6ヶ月の余命宣告というわけではない。健康で、夢も希望もごく普通に持っていた人たちが突然、数時間後の「消滅」を宣告された運命共同体の一員となる。
映画では、無名の俳優群がまったく当時の乗客そのものになって、それぞれの置かれた立場で行動しているかのようである。登場人物は多いが群像劇ではなく、主役はそこで起こりつつある「事象」そのもの。
観客は予定調和的な結末がないことは最初から分かった上で、搭乗機ならぬ劇場の座席に着くことになる。したがって最初から最後まで息苦しいような緊張感が張り詰める。手持ちのカメラはたえず揺れ、左右に振り回される。
当時、管制の現場では何機がハイジャックされ、WTCに激突したのがどの便なのかさえ正しく把握されていなかったっことも明らかとなる。その中で搭乗機の乗客は「行動」を選択したのだ。
9.11で世界の流れが180度向きを変わったと言われるが、その捻れを四分の一だけ巻き戻せたとしたら、それはユナイテッド93便の乗客が示した「勇気」によるものだ。
犠牲者数の「搭乗者数44名」は乗組員と実行犯グループを含む数字である。犯人グループも家族を持っていたし、恐れもあった。
「戦争」はあらゆることを正当化してしまう。特攻と自爆テロは違うのか。彼らにとっては、これも「戦争」だったのだ。
劇映画の枠を越えた作品。単なる再現映画ではなく、現実の持つ重みを観客は共有することになる。
映画では、無名の俳優群がまったく当時の乗客そのものになって、それぞれの置かれた立場で行動しているかのようである。登場人物は多いが群像劇ではなく、主役はそこで起こりつつある「事象」そのもの。
観客は予定調和的な結末がないことは最初から分かった上で、搭乗機ならぬ劇場の座席に着くことになる。したがって最初から最後まで息苦しいような緊張感が張り詰める。手持ちのカメラはたえず揺れ、左右に振り回される。
当時、管制の現場では何機がハイジャックされ、WTCに激突したのがどの便なのかさえ正しく把握されていなかったっことも明らかとなる。その中で搭乗機の乗客は「行動」を選択したのだ。
9.11で世界の流れが180度向きを変わったと言われるが、その捻れを四分の一だけ巻き戻せたとしたら、それはユナイテッド93便の乗客が示した「勇気」によるものだ。
犠牲者数の「搭乗者数44名」は乗組員と実行犯グループを含む数字である。犯人グループも家族を持っていたし、恐れもあった。
「戦争」はあらゆることを正当化してしまう。特攻と自爆テロは違うのか。彼らにとっては、これも「戦争」だったのだ。
劇映画の枠を越えた作品。単なる再現映画ではなく、現実の持つ重みを観客は共有することになる。
テロの行為は、絶対に肯定されるモノじゃないと思う。でも、誰が彼らを、何で彼らがって事も考える必要があると思う。
この映画では、そういった部分は描かれていないが、テロの実行犯達も公平に表現していて、救われて気分だった。
彼らだって自爆テロなんかしたくなかったはず・・・
コメントありがとうございます。
「あっちの正義」がこっちでは必ずしも正義とは限らないことが良く分かる映画でした。
「多様化した価値観」を極めてリアルに作為無く見せてくれました。