音の向こうの景色

つらつらと思い出話をしながら、おすすめの名曲をご紹介

チマーラ 「郷愁」

2012-09-23 21:17:49 | オペラ・声楽
 中高時代は、部活のために学校に行っていた。5年間、音楽部という名の、ミュージカルをやる部に所属していた。中高一貫なので、中1から高2まで一緒になって舞台を作る。はじめは大道具や幕を作る裏方が主だったが、大勢でひとつのものを作り上げることが嬉しかった。演技をするのも、できないダンスをするのも楽しかった。何より、学校中で自分たちしか知らない歌を、先輩・後輩と歌えることが嬉しかった。
 我々の頃は、ブロードウェイの名作や、劇団四季の作品が主な演目だったが、文化祭のときには「オリジナル」を上演した。オリジナルと言っても、新しい曲を作って上演するわけではない。私達より5~6代上の先輩方が始めた形で、「自分たちで脚本を書き、そこに色々なところから曲を借りてきて集め、日本語の歌詞をつけて、替え歌にする」という方法だった。
 借用されたのは、たいていはミュージカルや映画の曲。毎年、最高学年の高校2年生が制作をするので、自分が高1までに覚えた歌の出所は、後々になって知ることがほとんどだった。「アニーよ銃を取れ」「オクラホマ」「チェス」「Big river」…etc. 元の作品を見た際には、思わず音楽部の替え歌歌詞を口ずさんでしまった。
 中1のときに文化祭で上演された“オリジナル”ミュージカルの中に、1つだけとても音域の広い曲があった。舞台脇で合唱する先輩たちが、一生懸命上のGを歌っていた。当時から、なんとなくこの歌だけは毛色が違うと感じていて、ドラマチックで素敵な曲だなと思っていた。私がこの歌の引用元に出会ったのは、大学時代だった。
 チマーラの「郷愁」という曲だった。チマーラは「イタリア近代歌曲集」にいくつか歌曲が入っている作曲家で、ジャンルとしては純粋に「クラシック」だ。あるとき友人が、コンクールで伴奏をすることになったと言って、2つキーを下げた手書きの移調譜を見せてくれた。弾いてもらったが、初めは何の曲か思い出せなかった。後半、調が変わるところを聞いた途端、音楽部の歌詞が自動的に口をついて出てきた。懐かしい! 私は飛び上がって、楽譜をコピーさせてもらった。
 ハイネの美しい詩につけられた歌だった。タイトルの「Nostalgia」は「郷愁」と訳されているが、遠い故郷を懐かしむ内容ではなく、なかば幻想的に「人」を思い出している情景だ。おそらくは、失った人。愛した人を。

『夕べに 眠れる森へ 疲れてゆく時
私のそばにお前の繊細な姿が見える様に思える
白く見えるのは、お前のベールなのだろうか?
それとも松の茂みの中へさし込む月明かりなのだろうか?
でも、ひそやかに聞こえるのは、私の涙の流れる音か?
それとも、本当にお前が私について来て こんなに泣いているのだろうか?』

 詩の中にある「delicata」(繊細な)という言葉どおり、曲はささやくように始まる。ぼんやりと見える幻影を壊さないように、少しずつピアノに動きが出てくる。差し込む光の源をたどり、目を空へ向けながら、転調する。涙の音がそっと三連符の和音で現れ、「piangi tanto」(こんなにも泣いているのか)の盛り上がりへと進んでいく。心の機微が、なんと細やかに表現されているのだろう。曲は決して悲壮ではなく、どこか透明である。
 以来、色々なところでこの歌を聴くようになった。聴くたびに、中学時代にミュージカルをやった旧校舎の講堂を思い出す。雨の日に匂う木の椅子の匂い。すりガラスの窓の白く淡い光。臙脂色の幕の向こうに見えた客席。照明の光に霞んだ空気。よくわからない憧れと、よくわからない切なさ。できたことでなくて、できなかったこと。舞台が終わってしまうさびしさに、涙を流しながら炊いていたドライアイス。
 そして、この曲に載せて音楽部時代に歌った歌詞。劇中で歌われる意味とは異なるのだが、はからずも「懐古」のコンセプトが感じ取れる言葉だった。「時の流れの中に 何かがあるのなら 探しに行こう だって 僕らは時の旅人なのだから」これが、私自身の小さな「郷愁」だ。