ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

最大の挑戦だった、1000km Balkan Charity Challenge 2016

2016-11-20 | 海外&ルーマニア・マラソン大会


ラン部門の初日から躓いた~腸脛靭帯炎発生、それでも残り20キロ余りを走り続けたために、痛みは右の臀部から足の先まで達していた。帯同のマッサージテラピストはその夜、私の身体をチェックし、少なくとも1日か2日、完全休養することを強く勧めた。しかしながらその彼は、念入りで丁寧なマッサージを施してくれた。日本メソッドの湧命法というから、私に合っているに違いない。

翌朝もスタートし、62キロを完走。3日目の朝、チームメイトのブルガリアランナーが私に言った。
「朝、ヒロコがスタートしなければ、僕は驚くだろう。」
彼は続けて言った。
「スタートしたヒロコが、途中で止まってしまえば、僕はもっと驚くだろう。」

チームメイトの誰もが、私の全距離完走(7日間420キロ)を信じてくれていた。そのとおりに、続けて65・55・56・59キロと連日の長丁場を走り続けた。距離を重ねるにつれ、調子は上がっていったのである。

しかし、最終日にそれは起こった。

ラン部門7日目、全日程11日間の最後の日で、ブカレストに戻る日だった。朝、ホテルを出ようとして自分の荷物を持ち上げようとした瞬間バランスを崩し、腰をひどく痛めた。いわゆるぎっくり腰で、何度も経験がある。「これはまずい!」、腰をまっすぐに伸ばせなかった。ただただ丸まっているだけ。

私はグループと一緒にホテルを出発することができなかった。彼らはブカレストまで58キロ地点であるダイアに向かって行ってしまった。マッサージテラピストと私だけがホテルに残され、彼はまた丁寧なマッサージを施してくれた。

8時15分ごろ、彼の電話が鳴った。電話の声は、グループが既にダイアを出発したことを告げていた。私はこの情報を、床の上のマッサージマットに寝転がったまま、聞いていた。私たちはまだ、ホテルの部屋にいる。回復するまでまだ時間がかかりそうだ。自分でストレッチをしてみることに。自分で体を伸ばせなければ、走ることなどできない。まだ何分かかるのか。

そして私はゆっくり起き上がった。さらにゆっくり歩き始めた。私の足は動いた。問題は腰の痛みだけ。私たちは彼の運転する車でホテルを後にした。

「ダイアで車を止めて。私はダイアからスタートする。」

チームメイトのみんなが、「ヒロコは車で追いついてくるだろう。」と思っていたに違いない。マッサージテラピストも同じように考えていたようだが、私は決してそうではなかった。彼は私の強い意志を確認して、ダイアのスタート地点で私を下してくれた。幅広の伸縮包帯をしっかり腰の低い位置に巻き付け、スタートした。グループはすでに15キロ先にいることを知っていた。



少し傾きながら歩き始めると、徐々に体がぬくもってきた。30分ぐらいで私は自分のランニングフォームを取り戻した。少し前傾姿勢だったけれど、これが強い向かい風にちょうど良かった。おかげでいい腰の位置をキープできたのである。



走り始めた私は、マッサージテラピストに言った~「グループに戻って、ほかのランナーのマッサージをしてあげて。」、みんな長丁場を走ってきて、疲労困憊なのだ。しかし彼は私に付き添ってくれた。ほどなくして彼の電話が鳴り、彼はグループに呼び戻された。長い間彼を独占して、本当に申し訳なかった。別のサポートカーが私のためにやってきた。



ランチ休憩はだいたい40キロ地点。ここ2日ほどのペースで、ランチ休憩を終え走り始めるまでに6時間かかっている。40キロを4時間10分ほどで走れば、追いつく計算だった。オーバーペースかもしれないが、後のことは考えていなかった。少なくともブカレスト市街に入るまで(=50キロ地点)には、追いつきたかった。



ほとんど水も補給食も取らず走り続けた。私は追いつくための適切なペースを知っていた。雨が降り始めたので、さらにペースを上げた。早く走ろうとすると身体が温まってくれる。冷たい雨風の中、トボトボ走っていると身体は冷える一方だ。私の脚は非常によく動いた。

強い雨風は続いた。雨除けの服を着ていたけれど、ついにびしょぬれになった。腰を冷やさないために、近場のガソリンスタンドでランニングウェアを着替えることにした。ちょうど32キロ地点で、私のサポーターはここでランチを取ることを勧めた。デニッシュパン一つとストロングコーヒー。ゆっくり休憩している暇はない。

雨水で道路が川になるくらいの雨だった。グループもちょうどこの雨を避けて、ランチ休憩をとっているという、ほんの3キロ先、35キロ地点だ。そしてグループは私を待ってくれることになった。

ついにグループに合流した。ブカレストから参加の男性ランナーにバラの花束をもらった。とても嬉しかったけれど、喜ぶのはまだ早い。まだこの先23キロある、グループは私のせいで遅いめの進行だった。



グループに混ざった私は幸福感でいっぱいだった、これが私のチーム、1000 de Balkan(=ルーマニア語で、オミエ・デ・バルカン)。
チームと一緒のフィニッシュは、これまでで最高だ。

私の挑戦を認めてくださってありがとう。
もしこれが、競技会であれば痛めた腰で出走することは決してない。主催者のビッグ・ボスは常に言っている、「これは自分に挑戦する機会。」、挑戦者を止めることは誰も出来ない。

最後に一つだけ、最終日に4時間もマッサージテラピストを独占してしまったことが、どうしても申し訳ないです、ごめんなさい。

(記事中の写真は、走り始めて2時間の間にマッサージテラピストが撮ってくれたもの)


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