賊扱いされるのではないだろうか。

 ましてや私たち障害者は、存在すること自体が邪魔になってくる。戦争の役に立たない非国民となるだろう。

 農民は農地などを軍事目的のために接収される。米や生産物は、お組のために身を捧げて戦う軍人さんのために優先的に供出させられる。すでに有事立法や新食糧法などにはその様に利用できる規定も盛り込まれている。これでは大飢饉の時に、百姓から種籾まで奪い去っていく、封建時代の悪代官と同じではないだろうか。

 かつて戦前戦中に群体は何を守ろうとしたのか。そして国民にはどのような仕打ちをしたのか思い起こしてみよう。

 憲法九条の心を生かして行くことが出来れば、現在も将来も無防備な国民を犠牲にするようなことはなくなるだろう。

米を作らせないとはバチアタリ

2008年02月28日 07時14分19秒 | Weblog
 農水省東北農政局が「米を作りすぎて余っているのはもったいない」というポスターを製作して配布したそうである。早速東北農民レンガ抗議して回収を要求した様だが当然のことである。

 もったいないという、いかにも日本人の心情に訴えるような言葉を用いて、さぞや自信作であったのだろうが、どっこい低米価でも頑張って米を作り続けている農民の心情を逆なでしてしまった。

 農民に減反を押し付けながら、要りもしない外米を輸入するとは何事であるか。財界、米国、多国籍企業の利益のために何でもかんでも農産物輸入を拡大し、食の安全や食料自給率39ぱーせんとというお寒い原情が、国民の重大な関心事となっているこの時期に、まったく呆れた話である。世界的に穀物の不作、不足、価格高騰という実情を考えれば、主食の米くらい自給するのが当然である。

 米は日本人の生命の糧であり、稲作は日本の文化であり、水田は日本の風土そのものである。今回のポスター標語に対して、私から言わせれば「米を作らせないとはとんでもないバチアタリ」である。

 バチアタリと言えばこの他に思い当たるのは、自衛艦と漁船の衝突で、漁船が沈没して漁民2人が行方不明になった自験は、国民の命より軍事優先のバチアタリである。

 また、米兵による沖縄の少女暴行事件は、国民の人権無視、日米同盟最重視のバチアタリである。

2月7日は

2008年02月15日 00時11分56秒 | Weblog
 2月7日は小生の誕生日でもあるのだが、北方領土の日ともなっているようである。

 因みに7日は畜産農民全国協議会が主催する農水省要請行動に参加してきた。

 その北方領土の日ということもあって、農水省正面玄関前の道路を隔てた向こう側は外務省なので、北方領土返還を叫ぶ街宣車があった。それでもソ連崩壊以後は幾分静かになったような気もする。

 農水省交渉は、離農、倒産が相次ぐ北海道酪農に、さらに追い討ちをかけている飼料価格の高騰によって、何とか頑張っている酪農かも崩壊の危機に瀕しているとして、緊急支援対策をとるよう要請があった。

 また、せめて生産費を償ない、所得が確保されるだけの乳価引き上げ、価格補償を即刻実現するよう北海道酪農民からの鬼気迫る要求がされた。

 この北海道の東隣に政府が変換を要求している、歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉島のいわゆる「北方四島がある。

 元々北方四島などという言葉はなく、歯舞、色丹は北海道の一部で、日本古来の領土として即時変換が当然だと思う。

 国後、択捉は、南千島である。明治時代に、日露戦争で日本とロシアが本格的戦争を行う以前に、日露両国による千島樺太交換条約によって、日露の混住地域である南樺太を含む全サハリン(樺太)はロシアに、ロシアが領有していた北千島を含む全千島(クリル諸島)は日本へとの交換が決定した。当時強国のロシアに有利な内容とはされたが、一応は平和裏に全千島が日本の領土として確定したのである。

 その後、日露戦争や太平洋戦争で領有権が二転三転したが、やはり戦争による領土拡張は許されないし、領土不可侵という国際原則に基づいて、平和的に対話をもって解決するべきだと思う。

 だから当然全千島が、日本に帰属すべきものと私は思うのだが、外交は道理が素直に通るものでもなく、力関係もあるので、粘り強い対話を続けていくしかないと思う。

 てな事を考えていたら、こういう決着も日露(現在は日ロ)両国だけの勝手な話とも思えてきた。

 そもそも千島諸島は、日本人やロシア人が来る前に、先住民族のアイヌ人たちが住んでいたのである。そこに日本人やロシア人が後からやってきて、力づく出占有してしまっただけではないか。

 そうであるならば、千島列島はアイヌ人に返して、アイヌ共和国として独立させるべきだとも思えてきた。

 しかし、さらに遡れば、北海道をはじめ日本全土にかつてはアイヌ人が住んでいたわけである。

 ここまで突き詰めて考えてくると、パレスチナ紛争をはじめ、世界の民族紛争や国境紛争にまで思いは飛躍拡大して、そもそもどうして国家や国境があるのかということまで、疑問に思えてきた。

 ジョウ・レノンの「イマジン」や笠木透の「少年よ」などの歌では国境のない世界が歌われている。確かに国境線が描かれているのは、地図帳の上だけのことである。この地球上には、海と大地とが広がっているだけである。

 2月7日はということから、とりとめもなく思いを巡らせてきた結論は、またフォークソングが歌いたくなってきたということである。

スローフードしもつかれ

2008年02月14日 19時05分53秒 | Weblog
 いざ我がふるさとの郷土食は何かと考えてみるとそうたくさんは思い浮かばない。
 だがこの時期になると、私の大好物でもある「しもつかれ」だけは、この地域の住人ならば誰しもが、郷土の伝統食として取り上げないわけにはいかないだろう。

 名称は、「しもつかれ」、「しもつかり」、「すみつかれ」、「すみつかり」、「しみつかり」などと、地域や家庭によって微妙に違うようである。

 作られている地域は、栃木県を中心に、茨城県、群馬県、埼玉県の一部に広がっていると言われる。茨城県はせいぜい県西地域まで出、つくば市伊東は作られてはいないようである。私の祖母は栃木県小山市から嫁に、父はやはり小山市から婿にと、共に本場の栃木県からやってきたが、二人とも「すみつかり」と読んでいた。

 材料は塩鮭の頭、節分の豆まきに使用した大豆の残りを炒ったもの、霜げた大根や人参、油揚げ、酒粕など、残り物、ありあわせの物、副産物などを使用してはいるが、昔からこの時期に取り揃えられるものということを考えれば、郷土の旬の食材と言っても良いだろう。

 作り方は、塩鮭の頭を良く砕いて煮込み、柔らかくなったら、「鬼おろし」という独特のおろし金でおろした大根(多めに)や人参(少なめ)、油揚げ、酒粕を入れてさらに煮込む。

 通常は初午の前の晩に煮込んでおき、初午の日に稲荷様に赤飯と共に供える。我が家では、周絡の神社やお地蔵様にも備えてきた。

 見た目は決して良いとは言えないが、栄養的には優れ、美味である。我が家では、大なべにいっぱい煮込むので埋植食べても5日くらいはもつ。一人でどんぶり一杯位食べることもある。食べつくしたらおしまいである。次は二の午の日にまた作れば良い。

 出来たてを食べるのは邪道である。一晩おいて冷えたものを食するのが通というものである。

 具の配合割合によって味は変わってくる。醤油や塩、砂糖などの調味料はあまり入れないほうが良いと思う。塩鮭の塩分と、酒粕や野菜の甘みを基本に味を調整すると良い。私は酒粕が多めに入ったほうが好みである。しかも、地酒「武勇」の酒粕を用いると最高のものが出来上がる。

 これがまた、酒の肴に絶品である。もちろん酒は地酒「武勇」の辛口純米酒である。

 新酒の時期でもある。酒粕もまた旬なのである。良い出来野時には、身近にこんなうまいものがあったのかと、晩酌をやりながら、不覚にも感動の涙を流したこともあった。

 今年もまた、「しもつかれ」と武勇でいい気分になって、百姓フォークの弾き語りといこう。


ピアノ奏者と女性メンバー・その3

2008年02月04日 19時41分57秒 | Weblog
 女声コーラスをメインにしたヒューマンファーマーズの演奏の評判が良ければ、それによって男性メンバーによるヒューマンファーマーズ本来の演奏もまた、相乗効果によって引き立って来るというものだ。

 残念ながら私たちの周囲にはまだまだフォークソングチームは少ない。ここは一つ自分たちで多様なバージョンを楽しんでいきたいと思っている。

 ところで佐近加奈子と吉川路子のコーラスは私たちの想像以上に反応が大きかった。
 例えばある中年女性は、ファーストアルバム「菜の花が咲いたよ」に収録されていた「東の国の夢農場」を聴いて感激のあまり涙を抑え切れなかったという。この歌のできた背景を知っていたからかも知れないが、やはりフォークソングは、生活や労働の喜怒哀楽をリアルに表現することでその想いが伝わり、共感も生まれるものだと改めて感じた。

 その意味では、ここでの女声コーラスは、発声法はどうか、音楽性はどうかなどと言う前に、思いのままに感性のままに歌っているだけである。こういう百姓フォークの世界を有りのままに、ごく自然に表現できる純朴で恐れも羞恥心?も知らない女性たちもいるのだ。そして、これぞヒューマンファーマーズの女声コーラスなのである。

 また、99年9月に石岡市で開かれた茨城のうたごえ合唱発表会に、ヒューマンファーマーズが初めて女声コーラスを加えて参加した時のことである。その時の審査員をつとめた、うたごえ運動の重鎮で、「青い空は」の作曲者である大西進氏は、「東の国の夢農場」などの女声コーラスを評して、「双子の姉妹のような素晴らしいコーラスで感激の涙が出た」と絶賛?した。

 ボーイソプラノの佐近加奈子とセクシーボイスの吉川路子のデュエットが、双子の姉妹のようだとは私たちには意外な評価だったが何となく判るような気もした。

 そう言えば、セカンドアルバム「緑の風に吹かれて」に収録された歌で、やはり二人のデュエットで「この町に暮らして」を吹き込んだ時のことである。日ごろから声量が豊富で妖艶なはずの吉川路子が、声量は劣るが純真無垢?な佐近加奈子に喰われてしまって、すっかり可愛らしくなっているではないか。そこで吉川路子は言った「私、かなちゃんに同化しているの」と。本当にみっちゃんはドウカしているのだ!。

 この二人にピアノ担当の久保幸子を加えた三人の女声コーラスをヒューチャーしたレパートリーをを増やしたいところだが、三人が一同に会することが少ないので、事はなかなか思うようには行かないのである。

 ところで久保幸子もそうだったが、音楽教育を受けたピアニストは、わがチームの新曲をレッスンする場合には必ず譜面をくれと言う。それに応えて私たちが与える「フメン」は、ただ紙に歌詞の書いてある上にcとかam、g7などというコードネームが書いてあるだけという代物である。譜面を重視する「音楽家」にはこれでは演奏できないのかも知れないが、「フォークシンガー」にはこれだけで充分なのである。見て聴いて、こぴー、パロディー、そしてアドリブと、個性や創造性がものお言う世界なのである。

ちょっと訂正

2008年02月01日 18時42分38秒 | Weblog
 自らの文章を読み返してみると、さまざた、友人などから 試適を受ける場合もある。

 失明した以後に、何か原稿などを依頼さ れた時には、文章を考えながら読み上げて 、カセットテープに録音していた。現在で は、音声パソコンによる文書作成を始めている。

 まずは単純な記述ミスは後を絶たない。また、失明以前のように、資料や文献など
を紐解き参照しながら、文書を書くことが できないので、主に記憶をたどって書くことが多くなり、したがって記憶違いやあやふやな記憶のために誤りも多くなっている。だからここは率直に誤りをお詫びして訂正しておきたいと思う。

 単純な間違いでは、ヒューマンファーマーズのメンバー佐藤せいごうを砂糖せいご
うと、渡辺三智夫を渡辺美智夫などとと記載していた。旭爪あかね氏を旭つめアカネと書いたり、菜の花をなの花と書いたりすることもあった。

 ブログの「私たち抜きに私たちのことを決めないで」の中で、自立支援法への厳し
い批判に押されての緊急対策として、政府が支出した補正予算額を、1億2000万円と
したのは、1200億円の誤りであった。その他に書いた文書の中では1200億円と書いてあるのでここだけの間違いであったと思う。

 ヒューマンファーマーズ20年」の中で全国食健連の結成年を89年としたが、これも90年の誤りであった。

 「初期のヒューマンファーマーズ・その2」の中で、未曾有の大冷害の年を92年としたのは、93年の誤りであった。実はなぜ間違えたのかその原因が最近判ったのだ。

 私自身ははじめは93年と覚えていたのだが、今から5,6年前のことである。私の友人で文化人のh氏が、米の大冷害の年は92年と主張していた。それは93年の誤りであると私は思ったのだがh氏は確かに92年だと言張るのだ。

 私は納得できなかったが、その時は文献を参照して確かめることが出来なかった。そこで、ある農民団体の重鎮で博学のiしに電話して聞いたところ、やはり彼も92年
だと言う。私は腑に落ちなかったが信じるしかなかった。

 今回ブログに書いた時もその点が気にはなっていた。この度、鈴木某氏の指摘を受
けて、私は再びi氏に電話をした。「未曾有の大冷害はいつか?」と聞けば、やはり「92年ではないですか」と答えた。

 そこで今度ばかりは私もパソコンを操作できるようになっていたので、インターネ
ットを閲覧して調べたところ、未曾有の大冷害は思ったとおり93年であった。

 その後しばらく考えて謎が解けた。実は以前に文化人h氏から、農業問題について
詳しく教えて欲しいと言われた時に、それなら彼が適任だと思いi氏を紹介していた
のである。二人が揃って92年を主張する訳がこれでわかった。もちろん文責は私にあるし、確信の持てないことは記述すべきではなかった。

 その他にも多分に誤りが考えられるので、あわてずに書くと同時に、時々には見直
しをしていきたい。また、気づいた点は是非ともご指摘いただきたい。