吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2016年5月22日/〈大分・町歩き〉014・火山島「姫島村観光」・古庄家

2016-05-22 17:40:04 | 〈大分・町歩き〉

 

写真①:旧庄屋の格式を伝える「姫島庄屋古庄家」

    =大分県姫島村で、2016年5月15日午後1時15分撮影

 〈大分・町歩きスポット〉 14

 :姫島庄屋古庄家

  大分県姫島村の島の北西部にある「おおいた姫島ジオパーク」の名所・「観音崎」観光の後、貸切バスで「姫島港」へ向かう途中、村指定有形文化財の「姫島庄屋古庄家(こしょうけ)」=写真①=に立ち寄りました。

 古庄家は鎌倉時代の建久7年(1196年)、鎌倉から豊後に入国した大友能直(よしなお)」の宰臣、古庄四郎重吉を祖とし、安土桃山時代の文禄2年(1593年)に大友氏が太閤秀吉の怒りに触れて所領を没収されたため、古庄徳右衛門が諸国流浪の末、江戸時代初期の慶長15年(1610年)に姫島に渡り、元和8年(1622年)に島民に推されて里正(りせい)となりました。

  以来、明治4年(1871年)の廃藩置県まで12代、250年にわたり、杵築藩に属する姫島の庄屋として村を治め、甘藷(さつまいも)の導入、防波堤や塩田の築造など多大な功績を残したという。現存する屋敷は、第11代小右衛門逸翁が江戸時代後期の天保13年(1842年)から3年がかりで建築、敷地550坪で、寄棟造り一部2階建ての母屋は延べ建坪110坪、1階10部屋=写真②=、2階2部屋から成り、旧庄屋の格式を伝えています。藩主のために普請された書院造りの奥の部屋は、「御成りの間」と呼ばれ、庭園には藩主の駕籠を下したとされる2畳敷大の大石もあります。

 

写真②:「姫島庄屋古庄家」1階のお座敷

  (今回の〈大分・町歩きスポット〉シリーズの続編「火山島・姫島村観光」連載を終わります)

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