maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

注連縄とセーマン・ドーマン

2005-02-08 05:03:43 | 支離滅裂-妄言虚説
北九州に多い鶴(孔雀?)型 板が真中に鎮座している伊勢型
 

 

伊勢型で蘇民将来の文字がある物

上列、一番左のは北九州に多い注連縄で、残りは伊勢のものです。
ヤソ教、回教徒などはイザ知らず、いかに熱心な仏教徒でも正月には注連縄を飾るのが、日本人の習俗ですなぁ。
先日、北九州の若松で、たまたま関東から出張してきた人と一緒に歩いていて、しきりに「珍しい注連縄だねぇ」と感心するので、アリャ、これって珍しいのんかいな?と思いましてん。
博多の町屋は関西風の注連縄ですけど、八幡、戸畑、小倉、門司あたりは鶴を形どったタイプのが主流です。
注連縄と言えば、三重県伊勢では一年中注連縄をつけています。
これも、なんとも思って無かったんですが、両方の地方とも馴染みが有りすぎて、感受性が鈍ってるんでしょうね。

専門的なことは学者にお任せして、素人の気安さでチョイト無駄話でもさしてもらいまっさ。

伊勢では、大晦日に注連縄を取り替えます。
「あんたらの所と違うて、ココは年がら年中、神さんが居らはるでな」とほざいておりましたが、神無月はどないやねん?と訊くのを忘れた。
島根では「神有月」言うてるで。
あれは、アマテル系以外の先住神の集会かいな?
先ず目に付くのは真中の板。(伊勢の門符[ミニチュア・ストラップ])
伝統的には「蘇民将来子孫家門」「蘇民将来子孫門」と書いてあります。
伊勢、南勢の連中は皆祖先が一緒かいな?と思うのは早とちり。
疫病除けやそうです。
最近は「笑門」というのも見かけます。
蘇民将来については信州上田、京都八坂神社などにも伝承があります。

これ又、詳しく書き出すと、大長編になってしまうので、端折りますが、舞台が南インドと思しき南天竺の近隣の「夜叉国(スリランカ?)」であること、「素戔嗚尊」又は「牛頭天王」をもてなしたのが蘇民将来で、その礼として疫病を逃れるお墨付きを貰った、というのが共通しているようです。
中には一瞬にして万里を飛ぶ「隼鷂」等とガルーダを連想させるものや、「巨旦将来」という魔王ラーバナに酷似したのが登場したり、登場するキャラクター、場所にヒンドゥ系の叙事詩ラーマ・ヤーナとの類似が多く見られます。
マレー、タイへは原型に近い形で伝わったんでしょうが、日本には中国経由で来たので相当、発酵変形していますねぇ。

しかし、雅楽の舞いの伽留羅(カルラ)は明らかにガルーダですし、そうなると「素戔嗚尊=ラーマ」と言う事に成り「ラーマ=ヴィシュヌの化身」を考えると、日本神話が無茶苦茶面白いですね。
大体スサノヲが夜叉国(=ランカー)を通りかかるというのがスゴイですねぇ。
ラーマ・ヤーナの魔王ラーバナの棲家ランカー島は、スリランカ(スリ=島、ランカ=輝く)らしいので、船で行ったのか、陸を歩いていったのか?

タイ、インドネシア、マレーにはまったのも、ラーマ・ヤーナに引き摺り込まれたようなもんなんですわ。
風と水と狩猟のヤマトクズの神「ニフ」と風の神「バヤン」の息子「ハヌマン」との関係など、調べたい事は幾らでも有るんですけどねぇ。
ただやたら長い物語で、国や地方、宗教で数多バリエーションがあって、未だにホンの入り口でマゴマゴしてるんです。
コッチに向かうとドンドン長くなりそうなので、今回は方向を戻します。

伊勢の注連縄の真中に、デ~ンと鎮座している板の裏側には、セーマン、ドーマンの模様が描かれているんですねぇ。
裏やから、普通は見えません、わざわざ裏に描くのは何か意味が有るんでしょうなぁ。。
セーマン、ドーマンは海女の磯金(柄ノミ)の柄や、手拭などに付けられていた、魔除けの模様でもあります。
セーマンは一筆書きの五芒星、ドーマンは縦五本横四本の格子模様(縦四横五もある)です。
セーマンは安部清明、ドーマンは蘆屋道満が由来と言う説もあるようですが、そんな平安時代どころや無い、縄文、若しくはもっと遡って、日本人の基となった多くの民族の内の、南方系海洋民に由来するものだと思います。
起源を同じくするものの、海伝いに民衆によって伝播されたセーマン、ドーマンと、中国経由で、最澄、空海によってもたらされた道教の影響をうけた密教系の呪術が入り乱れてしまったものでしょうね。

中国ではドーマンにインド(サンスクリット)の梵字を基に九字の呪言「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・前・行」を当てはめ、それが日本に渡って「臨兵斗者皆陣列在前(リンピョウトウシャカイジンレツザイゼン)」と変化し、修験道や密教の呪法として多用された事はご存知の通りです。
「善の神の軍勢はこの様に陣を張っているぞ、魔紳、悪神、はトットと退散せぇ」という魔除けの文句なんですね。
この九字が象嵌された、戦いの後の首実検の時に使う刃物を見たことが有ります。
これなんかは、実に当を得た怨霊防ぎでしょうなぁ。
忍術使いが「九字の印」を切ってドロン、ドロンてのもこれなんですね。
陰陽道では青龍、白虎、朱雀、玄武、勾陳、帝台、文王、三台、玉女をあてはめてるみたいです。
信州上田、信濃国分寺で配られる六ッ角柱のお守りにもドーマンに似た模様が斜めにかかれているそうですが、写真だけで、現物を見たことが無いんですよ。

片や、セーマンの九字の呪言は「天地玄妙神変神通力(テンチゲンミョウジンヘンジンツウリキ)」。
これは、イマイチ一般的や無いみたい。
五芒星の五には「金剛界五仏(ban・uhn・tarahcku・kirihku・aku)」又は、東方降三世夜叉明王、南方軍荼利夜叉明王、西方大威徳夜叉明王、北方金剛夜叉明王、中央二大日大聖不動明王をなぞらえることも有ります。
一筆描きで出発点に戻ってくる事から、旅行、航海の無事帰着を願うお守りにもされたようです。
私もセーマンの星を象徴した形から、どうしても方位、航海を連想してしまうんですよ。
黒潮に乗って渡って来た海洋民の匂いがしませんか?
単純な図形で、世界中に同じ図形が存在して、諸説入り乱れてますから、セーマンの研究だけでも大事(おおごと)でしょうなぁ。

一時の陰陽道ブームで、マスコミがワッとネタを掻き集めて、銭儲け尻馬乗りの作家や、似非文化人が、一夜漬け受け売り評論家になって、まことしやかに中途半端な事を如何にも定説のように言うもんやから、ますますこの分野は混乱しましたなぁ。
先日も20代の兄ちゃんと話してて、途中で、どうも噛み合わんなぁ、とおもったらパソコンゲームのキャラクターに名前が使われてるんですて!
ホンで、元ネタが有って、名前をパクッてる事はまったく知らんかったらしいですわ。
「へェ~!この人歳に似合わずゲーム詳しいやんか!」と思うててんて。
そら、噛み合わんはずや!
私ら素人は、その混乱の中で夢を見られるけど、専門家は往生してるでしょうなぁ。
何でも素人の立場が自由で面白いでっせ、お金にはならんけど・・。

2003/01/18

追記:
「海伝いに民衆によって伝播されたセーマン、ドーマン」とか、「セーマンの星を象徴した形から、どうしても方位、航海を連想してしまうんですよ」等と書いていながら迂闊にも一つ抜けてましたねぇ。

ドーマンは、古代から伝えられ今も使っているという、マーシャル(Marshall)諸島の海図(navigational charts)にそっくりなのがあるんです。
この海図は椰子の葉柄等を細く裂いて組んだ網のような枠に、貝殻や葉柄のヒゴなどを取り付けて島や潮流を表しています。
民族学博物館で何度も現物を見ているのに、この記事を書いている時に浮かんで来なかったんですわ。
脳味噌の整理が出来て無いんですねぇ。
海や船を飯の種にしていながら、全く情け無い事ですわ。

民族学博物館に展示してあるチェチェメニ号は、沖縄海洋博の時にミクロネシアのカロリン(Caroline)諸島のヤップ(Yap)・サタワル(Satawal又はSatawan)島から沖縄まで、3000kmの航海を成功させたアウトリッガーカヌーです。
船頭のレッパンさんはこれに似た海図と星を使った伝統航法でやって来たそうです。
ちなみに「チェチェメニ」というのは、オーストロネシア語族(Austronesian)のヤップ方言で「よく考えよ」という意味らしいですなぁ。

先人の経験と知識が凝縮された海図=ドーマンと星の抽象化された模様=セーマンが、海人を導き守る厄除けとして使われているのは、極々自然だと思うんですがねぇ。
伊勢志摩の海女が魔除けの印として今も大事にしていたり、スリランカと関わりがある蘇民将来の名前と共に注連縄に使われている事を考え合わせると、面白いですなぁ。
しかしこうなると、いよいよ安部清明、蘆屋道満などはどうも語呂合わせ臭く、少々影が薄くなって来ましたねぇ。
陰陽道に起源がある等というのは海に疎い連中の戯言で、ほんとうは海洋民がもたらした航海のシンボルだという気がますますしますねぇ。

残念ながら古代からとはいうものの、海洋民の文化のほとんどが文字をもたなかった上に、航海用具とか船そのものは遺物としてまったくといってよいほど残ってないので、ドーマンに似た海図が果たして何時の時代から存在していたかについては確かな証拠がありません。
これは、日本でも同じで、江戸時代どころか大正時代まで無数に沿岸を走っていた、弁財型等の和船の現物は一隻も残っていないんですねぇ。
それにしても、海の文化は陸のに較べると儚(ハカ)いもんですなぁ・・・。

粘着性の伝承性をもつ農耕民の文化習俗の下で、それより古い時代に伝播したであろう海洋民の名残が生き残っているのは、何かしら愛おしさを感じるものが有りますねぇ。
学問的には的外れで、既に解決済みの問題なのかも知れませんが、素人のおっさんの夢はいやがうえにも膨らむんですわ。
蘇民将来の子孫はアウトリッガーカヌーにのって、ラーマ・ヤーナ叙事詩の原型と共に黒潮にのってやって来たんとちゃうやろか?

現役を離れて時間とお金(これが問題やなぁ!)ができたら、スサノオとラーマ王子に道案内を頼んで東南アジアを徘徊したいものですねぇ。
シータに逢えるやろか・・・。

2005/02/08



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