そよ風に乗って

過ぎ去った思い出や、日々の事を
そっとつぶやいています。

私のファミリーヒストリー②・・母とギター

2016-10-25 11:51:16 | 私の事

 

母はギタリストでした。

生まれ育った私の家は、終戦前夜に焼夷弾で焼かれたあとに

建て替えられた、平屋建ての小さな家でしたが

その後一部屋建て増した洋間が玄関を入ってすぐのところにできていました。

 

思い出す風景。

それは母がその部屋でギターの練習をしている姿です。

私は、ギターの聞こえる庭で一人で遊んでいました。

口の中には風船ガム。もう味もしないけれど、時々ぷーっと膨らませます。

ぱちんと割れたガムが顔にクシャンとくっ付きます。

それを再び口の中に戻して、口の中でのおもちゃでした。

 

トイレに行きたくなると、そのガムを母に預けに行きます。

母はギターを弾きながら、口を私の方に付きだして、口移しにガムを預かってくれます。

そして、用が済むと、ふたたび口移しでガムを受け取ります。

 

今の時代、そんな事をしたら、親の虫歯菌が付くからだめよ、と言われるのでしょうね。

母は譜面を見ながら難しそうな曲を弾いていました。

私は邪魔しないでおとなしく庭でおままごとをしていたのでしょう。

思い出す母との情景です。

 

父はサラリーマンでしたが、亡くなる3年前に退職してギターの教授になり

関西スペインギター同好会を設立して、

ギタリストと言う機関誌を発行していました。

父はすでに、体を壊していたのです。

亡くなるまでの数年間、コンクールを2回開催しましたが

2回目のコンクールの準備に奔走して本番の時には亡くなっていました。

 

最後のギタリストの機関誌は、父の追悼の号として

発行されています。9号でした。

その機関誌で、父の思い出を語って下さっている方々の文で

私の知らない父の姿を知ることが出来ました。

ギターの普及に最後の命の火を灯した。そんな人だったようです。

母は、その数か月後に亡くなり、二人の追悼号になっています。

また・・・・

 

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