Tokyo at rain and Tokyo at night MOVIE!

東京の夜景動画ブログです。

ギャラリー四景

2007-05-29 22:32:16 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月


今日は打ち合わせの合間にギャラリーをはしごしつつ、なんとなくロールフィルムを2本消費した。
ここ1週間ほど悩まされていた喉の痛みから解放されたせいか、天気はよくなかったが妙にテンションが高い。その上、今日観た展示はどれもアタリだったので、ますますテンション上がってしまった!



まず、昼過ぎにPLACE M瀬戸正人写真展「BINRAN」を鑑賞したのだが、のっけから完全に圧倒されてしまった。ご存知の方も多いかと思うが、瀬戸氏は本当に器用というかなんというか、高い技術力を誇る作家なのだが、今回もまずその優れた撮影技術に圧倒されてしまう。



また、同じくご存知の方も多いかと思うが、瀬戸氏の作品にはどこと無くエロティックというか、はっきり言って変態的ないやらしさが漂っていることも多いのだが、今回は台湾の「檳榔屋台」がテーマなので、もぅ瀬戸氏の本領が遺憾なく発揮されており、申し訳ないが写真集『picnic』よりも全然こっちの方がよく思える。
というのも、デジタルならではの胡散臭さやうそ臭さが、瀬戸氏のねちっこい視線によって被写体の持つありえないほどのいかがわしさとあいまって、この世のものとも思えない桃源郷の書き割りを描き出しているのだ。異論を持つ人もいようかとは思うが、この作品は瀬戸氏の代表作になるのではないかとさえ思う。



次に、ロータスルートギャラリーで本間郁写真展「神様も知らない」を鑑賞する。
こちらは、先ほどの「BINRAN」とはキレイに正反対の、すがすがしいかわいらしさを備えた展示だったが、セレクトやインスタレーションに卒の無さを感じた。本間氏は今回が初の個展ということで、かなり緊張しておられたようだが、その初々しさが作品にもはっきりと表われている。
この素直さや初々しさを継続できれば、それは作家の武器としても立派に通用するのだが、その一方で押さえるべきところは押さえるといった卒の無さも秘めており、いろいろな意味で先が楽しみな存在だと思う。



それから、用事を済ませて表参道画廊へ向かい、林田摂子展川鍋友美子展「You and me」を鑑賞する。
先週の表参道画廊MUSEE Fと正反対の傾向だったが、今週はどちらも比較的近い傾向の展示となった。



まず、林田氏の展示はどことも知れないヨーロッパの田舎風景をテーマとしているのだが、うっかりすると単なる「心地よい風景の羅列」につながりかねないテーマであるにもかかわらず、鑑賞者に全く媚びない作品を堂々と展示している思い切りの良さにうたれた。特に鑑賞者が安易な物語性を求めないよう、セレクトとインスタレーションにも配慮している点は、林田氏の作品に対する真摯な姿勢がよく表われていると思う。



次に、川鍋氏の作品だが、これまたなんともうそ臭いというか、やはりこの世ならざるなにかを感じてしまう。まぁ、デジタル写真なんてウソの塊みたいなものだけど、それにしても作品の中にある人物の関係性に強烈な違和感を覚える。
というのも、どう考えても「濃密な人間関係がそこにありそう」なのに、作品にはどこと無くわざとらしいというか、撮影のためにとりあえず仲良くしておこうかてきな空気が漂っていて、役者夫婦が「役の上で夫婦を演じている」かのような居心地の悪さがそこにある。
そして、そういった「本当は深い関係にあるのだけど、なぜかそれだけではなさそうななにかを感じさせる」というメタな感覚が、川鍋氏ご自身の意図すら超越したところで作品に漂っているというのは、自分にとって非常に愉快で楽しめる出来事だった。まぁ、この辺のあれこれに関しては、川鍋氏からもいろいろと興味深いお話を聞かせていただいたのだが、ネタばれになっても興ざめかと思うし、トニカク足を運んで作品から直接感じ取っていただきたい。



もちろん、どちらもお勧めの展示だ。



最後に、おとといgallery Archipelagoで鑑賞した船木菜穂子展 「あおあおと、グリーン」を紹介する。
まぁ、紹介するといってもそんなに大げさなものではなく、ただ個人的にちょっとよい感じだったというだけなのだが、船木氏の作品は「よい悪い」ではなく「好き嫌い」で語ることしか出来なさそうな、そういう超越感があると思った。
会期も残り少ないので、出来れば時間を作って鑑賞していただきたいと思う。



でまぁ、自分の展示なんだけど…
サブタイトル、変更したくなってきたぬぅ~



本間郁 「神様も知らない」
会場: ロータスルート・ギャラリー
スケジュール: 2007年05月29日 ~ 2007年06月03日
住所: 〒163-0004 東京都新宿区四谷四丁目22 第二富士川ビル1F
電話: 03-3341-9341



林田摂子 展
会場: 表参道画廊
スケジュール: 2007年05月28日 ~ 2007年06月02日
住所: 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前4-17-3 アーク・アトリウム B02
電話: 03-5775-2469 ファックス: 03-5775-2469



川鍋友美子 展
会場: ミュゼF
スケジュール: 2007年05月28日 ~ 2007年06月02日
住所: 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前4-17-3 アーク・アトリウム B02
電話: 03-5775-2469



船木菜穂子 「あおあおと、グリーン」
会場: Gallery Archipelago
スケジュール: 2007年05月12日 ~ 2007年06月02日
住所: 〒104-0033 東京都中央区新川1-9-9 栗原ビル2F
電話: 03-3206-7116 ファックス: 03-3206-7116


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ギャラリーのはしご

2007-05-26 23:14:44 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月


今日は朝から本当によい天気だったが、遠方から上京する知人を迎えることもあり、小型カメラのみで出かけた。
結局、ロールフィルムを2本消費しただけで、撮影という点ではいささかフラストレーションを感じた。



ただ、知人と別れた後で廻ったギャラリーはどれも大当たりで、その意味では大成功の1日だった。



まず表参道画廊へ寄り道し、本日で最終日を迎えた市川哲男写真展と高橋昇展L'INNOMMABLE(名づけえぬもの)を鑑賞する。感想については直前のエントリーを参照して欲しいが、今日はたまたま宮内克彦氏と出会ったこともあり、展示を観た後であれやこれやを話して和んだりもした。



その後、経堂のロバロバカフェへ向かい、渡辺貴子展「うつろふ」を鑑賞する。こちらは本日が初日ということもあり、渡辺氏ご自身からもいろいろ興味深いお話を聞かせていただいた。
白状してしまうと、自分はちょっと立体美術が苦手なのだが、たまたま訪れた巷房ギャラリーの「階段下の音」展ではまってしまい、それから機会があると展示を観に行くようになったというわけ。
とはいえ、いかんせん立体を表現する言葉を持たない悲しさで、なにか感想を書こうとしても困るばかり。
ただ、今回の作品はこれまでの作品にあった近寄りがたさがちょっと抜けて、より「生っぽく」なってきたように思う(セラミックの作品を捕まえて、生っぽくも何もないものだとも思うんだけどさ)。
ともかく、非常にお勧めの展示だから、時間を割いてでも観に行ったほうがいいと思う。そして、ジャスミンティーをおいしくいただき、次のギャラリーへ向かう。



今度は東北沢の現代HEIGHTS「Gallery Den」にて開催中の林隆文展「これら重要な日々」だが、相変わらず力のめいっぱいこもった作品で、しかも大伸ばしにしているものだから、ギャラリーへ入った瞬間に圧倒されてしまった。
相変わらずというのは、林氏もまた金村ワークショップで一緒に受講したことがあるので、そのときに検討用のプリントをいくつも拝見させていただいていたのだ。ただ、ワークショップを受講していた当時の林氏は、非常に匿名性を重視した力強い作風だが、同時にある種の硬さや戸惑いもあったように記憶していた。
しかし、今回の展示では過去のことを棚上げして、とにかく作家自身の表現したいこと、表現できることを追及していったそうだし、実際に伸びやかさというかおおらかさを感じさせるセレクトになっていると思う。
ほんの2~3回しか一緒に受講していなかったのだが、林氏は自分のことを覚えていてくれて、作品やこれからの制作についても突っ込んだお話を聞かせていただいた。あまりにお話が面白かったので、少し長居をしすぎてしまったかもしれないが、その点は平にご容赦をということで…



ともかく、この展示も非常に観る価値が大きいので、特にストリートフォトがお好きな方は、無理してでも足を運んだほうがよいと思う。



さて、明日こそは腰をすえて撮影したいところだが、こういうときに限って曇ったりヘイズが出たりするんだよね。
へ、東京まで黄砂来てるって



勘弁して欲しいぬぅ~



林隆文 「これら重要な日々」
会場: ゲンダイハイツ・ギャラリー・デン
スケジュール: 2007年05月17日 ~ 2007年05月29日
住所: 〒155-0031 東京都世田谷区北沢 1-45-36
電話: 03-3469-1659 ファックス: 03-3469-1659


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高橋昇展 L'INNOMMABLE(名づけえぬもの)

2007-05-23 17:07:46 | お知らせ


今日は朝から好い天気だったが、昨夜から咽喉が腫れ痛み始めていたうえ、期待していたほど空の抜けもよくなかったので、撮影は中止して事務所へ向かう。その後、念のため病院で診てもらったが、案の定というかなんと言うか、ちょっとした塗り薬を腫れた部分につけられ、安静にするよう勧められておしまい。
まぁ、それでも多少は咽喉の腫れも引いたようだし、実は撮影の準備も終えているので、明日は出かけようと思う。



というか、それより原稿を早く片付けなければならないんだけどね…



でまぁ、月曜のことになるのだけど、その日は金村ワークショップでご一緒していた市川哲男氏の個展が初日を迎えるというので、仕事がはねた後は表参道画廊へ向かった。
間の悪いことに、ワークショップの初日とも重なっていたため、金村氏や受講生の姿は無く、ある意味ではのんびりと鑑賞することもできたのだが、寂しくないといえば強がりになってしまうだろうね。



なにしろ、同時にミュゼFで初日を迎えた高橋昇展L'INNOMMABLE(名づけえぬもの)の方は、作家氏の家族や知人も何人か来場され、なかなかアットホームな雰囲気で盛り上がっていたのだから、その意味ではなんとも対照的な有様となっていた。



肝心の市川哲男展についてなのだけど、あまり語ってしまうとひいきの引き倒しになってしまうような気もするので、とりあえずプリントや撮影の大胆さとインスタレーションの素朴さ、そして被写体に向けるまなざしの率直さや、ある種の繊細さに着目しつつ鑑賞してほしいとは思う。また、初の個展ということもあり、そこはかとなく漂っている初々しさというか、まだ作家的に固まっていない、よい意味でのもどかしさも感じられるだろう。



対照的といえば展示そのものもそうで、高橋氏のL'INNOMMABLE(名づけえぬもの)は作品、インスタレーション共に極めて緻密かつ完成度が高く、また同じ方法論で何回か展示を重ねていることもあり、テーマ的にも非常に練り上げられていた。また、高橋氏ご自身はまだ非常にお若いのだが、作品は十分に作家としての貫禄を備えており、今後は本当に期待できる人物だと思う。
どちらも、まだ何日か会期は残っているので、お時間のある方はぜひとも作品を観て欲しい。
特に、高橋氏のL'INNOMMABLE(名づけえぬもの)については、そのインスタレーションというか、作品の並びにも注目しながら、少し引いたところから鑑賞してみるのもよいと思う。



自分も、出来れば再び観ておきたい展示である。
まぁ、その前に原稿をあげなければならないんだけど…



高橋昇 展
会場: ミュゼF
スケジュール: 2007年05月21日 ~ 2007年05月26日
住所: 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前4-17-3 アーク・アトリウム B02
電話: 03-5775-2469



市川哲男 展
会場: 表参道画廊
スケジュール: 2007年05月21日 ~ 2007年05月26日
住所: 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前4-17-3 アーク・アトリウム B02
電話: 03-5775-2469 ファックス: 03-5775-2469


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鑑賞者の独自性

2007-05-20 19:32:14 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月


今日は朝からすばらしい好天に恵まれ、しかも空気の透明度も比較的高かったので、予定を変更して撮影に出かけた。
現場に到着したのは昼過ぎだったが、それでもシートフィルム10枚にロールフィルム1本も消費したのだから、まぁ嬉しがりにもほどがあるかもしれない。



その後は知人と合流して、荷物の受け渡しついでにインドカレーをむさぼり、雑談ついでに少しだらだらしたのだが、片付けなければならない原稿もあり、夕方までには事務所へ戻って仕事に着手する。



知人と荷物の受け渡しをした際、前から観たかったEuropean Fields: The Landscape of Lower League Footballという写真集を借り受ける。写真集の内容については、作家であるHans Van Der Meer自身のウェブサイトを閲覧していただくのが一番だが、サッカーのことをまったく知らない鑑賞者であっても、作品としてのすばらしさは十分に伝わると思う。



むしろ問題なのは、サッカーのことをよく知っている鑑賞者の方で、だんだんピッチ上の出来事が気になり始めて、ややもすると鑑賞ならぬ観戦モードに入ってしまうのだ。



以前、あるカメラ愛好者が紅葉写真を鉄ヲタにみせたところ、画面片隅の線路跡に引っかかってしまい、紅葉そっちのけで廃線話を聞かされたとぼやいていたが、もしかしたら自分もその鉄ヲタと大差ないやも知れぬ。白状すると、そのボヤキを聞いたとき、自分は「鉄ヲタって本当にどうしようもないですね」などと適当に合わせつつ、内心では「紅葉写真じゃ鉄分に負けても仕方ないよなぁ」などと舌を出し面白がっていた。



ただ、結局のところ鑑賞者が作品のなにに引っかかるか、あるいは肯定的にせよ否定的にせよ、どの要素に興奮するかは、作品が影響を与えるとかそういう問題ではなく、あくまでも鑑賞者自身の問題なのだろう。



このことをブルデュー風に言うなら「作品は鑑賞者のハビトゥスによって選び取られる」とでもなろうか。



最近発生した猟奇的な事件をきっかけに、またメディアや表現への風当たりが強くなるかもしれないが、実は暴力表現やポルノ表現も含め「受け手の側が積極的にその情報なり作品なりを迎え入れ、吸収しない限り、作品や情報が個人の行動に与える影響は非常に限定されている」し、そのことはクラッパー等が提唱した限定効果説によって科学的にもほぼ定説化しつつあるとさえいえよう。



まぁ、作り手の側とすれば自らの作品が多くの人々に大きな影響を及ぼして欲しいところだろうが、現実は鑑賞者が自らの社会的経験や興味の方向に応じて「最も都合がよい、あるいはもっとも好ましく思える要素」を、選択的に受容しているに過ぎないし、そもそも受容されない要素が何らかの影響を及ぼすはずも無いのだ。



それにしても、オタクというのはハビトゥス理論によく合致しているというか、オタク社会そのものがハビトゥスを体現しているのではないかとさえ思えることもあるのだが、なぜかオタク分析にハビトゥスを応用しようとする人はいないようだ。ご存知のように、現在のオタク分析はフランス哲学にその多くを依っているので、ブルデュー的な社会学がオタク分析に応用されないのは、一種奇異な印象すら受ける。



まぁ、まだポストモダンに記号論が幅を利かせているようじゃ、ブルデューどころじゃないよという話も聞いたが、それにしても不思議な話しだよねぇ~



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やがて、ほとんどの作品はごみとなる

2007-05-17 23:10:31 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月


今日は朝からひどい雨だったが、お昼過ぎから急速に回復し始め、午後には早くも晴れてきた。
自分がお手伝いさせていただいた企画の打ち上げもあったので、少し早めに事務所を出てロールフィルムを1本消費してから待ち合わせ場所へ向かった。



打ち上げでは特にどうという話も出なかったものの、同席していたライター氏が古いワープロで作成した過去原稿の扱いに困っておられた話から、出版企画の保存性へと話が発展していったのは面白かった。ぶっちゃけ、版下データの消滅はもちろん、アプリケーションのサポート停止によっても再編集が不可能となり、過去の製版フィルムに頼るしか出版出来なくなる可能性が高いのだ。



詳しくは「初心者のための「印刷の仕組み」ページ」を参照して欲しいが、編集データがないとイメージセッタでのフィルム出力が出来ないので、一度使用した製版フィルムから刷版を作り直すか、あるいはデータそのものを最初から作り直すしかなくなる(場合によっては印刷所に刷版が残っているかもしれないが、普通は期待できない)。ただ、過去の製版フィルムを使いまわすということは、新たに編集の手を加えられないので刷り増ししか出来ないし(これは刷版の使いまわしでも同じ)、データそのものを最初から作り直すというのは編集段階からやり直すのと同じことだ。



つまり、データが壊れることは版下が壊れることと言っても差し支えないほど、現在ではデータの重要性が増している(最近では組版がデータ作成と同義語となり、版下工程そのものが省略されつつあるほどだ)。



でまぁ、なんでこういう話になるのかというと、もちろんQuarkXPressに踏みとどまるか、あるいはInDesignへ移行するかという、本当に厄介なジレンマが背景にあるのだが、関係ない人には本当にどうでもいい話なんだよな。



ただ、どうでもいいといいつつも特に映像作家は他人事でない部分があって、例えば8ミリフィルムからビデオへの移行などを通じてメディアの消長に振り回された経験を持つ人は少なくないと思う。
既に初期のビデオインスタレーションやCG作品などには再生困難なものが少なくない上、残念ながらオリジナルは閲覧不能となってしまったものすらあると聞く。もちろん、古いビデオ作品は保存性があまりよろしくなかったという事情もあるのだろうが、美に対してある種の永続性を求める人にとっては、ひどく痛ましい話でもあろう。



とかなんとかだらだら話していたら、とある造形作家氏が話に割り込んできた。



作品の永続性なんてどうでもいいんだよぉ~
展示が終わったら売れ残りはすてちゃぅよぉ~



作家氏が大型の立体作品を手がけていることは知っていたが、それにしてもあまりに過激な話だったので、みんな目を丸くしながら「ほんとにそれでいいの?」と聞いたところ…



自分はインスタレーションのつもりだから、終わったらほんとは全部捨てちゃいたいんだけどな。
気が向いたら再制作すればいいし、立体なんてそういうもんだよ。
残るのほんのごく一部で、たいていはごみになるんだ。



でも、本音は取っておきたいのではないかと思い、重ねて聞いたところ、造形作家氏はひどく不機嫌そうに言った。



だって、家狭いんだから仕方ないだろ!


エンターテイメントセクター

2007-05-14 20:47:07 | 業務関連


今日は朝から比較的好い天気だったが、事務所で片付けなければならない用事がいくつか残っていたし、工房へ機材を引き取りに行かねばならなくなってもいたところに、ビルオーナー氏から防火管理者講習の案内をいただいたところで勝負あったというかなんと言うか、ともあれ撮影はあきらめてあちらこちらへ出かけていた。意外と時間を食ったのが実は消防署で、署まで直接出向かないと講習の申し込みも出来ないやら、さっさと申し込まないとすぐ定員に達するやら、なんちゅうか昭和の役所臭とかいった感じののんびり加減に、志村喬ならずともゴンドラの歌を口ずさみたくなったよ(いや、菅井きんならずとも陳情のひとつでもしたくなった、が正解か)。



用事のついでに工房へ立ち寄り、機材を受け取ったのだが、微妙なお願いにもかかわらず、本当にすばらしい仕上がりで、年甲斐も無くわくわくしてしまう。
早速、明日にでも撮影に出かけたいところだが、こっちは天候しだいのところもあるし、さてどうなることやら…



夕方には事務所へ戻り、いつものように打ち合わせ。



話によると、ライトノベルセクターでは相変わらずエピックというかなんと言うか、叙事詩的というよりは物語世界の規模が大きいという意味でエピックな作品も受容されているらしいが、ことエロゲともなるとそんなことは全然なくって、エピックな作品というのは、叙事詩的という意味にせよ物語世界の規模が大きいという意味にせよ、制作されること自体まれといってもよいし、それがユーザに受け入れられる、ましてやヒット作となるなどというのは、まぁ穏当に言っても見果てぬ夢といってよいだろうねぇ~
エロゲ界の大菩薩峠はまぁ別としておきましょうよ)



自分自身はウォーゲームセクターの出身でもあるし、いつかはシド・マイヤーのように文明そのものをコントロールするような作品をデザインしてもみたいものだが、まぁ穏当に言っても寝言は寝て言えってトコロだろう。



そういえば、シド・マイヤーの代表作として名高いシヴィライゼーションでは、パンと見世物(パンとサーカス)がシステムに組み込まれていて、市民の不満を抑える手段のひとつとしてエンターテイナーが登場する。ちなみに、ほかに不満を抑える手段として存在するのは減税、宗教、娯楽施設、特殊建造物(まぁ、アイテムみたいなもんですよ)、そして都市に駐留する軍隊w)というところ。



ただ、文明の進化系統と特殊建造物などとの絡みから、シヴィライゼーションにおいては芸術家もエンターテイナー扱いらしいところが興味深く、同時に社会的な意味における芸術の存在意義ってぇのも垣間見えてくるね。
まぁ、ほとんどのべつ幕なしに「アートの癒し」だの、あるいは「アートで元気になろう」だのといったキャッチが垂れ流され、ほとんどパンと見世物(パンとサーカス)そのままといってもよいような現在の美術を取り巻く状況は、シヴィライゼーションのエンターテイナー以外の何者でもないし、少しサヨ臭い言い方をするなら「合法的なアヘンとして人民を眠らせる道具」と化したとさえ言えよう。



個人的には、それでも「現実を新たな角度から再認識する方法論としての美術」に、まだ多少は期待し続けたいところも無くはないけど、まぁ受け手がどう取るかは別問題だからねぇ~



せめて、自分は見世物を見物している自己と、そうでないときの自己の区別をつけようと思うし、また自分自身が制作する作品についても、そういう区別がつけられる観客がひとりでも増えるようななにかを練りこみたいと、そう心から思っているよ。


作家の自律性?

2007-05-11 20:39:19 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月


今日は朝から好く晴れたので、小型一眼レフを持って出かける。用事のついでにちょっと寄り道して、気の向くままにシャッターを切り、とりあえずロールフィルムを2本消費した。
ただ、小型一眼レフの機動力には、いまさらながら驚かされる。今日はかつてのフラッグシップ機と普及機を1台ずつ、計2台持参したのだが、身体的な負担は全く感じなかった。
当然ながら大中判だとこうは行かないどころか、機材を担いで数時間もうろうろしようものなら、夕方にはすっかりへとへとだ。
それに、大判だと前日から機材やフィルムをきちんと準備し、大まかでも当日の撮影経路と光線条件をチェックしておかないと、現場でにっちもさっちも行かなくなったりするのだが、小型一眼レフはその点ほんとに気楽でよいね。まぁ、大小の折衷として中判という選択肢もあるし、自分自身も中判は画質と機動性のバランスが取れているとは思うが、とりあえず今はそういう気分じゃないってこと。



午後には銀座月光荘の画室2で杉田洋展「THE PLACE 80's」を鑑賞し、その後は事務所へ戻って軽く打ち合わせをこなした。



杉田洋氏の「THE PLACE 80's」は、適度にアブストラクトされた正方形の小品が展示されていたが、自分は展示テーマにある風景作品に好感を持った。また、作家氏ご自身もこだわっておられるように、正方形の小品というところもポイントなのだが、それにしても風景作品にただよう濃厚な80年代臭さというのは、それとわかっていてもやられてしまうほど、自分のノスタルジーを刺激する「バタ臭いオトナ帝国」だった。



打ち合わせでは某原画家氏の企画を煮詰めたのだが、自分は直接関与していないので、とりあえず聞いているだけ。
ただ、今回の企画は相当に力をいれているようで、原画家氏は細部にも丁寧に目配りしていた。



オタクの世界ではそんなに珍しくないことなのかもしれないが、それでも作家自身が中心者となって企画をまわしていくというのは、作家の自律性という観点からも非常に喜ばしいことではないかと思う。もちろん、企画立案者である原画家氏以外の作家たち、例えばテキストライターたちは、この企画にも請負仕事として参加するのだが、そういう機会が存在していて、しかも実際に動いているというのは、彼らにとっても励みになるのではないかと思う。
ただまぁ、打ち合わせで練っている内容となると、商業企画であるがゆえに「このねたはオタクにウケルかどうか?」が中心となってしまうのだが、実はファインアートの世界でもそれほど大きな差は無いからねぇ。



つまり、芸術であってもオタクアイテムであっても、制作に際して以下のような評価ポイントを考慮しないというのはありえないし、もしも評価を考慮していないと主張するのであれば、その作品は全くの自己満足かひどい自己欺瞞だというわけ。



作品の評価ポイント



どれを(作家の代表作?単なる請負仕事のひとつ?あるいは許諾を受けた二次創作?)
誰から(一般顧客?元受企業?資金力のある好事家?上司?発注者?それとも公共機関?)
如何に(金銭的に?業界内のステータス?権威ある賞?ファンの人気?公共機関の助成?)



もちろん、請負仕事であっても芸術的な傑作が生まれることはあるし、例えばチャイコフスキーの代表作ともされる序曲「1812年」は産業芸術博覧会のコンサート用に書き下ろされた曲だが、当初は作曲を渋っていたところを親友から懇願され、わずか1ヶ月で完成させたといういきさつがある。そのためか、チャイコフスキー自身はこの曲に対して複雑な感情を抱いていたようだが、ご存知のように後世の芸術的な評価は非常に高い。



となると、作家の自律性っていったいなんだよって話にもなりかねないのだが、まぁ作家といえども「受け手の事を無視して制作することはできない」ということと、また「きっかけはともあれ作家が心血を注いで制作した作品には高度な作家性が宿っている」という、面白くともなんとも無い話にならざるを得ないだろうねぇ~



少なくとも、製作過程において外部から不当な干渉を受けないのであれば、その作家は一定の自律性を有しているといわざるを得ないのではなかろうか?



それに、そもそもアニメやマンガ、ゲーム系のオタクが、作家の自律性について語る資格を持っているのかどうかとなると、実はかなぁり怪しいのだよ。



なにしろ、同人誌の大半は二次創作なのだからねぇ~


回帰大作戦

2007-05-08 20:56:37 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月


まぁ、怪奇大作戦もリメイク(怪奇大作戦セカンドファイル)されたことだしって、ただの語呂合わせやんけ!



さておき、今日は朝からもやもやしてると思っていたら、街は霧に煙っていたそうな。
霧なんて何年かぶりだから、最初は何のことやら分らなかったよ。



というわけで、今日は撮影にも行かず、事務所で地味に作業をしてた。



曇ったりもやったりしていると、カラーはてきめんにコントラストが落ちるんだけど、自分はニューカラーの方が好きだったりもするし、太陽方向を計算しなくても良いという利点もあるから、まぁそれはそれでなんとかなるさって話もあるんだけどね。とはいえ、曇ると時には激しく藍かぶりするし、空の抜けも大事にしたいので、基本的にピーかんキボンヌなのだ。



ただ、最近は35のモノクロも撮っているから、ちょっとくらいもやってる方が、むしろありがたいという話もある。
まぁ、いろいろ考えた末に見限った35のモノクロだけど、ひょんなことから少し前に再開しているのだ。
ただ、何年ぶりかのモノクロ回帰なので、撮影勘は完全に失われているし、それに夏場にかけて時期が悪いので、当分の間はごみを量産し続けるだけだろうなぁ。



というのも、モノクロでピーかんだとコントラストが上がりすぎてしまい、プリントの際に大変な苦労をしょいこむことになる。



そうでなくても、夏場は現像時や引き伸ばし時の液温管理が面倒になるなど、これからの時期はモノクロ撮影にとって不利な条件がそろうこともあり、モノクロ愛好者の中には初夏から秋にかけて撮影を休む人すらいる。そんな時期にわざわざ「一度は見限った35のモノクロ」をはじめようってんだから、まぁワレながらどうしちゃったのだろうねぇって感じではある。



だいたい、気晴らしにちょこちょこスナップするだけだったら、カラーネガやデジタルでも全然問題は無いはずだし、むしろその方が安上がりだったりしかねない。ただ、デジタルはまだ画質的に気に入らないところもあるし、いくら気晴らしでも最初から無駄になることが分りきっていることは避けたい。
となるとカラーネガということになるが、安いフィルムだと現像費コミでも1本当たり6~700円だから、モノクロで自家現像してもカラーと大差なかったりする。それに、自家現像には手間がかかるし、当然ながらリスクもあるから、カラーでも悪くは無かったんだけど、そうなったら現状の方向性との差別化が図れなくってねぇ~



なんか、最終的には「小さな場所で大騒ぎ」になりかねないのだけど、それはそれで又吉ってところかな。
回帰大作戦のはじまりはじまりってところだよ。ついでだから、デジタル化してモノクロCMYK印刷も試そう。



それに、もぅタンクとリール、フィルムローダーを買いなおしちゃった…


今年も砂曼荼羅

2007-05-05 20:51:07 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月


予報に反して、今日は朝からずっと好天に恵まれたが、連休中にそこそこ撮影していたこともあり、お昼過ぎまでだらだらしていた。
ところが、なんか今年も砂曼荼羅をこしらえてるというので、知人に誘われるまま護国寺へ向かう。正直、去年の砂曼荼羅でかなぁりおなかいっぱいだったこともあり、まぁパスでもいいかなぁと思っていたのだが、今年は入場無料となかんとかわけのわからないことを言われた末、またしても強引に引っ張り出されてしまった。



現地に着いたら、既になんだかすごい人だかりがしてるやら、チラシにはチベット・スピリチュアル・フェスティバル2007と大書してあるやらで、激しく気分が萎えてしまったのだが、まぁココまで来て帰るのどうの言っても始まらないので、仕方なく本堂へ向かう。
ただ、去年のチベット砂曼荼羅ライブパフォーマンス 2006とは大きく異なり、今年は宗教色を前面に立てており、砂曼荼羅はもちろん、仮面舞踏や護摩の施主を広く募集していたほか、本部テントでは灌頂の冥加料を集めていた。まぁ、去年のようにチケットぴあで入場券を売るのも微妙だが、こうもがっちり宗教行事になってしまうと、チベット仏教や密教になんの興味も無い、いわば異教徒にとってはいささか居心地が悪い。



それに、肝心の砂曼荼羅も本堂に設けられた柵の向こうにあるため、去年のようには間近で見ることができなかった(去年は有料ながら砂曼荼羅とバター彫刻の制作体験コーナーがあった)。



とまぁ、美的観点からはどうにもこうにも消化不良としか言いようがないのだが、宗教的ありがたみという点では比較にならないほどパワーアップしており、恐らくは今年の方が本来の姿に近いのだろうなぁ。ついでにといっては失礼だが、本尊如意輪観世音菩薩の特別開帳もあるというので、ありがたく拝見させていただくのだが、暗い薬師堂で正座しながらなので、まぁ拝見というより拝観だね。
例によってベニヤミン風に言うと「展示的価値から礼拝的価値への転換」となるのだろうが、文字通り観る時の姿勢にそれが表われているわけだ。とかなんとか、そういう小難しいことをつらつら考えていると、知人がもういっぺん砂曼荼羅を観たいといい始め、仕方なくまた本堂へ入ったら普通に坊さんの説教が始まった。



正座しながらうつらうつらしてると、小一時間経とうと言うのに終わる気配も無い。
あっでぇ、おかすぃぬぅと不安になって周囲を見回すと、熱心にマニ車をまわしてる人もいたりして、どう考えても雰囲気がおかしい…



おぃ!灌頂始まっちゃってるよ!
俺たち冥加料納めてないよ!



どうやら、日程が急遽変更されたらしいのだが、どこでどう間違って紛れ込んだのかはわからない。
ともあれ、破滅的事態を迎える前に、俺たち異教徒はそそくさと本堂を後にしたのでした…


-hatena

2007-05-02 20:19:14 | 業務関連


今日は朝から好い天気に恵まれたが、連休中日の業務がたまっていたこともあり、事務所であれやこれやを片付ける。
ただ、明日と明後日は即売会もあるため、他の作業者はほとんどこないし、来ても妙に浮ついていたりで、ぶっちゃけあんまり仕事にならない。まぁ、とりあえず自分は行かないし、行く連中にしたって本番は明後日なんだけど、明日は明日で別のイベントもあるし、彼らにとっては貴重な副収入なのだから、堅苦しいことは抜きってことだな。



それに、こっちはこっちで調べ物と称してだらだらしてたんだし、まぁお互い様ってトコロなんだろうけど、いちおう打ち合わせもしてたんだから、その辺は仕事半分の怠け半分といったところだろうか。



打ち合わせでちょっと面白かったのは、話の中で調べ物を始めた外部作業者氏が、検索しても「ブログのごみ情報ばかり拾って話にならん」とこぼしたとき、同席していた外注ライター氏が「検索オプションではてなhatenaを削除しないと、最近はごみばっか浚いますよ」と忠告した瞬間だった。
間の悪いことに、その作業者氏はバリバリはてな民だったのだが、自分もそのことを知らなかったので、よせばいいのに「はてなはブックマークやらキーワードやらでバカみたいにリンクスコア増やすから、ほとんど検索スパム並みにじゃまっけですよね」とまで相槌を打ってしまい、傷口に思いっきり塩をすり込む展開に…



幸いにして、自分の周囲にははてな民がほとんどいないので、コレまでは全く問題にならなかったというか、むしろはてな抜き検索はエロサイト閲覧時の串程度に常識化していたのだが(もちろん、最初にめぼしいサイトがヒットしなかったら、そのときは検索オプションを解除するくらいの社会性を持ってはいますよ)、そうはいっても純然たるローカルルールだし、それを無批判に自明とするのは好ましくなかったといえよう。



自分たちのソサエティーや、その中で流通する常識を自明としないのは、やはり大人としての常識だと思うし、その点については大いに反省すべきだね。また、それができないからこそ、村社会だの村民だの陰口を叩かれるし、自分もその点については批判的に観ていたのだから、こういう形で前車の轍を踏んでしまったのは、本当に悔しいし残念だ。



まぁいいや、とりあえず自分はウィキ (Wiki)派だしなっていいつつ、wikiはwikiでWiki病(Wikiphilia)怖いし、モヒカンの編集合戦もあるし、どこもなかなか厄介だねぇって、モヒカンははてな村出身ジャン!