音の向こうの景色

つらつらと思い出話をしながら、おすすめの名曲をご紹介

文部省唱歌 「冬景色」

2012-01-25 10:44:10 | オペラ・声楽
 年に数回、ソプラノさんと一緒に横浜市立の小学校へ行っている。もう6年めになる。横浜市教育プラットフォームの取り組みで、プロのアーティストが授業をするプログラムの一環だ。もともとソプラノの鈴木慶江ちゃんから、「小学校でワークショップをすることになったから、ちょっと手伝って」と声をかけてもらったのがきっかけだった。翌年からは、ソプラノの山口佳子ちゃんとも学校へ訪れるようになった。授業自体は完全に歌い手さんが行い、全体のコーディネートと、ピアノの伴奏が私の役割だ。
 NHKの番組「ようこそ先輩」をイメージしていただくとわかりやすいかもしれない。普段は教育とはまったく関係ない現場で働いている「プロ」が教室にやってきて、学校の先生とは違う形で授業をする。1人の歌い手さんが、基本的に3日間学校へ行く。最初の日は、まずコンサートの時間を設け、その後、音楽室でクラスごとに授業。2日めはさらに授業。1週間ほど空けて、3日めは全校生徒や親御さんを招いて成果発表会。主に変声期前の5年生が対象だ。
 本格的なオペラ・アリアを聴いた子どもたちの感想は面白い。大人からは決して聞かれないコメントがたくさん寄せられる。「窓が割れるかと思いました。」「防犯ベルのようでした。」「人間じゃないと思いました。」コロラトゥーラは即座に笑いを取るし、レチタティーボは怪訝な顔を生む。低学年の中には、上のB♭を超えると耳をふさいで怖がる子もいる。もしかしたら、大人には聞こえない倍音も聞こえているのでは、と私達は想像している。いずれにしても、パニエの入ったドレスにうっとりし、歌声に唖然として口を開けている子どもたちの顔が、いつも新鮮だ。
 授業に入れば、もっと面白い。準備体操をして体をほぐし、呼吸の練習、発声練習、歌の練習へと進む。5年生だったら、課題曲は教科書に載っている文部省唱歌「冬景色」。文語の歌詞の意味を説明して、みんなで情景を想像した後、日本語を大切に歌う方法を練習する。元気な子どもたちとはいえ、普段使わない筋肉と集中力を使うので、かなりの体力勝負だ。授業が終わった後に、「疲れた〜」と床に転がる子をよく見かける。
 2人のソプラノさんの授業は、それぞれ個性的で本当に素晴らしい。慶江ちゃんの授業には有無を言わせぬ勢いがあって、いつの間にかそのペースに子供たちが巻き込まれていく。初日に、参加した子どもたち全員が列になって、順番に彼女のおなかを触るというコーナーがある。歌手の呼吸を自分の手から感じた子どもたちは、「すげえ、バケモンみてーだ!」と騒いだ後、必死で真似をしようとする。彼女はひたすら子どもたちのイメージ力を引き出す。彼女の指先に集中しているうちに、いつの間にか美しい響きが広がっている。それはほとんど、宗教的な儀式のような時間だ。
 佳子ちゃんの授業は、子どもと対話をしながら進む。ひとつひとつのプロセスを子どもたちが「理解」して学ぶことに重点が置かれている。ご両親の血か、昨日まで小学校で教えていたのではないかというぐらいに慣れた様子で、初めは私が仰天した。「歌を歌うときは、○○呼吸です。さあ、何呼吸でしょう?」というくだりは、毎回、クラスが大喜利状態だ。子どもたちは、さっと手を挙げて大真面目に答える。「えら呼吸!」「皮膚呼吸!」「人工呼吸!」「過呼吸!」新しいことを覚えて挑戦する空気にあふれた教室は、最後にはのびのびとした歌声でいっぱいになる。
 お昼は子どもたちと一緒に、教室で給食だ。「今まで何回失恋しましたか」とか「好きな音符は何ですか」とか、とんでもない質問が飛び出す。せっかくの取材チャンスなので、私は「今、理科で何を習ってる?」と、まわりの子どもたち訊ねてみる。なんだ、みんな結構理科が好きなんじゃないか、と思いながら、給食を終えて立ち上がると、歌い手さんが私を探している。どうやら私は小学生に完全に紛れてしまうらしい。
 課題曲にする「冬景色」は、唱歌のコンサートではよくリクエストがかかる人気曲で、今でも教科書に残る理由がある名曲だ。恥ずかしながら、私が「冬景色」を覚えたのは大人になってからだが、このワークショップのたびに「なんてよくできた歌だろう」と感嘆する。確かに文語が難しいので、歌詞を説明する段になると、子どもたちから驚くような発言が出る。「『げに』って平安時代みたいだねー」「『それとわかじのべのさと』は…野辺が火事!」さらにそこに描かれている情景も、今の子どもたちには少々縁遠い。「麦を踏んで小麦粉をつくる」という発言が出たこともある。
 それでも、「一番大事なことは、何を歌っているのかちゃんとイメージして歌うこと」。歌手の真剣なメッセージは、子どもの心に届くようだ。子どもたちは必死になって想像力をはたらかせ、やっと意味がわかった言葉を一生懸命に唱える。はじめは暴れていた子どもが、夢中になって顔を真っ赤にして歌っている。静まり返った寒い朝、ぽかぽかとのどかな昼、嵐が来る夕方、そして暗い中に見つけた人里の灯り。子どもたちの表情に、それが見えたとき、私は思わずぐっときてしまう。歌の持つ力は、限りない。
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ヴィヴァルディ フルート協奏曲 ニ長調 「ごしきひわ」

2011-12-25 23:52:17 | 協奏曲
「私ね、N響と共演することになったの。」放課後の階段で、まーちゃんがぽそりと言った。意味がよくわからず聞き返すと、まーちゃんは少し恥ずかしそうに下を向いたまま、言葉を足して説明してくれた。「今度、学校にN響の人たちが何人か来るでしょ。コンサートがあるでしょ。そのときに、私リコーダー吹くことになったんだ。」中学3年生の秋だった。
 まーちゃんは私の小中高の同級生で、歯医者さんのお家のお嬢さんだ。家も近くて教会学校もずっと一緒だった。部活も同じだったし、卒業してからもあれこれ一緒に演奏した。世界的に有名な古楽器コレクターのパパを筆頭に、音楽大好きの一家で、今でも家族ぐるみのお付き合いをしている。子供時分、私が合奏の楽しみを覚えたのは、日曜日の彼女のお宅だ。
 まーちゃんは、小学校の頃からリコーダーを習っていた。みんなが学校でプラスチックのリコーダーをやっとこさペエペエ吹いている頃、彼女は漆黒の木のリコーダーでバロックを吹いていた。水泳が得意で、並外れた肺活量を持ち、長いフレーズもお手の物だった。プロのクラリネット奏者が彼女を見て「どうしてそんなにまっすぐ息が出せるのか」と、感嘆したという。
 そのまーちゃんが、一流のプロと舞台の上で共演する! 中3の私は、驚きと誇らしさで、目がくらむような心地がした。足取り軽く階段を上るまーちゃんを見上げながら、さっそく曲名を訊ねた。「ヴィヴァルディのごしきひわ。」ふーんと返事をしたものの、正直私は「ゴシキヒワ」とは何語なのかも、わからなかった。
 ヴィヴァルディのフルート協奏曲ニ長調「五色ひわ」。ゴシキヒワは、スズメ目のかわいい鳥だ。この協奏曲では、その鳴き声を模したフルートソロが、速いパッセージでぴよぴよと鳴く。急緩急の3楽章形式で、1楽章が始まってすぐ、ソロのカデンツァがあり、鳥は大いにその美声を披露する。このフルートパートを、リコーダーで吹くというのだ。
 しっかり者の次女のまーちゃんは、どんな大変なことでも、ぎゃあぎゃあ騒いだりせず、きちんとこなす。鑑賞行事の日、ソプラノ・リコーダーよりも小さい「ソプラニーノ・リコーダー」を持って、彼女は静かに舞台に立った。N響メンバーによる弦楽アンサンブルと音楽の先生のチェンバロをバックに、立派にソロを吹いた。礼拝堂に高く響く鳥の声。私は世界中に自分の友達を自慢したかった。
 その年の暮れ、中高部の課外クリスマス・コンサートで、再度この曲が演奏されることになった。今度伴奏を担当するのは、我々学生15人ほどの弦楽アンサンブル。ヴィオラがいなかったので、私は「第三ヴァイオリン」。シンプルな伴奏で和声が変わるのが新鮮だったし、リコーダーと弦楽器が呼応する感じも楽しかった。なにより、まーちゃんのリコーダーと一緒に演奏できることがうれしくてたまらなかった。
 コンサート会場は、とてもきれいな教会だった。白く高い天井にリコーダーの囀りが飛んでいく。緊張と熱気とまぶしさで、くらくらしそうになりながら、一心不乱にヴァイオリンを弾いた。「ゴシキヒワ」という鳥が、キリスト教絵画で「受難」を象徴するとは知らなかった。今思えば、クリスマスの教会コンサートにふさわしい曲だったのだ。
 この日のチェンバロは、まーちゃんのお姉さんの陽子ちゃんが弾いていた。美しい2楽章はヴァイオリンはお休みなので、楽器を下して、姉妹の奏でる極上の音楽をみんなで聞いた。リコーダーの澄んだ音が、のびやかに飛んでいく。バロックらしく、繰り返しの2回目はメロディーに装飾がつけられている。それがまるで光の粉のようにキラキラしていた。この世の中には、こんなにも素晴らしい瞬間があるんだな、と思った。
 友達がこれほど「誇らしい」と純粋に感じたのは、生まれて初めてだった。もし私がソロを吹くことになったら、もう嬉しくなって大声で言いふらして歩くだろう。まーちゃんにはそんな様子は微塵もなく、難しい16分音符に文句も言わず、謙虚な姿で真摯に楽器を吹いている。友達がいるだけで有難いのに、誇りに思える友達がいるって、すごいことなんだ。譜面台の隙間から、真ん中の通路に続く真紅の絨毯が見えた。一生忘れない、美しい景色だった。
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スメタナ 歌劇「売られた花嫁」 序曲

2011-11-24 00:57:37 | オペラ・声楽
 松ぼっくりの季節になると、母のことを思い出す。穏やかで、気をよく遣い、決して自分から前に出て行くようなことはない女性だったけれど、いつも屈託なく笑い、泣いた。私が大学時代に一人暮らしをするまで毎日一緒にいたのだから、素敵な出来事が沢山あったはずなのに、思い出すのはなぜかちょっと滑稽な瞬間ばかりだ。
 つけたテレビに、たまたまドラマのラストシーンが映ると、筋も知らないのにもらい泣きする母。私がちょこまかと周りをうろつくと「目が回る」と言って頭を押さえていた母。夜中、家の階段に座って考え事をしていた私を見つけて、驚いて2メートルぐらい飛び退った母。そして、松ぼっくりや、からすうりに、まったく目がなかった母。
 私が小学校に入った頃から、母は趣味でフラワーアレンジメントをやっていて、秋冬はリース作りに夢中だった。クリスマス前になると、夜な夜な居間のテーブルには新聞が広げられ、どんぐりやら、針金やら、リボンやらが散乱していた。グルーガンを片手に、毎年楽しそうに、次々とリースを作っていた。松ぼっくりも、からすうりも、リースの格好の材料であり、11月になると「収穫」のための散歩へ連れて行かれた。
 私は大学に入る際に、一般推薦の試験を受けたので、受験日は11月の末だった。1日目は英語と国語がミックスされたような試験で、2日目は面接。はじめて筑波に2泊することになった。事前にホテルを予約しようとすると、母が一緒に行きたいと言う。過保護すぎるよと笑ったのだが、どんなところか見ておきたいと言い張るので、一緒に行くことにした。私も珍しくナーバスになっていた時期だったので、内心では、ほっとしていた。
 試験前夜に筑波に着くと、母はすでに不安そうな顔をしている。「こんな大きな通りなのに、街灯がないわ。ここに住むの? 大丈夫なの?」自分は街灯のない田舎で育ったことを自慢していたくせに。母親と言うのは、本当に子供の心配をするのだなあと思いながら、ホテルへ向かった。「大丈夫、大丈夫。星がきれいでいいじゃない?」私は答えた。
 翌朝、筆記試験を終えて、近くの喫茶店で落ち合うと、驚いたことに母は非常に晴れやかな顔をしていた。「試験はどうだった?」「やれるだけのことはやったけど…。なんか、ママうれしそうだね?」「ふふふ。ダンボール2箱、拾っちゃった! そこのコンビニから家に送るわ!」
 筑波大学は南北3キロに広がる縦長のキャンパスを持ち、そこでは美しい並木だけでなく様々な種類の樹木を見ることができる。医学部付近の松林は、彼女にとって、思いもよらぬ絶好の「収穫場所」だった。私の受験が気がかりで仕方ないのを紛らわそうと散歩に出たところ、「良質の松ぼっくり」がごろごろ落ちているのを見て、無心になって拾ったらしい。台車に積まれた松ぼっくりの箱と、母の無邪気な笑顔を眺めていたら、試験の疲れが飛んで行った。
 私が大学に合格すると、母は涙を流して喜んでくれたのだが、結局私が何の勉強をしているのかはよくわからなかったらしい。今でこそ私は、「身近な人に自分の専門の話をすることこそ、最初のサイエンス・コミュニケーションですよ」なんてエラそうに言っているけれど、大学で学んだことをちゃんと母に説明したためしはなかった。おまけに、誰かに「お嬢さんは何を専攻してるんですか」と訊かれるたびに、母は手帳に書きとめた私の所属をたどたどしく読み上げていた。ついぞ、覚えられなかったらしい。
 ただ、大学に入ってから、私が音楽をますます一生懸命やっているということは、察しがついていたようだった。ある日曜日、実家で起きて居間へ行くと、母がテレビの前にさっと立ちはだかり、「まき。賭け、しよう!」と言う。母が「賭け」などと言い出したのは、あとにも先にも、このときだけだ。「これが何の曲かわかったら、1000円あげる。」いったい突然、何なんだろう? よくわからないまま、流れて来る曲を聴いた。
 おそらく「あまり取り上げられない曲」とか「珍しい曲」とかいう解説があったのだろう。マニアックな曲を私が知っているかどうか、戯れに試してみたくなったのだな。ふふん。見ると、画面のオーケストラの弦楽器群は、ものすごい勢いで弓を上下させている。この動きは、どこかで見たことがある。そうだ、たまたま前の週に大学の図書館のLDで見たオペラだ。ラストの盛り上がりを聴いて、確信した。「スメタナの売られた花嫁序曲。」
 母は目を大きく見開いて、叫んだ。「まき、すごい!! すごい!!」母は、約束通り1000円を財布から取り出して、すごいすごいと繰り返しながら、私に渡した。私は思いがけないお小遣いをもらいながら、最近聞いたばかりの曲で良かった…と胸をなでおろしていた。「まき、よく知ってるのねえ〜!」突拍子もない出来事だったが、母が純粋に私を褒めてくれたことが、なぜか純粋にうれしかった。
 実際は、「売られた花嫁」の序曲はそんなにマイナーでもなく、「序曲名曲集」には入っている。確かに、オペラ自体は日本ではなかなか上演されないが、筋も単純でハッピーエンドだし、音楽も明るくてわかりやすい。古典的な音楽技法で書かれているけれども、なんとなくボヘミアンなメロディーが出てきて、とても親しみやすい作品だ。
 私は勢いのあるこの序曲が大好きで、ときどき口ずさむのだが、冒頭部分はいつも友人たちに「それ、寅さんのテーマに聞こえる」と言われるので、なるべく第二主題のところを歌うことにしている。とにかく、聴くと、すかーっとする一曲だ。そして、屈託なく笑う母の笑顔を思い出す。
 心の底から楽しみ、泣き、びっくりする。誰かのことを、掛け値なしに「すごい!」と讃嘆する。思い切り拍手する。そんな当たり前のことを、うっかり忘れそうになったら、私はこの曲を聴く。誰かを褒めるなら、心から褒めよう。本気で褒めよう。すごいと思ったら、ちゃんと「すごい」と言おう。こんな小さな出来事でさえ、10数年経っても、私の心に灯をともしてくれるのだから。
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サン=サーンス 「サムソンとデリラ」より 「あなたの声に私の心は開く」

2011-10-28 15:43:48 | オペラ・声楽
 サン=サーンスのオペラ「サムソンとデリラ」。私の周りの音楽家たちはみな、略して「サムデリ」と呼ぶ。全幕で上演される機会は少ないが、アリアやバレエ音楽の「バッカナール」がよく取り出されて演奏されている。2幕にデリラのアリアが2つあり、「好きなオペラアリアは」と訊かれたら、私は必ずこの2曲を上位に入れる。そして「生まれ変わったら、メゾ・ソプラノになって、この役を歌う」と、よく冗談で言っている。
 「あなたの声に私の心は花開く」のアリアのほうは、一度聴いたら忘れられない美しいメロディーで、歌われる機会も多い。先日、小さなコンサートで、この曲を歌うアマチュア声楽家さんの伴奏をさせていただいた。弦楽器のささやくような十六分音符は、とてもピアノでは弾けないのだが、やっぱり素晴らしい曲だ。何度もうっとりした。
 「サムソンとデリラ」の元ネタは、旧約聖書の士師記に出てくる、ほんの数ページのエピソードだ。中学のとき、朝の礼拝でちらっと聞いた記憶がある。聖書って、意外と面白い話が出てくるんだなと思った。というのも、ミッションスクールの小中高でも、その間通っていた日曜の教会でも、聖書に出てくるラブシーンや猥褻な部分は、まったく取り上げられなかったからである。旧約聖書を題材にした映画を見せられるときも、「そういうシーン」は早送りだった。
 おそらく学校の先生も、解説しにくいところは飛ばしていたのだろうと思う。実際、子供には理解できない部分も多い。確か小3のクラス礼拝で、長い時間をかけてヨセフの生涯を追っていたが、彼がなぜ牢獄に入れられたのかはブラックボックスのままだった。ロトの娘たちやバト・シェバのエピソードにも、ほとんど触れられたことはない。中2のころ「雅歌がすごい」という噂がクラスに広まり、朝の礼拝の間、説教を聞かずに必死になって読んだことがあったぐらいだ。
 そこで、礼拝で取り上げられたデリラのくだりは非常に鮮烈だった。確かに、サムソンは英雄なのに女に弱すぎるとか、ペリシテ人はなぜ彼の髪の毛を切り続けなかったのかとか、いわゆる「ツッコミどころ」は満載だ。しかし、あんな壮大で美しいオペラにされたら、もう文句は言えない。メロディーメーカーのサン=サーンスが、全幕飽きない音楽をつけてしまった。
 アリア「あなたの声に私の心は花開く」は、敵方のサムソンをたらし込んで、なんとか秘密を吐かせようとするデリラの「必殺お色気大作戦」の勝負どころである。アリア後半で、管楽器が次々と半音で降りてくる背景は、肌を撫でるデリラの指のようでもあり、堕ちていくサムソンの頭の中を表しているようでもあり、ぞくぞくする。そしてデリラの歌う旋律は、この上なく色っぽい。
 カルメンがホセを誘惑する「セギディーリア」でも、途中で「たまらなくなってしまった」ホセが声を上げるが、このデリラのアリアでも、陥落したサムソンが「Je t’aime.(愛している)」と叫ぶ。私は別に誰かをたぶらかしたいわけではないが、このサムソンの叫びを聞くと、何とも言えない勝利感を覚えてしまう。これは女性に共通の感情なのだろうか。
 ところで、我が家では10年以上前から様々な「読書会」を開いている。テキストに戯曲を使う読書会がもっとも楽しい。みな初見で、棒読みで良いので、集まった仲間に役を割り振って読んでいく。ギリシャ悲劇、ラシーヌ、モリエール、シェイクスピア、ホフマンスタール、コクトー、歌舞伎など、色々と読んできたが、私が常々感じているのは「悪い役ほど、読むのが快感だ」ということだ。普段絶対言えない(言わない)ことを口に出すとは、なんと爽快なことか。意地悪くほくそ笑む台詞を読むときの、なんと愉快なことか。
 出版業界で長いことキャリアウーマンをしてこられた、クールで頭脳明晰な石田女史は、エウリピデスの「メディア」のメディア役を読んだとき、「なにかが、私の中で目覚めた。」と、それまで見たこともないような笑顔を浮かべておられた。実は、悪い役の中でも「悪女」を読むのは、この上ない快感である。カマトトぶったり、気取って意地悪を言ったり、上から目線で罵倒したり。自分にはない部分に、惹かれるのだろうか。それとも、女性には必ず「悪女」の要素があるのだろうか。
 同じように、デリラのアリアも、聴くと独特の快感がわいてくる。色気で迫るデリラの歌に、いつの間にか入り込んでしまう。思わず身を捩ってしまう。サムソンの美しい対旋律が入ってくると、思わずニヤリとしてしまう。
 女性陣のみなさん。きっとあなたの中にも、私の中にも、デリラが眠っている。もちろん、起きている人もいるだろうけれど。
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シューベルト 「主はわが飼い主」Gott ist mein Hirt

2011-09-21 00:19:45 | 宗教曲
 昨日、日本詩の読書会で島崎藤村の詩鈔を読んだ。有名な「初恋」を久しぶりに声に出して読みながら、中3の国語の授業を思い出していた。そして当時、音楽の授業で歌っていたシューベルトの「主はわが飼い主」を懐かしく思い出して、今、CDを聞いている。
 先日企画した中高の同窓会に、高1のときの担任・寺澤先生がいらしてくださった。私は中学3年から高校3年まで、先生に国語と古文を教わり、漢文の最初の手ほどきもしていただいた。「文語の美しさ」に気づかせてくださった、恩師である。藤村の「初恋」が登場したのも、寺澤先生の授業だった。
 教科書に載っていたこの詩は、中3の私にとっては、竹取物語と大差ない「古いことば」であり、語句と文法の解説を聞いてやっと理解できるような世界だった。しかし、とびきり素敵な宿題が出た。それは「意訳と想像をまじえた作文」と書かれた1枚のプリントで、第一連のところに先生の書いた例文があった。私は、やっといくつかの単語がのみこめた程度なのにもかかわらず、とにかくできる限り想像をふくらませて、紙を真っ黒にして提出した。想像というよりむしろ、妄想と呼べるほどの文章だった。
 次の授業で、いくつかの作文が紹介された。先生は書き手の名前を一切出さずに、淡々と読んで下さった。私の書いたものが読まれると、その微に入り細を穿つ内容に、クラスメイトは「誰だよ、これ書いたの…?」と苦笑する。私は最後まですっとぼけていたが、一緒に同人誌を作っていた仲間たちは「あれはぜったい牧菜だと確信した」らしい。いずれにしても、文語の響きとニュアンスを自分なりに感じ取り、好きなだけ想像力を羽ばたかせて良いのだと、その日私は気づいた。
 ところで、現代の日本の子供達が最初に接する文語は、おそらく文部省唱歌ではないかと思う。私にとっては、学校や教会で歌う讃美歌だった。小学生用の讃美歌集にも、いくつか有名な「大人の」讃美歌が入っており、これが基本的に文語体だった。説教中に取り上げられるなどの理由がない限り、解説は一切なしだ。まったく訳もわからないまま歌っていた。
 「などかはおろさぬ おえるおもにを」「おのがさちを いわわずや」「あめよりくべしと たれかはしる」「いましきます あまつきみ」「いそぐひあしは やよりもとし」ひらがなだと、まるで何かの呪文のようだ。さらに、西洋音楽のメロディーの「音符一つに、文字一つ」が割り当てられているので、語句の切れ目すらわからない。高校生になっても、朝の礼拝で「われはげにも幸なるかな」の「は」を、何も考えずに皆で「ハ」と発音して歌っていた。
 それが、時間の経過とともに、少しずつ意味がわかってくる。大人になってから、ある日突然意味がわかって、はっとしたこともたくさんある。「よびとこぞりて しゅをばなみし」とは、いったい何を意味していたのか、ある朝はたと気づく。語句の意味がわかるようになっただけではなく、文全体の意味が理解できるようになったからだ。そして、文語体の力強さに、思わずうなる。だから、子供時分に難しいものをそのまま投げ与えられて、それを鵜呑みにして、良かったのだと思うのだ。長い時間を経て「了解した」この瞬間が、本当に貴重なのだから。
 ちょうど授業で「初恋」を教わっていた中3のとき、音楽の授業で練習していたのは、シューベルトの「主はわが飼い主」だった。女声四部の合唱曲で、文語体の日本語訳詩がついていた。4人ずつでテストまで受けた記憶があるが、授業で与えられた曲として大した感慨もなく歌っていたはずだ。いったいこの難しい曲を少しでも歌えたのか、かなりあやしい。当時使っていた譜面をひっぱり出してきて、CDを聴いてみた。
 歌詞の内容は、有名な詩編23篇の「主はわが牧者」。全体的に平和で、たえずやさしい3連符が流れている。シューベルトお得意の自然な転調が繰り返される。「たとひわれ死のかげの谷をあゆむとも」の部分の半音進行は秀逸だ。フレーズが長くて、中3の私ではとても息が持たなかったらしく、当時の楽譜にはあちこちに括弧つきのブレス記号が書き込まれている。しかし、こんなに繊細で、美しい名曲だったのか、と今更になって気づく。なぜこの曲が教材に選ばれたのか、やっと今「了解した」。
 そういえば、高1のころ、遅刻ぎりぎりで教室に滑り込んで、げほげほ咳き込み、ぜえぜえ言う胸を押さえていると、寺澤先生がゆっくりと歩いていらして、よくおっしゃった。「牧菜、ロウガイか?」私は「15歳に向かって老害とはなんだ」と内心思っていた。労咳という言葉を知ったのは、最近のことだ。
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ドビュッシー ピアノ三重奏曲

2011-08-24 15:09:00 | 室内楽
 来月頭に、中高の学年同窓会を企画した。卒業して16年。たいして昔のようには思えない。会えばきっと、昨日まで学校で一緒だったかのように話し出すだろう。私の中高時代は、音楽に彩られていた。そして「多くの音符が、多くの友情にともなわれて」いた。
 思い返してみると、本当にいい先生に恵まれ、いい友達に恵まれ、いい先輩後輩に恵まれていた。私はとにかく学校が大好きで、生徒会やら部活で大騒ぎしながら、校舎を駆け回っていた。かわいらしい悪戯もしたし、陰湿な先生イジメもやった。勉強もしたし、早弁もした。教科書のかげでおにぎりを食べる私の姿を覚えているというクラスメイトもいる。
 高校生になってからは、授業中に内職をしていないことは滅多になかった。いつも机の上にノートが2つ。教科のノートの脇に、何でも書き込む小さな「ネタ帳」か、創作用の白紙のノート。ウォークマンのイヤホンを、セーターの内側から袖口へ通して、手で隠しながら耳に当て、採譜をしていたこともあった。縦書きの国語ノートに合わせて、五線を縦に置いて音符を埋めていた。
 それにしても、よく書いた。文章を書くこと、文字をつづることが、私の思春期の大きな部分を占めていた。仲間と舞台を作る部活と同じくらい、ひとりペンを持つ時間や、ワープロに向かう時間が大事だった。おそらく、それが、青年になるための準備だったのだろう。自分の中の混沌を外に出したいという情熱というよりも、自分の手でどんなことができるのか試してみたいという「練習」だった。
 とはいえ実際は、文章の訓練とはとても言えないミーハーなもので、大きな作品などとても書けなかった。飛鳥涼さんの真似をして詩を書き、谷山浩子さんの歌に寄せて童話を作り、国語の教科書に出てきた散文詩を真似して散文を書いた。かっこいい句を思いつけば、メモをした。よく席が隣になった麻里ちゃんには、授業中にこっそり「お題」を出してもらって、チャイムが鳴るまでに詩を完成させるという遊びをやっていた。
 自分が書いたものはあまりに稚拙で、今では読み返すのも恥ずかしいのだが、周りにはつねに作品を生み続ける素晴らしい同級生たちがいた。彼らの同人誌作りにまぜてもらって、4年間ぐらい毎月必ず、1枚なり2枚なりの原稿を出した。「〆切」という言葉を使うのが、一種のステータスのような気がしていた。私の思春期の精神的な歩みをつねに支えてくれたのは、ものを書く仲間、絵を描く仲間、創作をする仲間たちだった。
 中でも、桜子は中高6年間を通して助けてくれた親友であり、一生の恩人である。中1のときから文才に長けていて、中身はかなり大人だった。私の考えや書いたものを、いつも笑顔で受け取ってくれて、おかしなところをそっと指摘してくれた。六本木の大通りで、自由が丘から田園調布へ向かう静かな道で、「愛とは何ぞや」と、何度も何度も議論した。
 彼女の書くものは、あたたかく、やさしく、切なかった。素直になること、愛するものを一生懸命愛すること、大事なものを守ること。単純だけれど、なかなかできないことを、作品を通してそっと教えてくれた。ああでもないこうでもないと悩む私に、「大丈夫、どんな選択でも、間違ってないよ」と、繰り返し言ってくれた。彼女は今でも小説を書いていて、街の書店で目にすることができる。彼女の「習作」時代を共に過ごしたことが、私の自慢である。
 大作曲家といわれる人たちにも、習作の時代がある。リヒャルト・シュトラウスの初期の室内楽など、びっくりするほどにシンプルで古典的だ。ドビュッシーのピアノ三重奏曲も、とても若々しくロマンチックで、言われなければドビュッシーだとはわからないかもしれない。しかし私はこの曲がとても好きだ。
 18歳のドビュッシーが、フォン・メック夫人の家族の音楽教師として雇われてヨーロッパを旅した夏に書かれた作品らしい。楽譜が100年間も埋もれていたので、幻の名曲とでも言えるだろう。全体的にさわやかで、特に1楽章は何度演奏しても「なんと気持ちの良い曲だろう」と思う。ところどころに、のちのドビュッシーを予感させるフレーズが現れる。そして私がとても好きなのは、この曲に付いている献辞の言葉だ。
 「多くの音符が、多くの友情にともなわれています。」経済的に、精神的に、もしくは技術的に、誰かに支えられてドビュッシーはこの作品を書いたのだと思う。それぞれの楽章で、のびのびと自分の力を試している感じがする。「友情」は避暑地での音楽仲間を意味するのかもしれないが、もしかしたら彼にも「間違ってないよ」と言ってくれる人間がいたのではないかと、勝手に想像する。はなはだ恣意的な解釈だが、「よかったね、ドビュッシー」と言いたくなるのだ。
 残念ながら私の「習作」は、習作止まりでまったくモノにならなかったが、友情にともなわれた試行錯誤の日々の思い出は、決してなくなることはない。このピアノ三重奏曲を聞きながら、夏の風を感じる。奔放だったけれど、間違ってはいなかったんじゃないかな。
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プーランク 「バナリテ」より「パリへの旅」

2011-07-15 00:24:43 | オペラ・声楽
 7月14日なので、パリの話。BGMは、プーランクの「バナリテ」の中の「パリへの旅」。短い旅行で何度かパリを訪れたが、大学院時代、ユネスコで行われる国際会議にかこつけて行ったときの印象が一番強い。空き時間に街を歩いては迷い、地下鉄に乗っては迷い、ついでに人生のあれこれに悩んで迷っていた。それから、尊敬する先生とゴハンをした。エッフェル塔が輝いていた。
 大学院の5年間で得たものは、研究成果でも学位でもなかったと思う。「どこへ行っても、取って食われるわけでなし」と思える厚顔さを身につけたことと、素敵な出会いの数々が、何よりの収穫だった。私自身は当初の予定通り、アカデミーには残らなかったが、様々な国の素晴らしい研究者と出会えたことは、宝物のような経験だった。
 中でも私が最も尊敬しているのは、京大のI教授である。むしろ、私は先生の単なるファンである。京大でポスドクをしていたときの研究室の同僚に言わせると、I先生の前では、私は「ぽわ〜ん」として、床から3センチぐらい浮いているらしい。ハンサムで物腰柔らかで、気さくな先生で、市民向けの講演会などの後は、必ず女性ファンができる。
 日本の生命倫理界ではとても有名な先生なのだが、実は私が最初にI先生のお名前を知ったのは、オランダの友人バート宅だった。バートはオランダの厚生省のお役人さんで、安楽死法案に関わった法律家だ。バートが貸してくれたアルバムをめくっていると、素敵な日本人家族の写真が貼ってあった。「これは?」私が尋ねると、彼は驚いて答えた。「I教授知らないの? もぐり?」私は苦笑して舌を出した。バートとI教授は、ユネスコの委員会で議長、副議長をつとめた「戦友」だった。
 その直後、ロンドンの学会で実際にI先生にお目にかかった。各国の法律家やお役人さんたちと、流暢な英語でやり取りする姿は、絵に描いたような国際人。観光気分で遊びに来ているような小娘の私にも、それは親切で、まさに紳士だった。日本の規制についての彼の考えを、私でもわかるようなやさしい言葉で説明して下さる。さらにはフランス大使館の人々が絶賛するほどの美しいフランス語。たちまち、ぽわ〜んとしてしまった。
 そこで昼休みに、学会会場の中庭でランチをしている先生を見つけ、早速、一緒に写真を撮ってくださいとお願いした。必死にお洒落して巻いたスカーフが風になびいて、私はなんだか勝手に社交界にデビューしたような気分だった。しかし、いつものことだが、私は気取ると何かが起こる。I先生の横でしゃなりと斜めに座って、カメラに向かって笑顔を作っていると、向こうからインド人教授のシャーマ先生が私を呼びながらやってきた。
 シャーマ先生は、学会のために毎年日本に来られていた先生で、毎回お土産を買ってきて下さったり、本を下さったり、なぜかとてもかわいがってくださった。私が当時使っていたメールアドレスの「MAKINCHO」(小学生のとき、誰かにこう呼ばれたことがあった)という部分がお気に召したようで、いつも私のことを「MAKINCHO」と親しみを込めて呼んでくださった。本人は「まきんちょ」と言っておられるつもりなのだが、何度直してもKとCHが入れ替わってしまう。それも最初のMAはあまり発音せず、CHにかなりアクセントが付いている(アルファベットを並べ替えてご想像下さい)。
 シャーマ先生は、例によってそれを大声で叫びながら、にこにこ手を振って近づいていらした。周りにいた数人の日本人は、ぎょっとして、呼ばれた私のほうに注目する。カメラを構えていた同級生のフミは、顔を真っ赤にして、慌てた。「シャーマ先生、それ、違います。それは、あの、大きな声で叫ばないでください…それは、あの、あまりよろしくないんです。」I先生は、シャーマ先生と私の顔を見比べて「どういうご関係ですか?」と言わんばかりに目を見張っている。穴があったら入りたかった。
 そんな恥ずかしい初対面の日だったが、I先生はどこでお会いしても親切に話してくださった。先生が委員を務める内閣府の委員会を傍聴に行って、「先生ぇー」と手を振ると、にっこり笑ってくださる。学会発表で上手に質問に答えられず落ち込んでいると、こうすればよかったんだよ、と助言してくださる。そして、パリの国際会議でお会いしたときには、なんと私の悩み相談に付き合うために、夕飯に連れて行って下さった。
 エッフェル塔の近くの小さな中華料理屋さん。先生がパリ時代に日本食が恋しくなると通ったというお店だった。重たいクリームソースに辟易していた私は、遠慮なく鶏ガラスープをすすった。学生時代の話、研究のこと、お仕事のことをたくさん伺って、お店を出ると、日が沈んだばかりの宵の空に、エッフェル塔と月が絵のように並んでいた。見上げながら、先生と握手をした。
 羽のように軽くなった気持ちで、プーランクの「パリへの旅」を口ずさみながら、ホテルへ帰った。なかばスキップを踏みそうになりながら、パリの街の中で思った。I先生は「ひらがなで話せる」のだ。かみくだいて話すとか、わかりやすく説明するというよりも、穏やかに話す。門外漢の私でもわかるような、やさしい印象で話す。あれが、一流の人の「優雅さ」なんだな。よーし、私もいつかは。
 しかしいまだ私は「パリへの旅」を口ずさんで踊り出すようなお気楽さである。でも、きっといつかは。
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Burke/Van Heusen It could happen to you

2011-06-26 23:48:55 | その他
 私がこの数年、最も影響を受けている音楽家、ジャズ・ピアニストのユキ・アリマサ氏。作・編曲家としても活躍しながら、大学で教えておられる。私の高校生時代最後の夢だったバークリー音大でも教鞭を取っておられた。音楽家という以前に、とにかく人間として素晴らしい方で、お会いするたびに何かを与えられる。そのピアノを聴くと、なんだか少し、若返る。
 最初に彼のピアノを聴いたのは、3年前の夏。小学校の音楽室だった。何気なく指を慣らし始めた音を聞いて、思わず目を見張ってしまった。音楽室のピアノとは思えない。「この人は、音がきれいだ!」ジャズ・ピアニストの音は「痛い」という私の勝手な思い込みをあっさりと覆して、ピアノが鈴のように鳴っていた。
 横浜市には、芸術家を学校に派遣するという面白い教育プログラムがあり、音楽・演劇・美術などの分野で様々なワークショップが行われている。私は06年度から、小学校での「声楽」ワークショップのコーディネーターをしている。プログラム全体の報告書の中にアリマサ氏のワークショップを見つけ、「興味がある!」と事務局に言い出したのがきっかけで、08年度から氏のワークショップも担当させてもらえることになった。
 音楽室に並んだ4年生や5年生を前に、まったく自然体のアリマサ氏。「ジャズってどんな音楽だと思った?」子どもがどんな突飛なことを言っても、上手に受け止める。騒ぐ子に対しても、引っ込み思案の子に対しても、ごく普通にコミュニケーションを取っていく。「音楽の感じ方に間違いはないからね、何でも言っていいよ。どんなふうに感じた?」
 教科書に載っている歌は、様々なリズムで演奏され、がらりと姿を変える。「ふるさと」がサンバ風になって、大盛り上がりしたりする。子どもの出した「お題」で、即興の音楽が次々と生まれる。「グリーン・グリーン」に涙が出るほどかっこいいコードがつけられたりすると、和音至上主義の気のある私はくらくらっとしてしまうのだが、たぶんそれは最重要ポイントではない。リズムを感じて、子どもたちの歌が自然にスイングしていることのほうが、素敵なのだ。
 クラスの様子に合わせて、毎回授業の中身は違うのだが、音楽の「本質」が、プロならではの方法で伝えられる。アンサンブルの極意も、シンプルな言葉で何気なく伝えられる。私は教室の後ろで記録用の写真を撮りながら、しばしば、「人生の真理」に出逢って、はっとする。それは特に、「自由」の問題だ。
 氏のワークショップの醍醐味は、子どもたちがアドリブに挑戦するところだ。「何をやってもいいから、音を出してごらん。」ふと考えてみると、私だって今までこんなことを言われたことはない。楽譜に書いてない、何も決まっていない、自由にやっていい。子どもたちは戸惑いながらも、木琴をちょっと叩いてみる。アリマサ氏はにこにこしながら、待っている。どうやら何をやっても大丈夫そうだと感じた小さなミュージシャンたちは、勇気を出して少しずつマレットを動かし始める。それは、大きな一歩だ。
 ワークショップだけでは飽き足らず、私はときどきアリマサ氏のライブに出かけるようになった。クリアで清潔な打鍵。上質で、少し複雑な、色彩のある音組織。何をしているのかわかりやすい一方、全部さらけ出さない色気がある。お客に媚を売らないところはアーティストに違いないのだが、聴き手に呼吸を許す、さりげないやさしさがある。
 聴いていると、なんだか気分が、解放される。ライブに連れて行った友人のOは、「一歩自由、もう一歩自由、そしてもう一歩、もう一歩…って感じ。」と表現していた。想像するに、氏もアドリブをするために「意識して」自由でいるのではないだろうか。やる側も自由、聴いて感じる側も自由。それを与え合うような感じがする。
 実は私が氏から学んだ最も大きなことは、他人との距離感だ。相手の自由を許すということは、ある程度自分の手から離すということでもある。「やってごらん、それは君の自由なんだ」と言うときには、「自分はそれに関与しないで待っている」というスタンスが必要だ。それはやさしさでもあり、強さでもある。
 自由にやる側も勇気がいるが、やらせる側にも度量がいる。突き放すのではなくて、相手に任せてそっと手放す。そういえば、アリマサ氏の奥様とお会いしたとき、奥様も氏に自由を与えているのだなと感じた。親子でも、恋人でも、友達でも、上手に自由を与え合う関係でいられたら、どんなに素敵だろう。
 先日聴きに行ったライブの最後は、スタンダードナンバーの「It could happen to you」だった。この曲、ワークショップ中に「ジャズってこういう音楽だよ」という紹介で演奏されたのを聞いて、いい曲だなと思った。そのとき、一人の子どもが、「ジャズって、なんかヘン!」と言った。「いいよ、それもいい感想だよ!」私もつられてにっこり笑った。
 アリマサ氏のピアノを聴くと、若返る。「まるで温泉につかったおばちゃんみたいですね」と、氏は笑うけれど。
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マクダウェル「森のスケッチ」より 「野ばらに寄す」

2011-05-22 23:41:32 | ピアノ
 先日、数年ぶりに「ピアノの発表会」に出た。毎年、この気持ちの良い季節に開催される「わかば会」。数えてみたら、もう20回以上も参加している。私が小学校1年から大学までずっとお世話になった茂木恵先生の生徒の発表会だ。私はもう長いことレッスンに伺っていない怪しからん生徒なのだが、有難いことに発表会には混ぜていただいている。
 はじめてお会いして以来もう30年近く経つが、茂木先生はついぞ怒ったことがない。声を荒げるようなこともないし、責める口調になったことすらない。私がまったく練習しないでレッスンに行っても、生意気言ってへらへらしていても、とんでもなく難しい曲を弾きたいと言い出しても、いつもおだやかに見ていてくださった。私がこうしてピアノを弾き続けられたのは、間違いなく茂木先生のおかげである。
 そんな優しい先生の催される発表会なので、雰囲気はいたって和やかだ。幼稚園生から大人まで演奏が終わると、いつも変わらず明るい写真屋さんが集合写真を撮ってくれる。「背の小さいおともだちから並んでください〜」と声がかかると、チビの私は毎年、先へ行けと皆につつかれる。女の子たちのエナメルの靴や、折り返しにレースがついた白い靴下を眺めていると、写真の中の自分だけが勝手に歳を取っていくような、不思議な感覚になる。
 今年の発表会では、アメリカの作曲家マクダウェルの「野ばらに寄す」を弾いた。「森のスケッチ」という組曲に入っている小さな作品で、むかしから大好きだった。散策中に見つけた小さな野ばらを、そっと愛でるような曲だ。普通の人なら目を留めずに通り過ぎてしまうような風景を、繊細な感性で見つめている。素朴なメロディーなのに、とても繊細な和声がついている。初級者でも弾ける音の量だが、子供時分にはなんだか少し大人っぽい感じがしたものだ。真ん中のペダル(サスティンペダル)を使わないと音が濁るので難しく、いつか弾いてみたいと思っていた憧れの一曲だった。
 発表会というのは、子供にとって重要な「情報収集の場」ではないだろうか。普段、先生と一対一でレッスンをしていると、他の生徒が何を弾いているのか、どんな上手な先輩や後輩がいるのか、知る機会はなかなかない。私にとっては、お姉さんたちが弾く「かっこいい曲」を知るチャンスでもあった。そして、プロのピアニストが弾く、いわゆる「ピアノ名曲選」のCDにはないような、「発表会の定番曲」を知るチャンスでもある。
 オースティン「お人形の夢と目覚め」、ランゲ「花の歌」、デュランの「ワルツ」、ギロックの「ワルツエチュード」、中田喜直の「エチュードアレグロ」・・・。どれも舞台の上でキラキラ輝く。今でこそ完全に定番になったが、平吉毅州の「チューリップのラインダンス」を初めて聞いたときには、子供が弾くのになんてオシャレな曲だろうと、衝撃を受けたものだった。ピアノを習ったことのある方は、きっと懐かしく思い出す一曲があるのではないだろうか。私もあれを弾いてみたい、と思った日のことを覚えているだろうか。
 本で伝記を読むような偉人もいい。テレビで見る美しい女優さんもいい。でも、「いいな」と思ってすぐ真似したくなるのは、割と身近な人ではないかと思う。手が届きそうな目標、あと少し経ったら自分もできるかもしれないという具体的なお手本。子供のときは、年の離れた大人よりも、少し年上のお兄さん・お姉さんの姿に憧れることが多かったような気がする。私の周りには、アマチュアの演奏に触発されて楽器を習い始める大人がたくさんいる。ちょっと先を行く人を見て、「あ、私もやってみよう」と思うのだ。
 発表会の帰り道、舞台で弾かせていただいた幸せな気持ちの中、ふと思った。改めて周りを見てみると、「あ、いいな」と真似したくなるような素敵な何かを持った人が、身近にたくさんいる。楽器が弾けるとか、外国語ができるとか、はっきりした技術でなくてもいい。いつも自分に似合う洋服を着ているとか、やさしい物腰で話すとか、自分もやってみたいなと思うような美点を持った人が、たくさんいる。普段は何も考えずにお付き合いしているけれど、具体的なお手本はいくらでもいるものだ。
 自分も誰かに「あ、いいな、真似してやってみよう」と思ってもらえるようなところがあるだろうか。大人になって、趣味でも思い切り音楽が楽しめるんだという見本に、ちゃんとなっているだろうか。まだまだだな。静かにマクダウェルを口ずさんで帰った。
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グリンカ 「ルスランとリュドミラ」序曲

2011-04-17 03:10:33 | オペラ・声楽

 街のあちこちで新しいカバンがまぶしい、4月。私にとって最も環境変化の大きかった4月は、大学に入ったときだ。初めての一人暮らし、初めての共学、初めて住む東京以外の場所。知り合いは一人もいない。知っているお店も一軒もない。でもまあ、なんとかなるだろう。まるで他人の引越しを手伝うような気持ちで、リアカーを引いた。
 入居したのは、大学の宿舎だった。学生宿舎と言っても、普通のアパートのような造りで、基本的には個人の暮らしが確保されていた。台所とランドリーとトイレは共同で各階にあり、夜さっさと閉まってしまう風呂や食堂などは別棟にあった。カビ臭い部屋には、小さな洗面台と、鉄パイプのベッドと事務用机とロッカーがあり、灰色の独房然としていた。それでも、自分の城には違いなかった。家賃、月1万3百円也。
 人間の適応能力というものは、なかなか高いものだ。部屋中に現われるダンゴムシにも、勉強中のノートを平気で横切っていくアリにも、あっという間に慣れてしまった。はじめは夜中のトイレでムカデに会うと、すごすごと部屋に戻ったりしていたが、そのうち気にならなくなってしまった。体育専門の元気なお姉さんたちに気圧されながら大きなお風呂に入るのも、楽しかった。天井の水漏れも水道管からの異臭も、「生活上の問題を自分で解決する」という冒険心をくすぐった。
 ところで、大学入学前に、先輩の作った「生物学類マニュアル」なるものが送られてきていた。宿舎に関する説明には、こんな文章が載っていた。「昔の生物学者は『箱の中に汚れたシャツと小麦を入れ放置すると、ネズミが発生した』と言った。宿舎では『三角コーナーの中に野菜屑と食べ残した物を入れ、五日でショウジョウバエが発生した。』自然発生説を信じた、いにしえの生物学者の気持ちになれるのである。」これほど私の不安を煽った情報はなかった。
 そこで、共同台所へのデビューは少々躊躇われた。しかし、そうそう外食ばかりしているわけにもいかないので、私も料理を始めることにした。台所は狭いので、自分の部屋で材料を切ってフライパンや鍋に入れて、廊下を歩いて行く。私の作ったほぼインスタントの麻婆豆腐と、ご近所のよりちゃんの味噌汁をバーター取引した。悪くない。ところが、台所の清潔さ以前に問題があった。
 実はそれまで私は、ほとんど料理をしたことがなかった。リンゴは剥けた、ケーキは焼けたが、お米は炊いたことがなかった。母が台所に立っている間、まともに手伝いなどしたことがなかった。仕方ない。今まで食べてきたものを思い出して、やってみるしかない。レシピを見ようという発想すらなかった。
 自炊を始めてまもなく、ほうれん草のソテーを食べようと思い立った。できあがったものは、よく洗っていないために泥臭く、ちゃんと切らなかったために麺のように長く、やたらと水っぽい「緑色の何か」だった。ずるずると音を立てて、劇的にマズいほうれん草を1把すすりながら、母のありがたみを、初めて心の底から感じた。
 宿舎には、月に2、3度「シーツ交換日」というのがあり、交換所に持って行くと枕カバーやシーツを洗濯済みのものにしてくれた。ある晴れた日、シーツを抱えて行って、交換所のおばちゃんと立ち話をした。私が辛気臭い顔をしていたのか、おばちゃんは、からっと言った。「闘うっきゃないのよ!」いい笑顔だった。それは、決して悲壮な叫びではなく、現実がどんなであろうと、とにかく前へ進めという、明るい励ましだった。
 あのおばちゃんのことを思い出すと、なぜか私の頭の中には「ルスランとリュドミラ」の序曲が聴こえてくる。クラリネット吹きの麻衣ちゃんは、確か小学校の掃除の時間のBGMがこの曲だったと言っていた。かなり激しいお掃除だったんじゃないかと想像する。オペラは滅多に上演されないのに、この序曲だけは人気がある。弾けもしないのに一度だけアマオケに混ぜてもらったとき、私はこの曲の持つ力に、妙に納得した。有無を言わさぬ前進力のある曲だ。ヴァイオリンが弾けようが弾けまいが、とにかく前へ前へ進んで行く。それが心地良いのだ。
 生活は進んで行く。どんなところで始めた生活でも。どんな状況であっても。たとえ料理がヘタクソでも。「闘うっきゃない」。だったら、「ルスラン」の序曲のように、意気揚々と進みたい。
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空がこんなに青いとは/ともだちはいいもんだ

2011-03-22 00:27:15 | その他
 地震の被害に遭われた方へ、心からのお見舞いを申し上げます。少しでもあたたかい場所がありますようにお祈りしております。

 先週は、仲良しの歌い手さんが、地震で自宅が一時的に使えなくなって我が家に滞在していました。ニュースを見ていたら、2人でいてもたってもいられない気持ちになりました。そこで、急に思いついて、録音をしてみました。

 今、「本当にそうだな」と思う詩。岩谷時子さんの素晴らしい詩につけられた2曲です。この詩が届けばと思い、youtubeにアップしました。思い立って楽譜を探して、5分と経たないうちに録音した、本当に「即席の」演奏ですので、少々粗いのですがどうぞご容赦くださいませ。

 空がこんなに青いとは
 ともだちはいいもんだ

 プロアマ問わず、音楽家のみなさま、今こそ音楽を。演奏してください。歌ってください。

 希望がありますように。

 (今月はエッセイをお休みします)
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ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番 第2楽章

2011-02-18 00:16:37 | 協奏曲
 数日前、私は長い手紙を受け取った。なめらかに整った文字と、人となりが表れた丁寧な語り口の手紙。まるでひとつの文学のようだ。それは私宛のものではなく、20年前の差出人自身、33歳の彼自身に宛てて綴られた告白であり、問いかけだった。私はベートーヴェンのピアノ協奏曲5番の2楽章をBGMにかけて、始めから何度も読み直した。
 「皇帝」の愛称を持つ有名なピアノ協奏曲。私は大学1年生のとき「不滅の恋・ベートーヴェン」という映画を見て、あっさりこの曲の魅力にはまってしまった。映画音楽に負けないほど映画的で驚いたものだ。映画の最後に、2楽章のアダージョを背景にして、ベートーヴェンの手紙が再度読まれる。ままならぬ人生を、なんとか精一杯、大切な人間と共に生きて行こうとする想いにあふれた恋文だった。
 その頃から13年間、私は長い夢を見ていた。この曲と共に。ある「理想の場面」を私が心秘かに描くとき、いつもこの曲が耳の奥に流れていた。長い間、この「理想の場面」こそが私を支え、すべての原動力となり、行動の指針となっていた。そして、自分でも気づかぬうちに、私は自分の作り上げた夢想の世界の外へと出られずにいた。ひとつの価値観の体系を築き上げ、それが表面的に問題なく、心地よく機能しているとき、それを壊すのは容易ではなかった。
 ベートーヴェンを主人公のモデルにしたという「ジャン・クリストフ」の中で、ロマン・ロランは、かなりきついことを言う。「多くの人は、二十歳から三十歳で死ぬものである。その年齢を過ぎると、もはや自分自身の反映にすぎなくなる。彼らの残りの生涯は、自己真似をすることのうちに過ぎてゆき、昔生存していたころに言い為し考えあるいは愛したところのことを、日ごとにますます機械的な渋滞的なやり方でくり返してゆくことのうちに、流れ去ってゆくのである。」
 私が自分自身の価値観を壊し、再考するきっかけは、30歳を過ぎて大切な人間と離れたときにおとずれた。その人はそこに変わらず生きているのに、もう自分と共に生きることはない。相手と共有していると妄信していたものは、とうに消え去っていた。言いようのない喪失感の中で、鋭い怒りと共に自分自身を振り返った。そのとき私は初めて、我が身を支えてきたものを見つめ直し、その大部分が幻想に過ぎないことに唖然とした。日々が過去の「自己真似」に過ぎないという現実に愕然とした。ロランの言葉を借りれば、もはや私は「生存」していなかった。
 しかし、それはもう一度、自分を築き直す最大の転機だった。固執しているものを手放し、「卒業」するタイミングだった。私はあえてここで「卒業」という言葉を使いたい。過去の自分を否定するのではなく、信じてきたもの、培ってきたもの、大事にしてきたものに感謝して、「卒業」する。離れたのが大切な人であればこそ、感謝したい。ある必要な期間が終わったのだ。この際「こうあるべきだ」という思い込みを、手放せるだけ手放して、それでもまだ残る信念があるとすれば、それでいい。そう思った。
 ―大切な人間と離れたとき、人はいかにしてそれを乗り越えるのか―。届いた便箋の束の問いかけを何度も読み返しながら、本当に久しぶりに、「皇帝」の2楽章を聴いた。手紙の差出人が30数年にわたって育んできた想いには比ぶべくもないが、2年半の歳月をかけて、私は自分の13年を昇華させた気がした。長い間、幻と共にあったこの曲の美しさが、今ではずっと手触りのあるものに感じられる。
 聴いていると、「ジャン・クリストフ」のシーンがいくつか思い出される。クリストフの叔父ゴットフリートが言う。「そんなことはこんどきりじゃないよ。人は望むとおりのことができるものではない。望む、また生きる、それは別々だ。くよくよするもんじゃない。肝腎なことは、ねえ、望んだり生きたりすることに飽きないことだ。」3楽章のロンドが明ける。
 人生の転機は、何かを「卒業」する時だと思う。そんなとき私はベートーヴェンを聴く。彼の音楽は、今がどんな状況であっても、それに対してどんな答えを出したとしても、「それでも生きていく」というテーゼを、当たり前のように明快に差し出してくれるからだ。クリストフは言う。「奮起したまえ。生きなくてはいけない。もしくは、死ななければならないとすれば、立ちながら死ぬべきである。」

かしこ
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フンパーディンク「ヘンゼルとグレーテル」より お祈りの二重唱

2011-01-08 01:40:11 | オペラ・声楽
 今日はオペラのGP(*ゲネラル・プローベ:最終リハーサル)で譜めくりをしてきた。地域の市民と一緒に舞台を創るという企画で、元気な子どもとお母さんたちが楽しそうに歌っていた。演目はフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」。オーケストラのサイズはワーグナーばりだが、今回はこれをピアノ1台で伴奏している。ピアニストさんが隙間なく音を埋めて厚くしていることに感嘆しながら、譜面を追っていた。
 有名なグリム童話をもとにして作られたオペラで、メロディーも覚えやすくわかりやすいので、往々にして「子供向け」と思われがちだが、実によくできた作品だと思う。楽譜を見ながら全幕を聞いたのは今日が初めてだったのだが、意外に凝ったリズムで書かれていたり、丁寧に和声がついていたりして、改めてその素晴らしさに驚いた。耳触りが良い音楽なので、いつもなんとなく聞き過ごしていたが、さすがはワーグナーの弟子。随所にライト・モチーフがちりばめられている。
 「子供向け」として片付けられがちだが素晴らしい作品といえば、ケストナーの小説「ふたりのロッテ」がある。そっくりのふたごが入れ替わる楽しいお話、として記憶している方も多いのではないだろうか。ミュージカルやアニメにもなっているが、「離婚した両親の再婚」という割と大人っぽいテーマを扱っている。あちこちに、ぴりっと効いた寸鉄がちりばめられている。
 このふたごのお父さんは、ウィーンのシュターツ・オーパー(国立歌劇場)の楽長という設定だ。おまけにその恋人はインペリアル・ホテルのオーナーの令嬢ということになっている。音楽家の生活についての描写はかなりリアルで、大人になって読んでみるととても面白い。そして、小説の真ん中辺で、お父さんがフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」を指揮するというシーンがある。
 桟敷席からお父さんの燕尾服姿を初めて見たロッテは、感激しながら序曲を聴く。ところが、ヘンゼルたちが母親の癇癪で追い出されると、ロッテは舞台の上にすっかり感情移入する。『両親は子どもたちを愛しているのです! それなのにどうしてそんな意地わるになれるのでしょう? それとも、ちっとも意地わるじゃないのかしら? することだけが意地わるなのかしら?(高橋健二訳)』ロッテはその晩、オペラと現実がまざったような夢を見てうなされる。
 フンパーディンクのオペラと「ふたりのロッテ」に共通しているのは、「悩む大人」の姿がありのままに描かれていることだ。ヘンゼルのお母さんは「お金がほしい…」と言って泣く。ロッテのお父さんは赤ん坊の泣きわめく声に耐えられず、部屋を出て行く。子供が鑑賞する作品にも関わらず、大人が愚痴を言ったり、情けない行動に出たり、感情的になったりする。そのリアルさが、作品に深みを加え、我々をはっとさせるのだ。
 両親の離婚の事情を説明するくだりで、ケストナーは言う。『そういうことについて、すじ道のとおった、わかりよい形で、子どもらと話をしてやらないのは、あまりに気が弱すぎるばかりか、道理にそむくことでしょう!』おそらく子供たちにも、この真剣な直球が届くのだろう。
 いずれの作品も、子供たちの機知とまっすぐな気持ちが、清清しい。「悩む大人」に対して描かれた子供たちの動機は純粋だ。「やってみよう」という気持ちから行動までが、速い。そしてそれはときに、力強いものとなる。彼らの奮闘を見ているうちに、忘れていた何かを思い出して、胸がすっとしてくる。ロッテたちが最後に親指をにぎって祈るシーンは美しい。現実は面倒くさくて、複雑かもしれないけれど、もう一度、単純な真実に立ち戻ってみればいいのだ。
 フンパーディンクのオペラの中では、森で迷ったヘンゼルとグレーテルが、眠りの精に魔法の粉をかけられて眠たくなる。そこで、ふたりでひざまずいて、眠る前のお祈りをする。ありとある二重唱の中で、私が最も好きな二重唱だ。序曲の冒頭に出てくるのは、このお祈りのテーマである。聴くたびに、なんと美しい音楽だろうと思って、涙がこぼれる。ふたりは14人の天使に囲まれた夢を見る。子供たちの純粋なお祈りが、かなえられる。そんな単純なことが、この上なく美しい。

*1月8日15時開演。パルテノン多摩。お時間のある方は、ぜひご家族で。
市民と創るファミリーオペラ
フンパーディンク『ヘンゼルとグレーテル』 (※日本語上演)
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ブリテン キャロルの祭典

2010-12-08 01:18:27 | 宗教曲
 今年も「メサイヤ」のトランペットを聴いて、「ああ、いい一年だったなあ」と思う季節になった。クリスマスの時期に演奏される曲には、賛美歌からポピュラーまでお気に入りがたくさんある。中でも思い出があるのは、街中でときどきナッキンコールの声で流れてくる「The Christmas song」。
 中2の夏休みに「あなたの好きな詩を訳しなさい」という英語の宿題が出た。人生で一番夢中になってやった宿題だ。ちょうど前年のクリスマスに、小林明子、永井真理子、麗美、辛島美登里の4人がこの歌をアカペラで重唱しているCDを聴き、完全に魅了されていた私は、迷わずこの歌を訳すことにした。
 文法がわからないどころではない。ほぼすべての単語を辞書で引いた。タンクトップに短パンで居間のテーブルに陣取って、夏の真っ盛りに汗だくで「メリー・クリスマス・トゥー・ユー」と何時間も口ずさみ続ける私を見て、母は苦笑した。私は自分なりに韻を踏んだり、七五のリズムに日本語を整えて、大満足していた。未知なるアメリカのクリスマスの、きらきらした世界を垣間見たようで、夢心地だった。
 さて、聴くと夢心地になるクリスマスの音楽と言えば、何といってもブリテンの「キャロルの祭典」だ。ハープの伴奏による少年合唱(女声合唱)が、聴くものを異世界に誘う。中世の英国の詩による短い10曲ほどの三部合唱。ときどき、透明で美しいメロディーが独唱によって歌われる。詩はいずれも、キリストの生誕を寿ぐものだ。不思議な光にあふれた作品だと思う。
 初めて聴いたのは、高校3年のとき。学校で音楽の授業を選択していた同級生と後輩たちが、渋谷教会で行われたクリスマス・コンサートで歌った。理系コースだったので参加できなかった私は、客席で仲間達をうらやましく待っていた。礼拝堂の扉から、グレゴリオ聖歌を歌いながら合唱隊が入ってくる。1曲目を聴いた途端、虜になった。
 一度で覚えられそうな単純な旋律もあるぐらい、やさしく素朴な歌ばかりなのだが、純粋すぎるほどの美しさに、ぞくぞくする。中世の英語は、ほんの一瞬聞き取れるような気がするだけで、あとは魔法の言葉のように耳に心地よい。ハープの音は、天使の奏でる竪琴にもなり、風になびく草のささやきにもなり、星の粉を撒いたりもする。
 「This little babe」や最後の「Deo Gracias」は部分的に輪唱のようになっていて、響きの深い教会で旋律が次々追いかけられると、まるで四方八方から声が聞こえてくるようだ。私は思わずくらくらして、自分がまっすぐ座っているのかどうかさえわからなくなった。音におぼれるという不思議な体験をした。
 強い力でもって、聴く者の胸元を揺すぶる音楽もある。しかし「キャロルの祭典」は、聴く者を静かに揺する。ゆらゆらとあなたを揺すり、そっと恍惚へと導く。固執している価値観も揺らがせて、いったん自分をゼロにしてくれる。クリスマスというのは基本的に「静かな」イベントだが、この曲を聴くと、静かに自分をリスタートできる、そんな気がする。
 歌い終わると、またグレゴリオ聖歌を歌いながら、合唱隊は去っていく。そのときに私はもう生まれ変わっていた。

Although it's been said many times, many ways,
Merry Christmas to you
−From "The Christmas Song"
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フォーレ 「レクイエム」より ピエ・イエズ

2010-11-17 23:24:37 | 宗教曲
 数年前の秋、いま高等部の教頭をしておられる石澤先生に相談があって、母校を訪ねた。石澤先生は私が中学2年のときの担任の先生だった。話の途中で先生が席を離れられた間、放課後の廊下で待っていると、講堂からオルガンの音が聞こえてきた。私が卒業した後に完成した新校舎の講堂には、大きなパイプオルガンが備え付けられていた。音に吸い寄せられるように講堂の2階へ入ると、音楽の先生が翌日の追悼礼拝のために、歌の練習をしておられた。
 「フォーレのピエ・イエズ。弾いてくれる?」
 言われるがままにオルガンの椅子に攀じ登る。こんな大きな楽器に座ったことはない。足などまったく動かない。それでも良いと言ってくださったので、指をいっぱいに伸ばして黒い鍵盤を押した。思ったよりも遠くで音がするような気がした。堀先生が亡くなった秋も、追悼礼拝で「ピエ・イエズ」が歌われた。私は友人のくーと二人で泣きながら、同じレクイエムの「イン・パラディスム」のオブリガートをヴァイオリンで弾いた。
 堀律子先生。私が中1と中2のときに国語を教わった先生で、音楽部の顧問をしておられた。「声楽」の基礎の基礎を私たちに手ほどきしてくれた先生だ。ご自分でリサイタルを開いておられたのだから、プロに近かったのだと思う。ある日「一番高い音はどこまで出るの?」と尋ねたら、真ん中のドの2オクターブ上のファ(Hi F)だと答えてくれた。本気でびっくりしたものだ。今思えば、私たちにとって最も身近な「ソプラノ歌手」だった。
 堀先生は授業での話しぶりも熱い、エネルギーのある先生だった。明るくて、気さくで、おおらかで、生徒にも人気があった。元気いっぱいでいつも私たちを励ましてくれた。ただ、なんとなく生き急いでいるような雰囲気が、なくもなかった。一日4時間半しか寝ていないと聞いたこともあった。私が中学3年のとき、先生は突然亡くなった。
 私たちが中2で使っていた国語の教科書に、レイ・ブラッドベリの「霧笛」が載っていた。内容も少し大人っぽく、このテキストを扱っている間、授業はいつもと少し違う雰囲気だった。堀先生は、何か自分の中に特別な思いがあるようで、それが教室に独特の緊張感を与えていた。休み時間になると、クラスメイトは先生の過去の噂をささやいたりしたが、私は彼女の中にある、人間の本質のようなものを見る思いがしていた。
 私の手元に、当時の国語のノートがある。まだ板書を写すぐらいのノートしか取れなかったころだ。黒板に書かれていたに違いない文字。「孤独がその本質」「愛しすぎてはいけない」「孤独をいやす相手を求めるなら、自分を抑え、相手を思いやらなければ」などとある。これが先生自身の解釈だったのか、クラスメイトの意見だったのかは定かでない。ただその日、先生の目は泣いていた。
 「霧笛」の中で、マックダンは言う。『二度と帰らぬものをいつも待っている。あるものを、それが自分を愛してくれるよりももっと愛している。ところが、しばらくすると、その愛するものが、たとえなんであろうと、そいつのために二度と自分が傷つかないように、それを滅ぼしてしまいたくなるのだ』(大西尹明訳)。
 学校からの帰り道、親友の桜子と私は、「愛する者を滅ぼしてしまいたくなる思い」について、何日も話し合った。桜子は、ユダは愛するが故にイエスを売ったのだと言った。そのとき私はまだオコサマすぎて、どうしてもそれが飲み込めず、腑に落ちなかった。愛がなぜそこまで行き過ぎてしまうのか、その理由が知りたかった。
 中2のある日、6時間目の国語が終わった後、教室を出て階段を降りようとする堀先生を呼び止めた。そのとき私が彼女に何を尋ねたのか、一体どんな恋愛相談をしたのか、まったく覚えていない。ただ先生が真剣な目で答えてくれた、その言葉を原稿用紙に残しておいた。
 「人を愛すことの幸せ。結果や過去はどうであれ、愛することの幸せに満ちている幸せ。それだけでいい。」以来、私がずっと心にしまってきた大事な言葉だ。「霧笛」の授業で涙するほどの経験をした彼女が教えてくれた、これ以上にないほどシンプルな真理。大人になった今は、その重みが痛いほどにわかる。
 数年前の秋、母校の講堂のパイプオルガンで、「ピエ・イエズ」を弾いた。堀先生のことを思い出していた。大きな筒を抜ける空気の余韻を耳にしながら、孤独と、生のはかなさを感じさせる霧笛のことを思い出していた。弾き終わって振り向くと、扉のところに石澤先生が立って待っておられた。一言の断りもなく講堂へ来ていたことを思い出し、慌ててオルガンから降りた。中2からまったく行動が変わらない私に呆れもせず、先生は言われた。「たぶん、ここにいると思ったから。」中2の私が、今の私を支えている。堀先生の言葉が、今の私を支えている。
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