吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2007年8月17日/〈古賀・町歩き〉001・「唐津街道・青柳宿」

2007-08-17 16:33:04 | 古賀・町歩き
写真①:「唐津街道・青柳宿」の案内看板と灯篭
     =古賀市町川原青柳四角で、2007年8月17日午前10時30分撮影

 きょう8月17日から、福岡県古賀市の〈古賀・町歩きスポット〉シリーズを随時掲載します。連載中の〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉〈福間・町歩きスポット〉両シリーズの姉妹編です。

〈古賀・町歩きスポット〉 1 

:「唐津街道・青柳宿」

 古賀市町川原の青柳四角に、「唐津街道・青柳宿」の案内看板と灯篭が設けられています=写真①=。地元住民が「青柳宿」を多くの人に知ってほしいと市に要望し、平成18年(2006年)に設置された唐津街道・青柳宿のシンボルです。

 ここから西へ旧「唐津街道」の道筋を行くと、「西構口跡」の標柱が建っています=写真②=。「唐津街道」は、江戸時代に参勤交代で黒田藩や唐津藩の大名行列が、豊前・小倉から筑前・宗像、箱崎、博多などを通り、肥前・唐津へ行き交った街道です。「青柳宿(あおやぎしゅく)」は、「赤間宿」(宗像市)から西の博多方向へ二里(約8㌔)の「畦町宿」(福津市畦町)から、さらに西へ二里の宿場でした。博多へ向かう次の宿場は「箱崎」です。


写真②:唐津街道・青柳宿「西構口跡」の標柱
     =古賀市町川原青柳で、8月17日午前10時24分撮影

 「西構口跡」の標柱のそばに「江戸時代後期町並想定図」の説明板=写真③=もあります。説明文によると、宿場の長さは444㍍あり、出入り口に「構口(かまえぐち)」が東西に設けられ、現在は西の「構口」の石積みが残っているという。「構口」は、宿場の出入り口を示す建造物で、道路と直角に組んだ石垣の上に白壁の練塀を築き、瓦を葺いており、街道の上りに東構口、下りに西構口を設けました。


写真③:「江戸時代後期町並想定図」の説明板
     =古賀市町川原青柳で、8月17日午前10時24分撮影

 「西構口跡」から道路を青柳四角へやや戻ると、「太宰府神社道」の文字が彫られた石柱が住宅の前に建っています=写真④=。


写真④:住宅の前に建っている「太宰府神社道」の石柱
     =古賀市町川原青柳で、8月17日午前10時26分撮影

 この旧「唐津街道」=写真⑤=の一角には、古い醤油屋さんもあります。狭いながらも風情のある旧街道を歩いていると、ふと江戸時代の参勤交代の行列が行き交う街角にタイムスリップしたような気になりますね。


写真⑤:「唐津街道・青柳宿」の面影を今に伝える道路
     =古賀市町川原青柳で、8月17日午前10時28分撮影

古賀市・「唐津街道・青柳宿」
   古賀市・「唐津街道・青柳宿」位置図
        (ピンが立っている所)
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