ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

VIPの大忙しの週末

2011-10-22 | 海外&ルーマニア・マラソン大会
 
 
金曜の夜、ホテル・アテネ・ヒルトンで、After Marathon Party。主催者のビッグ・ボス、ヴァレリアさんとそのご主人スティーヴェン・ヴァン・ゴロニンゲンさん。ヴァレリアさんは1984年ロス五輪のカヌー競技金メダリスト。先のマラソンを堂々完走されたご主人は、メインスポンサーのRaiffeissen Bankの超VIP。
 


翌日は、バイク・イベント(自転車の日)。このイベントでもメインスポンサーであることから、ゴロニンゲンさんはイベントの壇上に上がり、スピーチ。

(余談:ゴロニンゲンさんの隣は、ブカレスト市長オペリスク氏。大統領選挙を来年に控えていることから、こんなイベントにも顔出し?現大統領のバセスク氏もブカレスト市長から大統領になった方。オペリスク氏も大統領を狙っているらしい。)



ヘラストロウ公園からイズボール公園まで、ヴィクトリア大通りを車を止めて南下するこのイベントに、ご夫婦そろってご自身の自転車で視察参加。長身のお二人、さすがにスポーツ精神にあふれた方々。 
 
ご夫婦そろってスポーツマン、と思っていたらそれもそのはず、ご主人もカヌー競技のオリンピアン、ドイツから参加。ご自身のブログを発見、それを拾い読みすると、ヴァレリアさんとオリンピックで出会ったことが書かれていました。
 
なんとロマンティックなオリンピック。こういうストーリーにすぐに感動するワタクシ、マドモワゼル、「オリンピックでお二人が出会われたのですね!」と目をハート型にして、お二人のサインをいただきにあがったら、「出会ったのは1982年の世界選手権。84年のロス五輪で再会したの。古い話よ。」とヴァレリアさん。当時のルーマニアは社会主義で固く国を閉ざし、一般市民の国外渡航は禁じられ、よっぽどのことが無い限り国を出ることができなかったのです。スポーツ選手であったヴァレリアさんであるから、その活躍の場で外国人選手に出会うことが出来たのです。
 
その後アメリカに渡ったヴァレリアさん、亡命を図ったとして、共産主義の時代のあいだ、スポーツ年鑑から彼女の戦績はすべて、抹消されていました。共産主義政権崩壊のあと、無事帰国を果たし、アメリカやヨーロッパ各地のマラソン大会に市民ランナーとして参加した経験から、走ることはすべてのスポーツの基本、走ることをルーマニアに根付かせよう、と、ブカレスト・マラソンを2008年より開催。
 
第1回大会のメインスポンサーは日本のトヨタだったけれど、経済危機とアメリカでのリコール問題でトヨタが撤退した後、第2回大会からはRaiffeissen Bankが継続してメインスポンサーに。ヴァレリアさんとゴロニンゲンさん、このお二人がいらっしゃっるからブカレスト・マラソンが発展し続けている、と言っても過言ではありません。
 


が、お二人ともとても気さくな方。こんな小さな自転車で、バイク・イベントの参加者と一緒にヴィクトリア大通りを風を切って走ってこられたヴァレリアさん。途中、私にも「ハ~イ、ヒロコ!」と声をかけてくださりながら、自転車を楽しんでおられました。
 


先のブカレスト・マラソンを走るゴロニンゲンさん。グリーンのTシャツは、参加賞のアディダスのテクニカルTシャツ。もちろんメインスポンサーであるRaiffeissen Bankのロゴはくっきりはっきり。これを来て走るのは当然!



声援に手を挙げて答えて下さいます。メインスポンサーの超VIPがマラソンを完走するなんて、素晴らしい==。(第1回大会のときは、どっしりとした一眼レフカメラを提げ、あちこちで写真を撮っておられました。第2回からハーフマラソンに参加、そして今年は雨の中マラソン完走)


ゴロニンゲンさんの『銀行員のブログ』はこちらから(英語)。



ランニング部門⇔⇔⇔にほんブログ村 海外生活ブログ ルーマニア情報へ
↑↑関連ブログがいっぱい↑↑
↑↑いつもご声援ありがとうございますm(__)m↑↑