良い子、悪い子、こまりん子

幼児教育20余年。多くの子ども達を育て、ママ達の悩みに耳を傾けてきました。辛口アドバイスも含め、子育ママ達にエールを!

育児の外注?!

2008-11-21 14:04:49 | 良い子、良い親!
 先日テレビで、「子育てを楽しむ」というレポートのような番組を見ました 高名な脳科学者の先生の講義を受け、我が子の脳を育てるためには、どうすれば良いか?ということを、母親達が学ぶ、というものでした
 仕事がら、本来はもっともっと、子どもの教育のためには、科学的にこういうことを専門的に勉強しないといけないのでしょうが、どうも、私は科学的に物事を学ぶよりも、まずは経験から「心」で感じることを重要視したい・・・という思いが根底にあり・・・
 なかなか、テレビに映っているお母様達のように、熱心に講義を受けたり、この手の本を読んだりができずにいます。でも、きっと、これが私の今後の課題となるでしょう

 話しを本題に戻しますが・・・
私が、その番組を見て一番驚いたのが、先生に質問をされて、それに答えるお母様達のその答えの内容が、ほぼすべてが「外注」だったことです
 つまり、先生に・・・
 「~~のために、あなたは何を母親としていますか?」とたずねられると・・・
 「はい、○○の教室に○歳児の頃から通っています」
 「△△の音楽を、ずっと聴かせています」
 「□□を頻繁に見せています」
というこたえで、お母様自ら、何かを進んでやっている、ということが皆無だったことです
 
 これは、「餅は餅屋」のように、専門家のほうが良いに決まっている、という発想からの行為、ということもあるでしょう。
 確かに、ちょっと塩加減の強いお料理下手のママの筑前煮よりも、なだ万の筑前煮のほうが、お味も見場も良い・・・かもしれません。
 堅さの加減が上手くいかなくて、ロールケーキにしたときに、スポンジがひび割れてしまうママのお手製ケーキよりも、有名なロールケーキ専門店のもののほうが立派、でしょうね

 でも、子育てって、そういうものでしょうかねえ・・・私は、違う気がするのです

 じつは、その脳科学者の先生も、「モーツァルトよりも、ママが自分で吹くリコーダーのほうに、子ども達は興味を示し、脳も反応をするのです」と力説していらっしゃいました。
 そして、その場で、4歳児くらいの子どもに実験をするのですが、確かにそうなんですねえ。ママが、ピーヒャラー、とリコーダーを鳴らし、昔思えば指使いを思い出しながら、下手くそにではありますが、一曲吹いたとたん、子どもはリコーダーに手を伸ばし、自分でもとても興味深そうにリコーダーを吹くのです・・・すると、脳は活性化される・・・

 以前、私のクラスに来るたび、授業中のちょっとした時間を見つけて、私に一生懸命に「ママが嫌い・・・ママの~~ところがイヤ・・・ママがいつも○○って言われるのが悲しい・・・」と、涙ながらに訴える子どもがいました。5歳児でした。
 私は、毎回、その子の訴えを真剣に聞きながら、なるほど・・・なるほど・・・と思ったものでした 5歳には5歳の、ちゃんとした思考があって(ない子、そういうものを親に育ててもらっていたいために、育っていない子もたくさんいる、というのが、今の時代ですが)、決してその子の言っていることが変だったり、妙だったり、子どもの身勝手ではないのですね。その子には、きちんとした筋の通った理屈があり、確かに、そういう意味ではママのほうが分が悪かった・・・
 私が、毎回、そうなのねえ・・・そうなのねえ・・・と共感しながら、「本当は○○って言ってくれたらいいねえ。」とか「~~一緒に出来たら、うれしいのにねえ。」などと応えました
 すると、その子も「そうなんだよねえ・・・」と、子どもらしい顔つきで応えるのです。
 でもね、結局は、その子もクラスが終わると、ニコニコして、ママと手をつないで帰るのです
 ママがうるさい 同じことを百回言う・・・と、ブツブツと文句を言っている子ども達も、当然のことながら、ママが大好き、なんです
 そういうママが、一番、子どもに大きな影響を与えている、ということを、「他力本願」のママ達はご存知でしょうか・・・

 最近、他力本願の多い、外注を好むママ達の多くは、「ご自分は、あまり努力をしたくない」という思いが、無意識のうちに、根底にある、と思えてなりません
 また、そんなママ達の中には「私は未熟でわからない」と、平気で言ってしまう方も多いですね。
 ママなんて、全員が未熟なのに・・・私だって、大学生の息子と娘を持つのは初めてで・・・大学生の親としては未熟です
 母親として未熟だからこそ、我が子とともに、一緒に泣いたり笑ったりして、一緒に成長していくものだと思うのです

 ひと月ほど前になりますが・・・
2種類の「ぶどう」を買いました。「しなのスマイル」ともう一つ、「ルビーオクヤマ」という種類でした。
 もちろん、ぶどうを栽培なさっている農家では、如実に違いがあるのかもしれませんが、消費者としては、外見ではほぼ見分けの付かない、よく似た品種に見えました。洗ってお皿に盛ると、ほとんどどっちがどっちかわからなくなります。

 私は、一人でそれを食べながら、「むー、こっちのほうが皮は剥きやすい?・・・甘さは・・・こっち?・・・噛んだときの食感は、こっちがプリッとしてるかな・・・」などと、思わずひとりごとを言って食べました。
 それほど、その「似た二つを食べ比べることに興味津々」だったからです。
 
 そうしながら、私はふっと思ったのでした。
 「うちの子達が小さかったら、きっと、すごく喜んで、こんな会話をしながら食べただろうになあ・・・」と。
 私事で恐縮ですが。我が家では、夫と娘が大の果物好き。私と息子は、大好物以外の果物にはあまり興味がありません。私は、さくらんぼ、マンゴ、ぶどう、洋梨は大好きですが、あとのものは普通。
 そんな家族ですが、息子も娘も、ぶどうに関してはとっても好きだったので、彼らが小学生の頃は、平日、学校がお休みの時を利用して、わざわざ勝沼まで車を走らせ、ブドウ狩りを兼ねて、いろんな種類の朝取りぶどうを買いに行ったものです

 こういう「比べっこ」は、子どもは大好きです
まさに、こういう比べっこをするためには、豊かな感性が必要になってきますし、同時に、食感などの感想を、相手に伝え、「なるほど!」と言わせるためには、いろんな表現力を必要とします。
 そんなことを考えながら、ママ達も、図鑑を与えたりするよりも、もっともっと、一緒に話せばいいのになあ・・・と考えていました

 専門家に任せて、正答、正論を安直にゲットしたり、新しいことを学ばせたりするよりも、「子どもと一緒に考える」「子どもと一緒に楽しむ」「子どもと一緒に学ぶ」という、そういう楽しみを感じてもらえれば、結局は、豊かで賢い子どもが育つだろうになあ・・・と思いました。
 それが語学の勉強であっても、単なる食べ物の知識であっても・・・です。 

 自分で労力を使わなければ、収穫も少ないもの・・・ですよ、きっと


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