先日、デパートのスポーツ用品売り場でお買い物をし、何となく、同じフロアにある子供服売り場をのぞきながら歩いていました
今ではすっかり大人になった我が子。でも、子供服売り場を歩いていると、ミニカーを手に持ち、売り場の隅の方のスペースで無心に「ブーブー・・・」と言って走らせている息子、私に手をひかれ、立ち止まると私の顔を見上げてニッコリ笑う娘の姿・・・が浮かんできます
いつのまにか・・・いえいえ、あれから、本当にたーくさんのことがあって、20年近くの歳月が流れ、現在に至ったのですが、今でも私は、毎日の生活のいろいろな場面で、二人の我が子が幼かった頃のことを懐かしく思い出します
さて、そんな感慨にふけりながら歩いていると、売り場の一角で、若いお母さん達が6,7人かたまって立っているのが見えました
む?何なのかしら?そう思って近づいてみると、そこには幼児のための知育教室のようなものがあるらしく、たまたまその時間は、教室の一つのクラスが終わり、先生が輪の真ん中で、お母さん達を相手に、クラスの解説、お子さま方の様子をお話しになっているようでした
私はちょっと興味があって、少し離れたところから、様子を見ることにしました。すると、先生の声がはっきりと聞こえてきました
「○○ちゃん、今日はとっても上手にできました お返事も元気に出来ましたし、お行儀も良かったです」
「△△ちゃん、今日はおしゃべりが多かったです 何度も注意したのですが、なかなか聞いてくれませんでした お母さんからも、注意をしてください」
「□□さん、お話しは聞けていましたが、理解は不十分でした もう一度お母さんが、きちんとお家でみてあげてください」
先生のお話は続きました
私は、もちろん、誰が○○ちゃん、△△ちゃん、□□ちゃんのお母さんかは知りません。
しかし、先生が一人の子どもの様子を話し終わるたび、私はそこにいるお母さん達のうち、誰が○○ちゃんのママなのか、どの人が△△ちゃんのママなのか、瞬時にわかってしまうのです
なぜって?
それは・・・ 我が子を誉められたお母さんも、少々叱責されたお母さんも、何とか冷静に先生の話を表情を変えずに聞き終わろうとしていながら、実際には、明らかに顔色が変わるからなんですね
誉められたお母さんは、思わず笑みがこぼれそうになるのをこらえ
注意を受けたお母さんは、ほんの少しですが眉間にシワが寄ってしまう
集団の中で、我が子が評価される・・・平常心で聞くことは本当にむずかしい
そして、もっと平常心ではいられない時間、それは、その先生のような「第3者」の評価を踏まえた上で、我が子にそれを伝えたり、注意したりする時でしょう
よほど、冷酷か?超無関心か!人間のできたお母様でないかぎり・・・
「○○ちゃん、今日は先生がとってもあなたのことを誉めてくださったわよ ママはうれしかったわ」だけでは終われないものです
「○○ちゃん、今日は先生がとってもあなたのことを誉めてくださったわよ。ママはうれしかったわ」
のあとに、大抵は続いて言います
「そう言えば・・・△△ちゃんは、今日、おしゃべりをしてたんだって?何度も注意されたけど、ちっとも言うことを聞かなかったって、先生は怒っていらしたわ。あなたは、そんなことしちゃダメよ」
のようだったり・・・
「ねえ、△△ちゃん、今日、ママは先生に叱られたわよー あなたったら、おしゃべりばっかりしていたんだって?○○ちゃんのママなんか、ずっとお利口だ、お行儀よかった、って誉められてたのに。ママはすごーく恥ずかしかったんだから やんなっちゃう」
とか。
本来、きちんと伝えるべきこと・・・
それはどちらかと言えば「小さく」て、「少ない」
そして、ママの気分に関することは「大きく」て「多い」んですよねえ
本当は、なんでその教室に通わせたのか?いつの間にか、そういう根本的なことは忘れられてしまい、親の面子や満足度ばかりが先行する・・・
こんなふうに親のおもちゃにされる子どもは、大変ですねえ、ほんと
今ではすっかり大人になった我が子。でも、子供服売り場を歩いていると、ミニカーを手に持ち、売り場の隅の方のスペースで無心に「ブーブー・・・」と言って走らせている息子、私に手をひかれ、立ち止まると私の顔を見上げてニッコリ笑う娘の姿・・・が浮かんできます
いつのまにか・・・いえいえ、あれから、本当にたーくさんのことがあって、20年近くの歳月が流れ、現在に至ったのですが、今でも私は、毎日の生活のいろいろな場面で、二人の我が子が幼かった頃のことを懐かしく思い出します
さて、そんな感慨にふけりながら歩いていると、売り場の一角で、若いお母さん達が6,7人かたまって立っているのが見えました
む?何なのかしら?そう思って近づいてみると、そこには幼児のための知育教室のようなものがあるらしく、たまたまその時間は、教室の一つのクラスが終わり、先生が輪の真ん中で、お母さん達を相手に、クラスの解説、お子さま方の様子をお話しになっているようでした
私はちょっと興味があって、少し離れたところから、様子を見ることにしました。すると、先生の声がはっきりと聞こえてきました
「○○ちゃん、今日はとっても上手にできました お返事も元気に出来ましたし、お行儀も良かったです」
「△△ちゃん、今日はおしゃべりが多かったです 何度も注意したのですが、なかなか聞いてくれませんでした お母さんからも、注意をしてください」
「□□さん、お話しは聞けていましたが、理解は不十分でした もう一度お母さんが、きちんとお家でみてあげてください」
先生のお話は続きました
私は、もちろん、誰が○○ちゃん、△△ちゃん、□□ちゃんのお母さんかは知りません。
しかし、先生が一人の子どもの様子を話し終わるたび、私はそこにいるお母さん達のうち、誰が○○ちゃんのママなのか、どの人が△△ちゃんのママなのか、瞬時にわかってしまうのです
なぜって?
それは・・・ 我が子を誉められたお母さんも、少々叱責されたお母さんも、何とか冷静に先生の話を表情を変えずに聞き終わろうとしていながら、実際には、明らかに顔色が変わるからなんですね
誉められたお母さんは、思わず笑みがこぼれそうになるのをこらえ
注意を受けたお母さんは、ほんの少しですが眉間にシワが寄ってしまう
集団の中で、我が子が評価される・・・平常心で聞くことは本当にむずかしい
そして、もっと平常心ではいられない時間、それは、その先生のような「第3者」の評価を踏まえた上で、我が子にそれを伝えたり、注意したりする時でしょう
よほど、冷酷か?超無関心か!人間のできたお母様でないかぎり・・・
「○○ちゃん、今日は先生がとってもあなたのことを誉めてくださったわよ ママはうれしかったわ」だけでは終われないものです
「○○ちゃん、今日は先生がとってもあなたのことを誉めてくださったわよ。ママはうれしかったわ」
のあとに、大抵は続いて言います
「そう言えば・・・△△ちゃんは、今日、おしゃべりをしてたんだって?何度も注意されたけど、ちっとも言うことを聞かなかったって、先生は怒っていらしたわ。あなたは、そんなことしちゃダメよ」
のようだったり・・・
「ねえ、△△ちゃん、今日、ママは先生に叱られたわよー あなたったら、おしゃべりばっかりしていたんだって?○○ちゃんのママなんか、ずっとお利口だ、お行儀よかった、って誉められてたのに。ママはすごーく恥ずかしかったんだから やんなっちゃう」
とか。
本来、きちんと伝えるべきこと・・・
それはどちらかと言えば「小さく」て、「少ない」
そして、ママの気分に関することは「大きく」て「多い」んですよねえ
本当は、なんでその教室に通わせたのか?いつの間にか、そういう根本的なことは忘れられてしまい、親の面子や満足度ばかりが先行する・・・
こんなふうに親のおもちゃにされる子どもは、大変ですねえ、ほんと