ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

1000KMバルカンチャリティーチャレンジに参加して

2012-11-23 | 海外&ルーマニア・マラソン大会
東欧ルーマニアはバルカン半島の付け根に位置する国。ドナウ川をはさんで南隣りはブルガリア。その二国の首都間を、自転車で行ってランで走って帰ってくる、そんなイベントに参加してみない?とお誘いを受けたのが昨秋深まりかけたころ。
 
わたしがルーマニアに移住した2006年当時、国内のフルマラソン大会は地方都市で年に2回だけ。首都開催のものは無し。そんな国のランニングシーンにもマラソンブームが押し寄せ、今では各地でラン・イベント、夏場にはトレイルレース、週末ともなればどこのマラソン大会に行こうかと迷うほど。
 
そして満を侍したかのように登場したのがこの大会、『1000KMバルカンチャリティーチャレンジ』。ブカレスト~ソフィア~ブカレスト往復の1000キロ(これは公称、実際の走行ルートでは片道411キロ)。往路3日間はバイク、復路7日間はラン。フル参加すればデュアスロン。これはその名の通り、チャリティーイベント。市民ランナーがチャリティーランナーとして登録して、個人が呼びかけて寄付金(=ドネーション)を集める形式、日本では見かけないタイプのチャリティーレース。
 
昨年の夏、2日続けてレースで46+46キロを走ったのが最高、または4日間連続6レースで総距離90キロを走ったこともあるけれど(=2004年から連続参加しているフランス・Tour du pays de Caux)、ウルトラマラソンには手を出していません。100キロすら経験のない私、7日間連続で毎日平均60キロの距離を完走できるかどうかまったく不安でしたが、チャリティーイベントであること(レースではない)&ルーマニアでの所属クラブからの推薦を強く受けたことで、断る理由も無く、出走を決めました。
 
当初、「リレーランナーで良いから参加を。」と言われていたのを、「フルステージランナー」もいると知り、急遽登録替え~7日間のジャーニーランに挑むことに。しかし、この人生初のイベント、わたしの耳に届いたのは11月になってから。
 
往路バイク・ブカレストスタートは11月10日、復路ランは13日8時ソフィアスタート、19日にゴール。ブルガリアの山をいくつか越えて、ルーマニアに戻ってきます。この時期ともなると山間部はかなり冷え込みそう。ブルガリアとの国境からブカレストまでは約70キロ、7日間の行程のほとんどはブルガリアを走ります。ブカレストからソフィアまでの往路3日間はバイク(=自転車)、ここでの私はサポート隊。そしてソフィアからブカレストまで復路を走ることになったのです。
 
こういったジャーニーランがヨーロッパで盛んなことは知っていました。直前まで行われていたトランスヨーロッパのレポートを逐次届いて、自分もすっかりその気になっていて、私もそんな風に走れたらいいな、と。これは、ごく身近なラン友が2名も参加していたレースで、4175.9kmを64日間かけて走るもの。1名は堂々の完走、もう1名は走る鍼灸師で今回はトレーナー兼サポーターとして参加、日本チームを支えました。
 
気分だけは盛り上がってきたけれど、スタートまで時間がありません。当然ながらトレーニング期間がまったくなく、持ち物などを簡単に準備しただけ。それでも最初の3日間、サポート隊として参加してこのチャリティーイベントの意味合いがよく理解できました。
 
コース案内・給水給食などのサポートも手厚く、ドクター(=リレーランナー兼任)も同行。看護師もサポートカーに乗っていて、なにかあればすぐに電話で連絡を取り合い、トラブル場所に駆け付けてくれます。これは自転車のサービスマンも同様。とかく自転車で長距離走行するとなると、なにかとハプニングは付きもの。これらはすべてスポンサー企業からの協賛金でまかなわれています。
 
バイク部門の往路3日間を事故なく無事に終え、いよいよランナーたちの出番。復路7日間で、ブカレストまでの411キロを走って帰るのです。これはレースではないため、グループ走。1キロあたり6~8分くらいのスピードでまとまって走り、5キロごとの給水ポイントでもまとまって停止し、エネルギー補給。とにかく完走することがみんなの目標なので、チームワークも良く、超長距離を走っていることを忘れさせてくれるくらい和やかな雰囲気。
 
好天に恵まれてスタートしたラン初日、ソフィアを出て田舎道へ。集団走であっという間の55キロ完走。あいにく2日目からは曇り空、霧、小雨などに見舞われ、傘を差しながら走ることも。わたしにとって傘ランは珍しいことではないけれど、「そんなランナー、初めて見た。」とヨーロッパでも驚かれました。冷たい雨の中、ウィンドブレーカーだけではどうしても濡れてきます、そんなとき頭と上半身が濡れないだけでも、傘ランは有効。ただし、バランスよく左右の手に傘を持ちかえながら。スロージョグの場合に限るけれど。
 
連日、朝7時半のスタート、そしてゴールは夕刻、日が暮れかかるころ。シャワーを済ませみんなで夕食。時間を見つけては、当日の写真を整理して簡単なコメントとともにインターネット上にアップロード。

普段、マラソン遠征のときにはPCを持ち歩かない私ですが、今回だけは特別。なんと言っても、個人が呼びかけて寄付を集めるチャリティーイベント。レースの公式サイトの参加者ページ(Challengers)から、オンラインで寄付金を送金することができるシステムになっていて、毎晩のミーティングで「今日は全部で○○ユーロ集まりました。」と報告があるのです。
 
寄付を集めるのは義務ではないけれど、みんな一生懸命、フェイスブックやブログに記事を投稿して、友人たちから寄付を募っています。オフィシャルページでは寄付をしてくださった人たちの個々の名前(ハンドルネームもOK)とコメントが掲載(日本語もあり)されるようになっているので、毎日、自分のところに増えていくドネーションは大きな励み。朝から晩まで走り続けて、夜は早く休んで身体を回復させたいところだけれど、毎晩の記事アップも楽しみになってきました。
 
前日に55キロを走ってきたとは思えないほど快調に走り切れた2日目61キロ完走からうって変わって、わたしが大きくつまづいたのは3日目。最長距離65キロの日ですが、走り初めて5キロも行かないうちに左右の土踏まずが痛みだし、看護婦さんからテーピングのサポートを受けることに。グループ走について行けなくなったけれど、エイドごとに数分間止まって休憩している先行部隊に、止まっている間に追いつき⇒手早く補給食し⇒グループがまだ休憩しているうちに歩きで再スタートして距離を稼いだりして65キロをやり過ごし、みんなと一緒にゴール。
 
が、翌日(4日目)からは不思議な現象が。スタート後、2時間くらいは土踏まずが痛み、身体も動かず、もたもたした走り歩きなのに、お昼を迎えるころから快調に脚が動き出すのです。普段の練習でジョグしているときならば、2時間もすれば脚も疲れてきて&飽きてきて、さっさと練習を切り上げるところだけれど、このバルカンチャレンジでは20キロくらい走ったところからやっと身体が慣れてくるという感じ。連日走ることにも慣れてきて、ほぼ何の筋肉痛もありません。
 
ランコースの大部分は、ブルガリアの野を越え山を越え。穏やかな稜線を見ながら、ゆるやかなアップダウンの連続。ラン2日目から続くどんよりとした曇り空は垂れこんだままで、風景はほとんど変わりません。が、これまた不思議なことに、なんの退屈もせず脚が動いているのです。
 
大柄なランナーが多く、集団の中に入ってしまうと景色があまり見れません。わざと少し遅れて単独走に。なんの変わりもない風景が続くけれど、やっぱりこの大地と自然を感じながら走りたいです。すると頭の中に思い起こってきたのは、今まで自分が走ってきたシーン。走り始めたころのこと、一生懸命トレーニングしていた時期、そして連戦連磨の各地でのレース。一人で走ってきたのではなく、必ず誰かと一緒でした、多くの人に支えられ、励まされ、刺激を受けあい、ここまで走って来れたのです。
 
そんななかで常に思っていたのは、走ることが大好きな私が、走ることで何か人のためになることができたらいいな、ということ。今がまさにその時!、私の走る姿に、チャリティーをしてくれる人がたくさんいるのです、この人たちの励ましに応えるためにも、完走したい。チャリティーは縁あって大好きになったルーマニアとブルガリアの難病と闘う子供たちの病院などに贈られます。たくさんの人への感謝と、自分の気持ちが相まって、涙があふれてきました。ブルガリアの霧がわたしの目の周りにくっついてきたのではない、本当に涙が流れてきて、それもまた大きな力となったのです。
 
5日目からだんだん調子が上がってきて、完走が見えてきた6日目。この頃になると自分の適正ペースも判ってきました。エイドごとの休憩で座って完全停止(5分以上)するよりも、脚をほとんど止めずに動き続けたほうが自分のペースに合っている~グループ走ながらも、集団が見える範囲で後ろに下がったり前に出たり。連日の気温は4~8℃、冷えないよう努めるのも体調管理。
 
ここまで走ってきたみんなが盛り上がったのは6日目、ドナウ川にかかるフレンドシップ・ブリッジは両国間の国境、ここを走って通過。脚を痛めてサポートカーで移動していたランナーたちもここだけは走ります。このイベントは両国のランニングクラブが主催しているけれど、ルーマニア人ランナーが圧倒的に多く、自分たちの国に走って帰ってきた感動はひとしお。そして最終ステージ7日目、ルーマニア側の国境都市からの58キロには、ブカレストからたくさんのランナーが参加、首都に近づくにつれ人数が膨れ上がり、夕刻のライトアップを見ながらの市内走行、そしてフィニッシュの渦の中へ。
 
百戦錬磨のレース好きのわたし、確かにこれまでのレース経験もモノを言いました。どこを走っても怖いもの知らず。でも、自分一人ではとても走れないこのジャーニーラン~自分が走ることで両国へのチャリティーになる、といった思い以上に、ここでもまた多くの人にお世話になり助けられました。立案企画してくださった人たち、サポートしてくれた人たち、一緒に走った仲間、そして遠く日本からドネーションという形で励ましてくれた友人たち。
 
ランニングは一人でも出来る個人スポーツだけれど、繋がりのありがたさをここでもまた再認識。そして、何のとりえが無くても自分の好きなことを続けていくことも、自分のなかでは大きな力になるのだと。


数字データ:
☆往復のフルステージ・デュアスロン、登録ランナーは5名(うち1名女性)。バイク完走4名、ラン完走1名、フル・デュアスロン完走1名。
☆バイク部門、フルステージ登録は12名(うち1名女性)、バイク・フルステージ完走10名。(この数字には上のフルステージ出走者を含む)。
☆ラン部門、フルステージ登録は7名(うち3名女性)。ラン・フルステージ完走2名(うち1名女性)。(この数字には上のフルステージ出走者を含む)。
☆合計登録出走者、フルステージ5名、ステージランナー58名、ほかにリレーランナー&応援ランナー多数。

走行距離:
Day 1:Bike/Cycle 133.00 km
Day 2:Bike/Cycle 146.00 km
Day 3:Bike/Cycle 132.00 km
Day 4:Run 55.00 km
Day 5:Run 61.00 km
Day 6:Run 65.00 km
Day 7:Run 55.00 km
Day 8: Run 57.00 km
Day 9:Run 60.00 km
Day 10:Run 58.00 km

ジャーニーランは各地で盛ん:
日本ではトランスエゾ、東海道など。
ヨーロッパではTranse Gaule(フランス・夏、2週間で約1500キロ)など、長短さまざま。


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