音の向こうの景色

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ブルッフ スコットランド幻想曲 第三楽章

2006-07-03 10:42:15 | 協奏曲
 来週、仲良しのテノール君の結婚披露宴に出席する。なんだか心躍る。私にとって友人の披露宴は、振袖や訪問着が着られるチャンスであり、大抵は何かしらの演奏機会であり、友人の意外な一面を発見できる場でもある。みんなが華やいだ気持ちで集まって、新郎新婦を褒めちぎる。食べたり、笑ったり、緊張したり。盛り沢山なパーティーだといつも思う。
 しかしながら、「花嫁の手紙」とか「両親からの言葉」とか、あの、涙ながらのメッセージには、どうも参ってしまう。お化粧がまったく台無しになるぐらいに、もらい泣きするのだ。音楽家の伴奏をするために、赤の他人の披露宴に出席したときも、その日会ったばかりの花嫁さんの「手紙」に泣かされて、次の日は目が腫れてしまった。
 披露宴では、友人代表のスピーチで号泣する女の子もいる。「○○子と友達で、幸せでした!」と、すすり上げているのを見ると、「おいおい、まだ誰も死んじゃいないよ・・・」と心の中で苦笑するのだが、やっぱり涙がうつってしまう。
 それにしても、身近な誰かに、改めて感謝の言葉を伝えるというのは、素敵なことだ。泣くかどうかは別として、襟を正して、普段言えない(言わない)「ありがとう」を言う。少し非日常的な雰囲気の中で、気持ちを盛り上げて、メッセージを送るというのは、素敵ではないか。そういう意味では、父の日や母の日、誕生日だっていい機会なのだ。単なる「セレモニー」だと言われるかもしれない。でも、その「セレモニー」が、大事なのだ。最近、そう思わされる出来事があった。
 私の父には、高校時代からの親友がいる。博学で、熱血で、純粋な画家のS氏だ。一緒に話していると、気分が清清しくなる。先日、そのS氏と父と3人で、お昼を一緒に食べた。いつも行く普段着のレストランだったが、彼らの間には互いに祝うことがあり、祝杯をあげた。そのときS氏が、おもむろに黄色い封筒を取り出した。封筒の中身は「感謝状」。彼はそれを淡々と読み上げた。父が最近、S氏の作品について評論を書いたことに対する、感謝の言葉だった。
 はじめはS氏の大仰な「セレモニー」ぶりに圧倒されて、くすくす笑っていたのだが、大まじめに読まれる言葉を聞いているうちに、私のほうが、胸がいっぱいになってしまった。こうして言葉にして、友情に感謝するとは、なんと美しいことだろう。父はなんといい友達を持ったのだろう。不覚にも目頭が熱くなってしまった。
 私もいつか、こうして大事な友人に「感謝状」を送りたい。実は、その際のBGMは、ずっと以前から決まっている。ヴァイオリンとオーケストラのために書かれた、ブルッフの「スコットランド幻想曲」の第三楽章。スコットランド民謡のラブソングがベースになっている大変美しい曲で、ヴァネッサ・メイもカバーしている。幻想曲全体を通してヴァイオリンの華々しいテクニックがちりばめられているが、この第三楽章は、ゆったりとした雰囲気と色気に満ちている。目を閉じると、ヨーロッパの緑豊かな広がりが、浮かんでくる。
 毎日落ち込んで泣き暮らしていた数年前、夜中によく私の愚痴に付き合ってくれた友人。鋭い言葉を投げつけて、毎回かなり険悪なムードで電話を切るのにもかかわらず、頻繁に話を聞いてくれて、励ましてくれた。その頃私は、眠れないと、この「スコットランド幻想曲」を聴いていたのだが、第三楽章が流れてくると、なぜかしみじみと反省した。「いつかは、ちゃんとお礼を言おう。」そして、心の中でひそかに「感謝状」を作っていたのだ。まだ上手く言葉にはならないけれど、いつかきっと、本当に感謝状を送ろう。いつも、ありがとう。