音の向こうの景色

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プーランク 「バナリテ」より「パリへの旅」

2011-07-15 00:24:43 | オペラ・声楽
 7月14日なので、パリの話。BGMは、プーランクの「バナリテ」の中の「パリへの旅」。短い旅行で何度かパリを訪れたが、大学院時代、ユネスコで行われる国際会議にかこつけて行ったときの印象が一番強い。空き時間に街を歩いては迷い、地下鉄に乗っては迷い、ついでに人生のあれこれに悩んで迷っていた。それから、尊敬する先生とゴハンをした。エッフェル塔が輝いていた。
 大学院の5年間で得たものは、研究成果でも学位でもなかったと思う。「どこへ行っても、取って食われるわけでなし」と思える厚顔さを身につけたことと、素敵な出会いの数々が、何よりの収穫だった。私自身は当初の予定通り、アカデミーには残らなかったが、様々な国の素晴らしい研究者と出会えたことは、宝物のような経験だった。
 中でも私が最も尊敬しているのは、京大のI教授である。むしろ、私は先生の単なるファンである。京大でポスドクをしていたときの研究室の同僚に言わせると、I先生の前では、私は「ぽわ~ん」として、床から3センチぐらい浮いているらしい。ハンサムで物腰柔らかで、気さくな先生で、市民向けの講演会などの後は、必ず女性ファンができる。
 日本の生命倫理界ではとても有名な先生なのだが、実は私が最初にI先生のお名前を知ったのは、オランダの友人バート宅だった。バートはオランダの厚生省のお役人さんで、安楽死法案に関わった法律家だ。バートが貸してくれたアルバムをめくっていると、素敵な日本人家族の写真が貼ってあった。「これは?」私が尋ねると、彼は驚いて答えた。「I教授知らないの? もぐり?」私は苦笑して舌を出した。バートとI教授は、ユネスコの委員会で議長、副議長をつとめた「戦友」だった。
 その直後、ロンドンの学会で実際にI先生にお目にかかった。各国の法律家やお役人さんたちと、流暢な英語でやり取りする姿は、絵に描いたような国際人。観光気分で遊びに来ているような小娘の私にも、それは親切で、まさに紳士だった。日本の規制についての彼の考えを、私でもわかるようなやさしい言葉で説明して下さる。さらにはフランス大使館の人々が絶賛するほどの美しいフランス語。たちまち、ぽわ~んとしてしまった。
 そこで昼休みに、学会会場の中庭でランチをしている先生を見つけ、早速、一緒に写真を撮ってくださいとお願いした。必死にお洒落して巻いたスカーフが風になびいて、私はなんだか勝手に社交界にデビューしたような気分だった。しかし、いつものことだが、私は気取ると何かが起こる。I先生の横でしゃなりと斜めに座って、カメラに向かって笑顔を作っていると、向こうからインド人教授のシャーマ先生が私を呼びながらやってきた。
 シャーマ先生は、学会のために毎年日本に来られていた先生で、毎回お土産を買ってきて下さったり、本を下さったり、なぜかとてもかわいがってくださった。私が当時使っていたメールアドレスの「MAKINCHO」(小学生のとき、誰かにこう呼ばれたことがあった)という部分がお気に召したようで、いつも私のことを「MAKINCHO」と親しみを込めて呼んでくださった。本人は「まきんちょ」と言っておられるつもりなのだが、何度直してもKとCHが入れ替わってしまう。それも最初のMAはあまり発音せず、CHにかなりアクセントが付いている(アルファベットを並べ替えてご想像下さい)。
 シャーマ先生は、例によってそれを大声で叫びながら、にこにこ手を振って近づいていらした。周りにいた数人の日本人は、ぎょっとして、呼ばれた私のほうに注目する。カメラを構えていた同級生のフミは、顔を真っ赤にして、慌てた。「シャーマ先生、それ、違います。それは、あの、大きな声で叫ばないでください…それは、あの、あまりよろしくないんです。」I先生は、シャーマ先生と私の顔を見比べて「どういうご関係ですか?」と言わんばかりに目を見張っている。穴があったら入りたかった。
 そんな恥ずかしい初対面の日だったが、I先生はどこでお会いしても親切に話してくださった。先生が委員を務める内閣府の委員会を傍聴に行って、「先生ぇー」と手を振ると、にっこり笑ってくださる。学会発表で上手に質問に答えられず落ち込んでいると、こうすればよかったんだよ、と助言してくださる。そして、パリの国際会議でお会いしたときには、なんと私の悩み相談に付き合うために、夕飯に連れて行って下さった。
 エッフェル塔の近くの小さな中華料理屋さん。先生がパリ時代に日本食が恋しくなると通ったというお店だった。重たいクリームソースに辟易していた私は、遠慮なく鶏ガラスープをすすった。学生時代の話、研究のこと、お仕事のことをたくさん伺って、お店を出ると、日が沈んだばかりの宵の空に、エッフェル塔と月が絵のように並んでいた。見上げながら、先生と握手をした。
 羽のように軽くなった気持ちで、プーランクの「パリへの旅」を口ずさみながら、ホテルへ帰った。なかばスキップを踏みそうになりながら、パリの街の中で思った。I先生は「ひらがなで話せる」のだ。かみくだいて話すとか、わかりやすく説明するというよりも、穏やかに話す。門外漢の私でもわかるような、やさしい印象で話す。あれが、一流の人の「優雅さ」なんだな。よーし、私もいつかは。
 しかしいまだ私は「パリへの旅」を口ずさんで踊り出すようなお気楽さである。でも、きっといつかは。