一週間のご無沙汰である(すみません…)。またもMacが不調、今日は外付けハードディスクから起動している。ついこの間OSを入れ直したのに、今回はダメになるのが早かった。いかんな、Mac…。
それはさておき、相撲観戦の続きを書こうと思いつくことを書き出してみたら、きちんと文章として構築するには分量が膨大になりすぎた。これだと大長編になってしまう。
だから、いつもの”困ったときの箇条書き”ということで、そのまま書き連ねてみようと思う。
『力士のぶつかる音』
映画『007は二度死ぬ』では、ジェームズ・ボンドが相撲観戦に行く(といっても、任務の中で。その当時は蔵前国技館)。
ボンドはまず、支度部屋の横綱佐田の山を訪ねる。ボンド役ショーン・コネリーに「サダノヤマ?」と声をかけられた佐田の山(本人出演)は、少し照れくさそうな感じでそれに応える。そして付き人に席まで案内させる(なぜ横綱が諜報員の世話をするのかは分からない)。
そして、取り組みの場面、立ち合いで力士がぶつかる時に、「ガツッ!」というくらい、すごい音がする。僕がテレビで相撲を見る限りでは、そこまでの音は聞いたことがない。でも確かにあれだけの体躯を持つ力士がまともにぶつかるのだから、それだけの音がしても不思議ではない。だから僕は、本当にそんな音がするのか、ナマで聞いて確かめたかったのだ。
しかし、2階の後方の席で聞く限りでは、そんな音はしなかった。ぶ厚い脂肪に吸収されて、音はそんなに出ないのだろうか。
『外国人力士』
話には聞いていたが、モンゴルからやってきた横綱朝青龍を筆頭に、現在の角界は外国人力士の花盛り…。今回優勝したのも、モンゴル人の白鵬だ。彼らはまだまだ若いから、これからも長い期間、時代を担っていくことになるのだろう。そして、観戦して驚いたのは、モンゴル人ばかりではなく、ロシア、エストニア、グルジアそしてブルガリアといった、白人系の力士もかなりいるということだ。
昔、白人力士といえば、ショボイ感じの人ばかりだったような印象だけど、今いる連中はけっこう強いようである。旧ソ連系の国情の安定しない国が多いようだから、かつての白人力士(カナダなどの出身)と比べて胆力みたいなものが違うのだろうか?
純血主義なんてことを言うつもりは毛頭ないけれど、相撲界がこうまで外国人力士に席巻されているを目の当たりにすると、国技として、さすがに寂しいような気はする。強い日本人力士は出てこないんだろうか? 高見盛などは人気があって、勝っても負けても見てて面白いけど、やっぱりもうちょっと強くないとな、なんて思う。
とくに、モンゴル勢はすごい。こうなるとモンゴル相撲って、日本の大相撲より強いんじゃないかとさえ考えてしまう。騎馬民族として戦いに長け、かつては大陸を征服した先祖を持つモンゴル人。身体能力はすごいものがあるんじゃないだろうか。そういう素地を持つモンゴル人が、ぞくぞく日本に上陸したら、やがて日本人力士なんか追い出してしまうんじゃないだろうか。
ところで、実物を見て(遠かったけど)、角界のベッカム、琴欧州はやはり(というか、もちろん)ベッカムには似ていなかった。さりとて、ジョン・ベルーシにも、”少ししか”似ていなかった。歳をとって、顔がポッチャリしてきたら、もっと似るかもしれない。
『朝青龍』
僕は詳しくは知らないんだけど、今知ってる限りでは、朝青龍はけっこう気になる力士だ。もちろん、ただ一人の横綱で、しかもモンゴル出身ということで露出が多いからってこともあるが、イキが良くて、(やり過ぎのところも多々あるみたいだが)いい意味で”やんちゃ”なところがあると思う。
この”やんちゃ”という言葉、よく不良とか若い頃にワルさをしてきた人のことをやんわりと表現する時に使うけれど、僕はそういう使い方には賛成できない。僕は原則的にワル自慢は嫌いだ。人に迷惑をかけたことは恥じるべきであって、おもしろがってとりあげることではない。”やんちゃ”というのとは本来意味が違う。だから個人的には暴走族だったりしたことで有名な千代大海は、(今知る限りでは)あんまり好きになれない。
以前書いたように、僕はそんな朝青龍が”イキの良い”うちに、相撲を観たいと思っていたのだ。
先日述べた”伝統文化としての相撲を鑑賞する”という側面のほかに、相撲という格技を見に行くというよりも、朝青龍を観に行く、ということがさらに重要だったのである。
ところが、ご存知のように朝青龍は場所が始まってすぐに休場ということになってしまった。
しかし僕は(観戦に行く場所にもかかわらず)テレビを見てなかったから、それを知らないで国技館に出かけたのである。電光掲示板の休場の枠に、「朝青龍」の文字を見つけた時の僕の気持ちを察してもらいたい。
自分の目を疑って、何度も何度も見直したものだ。
…朝青龍を見に来たのに!
じつは、以前に、五月に相撲観戦に行くことをここで告知した時に、最後に「朝青龍、観られるかな…?」という一文を書いたものの、思い直して消しておいたという経緯があった。いつも、なぜか悪い想像をしてしまうクセがあって、「休場しなきゃいいがな…」なんてことが頭をふとよぎったのである。歌丸の落語を見に行く時も休演が心配だったが、その時は大丈夫だった。でも今回は悪い予感が当たってしまったのだ。
でも、朝青龍はまだ25歳(思ったよりかなり若いのでびっくりした)。また観られる機会はあるだろう。
(くやしいから『朝青龍弁当』を食べてやった!)
『祭り』
相撲はそのしきたりや礼式、マゲ、まわし、行司の装束、国技館の建物などの意匠、先日書いたような神社や神道との類似点、歴史の古さなどから、そして裸の男衆が汗をとばしてぶつかり合うということから、祭りの雰囲気が感じられる。荒っぽくて無愛想な男が仕切る世界であり、観客の熱狂も合わせて、会場はまさに祭りのような空気が漂っていた。
『客席』
枡席というのも”祭り”のイメージを盛り上げるものだが、値段がべらぼうに高いので、ちょっと意味合いが違ってくる。”とても贅沢な見せ物”という感じだ。そこに陣取るのは、日本髪を結った妙齢の(?)お姉さんや、何の商売をやってるのかと勘ぐりたくなるようなドレス姿の女性とか、お大尽風のオジさんとか、さすがン万円を支払って観戦している人たちだなあという風体である。
そうかと思えば、いい席に座っていた中年の男女が、後から客を連れてきた案内係に促されて席を立ち、グルッと大回りして、べつの空いてる枡席に座るのを目撃した。きっとその連中は、枡席のチケットなんか持っていないのに、空いている席を渡り歩いて観戦しているのであろう。なんてセコいヤツらだ…。
ついでに言えば、イス席だって高い。一番安い席でも3,600円だった。あとは9,000円くらいの席である。
これじゃ気軽に見には行けない。人気が下落するのもしかたないかもしれない。
こうしたらどうだろう。枡席に金を出せる人は少しくらい値段の違いなんか気にしない連中だろうから、ちょっと値上げをし、その分、一番安いイス席をせめて1,500円~2,000円程度に抑える。そうすれば子どもだって、僕みたいな庶民だって、たまには相撲鑑賞ができるんではないかな。
そんななか、安い席には外国人客が多く来ていた。なかには外国人力士の私設応援団みたいな人もいて、その力士の取り組みでは旗を振り、声援を送っていた。力士も気づいたふうではあったが、そこはしきたりの厳しい相撲界のこと、まさか手を振り返すわけにもいかない…。何の反応も返さず、そのまま引き上げていった。
でも、この日、何となくの印象だけど、客席の声援の多い力士のほうが、ことごとく負けたような気がする。
高見盛しかり、琴欧州しかり…。
三役の取り組みになると、番狂わせな勝敗には、興奮した客が座布団を投げる。
テレビではおなじみの光景だったが、実際見ると(想像するよりも)あれはとても危ない。後ろからくるくる旋回しながら飛んできた座布団が、いきなり年配の女性に当たり、びっくりしているというところも目にした。
あれはほんとに危ない…。投げる快感も分からなくはないが、絶対やらないほうがいい。
かつては、花道を通る力士の体を、観客がパチパチ叩く光景が見られた。
でも今は、女性警備員がガードしていてその場所には行けないようになっていた。
インタビューなどで、相撲取りは一様に、客に叩かれるのが嫌だと言っていたから、その気持ちに配慮したのだろうか。
『物言い』
相撲には、行司という立派な専任の審判がいる。 木村庄之助、式守伊之助といった立行司を最高位に、由緒正しい行司家から経験を積んだ行司が土俵にたつ。
ところが、それにもかかわらず、微妙な判定に対しては、土俵下に控えている元力士からなる勝負審判が物言いをつける。
つまりはクレームをつけるのだ。
僕が観た日も何度か物言いがつけられた取り組みがあった。
5人の審判が土俵上にのそりのそりとあがってきて、行司を取り囲む形で協議が始まる。
当然審判は元相撲取りだからでかい。行司は一人だけ小さくて、周りから見下ろされているような感じである。
「(立行司は)軍配の差し違え(判定ミス)の責任を取って切腹するための短刀を持っている」くらいだそうだから、権威とプライドを持っているはずなのに、今まで裁いていた対象であるはずの親方衆からクレームをつけられるのだから、これはバツが悪かろうし、釈然としないとも思うし、表情を見ていると、どうも落ち着かないふうである。まるで先生に叱られている生徒のような感じだ。
僕の席からはもちろん声は聞こえない。
正面席なので、行司の顔ははっきり見える。その周りを黒装束(紋付)の大男が取り囲み、仁王立ちしたまま微動だにせず、向かい合って協議をしている…。
とても不思議な光景だ。
常人なら、スポーツの判定を協議する場合、どうしても身振り手振りが入ったり、口調に熱が入ったりすると思うのだけど、この人たちはほとんど無表情なのである。
相撲界というのは、こういう細かいところまで、想像の及ばない世界なのだろうなあ…。
ちなみにこの日の審判長は元大関増位山だった。協議結果をアナウンスするためにマイクを持っているのを見たら、「増位山、歌ってくれよ!」と、思わず声をかけたくなった。彼は『そんな夕子にほれました』というヒットを持つミリオンセラー歌手でもあるのだ。
でも正直、千秋楽を(久しぶりに)テレビで見た時、審判長が元横綱千代の富士だったので、「ああっ、増位山もいいけど、やっぱり千代の富士を見たかった!」と思った。
『呼び出し』
呼び出しって、もっと上手かったような記憶があるのだけど、なんか調子が外れている気がした。気のせい?
ちなみに、呼び出しの人の名前って、ただ単に”秀男”とか、”次郎”とか、そんな感じなのだ。
とても軽い扱いの、馬鹿にしたような名前だと思った。
『横網』
ところで、両国国技館は両国じゃなくて墨田区横網1丁目にある。
そしてこれ、信じられないことに横綱(よこづな)じゃなくて、横網(よこあみ)なのだ!
よく漢字を確認してみてほしい。
僕もてっきり、というか、すっかり、というか…、絶対に”よこづな”だと思いこんでいた。
それを初めて知ったとき、「へえ!」って思うよりも、なんか意地悪されたような気がした。絶対に素直じゃない、屈折したものを感じた。
どういう由来があるのか知らないが、相撲の会場である両国国技館があるのに、”よこづな”じゃなくて”よこあみ”…。
何だよ、それ…!
今からでも遅くない、地名を横綱(よこづな)変えたほうがいいよ。
『観戦後』
地図を見ると、近くにいくつもの相撲部屋があるようだし、芥川龍之介文学碑もあるそうなので見てみたかったが、時間がなくてすぐに帰った。ちょっと残念…。
『テレビで観戦』
その後、千秋楽をテレビで見た。相撲をテレビで真剣に見るのは10年以上ぶりのことだ。白鵬と雅山の優勝決定戦にもつれ込む熱戦…、僕は素直に手に汗を握り、勝負の緊迫感に息をのみ、そして感動した。
いつもスポーツや格闘技に対して冷淡な僕も、たまにはこういう気持ちを抱くこともあるのだ。
まだ21歳の白鵬の優勝。モンゴル相撲の横綱だったという、彼のお父さんも観戦に来ていて、その姿が映し出された。
僕はこういうのを見ると、「親孝行な息子さんだなあ…。立派に育って成功した息子を持って、幸せなお父さんだなあ」と、何の他意も持たずに感動する(ただし、白鵬に嫌なイメージを持っていないから)。
そして、全く親不孝で、全くだらしない息子である我が身を思い、すこし涙ぐむのだ…。