くっくとなっちの巣穴

もにゃ~うにょ~プスプス。

飲み屋の想いで2

2016-05-30 22:04:37 | ブログ
前回の続き。

5、在宅マッサージの会社を辞めて入ったデイサービスでの、同期の方と飲んだ寿司屋の夜・・・。同期と言っても自分より10才上の方だった。彼もまた脱サラして介護業界に入って来た方だった。彼は持病を抱えて頑張っていた。この時は鍼灸の資格が活かせずしたい事が出来ず、また孤独で苦しんでいた時だった。

お互い人生に失敗し一時的にいた場所だったので気が合った。彼には励まされた。マッサージの学校に行きたい・という自分を応援してもらった。今はもう交流は無いが彼はどうしているのだろう。

6、リハビリ型デイサービス最後の夜・・・。5か月居たデイサービスを辞めた私のために送別会を開いてくれた訪問看護の看護師やPT、OTとのカラオケの夜。居酒屋で飲んだあと朝までカラオケしたのだった。みんなすごい体力だった。この時は、まだ次の行き先が決まっていなく、業界を去り北海道に帰ろうと少し思っていた。

そういう私に、カラオケボックスにてSTの女性の方が言った。「あなたは個性的な方なので、きっと役にたてる人がいます。この業界にいてください。」と・・・。もう少し頑張ろうと思った。もう1度会い、現在の姿を見せたいがもう会えないだろうなぁ~。

7、バイトでマッサージしてた、店長と子安で飲んだ夜.....。3か月だけマッサージのバイトしていたデイサービス。そこはすごく評価してくれた場所だった。仕事も楽しかった。全くストレスのない時間を過ごした。また現在まで最も治療家として絶賛された場所でもあった。

だた給料が低かった。

そしてそこでもバイト中に、リハビリ型デイサービスから声がかかりそこで5年半を過ごすこととなった。


それ以降は、飲みに行ったり、食べに行ったりするのは、もっぱら彼女だけとなった。

職場恋愛を隠していたから、うかつに人と飲みに行けないし、行っても本音で話せないから楽しくないし・・・。

最近また飲みに行く人が出来たが、今度は子育て中で金と暇が無い・・・。

しかし・・飲み屋には本当に救われた経験があった。

励まされた。

癒された。

自分もそのうち後輩を助けなきゃならないだろう・・。

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酒場の思い出。

2016-05-24 22:09:12 | ブログ
前回の続き。

今までいろいろな時代に、いろいろな人と、いろいろな所で飲んだ。

人生の節目となるような時に、励ましや、道票を示す言葉をもらった事も多い。

20代の頃、30前半にかけての会社員時代も、忘年会や打ち上げその他でいろいろな人と飲んだが・・この時は、まだ会社の愚痴、上司の悪口、上司へのおべっかなどを言いあう事が多く、それはそれで楽しかったし必要でもあったが、それで自分が救われたという事は無い・・基本的に。

また鍼灸学校時代も、いろいろな方と飲み語り合ったが、今考えると、くだらなかったなぁ~。その時は楽しかったが・・。

みんな辛い現実から逃げて、一時の夢を信じ語り合ったのだった。

本当に、自分は救われた、癒された、今後の糧を得た・と感じることが多くなったのは、上京する前後からかもしれない。

ようするに北海道時代はまだ追い込まれていなかったのだろう。

以下・・時系列に、今でも思い出す飲み会のエピソード。

1、上京する前日に鍼灸学校時代の友人と、北海道にてスナックをはしごした夜・・・。北海道には鍼灸のいい就職が無く上京を決意・・この時は学校への進学が失敗したと思っていた。話す内容は学校への愚痴になった。この友人とは現在も続いていて、北海道に帰るたびに飲んでいるが、自分が転職を繰り返した時代、彼が独立を考えていた時代・・などを経て、私はケアマネとなり結婚し、彼も今の会社に骨をうずめる覚悟が出来て、お互い落ち着いたのだった。

今はもうあまり会えないので寂しいが、「整骨院には行くな。」との強い言葉ももらい、デイサービスに就職した。彼がいなければ現在の自分は無い。

2、同じく上京する2~3日前、有料老人ホームの同僚との飲み会・・。3か月しかいなかった私の転勤のために送別会を開いてくれた。自分の転勤の目的は、東京で鍼灸の仕事を探す・・という事だったので、本心から話せる人はいなかったが、「君はどこへいっても、最初は風あたりがつ強いかもしれないが、必ず人を癒すことができる。」と言われた、その施設の男性ケアマネの言葉が忘れられない。私の目標とする1人でもある。


3、リハビリ型デイサービスのマッサージ師の先輩と西那須野で飲んだ夜・・・。何度も飲みに行き、先輩が所をかえるたびに、東京、藤沢、西那須野、羽村といろいろなところで飲んだが、印象に残るのは、西那須野の夜。

施術への絶対の自信がある方、いろいろな事を教えてもらった。しかし彼は年齢が進むとパワーダウンしていった。かって憧れた人であったが進む道が違ってしまったのだろうか・・。

4、在宅マッサージの同僚との最後の、中央林間での夜・・・。会社を辞めることを決意し、同僚3人といっしょに辞表を出す前日の夜。今でも一番暑い夜だったと思っている。この2人とはその前後から何度も飲みに行ったが、今ではもう交流も無い。女性2人・・もう思い出したくない過去なのだろうか。辛かったが楽しかった。家族も無くまだ追い込まれていなかったのだろう。現在なら相談することなくいきなり辞めている状況だろうなぁ~。

このブログがちょうど始まった頃である。

以下は次回にしたい。

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6年ぶりの再会。

2016-05-22 22:43:18 | ブログ
先日、かって非常勤時給1200円で勤めていたデイサービスにケアマネとして利用者様の見学に同行した。

6年ぶりの訪れたのだった。

PTの方と、知っている利用者様は2名いた。

このブログでかってボロクソに書いていたデイサービスだったが、現在の利用者様の評判は良く、私が居た時より良くなっていたのかなぁ~。雰囲気も良かった。

かっては、何もないデイサービスを職員の創意工夫で何とかしろ・・というデイサービスだったが、現在はフォーマットもしっかりしてきたのかなぁ~。

しかし離職率は相変わらずかなぁ~。

そのPTの彼とは3回ほど飲みに行った事がある。そのうち1回は空港で偶然会い、年末の帰省の前飛行機が出発する前に飲んだのだった。

自分は5か月で辞めたが、彼はそこにそのままとどまっている。

孤独だった時代・・彼は会社側の人間だったので、本当に心から分かり合える人は1人だけ別に居たが、その方とはもう交流は無い。

しかしその方には本当に救われたのだった恩人の1人である。

やはり、どんな時も無条件で味方してくれる人の居ない職場は長くは勤められないなぁ~。

現在、辛いのはそれが1つの原因になっていると思う。

上京してから、いろいろな人といろいろな所に飲みに行ったが、いろいろな人にいろいろ救いの言葉をもらい、逆境の時もどうにか乗り越えて来た。

自分の財産である。

次回思い出して書いてみたい。

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子供を持つ喜びと辛さ。

2016-05-12 22:30:40 | 子供
子供が生まれて1年・・たいへんだったが無我夢中で楽しかった1年が過ぎて、そろそろ現実と向き合わなきゃならなくなって来た。

この1年は、3時間おきにミルクをやったり、夜起きてミルクをやったり、たいへんだったが、寝るか、泣くかの時期から、首座り、寝返り、ハイハイ、立っち、して歩きはじめ、笑うようになり、おしゃべりするようになり、楽しかった。

しかし赤ちゃんの時期を過ぎ、幼児になり、これから先の事を考えると辛い現実が待ちかまえてることが見え、落ち込む時がある。

認証の保育園代が払えない、学資保険にも現在入っていない、2DKの部屋に住んでいるが、この先もっと広い所に移れるメドがつかない。習い事もさせられない・・・。

現在大赤字である。

ケアマネとなった現在・・前職より100万ほど年収が良くなった・・。しかし1人で受け持つ利用者の上限がある以上、給料も頭打ちであり、定年までずっと上がり続けることは無い。たとえ管理職になったとしても・・である。

ただそれでも介護職よりは恵まれている・・去年までのところでもし働いていたら生活できなかっただろう・・。

ただし現在は・・の話でこの先はどうなるかわからない。

ただ、だったら子供を持たないほうが良かったか、独身のまま良かったか・・と言えば、やはり今の方がいいのかもしれないかなぁ~。

会社時代、鍼灸、介護業界で独身の人は多々見てきたが、40代の人はともかく、50代で独身だと男性の人にはとてつもない寂しさを感じた。

子供は可愛い・・自分はこの世に自分の遺伝子を残せたし、自分の生きて来た証を残すことが出来た。

次世代に命をつなぐことが出来た・・これは生物としての自然な喜びだと思う。

しかし独身の時より辛い。

アラフォーまで独身だった自分は、本当に責任の無い独身生活を満喫していたのだと思う。

遊んだとか、浪費したとかではない意味で、自分は本当に自由だった。

親のおかげの部分もある。

夜間大に進学し、会社勤めのあと、鍼灸の学校へ、30代にしてトランク1つで上京し、鍼灸や介護・・自分に合う職場を探し転職を繰り返した。

これらの事は、もし家庭があったら1つも実行できなかっただろう・・。

自分は、何にも縛られない自由人であった。

毎日飲みにいった日々もあった。

人下ℋ関係、仕事で辛い事があった時もあったが、自分は本当の意味で苦しんではいなかった。

いつでもそこから逃げる事ができた。

会社時代の家庭のあった人のあの時の辛さが今ようやくわかったなぁ~。

現在はお金も時間も自由に使えない。

学習、人づきあいでも独身の時のようなわけにはいかない。ケアマネの試験も子供が小さいうちは受からなかっただろう。

子供といることは本当に楽しいし、癒されるが、辛いこともある。



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停滞している5月。

2016-05-07 22:47:07 | ブログ
う~ん・・・停滞している。

仕事が楽しくない。

職場は女性の中に男性が私1人。本音で話せる人が居ない。

プレッシャーもデイサービスの比じゃない・・。ストレスたまるかなぁ~。

すっきりしない仕事である。とりあえず生活を何とか持たせているだけの事が多く、解決・というわけじゃない事が多い。

正直、利用者様が亡くなったりするか、施設に入ったりすると、「これで本人も、ご家族も楽になったなぁ~。」とほっとすることがある。

孤独で満足感の無い仕事だなぁ~。

今までの職場でも仕事が辛い時や、職場の人間関係がうまくいかず、辞めたいと思うことは多々あった。

しかし今回は辞めたいというわけでは無い。

他の仕事がしたい・・というわけでは無いし・・。

給料や休み・・待遇には満足している。

そこが救いといえば、救いだが・・。



しかし・・自分はケアマネに向いていないのだろうか・・と思う。

かといってデイサービスの給料では、子供を育てていけなかったし・・・。もう出来ないだろう。

鍼灸師も向いていなかった。

警備会社も、私より仕事のできない社員はいっぱいいたが、向いていたとは言えなかったし・・・。

自分は何なら向いているのだろうか・・・。

天性の明るさが無いし・・。社交性も無い。話ベタだし。

几帳面さも無い。

取り柄が無い・・・。

だから20代の時に、面接に落ちまくったのだろう・・。

取り柄の無いフリーターだった自分・・。

それがここまで来たのだから、もう少し頑張らなければならないなぁ~。

あのころより、いつの時代より、今は恵まれているといえば恵まれているし・・。
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