4月4日、今日は笠木透お別れコンサートの日だ。存在感の大きい笠木透だっただけに
、寂しさが湧いてくるものと思っていたが、何故か彼がいないという実感はなく、今か
ら笠木透と雑花塾として、コンサートかレコーディングにでも臨むうような気分になっ
ていた。
過去十数年に渡って続いてきた日々が、今後は大きく変化してしまうことを、まだ自
分の心の中では受け入れていないからなのだろうか。
前日の3日は早朝に茨城を出て、午後2時40分には岐阜県中津川文化会館に到着した。
既にリハーサルが始まっていた。我夢土下座、土着民、SAM、高石ともや、凪の座
、安達元彦など、笠木透とは結びつきの強い馴染みのメンバーが、明日に思いをはせな
がら、本番さながらの音出しを進めた。
雑花塾の番では、中央に立つべき笠木透は存在せず、増田康記のリードでリハは進ん
だ。それでも笠木透は、いつものようにリハの後半から登場してくるものという雰囲気
でいた。
そして4日の午前11時頃だったか、昨日から関係者には当日券を求める電話が相次い
でいたので予測はできていたが、開場の中津川文化会館前は、開演を待ちきれない多く
の人たちで溢れていた。
900人収容のホールは満席で、100人近くが入場できないという事態に、これをうれし
い悲鳴と表現していいのかどうか複雑な思いにもなった。
本番の演奏は、田中鉦三、我夢土下座、土着民、凪の座、中津川少年少女合唱団、S
AM、安達元彦+岡田京子+鈴木たか子、高石ともや、雑花塾と続き、笠木透から友へ
のラストメッセージが朗読され、「私に人生と言えるものがあるなら」「わが大地の歌
」「これがすべての終わりとしても」のシングアウトで終焉した。
と思ったのだが、鳴りやまない拍手と歓声そしてスタンディングオベーションに応え
て、予定外のアンコール曲「小さな町」で、時間超過の4時間近いコンサートが、今度
は本当に終焉となった。
出演者の演奏は、それぞれに思い出を語りながら、笠木透作詞の歌の数々を披露した
。 その内容についてはさまざまな評価があるだろう。中には、「期待外れ」「目を覆
いたくなった」などとの批判が集中した演奏家もあった。
笠木透がもしこの場にいたなら、もっと手厳しい評価があったのかも知れない。だが
、彼はもう三途の川を渡ってしまっている。向こう岸からのメッセージでは、「歌を作
り、みんなと歌い、バカ話をした。それが私の人生でした。」「みんなと過ごした時間
が私の人生でした。有難うございました。」と語っている。
今はもう、人生を共にした全ての友人に感謝しているに違いない。そして、「たわけ
!お前ら俺をダシにバカ騒ぎをして楽しむとは、とんでもない連中だ!」と、上ずった
声で叫びながらよろこんでいるに違いない。
私の率直な感想は、手前味噌にはなるが、今の社会情勢を的確にとらえて、文化でた
たかう姿勢を最もはっきりさせていたのは雑花塾であったと思う。
集団的自衛権や九条改憲、そして原発再稼働問題などにも心を残しながら、志半ばで
倒れた笠木透に、これからも歌い続け、たたかい続けることを約束する演奏になったと
確信している。