江戸時代に日本全国を自分の足で歩き、測量をし日本最初の地図を作った人として伊能忠敬については学校でも習った記憶があります。
また図書館で借りた本のなかにもこの江戸時代に・・しかも測量計も原始的な縄と、人間に歩数を基にして、すばらしい日本地図を作り上げた事を・・・今でもこれとまったく同じ方法ではやり手がいないと思いうほど多くの困難を切開き完成されたことは否ならノーベル賞にも値すると思います・・・
この伊能忠敬氏は、上総国山辺郡現九十九里町に生れ、後に佐原村伊能家のミチの婿養子となります。1781年に佐原村本宿組名主となり、利根川堤防修理に活躍した人として・・その功績により苗字帯刀を許されるという、当時としては破格の待遇を受けました・・
その後家督を長男に譲り・・・いよいよ測量家としての人生が始まります。第一次測量を1800年から奥州街道、蝦夷地を測量して実測図を作っています。また幕府より苗字帯刀を許されるほど、当時の日本には正確な地図がなかっただけにこの伊能氏の才能に幕府も相当の期待を抱いていたと思われます。
その後第2次から第10次計測までかかってとうとう日本全国の計測を終え・・・ここに日本で初めて正確な日本地図が出来たのです・・・この播磨に残した足跡をたどり、地域の魅力を見直す「ふるさと播磨街道再発見で地域をつなぎ隊」のシンポジウム(神戸新聞社後援)が十八日、加古川市加古川町の加古川駅南まちづくりセンターで開かれた
同隊は、地域のリーダーを育てようと県が主催する「ふるさとひょうご創生塾」十期生の有志八人。昨年五月から明石や加古川、高砂、姫路を歩き、旧山陽道の道標や石仏の状況などを調査してきた。今回は、これまでの活動をまとめた冊子の完成報告が目的で、約百二十人が集まった。
まず、播磨学研究所(姫路市)の橘川真一所長が播磨街道の歴史などについて基調講演。「地元の人には、道標などを見ながら昔の街道に思いをはせ、一度歩いてほしい」と呼びかけた。
その後、橘川さんのほか、高砂市史編さん専門員の田寺典似さん、同隊の高塚洋隊長らが意見交換。高塚さんは「地域ぐるみで街道を守る活動を継承していきたい」と抱負を語り、田寺さんは「地元にあるものの貴重さは、地域住民ほど意外と気付かない。それを守ろうと、息の長い活動を続けるのは重要」と同隊の成果を評価した。