音の向こうの景色

つらつらと思い出話をしながら、おすすめの名曲をご紹介

バルトーク 弦楽のためのディヴェルティメント

2012-05-21 00:05:07 | オーケストラ
 この春、大学で講義を始めてから、自分の大学時代をよく思い出すようになった。受講生は1年生なので、特に自分が1年のとき受けた授業のことを思い出す。初日の1時間めは、有機化学だった。高校の化学からはかけ離れた次元の説明が、ものすごい速さで進められ、これはエライところに来てしまったと冷や汗が出た。それでも、大教室にOHPが用意され、そこへ教授っぽい先生が来るというだけで、なんだかうっとりしたものだった。
 毎週金曜日の午後は「基礎生物学実験」。だいたい週替わりで違う先生が担当してくださって、色々な実験の「初歩」に触れた。私は初めて覗く双眼顕微鏡に興奮し、両目を中央に寄せ過ぎて、頭がくらくらした。初めてクリーンベンチに手を突っ込んだときには、距離感がつかめず何度もガラスに頭をぶつけた。ザリガニやハマグリも解剖したし、マウスを解剖して肝臓のパラフィン切片を作る実験もあった。カエルの解剖のときには「なあんだ、四六のガマじゃないのかあ」とみんなで笑った。
 顕微鏡下で赤血球を数える実験の際、ホールピペットで羊の血を吸って「うわっ、飲んじゃった。」と青ざめていた隣の河村くんも、今では高校の先生だ。タマネギの細胞分裂を観察する際、「カエルにバカにされるより、タマネギにバカにされている気がする方がヤダ。」と、染色液で手を真っ赤に染めながらイラついていた、向いの席の久保くんも、やはり今では高校の先生だ。蛍光顕微鏡で見せてもらったテトラヒメナの輝きも、助手の先生が腕に乗せてかわいがっていた巨大なヤスデの赤い足も、同級生たちの穏やかな笑顔も、実験室の匂いと共に思い出す。
 大学に入って最初の山場は、生態学の実習だった。シラカシを枝ごと取ってきて、葉や枝を測定した後、データをエクセルで解析する。当時、生物学類のコンピュータールームにはマッキントッシュが入っていた。しかしパソコンそのものを使える人間が、クラスに数名程度。私は「マックの使い手」と「数学ができる」何人かにくっついて、「サティアン」と呼ばれていたコンピュータールームに、何日も陣取った。クラスメイトの中田くんに「おせっかいかもしれないけど、ちょっとは外に出ろよ。」と言われて、自分がそこに籠っていたことに初めて気がついた。
 もうひとつの生態学実習は、カラスノエンドウについたアブラムシを数えるというものだった。実験の目的もよくわからないまま、実験棟の裏手の原っぱに分け入って、降り出しそうな空の下で、アブラムシを探した。案の定うまいことデータは取れず、また後日グループで集まって、エンドウの原っぱにもぐった。宿舎の部屋に帰って頭を掻くと、アブラムシが降ってきた。「ムシ」なんて全然好きじゃなかったのに、環境は人を変えるもんだな、とひとりごちた。
 レポートや宿題をしながら、部屋では毎夜、NHKFMのベストオブクラシックを聴いていた。もちろん、ほとんどが知らない曲だったので、選り好みせず、とにかく流れてくるものを、聴いた。そして日記に、できるだけ曲名と感想をメモしていた。いわゆる「名曲」の類は、ずいぶんこのラジオで知ったような気がする。
 大学1年生、19歳の誕生日の夜は、バルトークの「弦楽のためのディヴェルティメント」を聴いた。バルトークの命日の前後で、その週はずっとバルトークの特集が組まれていた。何でもトライしてみなくちゃと思い、私はそれを律儀に聴き続けた。数日間、難解な弦楽四重奏を聴いた後だったので、この「ディヴェルティメント」は聴きやすく感じた。生まれて初めて一人で過ごす誕生日の夜だった。日記には、こう書いた。「人間って難しいけれど、決して悪くないんだ。」
 大学1年生。勉強、生活、友情、恋、音楽、何もかもが新しくて、とにかく必死だった日々。いちいち感動して、いちいち落ち込んだ日々。やる気ばかりが先走って、どうしてよいかわからなかった。染色液で染まった手で、友人たちに大量に手紙を書いた。SFCの友人との間で開通したばかりのメールをやたらと交換した。アミノ酸や核酸の化学式を覚えては吐き出し、嵐のようにレポート書いた。全く寝ない日もあれば、一日中眠る日もあった。自分の人生の答えを探しながら、闇雲に突っ走っていた。
 今日は久しぶりに、バルトークのディヴェルティメントを聴いてみた。やっぱり、かっこいい曲だ。弦楽器のザッザッという勢いのある音とリズムが小気味よい。音は複雑であっても、決して不快さはない。弦楽器の重なりが、強く突き抜けてくる。胸に迫るものがある。19歳の私の気持ちが、少し蘇る。まっすぐに、何でもやってみようと誓った日。バランスなどまったく考えずに、ただひたすら走っていたあの頃。そしてその火が、まだ自分の中に残っているような気がした。