そよ風に乗って

過ぎ去った思い出や、日々の事を
そっとつぶやいています。

私のファミリーヒストリー・・母と地震

2016-10-24 07:35:51 | 私の事

 

先日、都知事、小池さんの定例記者会見のテレビ中継が始まって間もなく、

鳥取地方の地震速報が入り、やがて画面が地震情報に切り替わりました。

 またしてもマグニチュード6の大きな地震。いったい日本は・・・・・ と不安になりました。

 

 前回の記事で、若くして亡くなった両親の記憶を綴ってみたくなったと書いたのですが

さて、何から書けばいいのかと考えていた所でした。

 

母の記憶で私の脳裏に残っている映像の1枚に、地震の情景が有ります。

ある日地震で家が揺れました。

とっさに母と一緒に、縁側から外に飛び出したことが有るのです。

庭から、揺れる家を見ていました。少し大きな揺れだったのでしょうね。

その時の、母が家を見上げている姿が、なぜか忘れられない情景として記憶に残っています。

 

日中でした。姉たちは学校に行っていたのでしょう。

そこにいたのは母と、祖母と私だけだったと思います。私は4歳か5歳頃と思います。

 

母は東京生まれですが、一家は大阪に転居していました。

最近になって改めて知った事ですが、

それは関東大震災(1923年)により、母の父親(祖父)の仕事関係がダメージを受けたので

大阪に転居して活動の場を移したということらしいです。

祖父はピアニストでしたが、その後50歳で亡くなっていますから

祖母たちから聞いたことがあるだけの人です。

脳溢血で突然だったと聞かされていました。

ネットで検索すると、祖父の事を研究して下さってる方がいてビックリしました。

一昔前、図書館の人名事典で調べたことが有るのですが大したことは書かれていませんでしたが

インターネットは本当に有り難いですね。

 

今にして思うと、あの時の母は、地震の記憶がよみがえっていたのではないかと

思いました。そんな風情が私に焼き付いて残っているのかもしれません。

そして関東大震災の時、母は何歳だったのかと計算してみると5歳でした。

それから、大阪に住んでいたのですからもう大阪人でしたね。

 

女学校は当時の大阪府立堺高等女学校を卒業していますが

父と知り合って恋愛結婚するのは、その頃

石原マンドリン合奏団に入団し寺門渓村の門下生となってギーターを習っていたそうで

そこが二人の共通点でした。

両親はギターで結ばれた と周りから聞かされていたのは、それゆえなのです。

何故ピアノではなくギターなのか。

それは一つ年上の姉がピアノを選んだので母はピアノを姉に譲ってギターを習ったのだと

その伯母から聞いたことが有ります。

父親が家にいる時はピアノを弾かせて貰えず、

二人で練習するのは時間的に無理だったと言っていました。

 

手元にある数少ない資料で、私のファミリーヒストリーを たぐり寄せてみます。                        

 


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