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犬の眼

『日記』卑しさから清浄なることまで

欲しいもの13『B&O』

2005-05-31 00:17:52 | Weblog

僕は、例えば工具類を意味もなく欲しがったりする面も持っていますが、男の子としては機械オンチです。
だからマニアからすると、デザインやブランドイメージだけで車やオーディオを選ぶのは邪道だと思われるかもしれません。
車は運転もヘタだし、メカニックな部分はまるで分かりません。
(だから、古い車は欲しいけれど、たとえお金があっても所有する自信があまりない)
オーディオも、自分なりにいい音が聴ければそれで満足ですし、そもそもわずかな音質の差を聞き分けるほどの耳も持っていないんです。

そんな僕が欲しいもの、オーディオではバング&オルフセンで”決まり”です。
北欧特有の、押しつけがましくなくミニマムなデザインでありながら、あの優雅な雰囲気…。
それ相応の家でないと合わない商品でありますが、センスの良いインテリアの中でバング&オルフセンを使って音楽を聴けば、機械的な優劣を越えて至福の時を過ごすことが出来るでしょう。

そう、バング&オルフセンは美しいインテリアともなる得るんですよね。
カタログの中にも、どこかの国のオーナーが紹介されているのですが、漆喰の白壁に、まるで絵画を飾るようにバング&オルフセンのBeoSound 9000を据えつけている写真が見られます。
オーディオに限らず、凡百の家電製品、とくにテレビなどはせっかくのインテリアを台無しにします。それ専用の、オーディオルームとしてコーディネイトしない限り、生活のなかでなじむことはありません。
でも、バング&オルフセンにはそれが可能なのです。

   BeoSound 9000(CDプレーヤー)
   ※機会があったら、ぜひ動くとこ見て下さい。

僕が欲しいモノの例に漏れず、バング&オルフセンも高価です。
(もしかして高いモノを欲しくなる癖があるんじゃないかといぶかって、自問自答してしまいますが…。でも、タバコだと最も安いゴールデンバットが好きだったりするんですよ。…タバコ吸わないけど)
BeoSound 9000は確か、90万円くらいだったと思います。
しかも、もちろん単体の値段で…。スピーカーなどは別売りです。
訂正とお詫び BeoSound 9000の価格は50万円くらいでした。すみませんでした。

最終的な夢としてはテレビにも繋げてホームシアターシステムを組みたいし、設置しているのとはべつの部屋にもリンクさせたいので(例えばリビングに本体を置き、台所で操作して音を聴ける)、配線とか設置をスマートに美しくするためには、理想を言うと家の設計段階から依頼するか、リフォームするのが望ましいと思われます。だから工賃を含めるととんでもない金額になります。
ちなみにリモコンも付属しておらず、3万円くらいで買わなければいけません。
…いや、でも、生粋のオーディオマニアの人がかける金額と比べれば、まったく可愛いものじゃないでしょうか。違います? それを考えると、まんざら僕が「高いほどいい」という考え方でもないような気もします。

現在の僕は、10数年前に東京に来た時に、新宿のビックカメラで値引きさせて買った、パナソニックのCDラジカセを使っています。まだ使えてますよ。現役です。当時の製品はまだ丈夫に作られていたんでしょう。
…今住んでる家じゃあ、いくら音がいいオーディオ買ったって、近所迷惑だから大きな音出せないもん。
ましてやバング&オルフセンなんて不相応なこと甚だしい。買うなら当然引っ越してからです。

サブいね…

2005-05-30 21:26:50 | CAR

今日はどないしたんかな~。
だーれも見に来てくれまへんな~。
(アクセス解析上では2人だけ!)
まあ、もともとアクセス少ないブログですけどね…。
追記 これを書いてからいっぱいコメントいただきました。

ずうっと清水圭のサイト見てました。
(じゃっかん関西弁なのはそのせい)
べつに彼のファンじゃないけど、僕と同じくスティーヴ・マックィーンファンだと知ったので。

でも、いろいろ読ませてもろうて、僕とは好みが異なるけど、
センスがあるし(僕もアメリカンな感じは嫌いじゃないけど、この性格には合いませんから…)、
それより何より、人生を楽しんどられますな。
あやかりたいわい。

シリーズには入れませんでしたが、この車も好きです(写真)。
マセラティ・ビトルボ・スパイダー。
たぶん、もう20年くらい前の車です。今はフェラーリの傘下になって全然イメージが変わってしまいました。
僕はこっちのマセのほうがいいです。
詳しくは語れませんが、マセラティには個人的な思い入れもあります。

欲しいもの12『万年筆』

2005-05-30 00:15:04 | Weblog

ここのところ、筆が走りすぎですね。
だからというわけではありませんが…、
今回は万年筆です。
万年筆に興味があります。
でも、字が下手です。
ワープロソフトでものを書くことにも慣れてしまいました。
手書きだと、きっと漢字が書けません。
でもやはり、万年筆に憧れます。

作家の生原稿をテレビなどでたまに目にしますが、なぜ美しいんでしょう。
字も、校正の痕も、グラフィカルです。
正当な文字ではないけど、絵になります。
あれはわざとそういうふうに書いているのでしょうか?
だとしたら失望ですが、万年筆の力も大きいと思います。
僕はいい字を書けないから万年筆を買わないんです。

(もちろんお金もないんですが…)

所有してみないと、
車などのようには明確なイメージが伝わってきにくいので、
好きなメーカーはまだありません。
でも、興味を惹くのは、次のようなメーカーです。

●モンブラン(写真上)
 定番です。代名詞です。
 車で言えばベンツ、時計ならロレックス、羊羹ならとらや…。
 万年筆はモンブランです。
 どのモデルがいいかはまだよく分かりません。
 キャップに万年雪が乗っかっているだけで嬉しいです。
 保守的なメーカーだと思っていましたが、
 広告にジョニー・デップを使っていて意外でした。
 (最近はデップも保守へ傾いてるのかもしれませんが…)

●カランダッシュ

 このメーカーの色鉛筆が家にありました。
 最近になって気づきました。
 僕にとって、かなり有力な候補です。

他にもペリカンやウォーターマンにも興味があります。
ロットリングも変わってて面白いです。
ロットリングは専門学校時代にレタリング用のペンを使っていました。

欲しいもの11『カバン』

2005-05-30 00:05:00 | Weblog
ルイ・ヴィトンのアルゼール(写真上)。
もともと旅行鞄のメーカーとしてスタートしたヴィトンの、本質的なブランドイメージそのままの商品である。
時計のロレックスなどにも言えることだが、そのネームバリューとかステイタス性ばかりに気をとられて、バブリーな感覚でブランドを選ぶ人がおり(100%悪いとは思わないが)、高い品質を気に入って購入する場合は、そのイメージが弊害となることがある。
このアルゼールなんかはまさにその典型で、人がこれを見たら、派手だとか気取っているとか金持ちぶってるとか、マイナスのイメージでとらえるに違いない。
僕はヴィトンのショップで実物を見せてもらったことがある。
(”ヴィトンのショップ”ということに意味がある。僕はブランドものは並行輸入ショップやセレクトショップ(下記追記参照)では買ったり見たりしない。ニセモノがあるし、ブランドものを持つ”意味”がない。パリにいったときも、香水1個、わざわざシャネルの本店に行って購入した。もちろんミーハーな感覚も否定できないが、それだけではない)
これがモノとして最高に素敵なのだ。クラフトマンシップとデザイン性が融合された、匂いたつような逸品だった。でも、あまりに素晴らしくて、僕には”持ちこなせない”とも思った。”使いこなせない”のとは違う。使いこなす前に持つことが出来ないのだ。

フェリージ(写真下)。
数年前に百貨店で見かけて、目にするごとに気になる存在となった。イタリアの比較的新しいブランドだが、創業者はあまり商売っ気がないらしく、しかも日本の代理店もあまり一生懸命ではないのか、一般的にそれほど知られていないようだ。
僕は、イエローや明るい紺といったイタリアらしい色の生地に、茶色の革のコンビネーションがすごくおしゃれだと思ったのだけど、調べてみたら今はイエローはあまりないらしい。まあ、当時はまだバブルの雰囲気を引きずっていたから、そんな色の需要もあったのかもしれないが。
写真だといまいち感じがつかめないと思うけれど、上品な遊び心と、イタリア製独特の色気があっておしゃれ。

あとはエルメスも好きだ(一般に考えらているエルメスのイメージは嫌いだし、日本のショップのスタッフは良くないが)。
ゼロ・ハリバートンにも興味がある。旅行カバンはリモアも気になるが、昔からサムソナイトのスーツケースを使っている。

  ※フェリージ

人間として、ヨーロッパなどのクラス社会がいいとは思わない。差別や悪習、争いを生んできた。
決して肯定しているわけではない。
しかし、貴族などの特権階級の存在が、コストなどを考えずにメーカーが品質を追求できる土壌を作り、優れたモノを熟成してきた面は否めないだろう。
庶民しかいなかったら、音楽や絵画などの芸術文化も育たなかった。これは動かしがたい事実だ。

そういった階級の人たちに向けて作られたのが、これらのブランドだ。
彼らはガツガツしていない。雑念がなく、純粋に上質なものだけを選別できるだけの余裕を持っている(上質とは、製品的な面だけではなく、その理念やイメージなども含む)。だから高価なブランド品を持っていても嫌味がないのだ。
(もっとも、イギリスの貴族などは重税に瀕死の状態らしく、邸宅をホテルに改造したり、一般に解放したり、なかには税金逃れでロールスロイスなどの高級車を庭に埋めてしまった人もいるらしいから、一概には言えない)
そういう意味では、どんなにお金を持っていても、ガツガツしている人間には似合わない。最近のエセ・セレブの流行にはウンザリさせられる。ナントカ姉妹など、何億円の服飾品で飾りたてても、何の魅力もないのだ。ほかにもナントカピン子とか、ハイヒールナントカなどが、これみよがしに山ほどシャネルを持っていたとしても、誰が素敵だと思うのか。逆に自分の品性を貶めているだけである。

”自己満足”というものは僕も痛いほど理解できるし、実際、今までもそんな買い物をしてきた。
しかし、無理なローンを組んで手に入れたり、安売りショップで買ったり(なかにはニセモノをつかまされる人がいたり)、質流れ品を買ったり、貢がせるために男(あるいは女)を利用したりするのは、僕もローンがあった人間だから口はばったいのだけど、これらのブランドを所有する本来の意味あいというものが歪められてしまう。
購入することだけを目的としてはいけない。
店を選ぶところから”ブランド品を持つ”という行為は始まっている。極端に言えば、それ以前に自分のライフスタイルや、信条といった内面的なところもブランド品を持つために重要なことなのだ。
これはブランドを信奉しろとか、ひれ伏せとか言ってるわけではない。ブランドに負けてはいけないという意味だ。もっと言えば、”ブランド”というものに意識過剰になっていてはダメなのだ。

もちろん、いきなり貴族になったり、上級階級の家柄が手に入ったりはしない。
一朝一夕に独自のスタイルを構築できたり、その商品のテイストにふさわしい人間性やセンスを身につけることもできない。
でも、だからこそなおさら、安易に手に入れることはするべきではないと思ってる。
かりに購入できたとしても、自分自身が居心地が悪いとは感じないか?
少なくとも僕はそう思ってしまう。
たとえ今、ヴィトンのアルゼールを手に入れても、きっと照れくさくて使えない。
僕がそれだけの人物ではないからだ。

今回は(今回も?)ブランド論、買い物論、みたいになってしまって、申し訳ない。

追記 セレクトショップという言葉に語弊があったと思う。百貨店やバーニーズニューヨーク、ユナイテッドアローズほか、例外はある。「得体の知れないセレクトショップ」と言いたかった。ただし、百貨店でも平場はダメで、直営店が望ましいことに変わりはない。ブランドによってはライセンス商品という『合法的なニセモノ』があるので気をつけてください。

欲しいもの10『マカロン』

2005-05-29 15:25:24 | Weblog
僕は子どもの時からチョコレートが好きだった。
おじいちゃんが生きていた小さい頃のクリスマスには、僕の記憶だと40cmくらいもありそうな板チョコが届けられたりしていて、心ゆくまで食べられたものである。
おじいちゃんが亡くなると、チョコは途絶えた。
小さかったので知る由もないが、家長であるおじいちゃんの関係からの、お歳暮の一部だったのかもしれない。

小学校から中学、高校(女子がいなかった)にかけて、バレンタインデーなどというものには、とんと縁がなかった。
モテない、ということも悲しいが、チョコ好きなのにもらえない、ということがなお辛かった。

大人になってしばらく、チョコがそんなに欲しいと思わなくなった。
酒に移行したからかもしれない。
チョコ好きを廃業したとたん、社会人の慣習として義理チョコをもらえるようになった(本命はやはりもらえない)。
やがて妻と知り合い、毎年のバレンタインデーにはチョコをもらえたが、妻はもともとチョコ好きなので、バレンタインデーを待たずとも日常的にチョコがある状態になっていた。
嫌いになったわけでもないし妻と一緒によく食べたが、昔にくらべて”食べられて幸せ感”は、あまりない。

しかし、妻と別れた今、皮肉にもチョコ好きがぶり返してきた。

別れる以前に、一緒に伊勢丹新宿店に入っているジャン・ポール・エヴァンのマカロン(写真上)を食べて、チョコ熱が再燃したのである。
ジャン・ポール・エヴァンはフランスの高級ショコラティエで、日本だと伊勢丹以外には、九州と広島にそれぞれ1店舗しかない。生ものなので買い置きもできない。
ジャン・ポール・エヴァンがマカロンの最高峰かというと、それはどうだか知らないが、バカのひとつ覚えで、「マカロンと言えば、ジャン・ポール・エヴァン」という図式ができあがってしまっているのだ。

左/不二家のマカロン 6個入り720円 右/ロッテのチョコパイ

最近、不二家がマカロンを販売し始めたので、口しのぎに近所の店舗で買ってみたが、やはり違う。それにしては値段も高い。

ジャン・ポール・エヴァンのマカロンに恋いこがれているのだが、一方でロッテのチョコパイも食べたいな、と思っている今日この頃である。味覚というのは複雑なものだ。

欲しいもの、その概念

2005-05-29 14:06:44 | Weblog
このところ、『欲しいもの』シリーズとして記事をアップしてきた。
確かに欲しいし、「好きだ」と言って紹介しているのだが、買えるメドはたたない。
自分が手にして使いこなしてから、胸を張って「僕の好きなモノです」と言うのがスジなのかもしれない。
あるいは、薬品などはべつとしても他はかなり金のかかるものが多いので、なんとなく、成金趣味か、貧乏人の無い物ねだりのように受けとられる恐れもある(貧乏なのは確かだ)。

正直、ステイタス性にも惹かれる。しかし、手の出ない未知のモノに興味をそそられるのは自然なことで、それを経験したいと思うし、僕は上質なもの、洗練されたもの、上品な世界に弱い。そんなモノの中で暮らしたい。
しっかりしたコンセプトや、成り立ちとか歴史、ブランドイメージなどは並大抵のことでは確立できないから、敬意を抱くし、いいモノはそれなりの価格がついていて当然だとも思う。現実として、安くて良いモノにはなかなかお目にかかれない(経済論的に言っても、作り手のモチベーションを考えても、いいモノをあまりに安くするのは問題があると思う。妥当な価格というのが望ましい)。
それに、ここにとりあげるモノの多くは、コストとか品質だけで値段がつけられているわけでもない。生活用品とはその価格構造が違うのだ。高いか安いかの判断は買い手の価値観のみに依存されている。

では、お金がなければ、いいモノは楽しめないのか?
趣味人にはなれないのか?
もっと言えば、人生に潤いを感じることはできないのか?

憧れのものを手に入れて、「なあんだ…」とがっかりすることもあるだろう。
(いいホテルだと聞いて行ってみたら、ひどかった、という経験もある。評判だけがひとり歩きしていることは多い。ただし、自分の見方とか基準、立ち位置といったものでそれはその時々に変化するものだとは思う)
それは経験してみないと分からない。

ところが僕は「手に入らない」とあきらめた瞬間、そのモノにかかわることをやめるクセがある。
なかば関心を失うのだ。
僕はもともと刹那的で、辛抱がなくて、面倒臭がりなので、勉強することをしない。
(例えば、昔は酒が好きだったけれど、出されたものを飲むばかりで、銘柄とかレシピとかを調べたりすることはあまりなかった。本は揃えたりするのだけれど…)
ふつう、興味を持っているモノは、たとえそれが高嶺の花で手の届かないものだとしても、本とかインターネットとかで調べたり、実物を見に行ったり、同好の仲間と語りあったりして、どんどん知識と夢を膨らませて楽しむものだ。
でも僕はあまりそれをしない。極端に言えば「買えるか、買えないか」だけに意識がいってしまう。

趣味人とかマニアとかいわれる人は、お金がなくともそうやって楽しみながら知識を吸収していき、充実した人生を送ったり、一部はそれで稼ぐようになったりする。
つまり、人生の潤いとか、お金はあとからついてくるものなのだ。
やはり僕自身が現在(いま)を楽しめない人間だから、人生は充実しないし、お金も入らず、いいモノとも縁遠くなってしまうのだろう。
もちろん、モノや金というのは潤いのひとつのファクターであったりツールであるわけで、人生の本質ではないというのはあたり前のことであるが。

でも、もう少し『欲しいもの』シリーズを続けたいと思う。
実は、僕の精神をなんとか安定させる作業となっているから…。いま僕は不安定で、何にも集中できないし、それでもじっとしていると不安に襲われて苦しくなるので、好きなものを書きちらかすことでそれをまぎらしているのである。
それに、「手に入らないから好きなモノをあきらめる」ということは、僕にとって人生をあきらめることと等しい。落胆して死んでしまう。僕はこんなに貧乏になっても、これらのモノをあきらめないるわけにはいかないのだ。希望だけは持っていたい(風前の灯だけど…)。
もちろん読者の方には、そんなことは関係なく「そうそう、自分もこれ欲しい!」などと楽しんでもらえればありがたい。

欲しいもの9『メルセデス』

2005-05-28 20:21:57 | CAR

昔、知り合いだった女性が、ベンツが好きだと言った。
それを聞いて「なんでやねん!」と思った。
いかつくてガラが悪くて、品のない車だと思っていたからだ。
事実、僕が生まれ育った地方都市では当時、ベンツオーナーといえばズバリ”ヤクザ”を意味した。
しかし、上京して、いたってノーマルな人たちがベンツに乗っているのを目の当たりにして、また、その歴史や品質を知るにつれて徐々にそのイメージが変わっていき、いまでは僕も好きな車のひとつである。

でも、東京だろうがどこだろうが、依然としてその筋の人たちが選ぶのがベンツであることも変わりがない。しかし、80~90年代の、ばかでかくて威嚇的で、”いかにも”な風体のSシリーズから比べれば、現在のSシリーズはかなりマイルドになっている。ほかのシリーズもボディラインが丸みを帯びて、柔らかい印象だ。
メルセデス・ベンツ・ジャパンも、かつての悪いイメージを払拭したいらしい。その一環として、一般的な『ベンツ』ではなく、『メルセデス』という呼称を用いており、ユーザーにもそれを浸透させたい意向のようだ。
それに呼応したわけではないが、僕も『ベンツ』という呼び方はどうも嫌いで、なるべく『メルセデス』を使うようにしている。イメージの変革はまず呼び方から…。些細なことに思えるかもしれないが、個人的には大切なことだと思う。
ただ、『メルセデス』というのは、ちょっと気どって聞こえる。評論家の徳大寺有恒のように『メルツェデス』などというのは例外としても、いまのところまだちょっと口はばったい感じは拭えない。

メルセデスが好き、と言ってもそのすべてを受け入れているわけではない。
現行のラインナップの大半には、あまり触手が動かない。
最高の品質を追い求める孤高のメーカーだったメルセデス・ベンツも、今ではTOYOTAのようにコストに気を遣い、無数の車種、グレードを送り出すようになっている。
そのなかで、いいと思えるのはSLクラスと、Gクラス(ゲレンデヴァーゲン)くらいだ。
Cクラスには肩の力が抜けた上質感があると思うが、僕には合いそうにない。
スマートという車は好きで、買い替えるなら最有力の候補なのだが、純粋なメルセデスではないということで、今回は番外だ(スマートには、僕は密かに『タキシードで乗れるスモールカー』というキャッチコピーをつけた。かわいいだけでなく洗練されていて、あらゆるシーンに違和感なくなじむ車だと思う)。

SL、ゲレンデヴァーゲンともに、1000万円以上する車なので、芸能人やらお金持ちの御用達である。
でも、彼らは単純に『ベンツだから』という理由で乗っている場合が多いのではないか。ステイタスの誇示のために選んでいる。
これでは車がかわいそうだ。愛着を持って乗ってもらいたいものだ。モデルチェンジしたからといって、すぐに新しいのに飛びつくのではなく、車を愛おしんでもらいたい。
とくにゲレンデは、オフローダーとして、ずっと頑丈で無骨であり続けてきたモデルだ。しかし、乗り心地とか流行を偏重する現在、そろそろフルモデルチェンジしそうな気配を感じる。今でも十分に贅沢な車なのだから、あのごつごつしたイメージは残しておいて欲しいな。


左から/現行のSL500/G500long(ゲレンデヴァーゲン)/280SL/500SL(107型) ※上の写真は300SLガルウィング

現行のSLとゲレンデも大好きだが、もっと魅力的なメルセデスは、過去に存在する。
その代表的な車種が300SL(一番上の写真)だろう。
先日とりあげたジャガーE-Typeとならぶエレガントな車である。ジャガーを女性とするなら300SLは男性的だ。市場価格はおそらく3000万円を下らない、まさに憧れの車である。
後継のSLもそれぞれ魅力を放っている。タテ目の280SLはリアのデザインも素晴らしい。
107型SLは長い間販売され続けた人気車だった。映画にもよく登場する。実はこの車、4年ほどわが家に居た(昔の彼女が忘れられずにベンツを選んだ、ということは決してない)。所有者は僕ではなかったが、よく運転した。ちょうど今、ヴィンテージとまでいかないけれど適度に枯れて、しかも優雅さをたたえており、旬な車種だと思う。余裕さえあれば(こればっかりだが)、グレー、濃紺、ホワイトの三色揃えたいくらいだ。
ジャガーのところでも触れたが、この素敵な車(107型)をも極悪仕様にしてしまう輩がいる。エレガントな車をわざわざ威嚇的に変えるのはなぜだろう? 買ってきた絵画に自分で描きたすやつはいない。デザイナーがせっかく素晴らしい仕事をしたものをおかしな方向へねじ曲げる理由が分からない。自分仕様にカスタマイズしたい気持ちは分からなくもないが、その余地はないと思う。

腹立ちついでに、自動車税のことにも触れよう。東京都は数年前から「自動車税のグリーン化」と銘打って、「新車新規登録から一定年数を経過した環境負荷の大きい自動車は税率を重くする」ことになった。当時はまだメルセデスを所有していて、もちろん中古で購入してすでに15年選手だったので、かなり値上がりしたように記憶している。年に一度の支払いだから、けっこう家計を圧迫するのだ。
この税制は環境のためということだが、不必要な買い替えを促進することになり、結局環境に負荷をかけるはめになるような気がする。しかも、車に愛着を持って大事に乗り続けているような人に負担を強いる。
これはおかしい。どこかが歪んでいるとしか思えない。

SLの他にももちろん、古いメルセデスにはいい車がたくさんある。質実剛健と言われたメルセデスだが、今乗るととてもおしゃれだし、現行メルセデスに比べても存在感は勝っている。しかも丈夫。「20万キロは乗れる」といわれるのがメルセデスなのだ。
(日本車のようにメンテナンスフリーというわけにはいかないが)

欲しいもの8『ブルゾン』

2005-05-28 11:28:18 | Weblog
僕はまったく似合わないのに、イギリス製の洋服や服飾品に憧れる。
あの無骨だけど上品、堅実で上質な雰囲気に弱い。

僕は上品でもないし、だいいち頭でっかちで足の短い日本人体型なので、細身でジャストサイズな着こなしを求められるイギリスの服は、悔しいが、ほとんどあきらめている。僕だけでなく、大半の日本人にとって難しい服だと思う(近頃の若い人はスタイルはいいが、それだけではダメなのだ)。
でも若い頃、あきらめてしまう以前に一度、このバラクータのG9(写真上)というスイングトップ・ブルゾンを買ったことがある。
ただ、当時は痩せていてMサイズを購入したので、仮に田舎の家のタンスに眠っているのを持ち出してきても、とうてい着られない。
最近、ショップで試着してみたが、大きなサイズを着ても、やはりダメだった。
多くの日本人が陥るように、オヤジっぽくて野暮ったくなってしまうのだ。
(若い連中はそれを避けるために現代風に着くずしたりしているみたいだが、もちろん年齢的にもそんな着こなしは僕には合わないし、G9に関しては、本来のテイストに逆らったり、正統的な着こなしでないものは好きになれない。)

僕がこのブルゾンを好きになったきっかけは、若きスティーヴ・マックィーンだった。
所有していたマックィーンの写真集のなかの一枚に、それは写っていた。
マックィーンといえば、イメージ的に、もっとワイルドで粗野なアメリカンカジュアルが似合うと思われがちだ。
しかし、ホンダのバイクにまたがり、ペルソール(たぶん)のサングラスを手に持ってカメラに微笑みかける彼が、その写真のなかで着ていたのがバラクータだった。
その姿にしびれた僕は、初めて自分でブルゾンを購入した時に、バラクータを選んだのだ。
(実は、田舎者の僕は自分が買ったブルゾンがバラクータだとは気づいていなかった。写真を見ただけだったのでメーカーも分からなかったのである。よく似てるとは思ったが、まさか田舎のデパートにそんなものがあるとは思いもしなかったのだ。気づいたのはずっと後になってのことだ)

Barbour/Craster 10oz Wax Jacket

もうひとつ気になる英国のブランドがバーブァー(すぐ上の写真)だ。
アウトドアブランドであるが、アメリカのそれとはまったくイメージが異なる。その高い実用性から、労働のために着用されることはもちろんだけれど、上流階級の人間がツィードのハンチングなどをかぶって、ハンティングとか釣りに行く時に着る服、というイメージがある。その場合、おそらく足となる車はランドローバーだろう。
このブランドのメインアイテムは、オイルドジャケットだ。メーカー的にはワックスジャケットというらしいが、防水のために生地にオイルをしみこませた、本格派のヘビーデューティな逸品である。
実はこのジャケット、かなり臭う。ショップで実物を手に取って見たことがあるが、重いし、しっとりしている。臭いに加えて、オイルが移ってしまうので、電車はもちろんのこと、着たままで車に乗ったり室内で椅子に座ったりはできそうにない。

僕はまったくアウトドア派ではないので「じゃあ、いつ着るんだ!」と言われそうだが、このような、出自のしっかりした、”いわれ”のあるモノには弱い。ついつい欲しくなってしまうのだ。
(もちろん、このジャケットも僕には似合わない)

欲しいもの7『薬品』

2005-05-28 09:40:48 | Weblog

自分でもおかしなものが好きだと思う。
薬局で売っている「無水アルコール」だの「ホウ酸水」だの「オキシドール」だのが欲しいのだ。
掲載した写真のはプラスチックかなにかの容器だし、ちょっと新しめのデザインであまりよくない。本当はビンに入っているのがいい。

ラベルも、もっとそっけなくて無愛想なデザインのほうが好きだ。
バリバリに商業ベースにのっかって、CMをガンガンうっている「ガスター10」とか「ストッパ」のような扇情的なパッケージデザインの薬には興味がない(必要なら買うけど)。
こういった、いかにも薬品然とした、意図的なデザインではないのに昔から変わらずイメージを守り続けている定番商品に心惹かれる。
ほかでは、タイガーバームもいいかもしれない。
そういえば、僕は吸いもしないのにタバコを集めていたことがある。やはりピースとかゴールデンバットのような、普遍性のあるデザインのものが好きだった…。

洗面台の上に白いキャビネットを作りつけて、ポリカーボネートの窓をあけた扉をつける。
内側にはすりガラスを貼って、そのなかにライトを仕込む。
そこに、こういった薬ビンをならべるのだ。
別の段には、パフューム類を揃える。
そう、僕は香水のビンも好きだ。香水(フレグランス)そのものはあまりつけることはないけれど、香水ビンは欲しくなる(もちろん空きビンは不可)。これも収集癖のひとつなのか…。

欲しいもの6『ギター』

2005-05-28 01:06:16 | ビートルズ関連
※写真が小さいままの場合、クリックすると拡大します。

僕は楽器がまったく弾けない。
でも、楽器という”モノ”が大好きだ。
長い年月を越えて、改良の余地がないほど洗練されたデザイン。選りすぐられた天然素材を使用し、塗装され、磨かれて輝くその質感…。
いや、自分にはそれができないが、音を奏でるという能力を秘めているからこそ、その物体にさらなる美しさが宿るのだろう。
ギター、サキソフォン、トランペット、クラリネット、ピアノ、バイオリン、チェロ、ハーモニカ、フルート、アコーディオン…。どれも美しい。

欲しいけれど、弾けもしないのに買ってしまうと楽器がかわいそうである。

先日テレビで見たが、爆発的ヒットでひとやま当てたプロカメラマンが、大金が入ったのをいいことに、学生時代の夢だったギター購入に狂ってしまったのだそうだ。
何本もの高級ギターを揃えて悦に入っているのだけど、弾かせてみると全然弾けないのだ。
見てるほうもガックリである。

僕にしたって、お金があれば所有欲を爆発させてしまいそうだが、それとは別に、10年ほど前、ある楽器を衝動買いして未だに眠らせたままになっている経験が、楽器を購入したい気持ちを抑制している。
それがエピフォンというエレクトリック・ギターだ。
青山にある楽器店にフラッと入り、フラッと買ってしまった。
ビートルズがエピフォン・カジノというギターを使っていて、ついその名前に惹かれたのである。僕が買ったのはシェラトンというモデルで、ビートルズ使用のものとは別物だが、興奮していたのか、そんなことはおかまいなしに支払いを済ませてしまった。まったくの初心者なので、アンプとかスピーカーとか周辺機器をひと揃い揃えての購入である。

その時は確かに弾くつもりだった。
現在の僕は、自分のことをウンザリするほど知り抜いているが、当時はまだ自分自身に希望を抱いていたのである。「練習して弾けるようになる」と思っていたのだ。
でも、やっぱりダメだった。あきらめるのは早かった。
弾ける人は「やる気があれば弾けるよ」と言うかもしれないが、楽器に関してはきっと、もって生まれた体質みたいなものなんだと思う。アルコールが飲める人と飲めない人が歴然といるように、楽器も弾ける人とそうでない人ははっきり区別されているに違いない。

いいギターだった。
本当に僕のところに来て、不憫だと思う。飾っておけるような良い家でもないし…。
申し訳ないことをした。

左/リッケンバッカー(ジョン・レノンのモデルとは異なります)
右/エピフォン・シェラトン(僕が買ったモデルとは異なります)


でも、もしふたたび買うのを許されるなら、ジョン・レノンが弾いたリッケンバッカーと、ジョージ・ハリソンのグレッチ、ギターはこの2本を選ぶだろう。
ビートルズびいきだからそう思うのかもしれないが、ビートルズの使うギターのデザインは素晴らしい。ポールのベース、カール・ヘフナーや、ジョージの12弦のリッケンバッカー、リンゴ・スターのラディックのドラムも好きだ。
(でもビートルズのイメージの強い楽器は、プロはみんな避けるだろうから、そのせいで新鮮味が薄れないのかも…?)

※写真上のグレッチはジョージ・ハリソンのモデルとは異なります。色も、この写真のモデルは茶だと思うけど、ジョージのはたぶん黒です。
※今日は、写真集めから始めて、ブログにほとんど丸一日かけちゃったなあ…。写真が多いけど、重くないですか?

欲しいもの5『ジャガー』

2005-05-27 22:27:46 | CAR

ジャガーE-type(写真下/モノクロ)ほどエレガントな車はなかなかない。
それも初期型のロードスターとなると、垂涎もののスタイルだ。フロントもサイドも、リアもデザインに非の打ち所がない。

曲線の美しい車を、よく女性に例えるが、アメリカ生まれのコルベットを「セクシーダイナマイト」、イタリアのフェラーリを「情熱的」とするなら、イギリスのジャガーE-typeは「気ぐらいの高い淑女」といったところだ。
ジャガーXJS(写真上/カラー)は、その血統を受け継いではいるが、やや俗な味つけ…。しかしそれでも、気軽に人を寄せつけないオーラを放っている。

ところが、日本にはこの車、合わないことこのうえない。
イギリスとは土壌が全然違うのだ。
いつも思うけれど、日本の風景というのはクルマ殺しである。もちろん日本にも美しい自然があり、田園風景があるが、こと街並に関して言えば、「ひどい」のひと言だ。
いい車が映える街は、ごく一部を除いて無いに等しい。
そんなところが、いいデザインの日本車が出てこない一因となっているのではないだろうか。

Jaguar E-Type

だからかどうか知らないが、日本人はこのエレガントな車たちにとんでもない仕打ちをする。
「そんなの個人的な見解だ」という反論があるだろうけれど、これらの車はノーマルの状態で最高に美しい。にもかかわらず、ドレスアップなどと称して、余計なものをくっつけたり、パーツを替えたりするのだ。
個人の勝手と言われればそうなのだが、タマ数の少ない希少な車であるだけに、そういうのを見るにつけ、がっかりしたり、やきもきしたり、腹が立ったり…。

ジャガーE-typeは、もともとはレースで活躍していたということもあって、レース仕様に改造してしまうエンスーも多いとか。
XJSの場合は、その筋の人が乗るのだろうか、極悪仕様にして、エレガントの名残りもない車体ができあがる。
重ねがさね、個人的な感想で申し訳ないが、その車たちがかわいそうに思えて、悲しくなる。

今回、写真を探したが、まったくと言っていいほど出てこない。
XJSのほうは、あるにはあるのだが、悪人仕様のいかついのばかり…。
しようがないのであまりいい画像ではないけれど、この写真(上/カラー)を載せた。
(これもホイールを替えている。スポークホイールというのはまだましだが…)

日本人って(もちろん僕も含めて)、エレガントとは縁のない民族なんでしょうか…?

欲しいもの4『マグライト』

2005-05-27 21:20:30 | Weblog
コストコ・ホールセールをご存知だろうか?
アメリカ生まれの会員制スーパーで、数千円の年会費(高い…)を払って買い物をする。
巨大な倉庫みたいな建物に、倉庫のように積み上げられた食材や日用雑貨。それが破格値で買える。
しかも、日本のスーパーでは売っていないようなケース売りとか、業務用サイズとか、すべてがビッグなアメリカンサイズ。
ただし、一瞬「安い!」と思うのだけど、とくに生鮮食品は必要な量を頭に入れておかないと、余らせることになりかねない。傷んで捨てるはめになるとかえって高くついてしまう。それから、年会費が高いから、頻繁に行かないと元もとれない。

でも、なかなか面白い。日本にいながらにしてアメリカの気分が味わえる。
日本にはないような品物がたくさんあるし、スタッフも外国人がいたりする。買い物してもビニール袋も何もくれない。フードコートがあって、ピザや飲み物がめちゃくちゃに安い。味もアメリカそのまま。
面白いのがケーキコーナー。ガラス張りで作っているところが見えるのだが、日本で作っているのに、見た目はこれもアメリカン。サイズもでかければ、繊細さのかけらもない豪快なクリームの飾りつけ。昔のアメリカのホームドラマでは、必ず冷蔵庫にケーキがホールで入っていたが、まさにそんな感じだ。

僕がそこで買ったのが、マグライトという懐中電灯だ。

ずっと前からこれが欲しかったのだが、日本で小売りされているのはバカ高い。
はっきり金額を覚えてはいないけれど、コストコで買うと半額程度だったような気がする。
まさか偽物ではないと思うが、本物と確証のあるものを見たことがないので判別はできない。
でも、商品を見る限りではちゃんとしている。

昔、『ゴッドファーザー』を小説で読んだら、懐中電灯を武器に使う警察官の話が出てきた。頑丈な懐中電灯で、チンピラをぶちのめすのである。
映画版の『ゴッドファーザー』には、その場面は出てこなかったが、いろいろなアメリカ映画でマグライトらしき電灯が使われているのを見た。それで小説に出てきたのもマグライトじゃないかと考えるようになった。実際にアメリカの警察官や消防士はマグライトを使っているという話も聞いた。
※調べたところ、マグライトの発売と、小説の舞台になった年代があわない。まあ、それはそれでよい。

実物を見ると、確かに頑丈にできている。スチール製で、単一電池を入れるとずっしりと重い。
十分に武器になる。
いや、そんなところばかりに惹かれているわけではない。デザイン的にもスマートで持ちやすく、機能的なのだ。期待を裏切らない商品だった。
おかしなことかもしれないが、マグライトを所有することと、例えばフェラーリを所有することは同列のことと考えている。モノとして所有欲を満足させるという意味では、両者とも優劣つけがたいのだ。

今、黒を持っている。
シルバーや赤、迷彩色もあるし、用途によってサイズも揃っている。
今は余裕がないが、いずれまた、購入したいものだ。

欲しいもの3『腕時計』

2005-05-27 18:56:30 | Weblog
※写真が小さいままの場合、クリックすると拡大します。

僕は腕時計はまったくしない。
慣れもあるのかもしれないが、余計なものがくっついている気がして、鬱陶しいのである。

でも、いい腕時計には興味をそそられる。
ここに挙げるような時計が買うことができ、傷がつくんじゃないかとビクつくことがないほどの余裕が持てれば、TPOにあわせてはめてみたいとも思う。

IWCとかオメガ、カルティエやブリガリ、ジャガールクルトなどにも興味はある。
かなり昔、カルティエのタンクが気に入って見に行ったことがあるが、腕にあわせてみると華奢すぎて似合わなかった。今はパシャのほうがいいと思う。
オメガはピアース・ブロスナンが演じたジェームズ・ボンドがしていた。『ヒート』という映画でアル・パチーノがはめていたのはブルガリだ。
ジャガールクルトのレベルソも面白いと思った。
「フェラーリを買ったらジラールペルゴのフェラーリウォッチも買う」などという大それた(アホな?)夢を描いていたが、フェラーリのディーラーを冷やかしていたら、いかにも金持ちそうな家族連れがやってきて、高校生くらいのとっちゃん坊やみたいな息子が、そのジラールペルゴのフェラーリウォッチをしていた。それを見た時には、心底がっかりしたものだ。

時計は高い。数百万から数千万円のものまである。
そういう値段の時計が、金無垢や宝石をちりばめているとは限らない。複雑で精巧な機械式の時計がそれくらいするのだ。
僕もミニッツリピーターという、機械仕掛けで鐘の音をならす機能をつけた時計が欲しい。その音を聴いてみたい。電子音のアラーム付き時計なら数千円で手に入る。しかし、ミニッツリピーターつきの時計は、たいてい数百万を下らない。
いくらなんでも、仮にどんなにお金持ちになっても、時計にそんな金額はかけられない。時計”マニア”やステイタスを誇示するために時計を持つようにはなりたくない。
ダウンタウンの番組で、高橋英樹の私物の時計を見てビックリした。宝石まみれのキンキラだったのだ。悪趣味で、ファンも失望したに違いない。
木村拓哉がコントのなかで、キンキラ時計にキンキラアクセサリーをしていた。ところが驚いたことに彼には似合っていた。あんなもの、ヤクザにしか合わないと思っていたが、キムタクだとあまり嫌味がなかった。すごい…。
芸能人に人気のフランクミューラーや、アランシルベスタインのようなアーティスティックな時計も、ちょっと僕の趣味からずれる。

僕が今欲しい時計は、ブライトリングとパネライである。
ブライトリングもパネライも、軍に採用されるような、本来実用重視の無骨な時計メーカーだと思う。それが現在では、そんな伝統に加えて、ファッションアイテムとしての魅力を放っている。
ブライトリングはノスタルジックでカジュアルなデザインと”飛行機乗りの時計”というロマンティックなブランドイメージが特長。
パネライは、ちょっと苦味のある大人のイタリアンデザインといった風情で、僕は自分の黒いアルマーニにあわせたいと思っている(若い連中のコーディネイトとは異なるかもしれないが)。


●写真上<ブライトリング・モンブリラン>
●写真文中上<ブライトリング・ナビタイマー>
※写真はスチールブレスレットだが、牛革やワニ皮のベルトもあり、ブラウンとかブルーなど、色のバリエーションもある。
※ケースの素材がゴールドだと100万円を越えるけれど、僕はスチールでいい。そうすると写真の商品はだいたい40万円から50万円くらい。
●写真文中下<パネライ・ ルミノールマリーナ>
※こちらは60万円くらい?

欲しいもの2『イヌ』

2005-05-27 17:05:39 | Weblog

ネコに続いては犬だ。
僕は生粋の大型犬派だ。小さい犬は、子犬は別として、ウェルシュコーギーとかバセットハウンドくらいまで。
愛好されている方には申し訳ないが、それ以上小さい犬は苦手である。

一番好きなのはゴールデンレトリバー。
同じ姿で真っ黒なのはなんて言うんだろう? 分からないけど、そいつも好きだ。
数年前にペットショップでゴールデンの子犬を見せてもらったことがある。
郊外の、けっこう大きな店だったが、店内に客が全然いなかったので、驚いたことに店員はケージから犬を出して、フロアに離した。
そしたら、コロコロしたその子犬は、つるつるの床を滑りながら元気に走り回った。
かわいかったなあ…。欲しかったなあ…。今どうしているかなあ…。

ゴールデンレトリバーはみなさんご存知だろうから、バーニーズマウンテンドッグの写真を掲載してみた。
この犬は、スイス原産の作業犬で、牧羊などに用いられる。

僕はこの犬の配色が大好きだ。
どうしてもビジュアルに気が向いてしまうのは僕の性癖なのだが、この色分けが、なんとも気のいいやつ、という雰囲気を醸し出していると思うのだ。
ただ、長毛で、この濃い色だと、日本の夏には暑苦しく感じるかもしれない。おそらく犬自身もスイス出身だからツラいのではないか。

念のために言っておくが、僕は間違ってもお洒落感覚で動物を飼ったりはしない。選ぶ時の基準のひとつではあるが、「流行が過ぎたから」とか「飽きたから」などといったふざけた理由で、一度飼ったペットを捨てるようなことは決してしない。聞くところによると、現実にそんなやつがいるというのだから腹が立つ。

欲しいもの1『ネコ』

2005-05-27 16:35:07 | にゃんこ

数年前はネコを飼うことを真剣に考えていた。
ペット可の賃貸住宅を探していたし、よくペットショップに行ったものだ。

僕は日本猫の雑種が一番好きだが、外国産のネコや、血統種も捨てがたい。
第一候補は、ペルシャの一種であるチンチラだった。

写真を見ると、ファンシーな趣味の人が好みそうなタイプのネコだが、実物を見ると、とてもかわいいのだ、これが。
白っぽいのがシルバーで、茶色がかっているのがゴールドと呼ばれる。
どちらかには決めがたいので、二匹欲しくなってしまう。

最近はペルシャ系のネコの顔が、どんどんつぶれてブサイクになっていってる。
欧米のネコ好きの好みにあわせて改良しているらしいのだが、僕は嫌いだ。そもそもネコの健康にも害をおよぼすそうだ。
ジャパニーズボブテイルとかいって、日本猫にも人気があるそうだが、写真を見てぎょっとした。
あんなのは日本猫じゃない。
もしかしてチンチラも、そんな影響を受けて、あの頃とくらべるとかわいくなくなっているかもしれない。

つい先日、久しぶりにペットショップを覗いたら、ノーウェジアンフォレストキャットというネコがいた。
チンチラと同じく長毛種だが、成長するとかなりの大きさになるそうだ。
そこにいたのは子猫だったが、とても好奇心旺盛でかわいらしかった。
気に入ったので今回写真を載せようとしたが、探してもほとんどなくて、しかも大人になったものは大きすぎて、たぶん「全然かわいくない!」と言われると思って掲載は見送った。