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ストリートフォトは本当に他人の心を傷つける?!

2009-05-11 14:21:38 | 業務関連
Zoushigaya090329048


諸般の事情から、最近になってまたしてもオタク向けの文章仕事に関わるようになった。以前はオタクの病んだところが嫌で嫌で仕方なく、同じ病人を相手にするなら写真や現代美術関連の方がまだマシとか思っていたのだが、少し距離を置いて眺めるとさほど鼻にもつかず、むしろ写真や現代美術関連のビョーキっプリが文字通り嫌らしく思えてしまうのだから、結局は隣の芝生なのか、あるいは自分が過剰に過去を美化しているのか、いずれにせよこんな調子ではジャンルごとの振り子運動を繰り返しつつ歳を取るという、ある意味では最悪の人生を歩んでしまいそうな予感がして怖くもある。



心の闇と言うか病みと言うか、ぶっちゃけビョーキといえば、しばらく以前にチェックした展示から、そういう話にハッテンしたことを思い出す。



その展示は街を歩く人々の顔をテーマにしており、恐らくは望遠レンズで撮影したであろうアップの画像がポストカードに使われていた。自分は街角で望遠レンズを使っている人々をしばしば目撃していたが、彼らが生成する画像をちゃんと観たことはなかったので、白状すると「完全に興味本位」で会場へ足を運んだものの、予想以上に質が低くて早々に退散したというものだった。
なにしろ、どう考えてもポートレート的な撮り方にもかかわらず、はっきりと「顔からピントがずれている」ばかりか、そのピンボケ画像を「大伸ばし」しているのだから、少なくとも自分にとっては作品と呼ぶべきではない代物にしか思えなかった。また、被写体となった人々の表情にしても「否定的な意味でカメラの存在を意識している」ように思えてしまい、望遠レンズを使っている意味を感じられなかった。
いちおう、同行した知人は「人間の内面をえぐるような印象」を受けたらしいが、自分は「カメラの存在を意識した瞬間に顔を背け、心を閉ざした人々の顔」にしか思えなかったし、むしろテーマと画質の両面で二重にピントのずれた展示としか思えなかったのだ。



でまぁ、その話を別の知人としたところ、その知人はあっさりと「撮るほうも撮られるほうも、それを観たがる連中も含めて、みんなビョーキなんだから仕方ないよ」と笑った。
知人はストリートビューをめぐる騒動を引き合いに出しながら、アレに噛み付いてる連中みればすぐわかるだろうとかなんとか、面白おかしく話を膨らませていたし、自分も某ストリートビュー反対派の主婦を観て、ちょっと病的なのではないかと「ドン引き」したことがあるから、まぁ言わんとすることはよくわかる。



もちろん、知人は半ば冗談でネタをフッタのだが、ちょっと冗談では済まされない部分も無くはなかった。というのも、鬱や統合失調の傾向がある人にとって、見知らぬ他人に「写真を撮られる」というのは、かなりしんどいというか、ぶっちゃけ「心を傷つけられる」行為なのだそうだ。問題はその鬱や統合失調の傾向がある人がどの程度まで存在しているかということなのだが、統計によると東京ではうつ病の通院患者だけでも「1000人中8~9人」の割合で存在しているそうで、軽度の鬱や統合失調症の患者を含めると、その10倍は存在していると考えてよいらしい。
つまり、雑踏で1フレームに十数人ほど収めてストリートフォトを撮影した場合、程度の差はあれどもほぼ全てのカットに「鬱や統合失調の傾向がある人」が入ってくるという、なんとも気が滅入る計算も成り立つ。もちろん、病状の深刻な人々は基本的に人気の多い盛り場などを避けるので、そこまで極端なことにはならないだろうけど、そういうリスクが存在していることは認識しておくに越したことはないだろう。



ただ、本当に問題なのは見知らぬ他人に写真を撮られる「かもしれない」と考えるだけで病状が悪化してしまうほどに病状が深刻な人々が少なからず存在していることで、しかもそういう人々をうっかり本当に撮影してしまい、さらに「敵として認識されてしまう」リスクが存在している事だろう。



とりあえず、町田で専業主婦は撮らないよう、自分も気をつけたほうがよさそうだね。



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