SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「ひゃくはち」

2008年08月29日 | 映画(ハ行)

 一味違う高校野球映画。ベンチに入れるかどうかが勝負の補欠選手の野球部生活が綴られる。
「身の丈にあった努力」のレベルで物語が進行するので、華はないが共感が持てる。

 中学野球の天才ピッチャーを描いたあさのあつこ原作の「バッテリー」も面白かったが、天才の影で悔し涙を流す他の部員側から描かれるのが本作。

 その「バッテリー」でキャッチャーを演じた山田健太が高校生になり、将来を嘱望される大物新人として入部、今回の主人公を脅かすキャスティングが面白い。

 脇役の大人たちに芸達者を揃えて野球部を取り巻く地元の雰囲気が伝わってくる。

 野球のボールの縫い目は108あるそうだ。

フェルメール展 ~ 光は左上方より

2008年08月26日 | 音楽・演劇・美術・文学

 全生涯で30数点の絵画を残したオランダ・デルフトの画家フェルメールの作品7点を含むデルフトの巨匠たちの絵画展が東京都美術館で開催されている。

 ほとんどが室内画で床の大理石タイルの市松模様が「遠近法」を意識させる。隣り合った部屋の扉が開き隣室との関係性、空間の広がりを感じさせる。窓からの光が暗がりの中ににじむように拡がる唯一の光源として登場人物に立体感を与える。

 フェルメールはその数少ない作品の中で色々な試行錯誤もあったのだろうが、「左上方からの光が差し込む室内」という舞台設定にたどり着く。
 図学で影を作図する時、光は左上45度から当てる。単純な図形にその光を当てて作図したものを上下逆に眺めると図の凹凸が逆に見えてくる。左上なら自然で右下からだと不自然だと認識してしまうわけだ。
 人間の頭に刷り込まれた、生理的にも、もっとも物質が立体的に見える理想の角度にフェルメールはたどり着いたわけだ。

 そのもっとも得意とする背景の中であらゆる物語を一つの画面の中に封じ込め語り尽くす一つのスタイルが完成されている。

 日本を代表する映画監督・小津安二郎が常にローアングルでとらえた日本家屋の中で、家族の情景を描きつづけたのと似ている。

 ただし、もっとも印象に残った作品といえば、唯一例外ともいえる屋外の風景を描いた「小路」であった。
 建物を画面と平行において真正面からとらえており、その外壁の質感が緻密なリアルさで描きこまれた中に配置された人物の生活感、特に二人の子供がこの絵画に見飽きない魅力を与えていた。

映画 「ダークナイト」 ~ ナイトはknight

2008年08月25日 | 映画(タ行)

 ひたすら悪魔(devil)に近い純粋な悪(evil)が登場する。「ハンニバル」級の悪役がアメリカン・コミックの映画化で登場するとは思いもしなかった。

 光と闇の対決がファンタジー映画ではないリアルさで描かれるが、「光」はダークサイドに飲み込まれてしまうという異例の展開だ。
 最終的に悪を滅ぼすのも正義のヒーローではない、という逆説的な構造で、バットマンがいるから新たな悪が生まれてくるという、クリストファー・ノーラン監督らしい屈折がある。

 仮面を脱いでも分厚いメイクで、悪役ヒース・レジャーの素顔は最後まで出てこないまま、これが遺作になってしまった。

 ヒーローとは何かを作品自体が問い掛ける形となったが、たまたま同時期の公開となるウィル・スミスの「ハンコック」もコメディタッチながらで同じテーマを扱っているのが興味深い。

 単純明快なヒーローものは屈折した現代においてはもはや受け入れられないのか?

 ラストでようやく、タイトルがゴッサムシティの暗い闇夜を意味するのではないことが分かった。

北京のアマデウスたち

2008年08月21日 | 日常生活・事件

 アスリートたちは、それも、少なくともオリンピックに出るクラスの選手たちは、過酷な日々のトレーニングを黙々とこなす人種かと思っていた。

 だけどそうでない部類の選手がいることも分かったし、実際、彼らが素晴らしい記録でメダルを手にしている現実も目に出来た。体操の内村も、陸上のウサイン・ボルト(ジャマイカ)も・・・。

 食事に関して節制するわけでもなく、好きなものを好きなだけ食べて、練習もそこそこのレベルで継続している程度。本番前も過度な緊張はなく、むしろリラックスしている様子で、十分に周囲を気にかける余裕も観客にサービスする余裕も見せる。

 で、メダルを獲得する。

 この日のためにすべてを犠牲にしてきた方の選手たちは、「何なんだあいつらは」と憮然とするか、その天賦の才に嫉妬するかだ。

 モーツァルトの時代から努力型と天才型の葛藤は続いているのだ。しかし天才には天才の、我々凡人には分からない苦悩があるのだろう。

 二人の選手、冨田洋之と内村航平を見ていてそう思った。

小説「クライマーズ・ハイ」を日航機内で読む。

2008年08月19日 | 音楽・演劇・美術・文学

 お盆の帰省に航空機を利用した。往復行程と帰省先の滞在中に読もうと文庫本を一冊持っていった。

 機中で読み始めて、本の選択を誤ったことに気が付いた。

 書名は横山秀夫の「クライマーズ・ハイ」、1985年の夏、お盆の帰省客を載せた羽田18:00発の日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落した事件が核になった小説だ。

 自分の行動と極めて近い条件設定で航空機事故が描かれた小説を、その同じ会社の飛行機の中で読もうというのだ。どう考えても趣味が悪い。

 だけど作品はとても良い。脚色され映画化されたが、これは原作にはかなわない。この文学的な香気がもう少し映画にも漂っていたらな・・・と思う。

エコの裏側 ~ そんなの関係ない

2008年08月18日 | 日常生活・事件

 近所のスーパーに近隣の資源ゴミ回収用ボックスがあるので、ペットボトルを捨てようとした。

 ボックスは蓋に当たる部分に空きカン用とペットボトル用の投入口が2つ設けられている。同じような大きさで、後者の場合2Lサイズの大きなペットボトルは投入できない。それようの大きな投入口のボックスがあるか探したが見当たらない。
 で、蓋を持ち上げて中に入れた。

 そしてエコの裏側を見てしまった。なんと中は仕切りも何にもなく、結果的にはどちらの口から入れようが「そんなの関係ない」のだ。

 回収した業者がこれを分別するのだろうか?忙しい業者にそんな手間隙を期待できるのだろうか?

 利用者が多いのか同じ回収用ボックスが2つ並んでいる。ならば一つをカン用、もう一方をペットボトル用にすれば分別手間はないはずだ。だけどそうなってはいない。だから分別などやっていないのではないかと疑いたくなる。

 限りなく怪しい。

映画 「クライマーズ・ハイ」

2008年08月07日 | 映画(カ行)

 御巣鷹山の日航機墜落事故を取材した地元新聞社を舞台にした作品。

 監督の原田眞人は2002年の「突入せよ!『あさま山荘』事件」を監督しており、機動隊と新聞社の違いはあるが、事件に遭遇した緊迫した雰囲気の中での人の動きにはリアルさがある。フロアのずっと奥にいる人も見事な動きを見せている。

 事故そのものがテーマではなく、地元で起こった事故を追うことになった地方新聞社の複雑な人物群を描いたものだ。ただ群像劇ではなく、堤真一扮する全権を任された記者が主人公である。

 主人公は家族再生の問題を抱えており、亡くなった親友の息子と挑む谷川岳の衝立岩登頂を描く現在と20年前の出来事が交互に描かれる。

 なぜ交互かというと、タイトルにもなっている「クライマーズ・ハイ」状態のクライマックスが過去とシンクロするように劇が進行するからなのだが、そこがやや平板でそのようには意識されない。そのため余計な部分を切り捨て、事件に絞って迫力の力技で全編をまとめた方が良かったのではないかという見方も出てくる。

 過去の部分にも山崎努扮する社主のセクハラ問題など、主人公の出自をめぐるコンプレックスを説明するために加えられた要素がある。そのため完成度はやや減点されるが、見て損のない、最近では珍しく骨太と形容するに足る映画となっている。

映画 「スカイ・クロラ」

2008年08月06日 | 映画(サ行)

 芝居だったら作り物の背景の前でリアルな人間が演技する。ちょうどその逆なのだ。どこまでもリアルな立体感を持った背景に、2次元の平面的アニメキャラクターが登場する。

 この作画が物語の世界観を象徴している。主人公たちキルドレはけして死なないというが、実は何度でもリセット出来るという意味では逆に「何回でも死ぬ」運命を宿命付けられているのだ。
 その分、人の命は軽くなる。ゲームの中のキャラクターと存在感において変わるところはない。そこにリアルに存在する「モノ」と死ねば何度でもリセットされる人間の存在感を対比するとこの作画の意図が理解できる。

 はかなさ、切なさがリアルな戦闘シーンを舞台に描かれる感覚は、どこか新海誠の一連の作品に似通ったものが感じられた。

 クロラ=crawler はハイハイする赤ん坊の意味だ。

映画 「ハプニング」

2008年08月05日 | 映画(ハ行)

 「世の中には科学では説明できない現象がある」というテーマの作品。事件だけ起こって謎解きのないミステリーのようなものだ。したがって観客にはストレスだけがたまる。

 アメリカ全土からミツバチがいなくなっているのは何故か?という教授の問いに対するある学生の答えが冒頭の台詞だ。それが伏線だと言うのなら、その伏線に沿って物語が展開するわけだが、まさかそんなことで終わってしまうとは思ってもいない。

 ひょっとしたら我々はシャマラン監督のことを長い間誤解しつづけていたのかも知れない。それでも次はきっと・・・という思いを繋いで来た。でもそれが誤解だったことにようやく気付かされたのだ。

 もう次回作は見ない。

映画三昧

2008年08月01日 | 映画
 往年の名画のDVDが安い。著作権法の保護が切れたことによる。

 1枚500円は安い。名画座並みだ。しかも手元に残り何回でも楽しめる。劇場には及ばないものの、家庭用テレビも大画面化してきた。モニターと自分の距離を調整すれば視野に占める画角的には劇場と同等に鑑賞可能だ。

 で、その安さはさらに進化している。「風と共に去りぬ」+「ローマの休日」+「カサブランカ」の組合せで980円はどうだ。1枚330円を切っている。
 と思っていたら「ローマの休日」+「シャレード」で500円が出た。

 2003年の著作権法改正で映画の著作権保護期間が公表後50年から70年に延長されたが、名作が多いとされる1953年の公開作品にはそれが適用されるのかどうかで法的に争っていた。

 しかし原告である映画会社が上告を棄却したので、「シェーン」「ローマの休日」などが、広く合法的に流通することとなったのだ。

 「シャレード」は1963年の作品なのだが?