ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

この秋は大統領選挙

2014-10-28 | ルーマニア・ブカレストの日常


ルーマニアは大統領と首相の居る国。国民の直接投票で選ばれる大統領が国の元首で、議会によって選ばれる首相とともに政権をふるいます。大統領は5年任期で、2期を勤めたら改選はなし、2004年から10年間大統領を務めたトライアン・バセスク氏が任期満了となるため、次の11月2日に大統領選挙が行われます。
 
ルーマニアには3大政党があって、社会民主党(しゃかいみんしゅとう、ルーマニア語: Partidul Social Democrat; PSD)・国民自由党(こくみんじゆうとう、Partidul Naţional Liberal; PNL)・民主自由党(みんしゅじゆうとう、ルーマニア語: Partidul Democrat-Liberal, PD-L)。政党のシンボルカラーで言うとわかりやすく、PSDは赤PNLは黄色PD-Lはオレンジ
 
2004年からPD-L(オレンジ)の創始者であるバセスクが大統領となり、PD-L(オレンジ)が勢力を持っているときには、PSD(赤)PNL(黄)が組んで対抗。それでは政権に参加できないとみたPSD(赤)が、PD-L(オレンジ)と組んで2008年12月から連立政権に参加。ところが、2009年10月に当時の首相(PD-L、オレンジ)PSD(赤)所属の副首相兼内相を解任したことから、PSD(赤)は連立政権から離脱。
 
しかしながら、おりして世界的に巻き起こった経済恐慌から政策に行き詰まり、国民の不満も爆発。市内のみならずルーマニア各地でデモが繰り返された時期もあり、それに乗じてPSD(赤)が勢力を伸ばし、PSD(赤)から現在の首相ヴィクトル・ポンタ氏が選出され、現在に至っています。
 
大統領と首相が同じ政党から出ていれば、首相は大統領の人形。異なる政党から二人の権力者が出れば、当然ながら政権争い。バセスク大統領とポンタ首相も、ことごとく対立してきました。バセスク大統領は10年間の任期中に2度も大統領弾劾を受け、危うく失職する場面もあったのですが、そのたびごとにほんの僅差で国民投票を潜り抜け、任期満了を迎えようとしているのです。
 
とはいえ、失策や汚職の連続で政治家の良い話は聞きません。人々の暮らし向きは厳しくなるばかり。国民の心はもはやバセスク大統領を支持してきたPD-L(オレンジ)から離れ、次期大統領の最有力候補は、今の首相ポンタ氏(PSD、赤)
 


PD-L(オレンジ)も負けじと、今度はPNL(黄)と組んで対立候補にヨハニス氏を立てていますが、ポンタ氏の優勢は間違いなさそう。
 


ほかにこの大統領選挙には、女性2名を含む合計14名が立候補。街中に何人かの選挙ポスターが貼られているけれど、はっきり言ってぐちゃぐちゃ。



選挙ポスターが破られていたり、その上に別の候補のポスターが貼られていたり、さらにまったく関係のないポスターが貼られていることがあったり、と、整っていません。
 


街中をくまなく廻ってくる街宣車や街頭演説が無いので、静かな選挙戦。その代わりにテレビで論戦が繰り広げられています。
 
我が家では、政策に期待して2度の大統領選挙でバセスクに投票してきたマイダーリン、2度目の2009年はポルトガルへ遠征中、リスボンマラソンを走りに行っているさなかでしたが、わざわざ在外公館へ足を運んでの投票。「バセスクに期待したのがまちがいだった。給料をどんどん減らされた。」と、お怒り。
 
「政治家なんてみんな汚職まみれだ。今度は、『ミハイ1世』と書くよ。」~ミハイとは、現在存命中のルーマニア王国最後の国王(1921年10月25日生誕、93歳のお誕生日を迎えられたばかりでご健康)。

ルーマニアはもうすでに国王制を廃止しているので国王ではありませんが、古き良き時代、ブカレストが『東欧の小パリ』と呼ばれ、ルーマニア王国として栄えていたころを偲び、王政復古を夢見る人は多いです。
(記事中の写真は、最近見かけるブカレストの街中の選挙関連のもの)

ルーマニアの3大政党:(Wikipediaより、色分けは政党カラーによる)
社会民主党(しゃかいみんしゅとう、ルーマニア語: Partidul Social Democrat; PSD)は、ルーマニアの中道左派、社会民主主義政党。ルーマニア革命の際に結成された救国戦線評議会の後継のひとつ。社会主義インターナショナル加盟。保守党と統一会派を結成している。2008年12月から、中道右派のライバル民主自由党と大連立政権を組んでいたが、2009年10月に連立から離脱した。党首は、ミルチャ・ジョアーナ。政治的思想・立場は中道左派・社会民主主義・民主社会主義。
シンボルの赤いバラ殻、政党カラーは赤。

国民自由党(こくみんじゆうとう、Partidul Naţional Liberal; PNL)は、ルーマニアの自由主義政党。党首はクリン・アントネスク。2003年9月29日から2007年4月5日まで民主党と政党連合「正義と真実」を結成していた。政治的思想・立場は、自由主義・保守自由主義。

民主自由党(みんしゅじゆうとう、ルーマニア語: Partidul Democrat-Liberal, PD-L)は、ルーマニアの中道右派政党。2007年12月15日に民主党が自由民主党と合流して設立された。2004年から2007年にかけて民主党は国民自由党との政党連合「正義と真実連合」を結成していた。2004年の大統領選挙で当選したことにより民主党の創設者であるトライアン・バセスクは党首を辞任しているが、民主自由党はバセスクを支持する立場をとっている。民主自由党の執行部は次回の大統領選挙でのバセスク支持を表明している。また民主自由党は議会において、バセスクの考えを反映させるように活動している。

2008年、民主自由党は代議院と元老院の総選挙において最多議席を獲得し、社会民主党との連立政権を樹立していた。ところが2009年10月に首相のエミール・ボックが社会民主党所属で副首相兼内相のダン・ニカを解任したことから、社会民主党が連立政権から離脱した。その後同年12月の大統領選挙で再選を果たしたバセスクがボックを首相に再指名し、ハンガリー人民主同盟と連立政権を発足させた。

民主自由党の起源は、ルーマニア革命で共産主義政権を終焉させたイオン・イリエスク率いる救国戦線 (FSN) にまでさかのぼることができる。

2004年以降、民主自由党の綱領は社会民主主義から中道主義や保守といった性格が強くなり、また経済自由主義や改革主義の要素も盛り込まれた。民主自由党は自由市場の強化や、16%というルーマニアの均一税率を支持する立場をとっている。さらに地方分権を進めて8つの開発地域の権限を強化させるために、ルーマニア憲法を改正していくということも表明している。政治的思想・立場は、自由保守主義・保守自由主義。


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