犬の眼

『日記』卑しさから清浄なることまで

ほめるだけでええんか?

2006-07-10 23:03:41 | Weblog
昨日の補足みたいになっちゃうけど、例えば、小さい子どもってのは「泣いてあたりまえ」「騒いであたりまえ」な生き物で(それは僕も知ってる)、親としては日常のことだからマヒしちゃってるのかも…。
先日、スーパーで、店内をバタバタ走り回ってる子どもがいて、もちろん親はいるようなんだけどほったらかしで…。
そしたら、買い物に来てた白人のおじさんが、すれ違いざまにその子をひっつかまえた。
そして、「オカーサン、ドコ!? オカーサン、ドコ!?」と、子どもに詰め寄る。
子どもは中途半端な笑いを浮かべながら何にも言わず、逃げようともがいてる。
結局、その人は子どもを離して、それで終わっちゃったんだけど、そのあと、”オカーサン”じゃなくてオトーサンがその子を抱いているのを見た。そしたら若いオトーサンで、平気な顔をしてやがった。いきなり子どもを抱いているってことは、叱られたのを知っているからだろうに、それなのに…。
子どもが走りまわったり、暴れまわったりするのはふつうのことだと思ってる(まあ確かにそう)。
家でそうなんだから、それがあたりまえ、子どもはそういうもんだと思ってる。
だから、それをとがめられるのはおかしい、とも思ってるんじゃないか?
僕も正直、子どもが騒いだり、周りに迷惑をかけているのは気分が悪い。だから注意することもあったけど、こと日本では、第三者も含めて、僕のほうが白い目で見られる。自分たちだって迷惑がっていたくせに、行動に移した僕のことを批難する。
でも、スーパーで見かけた白人のおじさんの反応のほうが、やっぱりふつうなんじゃないだろうか…?
僕も、そのおじさんも、なにも子どもをとって食おうとか、ぶん殴ろうとか思っているわけじゃない。
子どもに罪はない。
その親に腹を立ててるのだ。
そして、期待はしてないけど、ほんのちょっとでも、改めてもらうきっかけになってくれたらと、頭の隅っこで思っているのだ。
同じ騒いでても、しつけようと努力している親と、そうでない親とではえらい違いだ。
きちんとしつけようとしている親なら、こちらも忍耐強く我慢しようとか、協力しようという気になるが、最近の親ときたら、おざなりな小さな声で「●●ちゃん、ダメよ~」くらいにしか注意しない。いや、それはまだましなほうで、自分のことに夢中でまったく子どもが眼中にないヤツも多い。昨日も書いたように、それが教育だと思って叱らない親もいる…。
僕は子育ての実績もないし、ボンクラのロクデナシだから黙ってるが、本当だったらそんな親は説教してやるとこだ。
確かに、そこには腹立たしさという負の感情もおおいにある。
でも、そういう親をたしなめてやる、叱ってやる年長者が、本来いるべきだと思うのだ。それはもちろん僕ではないんだけど、現代はそんな人がほとんど…、いや、まったくいない。
子育てはごくプライベートなことだが、一方でとても社会的なことでもある。
極端なことを言えば、育て方を間違うと、その子はヒトラーにもなりうるし、テッド・バンディみたいな犯罪者への途をたどることもあるんだから。
ちょっとおかしな例えだったかもしれないけれど、だから子育てについては「ウチのことなんだからあんたに関係ないじゃないの」という反論は納得しがたいのだ。

あんまり時間をかけず、推敲もしてないから、もし理論が破綻してたり極端だったりしたらご勘弁…。

ほめて育てる?

2006-07-09 19:55:31 | Weblog
近年の教育というのは、「子どもの権利を尊重しよう」「褒めて伸ばそう」というのが流行してるようだ。
場合によっては「叱ってはいけない」という人もいる。
でもそういうのは、分別があって人格者で、人間として優れている人が実践するならともかく、どうせ有象無象のロクでもない連中が、ヘタにうわっつらだけを鵜呑みにして我流でやっちゃうんだろうから(なんとなくイメージが良いしね)、結果、子どももロクなモンにはなりゃしない。
もうすでにそんな弊害が現れているんだと思う。
ガキどもは自分の権利を当たり前に主張するばかりで他人のことはおかまいなしで、いや、それどころか他人を見下してバカにしているし、叱られたことがないので自分が優秀だと思いあがってる…。
昔なら、そんなにご立派な親じゃなくても、とりあえずひと様に迷惑だけはかけないようにと、最低限の”しつけ”をやってたんじゃないだろうか?
それが今じゃ、叱っちゃいけない、なんて思ってるもんだから、子どもが騒いだりとかしててもほったらかしだ。
本屋で見かけたんだけど、小さい子どもがグズってやかましくているのに、親はそれを見ているだけだった(子どもが自身で非を認めてくれるのを待ってでもいるのだろうか?)。…いや、まあそこまでは許容範囲だったのだが、その子は売り物の本に顔をうつ伏していたので、本がよだれまみれになっちゃってるのだ。
ちょっと、自己中心的すぎる…。
そういう親は、自分ら親子しかこの世にいないとでも思っているのかな?
子育てのためなら、何でも許されるとでも?
確かに、子育ては社会的なことでもあり、協力すべきだとは思うが、それを周りに強要するのは違うんじゃないか?
それに、最低限のことをきちんとしつけないで、自分の子がロクな人間にならなくても構わないんだろうか…?
ぼくもロクでもない有象無象だし、子どもを持ったことがないからエラそうなことは言えないが、やはり不思議だ。

緊箍児

2006-07-02 17:37:56 | 騒音の本質

日本では、官公庁も銀行も、企業も学校も、なんでキリスト教系でもないのに日曜日が休みなんだろうか?
…日曜日のお出かけは混むから嫌い!
付和雷同は嫌い!(?)
家に居ても、近所中が休みで人がいるかと思うと、なんかウザったい…。
平日の休みがいいなあ…。

コイズミとブッシュが、エルヴィスの家を訪問したそうだね。
そこは『グレースランド』と呼ばれ、一般公開されているファンにとっての聖地なのであるが、ファンのひとりとしては、あんまり来てもらいたくない人たちだ。
コイズミはインタビュー中もエルヴィスのことを持ち出し、フリマネまでする始末…。
はっきり言って、世界に聴こえるふたりの●●に、単なるイメージアップのパフォーマンスとしてイジられたら、エルヴィス本人がマヌケに見えちゃうじゃんか…!
ひどいイメージダウンだよ。

最近の不動産屋とか開発業者は、地元民に対して礼儀もへったくれもないね。
まあ昔から傍若無人なのが多い業界だろうけど、近年問題になってるらしいのは、住宅地を造成する時に、すごい盛り土をして地面を底上げし、以前から建っている近隣の家よりも高い位置に建ててしまう、ということだ。
じつはわが家の隣の空き地が、そういうやり方で造成され、住宅が建てられているのだ。
これがじつにひどい。
1.5メートルくらいかさ上げされているので、もともと建っていた家の住民は、新しい家から見下ろされるような形になってしまってる。ブロック塀もまったく役に立たない。なぜなら、ブロック塀の高さいっぱいまで土を盛られているから、塀の役目をなさなくなっているのだ。そりゃあ、ノゾキだぜ?
こんな無礼なことを平然とやってのけるなんて、僕にはとうてい信じられない。
たぶん、法律じゃ、何にも問題にならないんだろうな…。
でも、『昭和残侠伝』という映画のなかで高倉健が、法律を盾に非道を行う相手に、憤然として言うセリフがあるんだけど、「法律でモノを言ってんじゃないんですよ!」ってことじゃないかねえ…?
法律はひとつの目安、最大公約数的なものなんじゃないかと思う。
大事なのはお互いの気持ちだと思うんだ…。まあ、もちろん、それが漠然としてて、価値観が多様な世の中で、しかも人の気持ちなんかどうでもいい無神経な連中とか悪党とかがいっぱいで…、だからこそ法律が必要だってことはよくわかるんだけど…。
…それでね。僕んちを見下ろしてる無礼な新築の家に入居した家族が、これがまた傍若無人なんだよなあ…。
ヤサグレた中年の男と、その妻、カワイゲのない子ども…。早朝からやかましいいぬっコロ…。
あの子どもらはたぶん3歳から5歳くらいだろうけど、あの親を見てたら、絶対、将来ロクなもんにならないような気がする。中学くらいになったら悪くなって、きっと悪いツレがたむろすようになるんだよ…。単車でバリバリやってきてな…。高いところからこっちにゴミなんか放り投げてな…。

そういうの疲れるんだよなぁ…。

僕はハタチくらいの頃から、隣近所との関係で平穏だったことがあまりない。
当時は、ちょうど僕の寝室の窓の下が駐車場で、隣に住んでいた高校生くらいのガキが、深夜、そこで友達とぐだぐだ話しをするので、毎晩のように目を覚まさせられた。
東京で一人暮らしを始めたアパートは、駅から歩いて3分くらいで便利だったが、その途中の家の前に、いつもガラの悪い中学生くらいのガキがたむろしていて気分が悪かった。必ずそこを通らなければいけなかったから、いくら良い気分でお出かけして帰ってきても、最後の最後で台無しにされる…。(元)妻(当時はカノジョ)は、一度、卑猥なからかいを受けたそうだし…。
また、結婚して妻の実家の隣に間借りしてたから、義理の弟が夜、友達やカノジョを連れてきて騒いでマイった…!
注意するにしても立場があるもんね。
また、家の人に挨拶もせずに入り込んで、そのまま二階にこもって騒いでたみたいだから、よけいにムカッ腹がたったのだよ。そういうのをキチンとしないのは大キライだからねえ(もっとも、そういう礼節などに関しては、まったく人のことを言えない人間ではあるのだが…)。僕だけでなく、当然近所に迷惑でもあるし。
それに加えて、そんな弟を注意できない妻や義理の家族への不信感もたまって、胃が痛くなったよ。
それがおさまったと思ったら、反対側の家に越してきた家族が、これがまたウルサい。
まず入居の挨拶にこないし、若いニイちゃんがふたりいたけど、これもちょっと一見やんちゃ系で、最初の頃、タチの悪そうな連中が集まったし、すっごい大音量でステレオかけやがって、何度かふつうにお願いしたけどおさまらないから、最後には実力行使で止めるしかなかったよ…。

マイるんだよなぁ…。

僕はトラブルはキライ…。平穏に暮らしたい。
それなのになぜ、こんな人たちばかり集まってくるのかねえ?
これがふつうなの…?
そして、良い解決策ってほとんどない。
きちんとお願いして直るような人はいないんだよ、こういう場合。
たいていは無視されるか逆ギレ。
だから我慢ができない場合は、僕もキレるしか途がない。鉄の棒を持って、「こらあ~!!」って行くしかないんだ…。
そうなると警察ザタ…、もっと悪くすると命のやり取りになるよ。
…嫌だなあ。疲れるなあ。
静かに暮らしたい…。

類は友を呼ぶ、って言うけど、そりゃあ職場とか、交友関係でロクな人間がいないのは、それは自業自得、自分がそれだけの人間だから、そんな場所にしか居れないということだろうと理解できるけど、隣に引っ越してくる人の責任まで持てないよ…。
それだと、巡り合わせとか、運気とかいった、科学的でない分野の話になっちゃう。
そう、確かに、電車に乗っても、僕の周りには変な人が来たりとか、いろいろな場面で感じることではあるのだけどね…。

こんなことを考えるのも、最近、精神的に窮屈な感じになってきてるからだと思う。
ニューヨークに行って帰った頃からだろうかな…?
ニューヨーク行きは失敗だったのかな?
旅費の返済のせいだろうか?
その後もけっこうお金を遣い、なんか気分的に窮々だ。
お金だけのせいかどうかは分からないけど(仕事のこととか、暑さとか?僕は暑さにはからきし弱くて、それが精神に大きく影響する)、まるで孫悟空の頭にはまってる金の輪っか(緊箍児=きんこじ)が絞まるかのように、気持ちがどんどん窮屈になっていく。
そして、いろんなことにイライラする。